21 魔導科学の技術水準
過度に豪華にならず、奥ゆかしくも気品の漂う家具と調度品の数々。その一つ一つが良く磨かれ艶やかな光沢を帯びており、綺麗好きであろう部屋の主の気質が見て取れた。
そんな丁寧に清掃が行き届きやや俗離れのした部屋に、明朗快活な声が響き渡る。
「でね、でね、その時シンがね、『とっても頼りにしてる』って言ってくれたの!」
「ふふ、それはきっとシン様にとっての事実を述べられたのでしょうね」
ドビル大空洞の最下層、ソブリンの館の一室で、フェアは白と黒を基調とした侍女服に身を包んだ金髪の女性の姿をしたドラゴン、黄竜コヴァ・イエローと話に花を咲かせていた。
「そうかな、そうなのかな?」
「ええ。シン様の置かれた境遇ならば、実際フェアはとても頼りになりますから」
嬉しそうに声を弾ませるフェアに、コヴァが柔らかな微笑みを向ける。
「随分楽しそうだな。いつもの仏頂面も、こうであれば可愛げがあるものを」
二人から少しばかり離れたところに置かれた椅子に腰掛けたままコヴァに声をかけたのは、目の吊り上がった険相な面構えに深い青髪の男の姿をしたドラゴン、青竜ガウン・ブルーだ。
「何故あなたがこの部屋に居るのでしょうか」
「何処に居ようと我の勝手だ」
コヴァはガウンへ顔を向けるのと同時に、それまで穏やかだった表情をスッと消し去り、いつもの無表情で反論を唱える。
「ここは私の私室です。それ以前にこの館……いえ、フレンテの樹海の全てはご主人様の所有物です。あなたの勝手にして良いわけがないでしょう。脳味噌に蛆でも湧いているのですか?」
「その理屈ならば、今我が退出するわけにはいかないな」
ガウンが示した先――向かいの椅子には、二人の主人でありこのドビル大空洞の主でもある男が、テーブルに置かれたボードの盤面を真剣な眼差しで睨み据えていた。
「まあいいじゃんコヴァ、わたしはソブリンとガウンも一緒の方がいいな。賑やかな方が楽しいじゃん」
「……そうですか。フェアがそう言うのであれば、これ以上は差し控えることにします。フェアに感謝することですね」
「そうだな、フェアには感謝しよう。フェアには」
フェアの仲裁で二人の口論は一先ずの区切りを迎えたが、ガウンの言い草にコヴァは無表情ながらもこめかみにうっすらと青筋を浮かび上がらせていた。
「ガウン、チェックです」
「何ですとっ!?」
ゲームの対戦相手からの通知に、ガウンは慌ててゲーム盤へ向き直る。
二人が対戦しているのは、白と茶の市松模様の盤上に六種十六個の二組の駒が両端一対に配置され開始される二人零和有限確定完全情報ゲーム、チェス。
先日のシンとの戦闘で脳筋と揶揄されたガウンが、戦術を学ぶべくソブリンに対戦を申し入れた……などというわけではなく、単なる暇つぶしである。
あの程度の罵倒で発奮するようなら、ガウンの戦闘スタイルはとっくの昔に変わっている。
「……ご主人様、非常に申し上げにくいのですが、一つよろしいでしょうか」
「どうぞ」
盤面を確認したガウンが鋭く目を光らせ不審を口にする。
「駒の配置が先程の盤面と異なっているようですが、不正に動かされましたな」
「……千年来の朋友に嫌疑をかけられるとは、悲しいことです。甚だ遺憾です。私を信じては頂けないのですね」
館の主ソブリンは目元を手で覆い、わざとらしく悲嘆の声を上げる。
「勿論信じております。ですが空言と確信出来る場においても、それに目を伏せ無理に信じ続けるという行いは、愚行と申し上げる他ありません」
「……その通りです。私の発言だからと全て鵜呑みにしていては、自ら考えることを放棄しているのと何ら変わりありません。それは忠義ではなく盲信というものです」
「! ……もしやご主人様は我にそのことを気付かせるために?」
「ふふ……さあガウン、あなたの手番ですよ」
「……御意」
ソブリンの啓発に感銘を受け深々と頭を垂れるガウン。盤面はそのままだが。
「私は何を見せられているのでしょうか……」
この上なく残念な茶番を目の当たりにし、コヴァは呆れて嘆息し独りごちる。
「あ、シンから終わったって交信がきたから、わたしもう戻るね」
「もうそんなに時間が経過していたのですか。フェアと話をしていると、とても短く感じられますね」
「では、洞窟の転移阻害を解除致しましょう」
ソブリンが右手を掲げると、中指に嵌められた指輪の宝石が一際強い輝きを放った。
魔導干渉制御の指輪。魔法及び魔導具による干渉の認否を司る識世に二つとないこの魔導具は、ソブリンが世界を認識した時点で既に所持していた、いわゆる初期装備というものだ。
似たような効果を持つ魔導具は数あれど、驚くべきはその常軌を逸した効果範囲にあり、莫大な面積を誇るドビル大空洞の全域にまで達する逸品である。
「フェア様、空間転移、認可致しました」
「ありがと。それじゃみんな、またね」
フェアはそう言って無邪気な笑顔で手を振り、空間転移の魔法でシンの元へと帰って行った。
「……また会える時が待ち遠しいものです」
「コヴァに良い友が出来たようで、私としても喜ばしい限りです」
コヴァとソブリンが穏やかにフェアを見送る中、ガウンは一人難しい顔をしてチェス盤を睨み続けるのだった。
◇◆◇
路地裏の武具工房で素材加工を依頼した後、シン達は毛皮等の素材利用のため服飾店を訪れフェアと共に採寸を行い仕立ての注文を済ませ、昼食後は図書館へやって来ていた。
「図書館で調べものを一緒にして、何かお前にとって楽しいことってあったか?」
「いいや、ことのほか退屈だったな」
「だから初めに言ったろ、ついてくる意味ないって」
「まあ、何があるかわからないからねえ」
本日の図書館での知識の補填に切をつけシンとデオが外に出てきたのは、日が傾くまでにはまだ少し間がある昼下がりといった時間帯だった。
二人が図書館から出てきたタイミングでシンの傍らに小さな魔法陣が浮かび上がり、そこへ魔法の効果により転移してきた小さな妖精が姿を現す。
「たっだいまー」
「お帰りフェア、向こうはどうだった?」
「うん、とっても楽しかったよ! ありがと、シン」
昨晩シンが図書館にいる間フェアに退屈させてしまうことへの解決策を考えたところ、先日訪れた大空洞の住人と彼女が仲良くなったことに目をつけ、その時間はソブリンの館に居てはどうかと提案し、フェアはこれを快諾した。
調べものの最中にフェアの知識が入用になった時は、相識交信の魔法で連絡が取れるので問題は無い。
「そいつは良かった。じゃあ今後も同じでいいか?」
「うん!」
フェアは満面の笑顔で首を縦に振る。試みが上手くいったことに満足し――少しばかりフェアの機嫌が良すぎるのでコヴァに対して嫉妬を覚えなくもないが――シンは目を細めた。
「それで、次は情報屋でいいんだな?」
「ああ」
図書館があまりにも退屈だったのだろう、何度もデオがこの後どうするのかと尋ねてきたので、他にも情報収集の出来るところがあればと言ってみたところ、挙げられたのがそれだ。
あまり治安が良いとは言えない区画にいるようなので、なるべく日が落ちる前に向かいたい。
ただ、デオの奴が暇を持て余すので、そんな場所にいる情報屋の話を持ち出して、図書館を早めに出るように仕向けたんじゃないかとも邪推してしまう。
「少し遠いから馬車を使おう。乗合馬車の停留所なら近くにある」
交易都市エプスノームはブライトリス王国四大都市の一つに数えられ、広い市内は徒歩で回るには適さない。そのため交通機関として馬車が一般の生活に浸透している。
今までシンが馬車を必要としなかったのは、都市の玄関口である北正門前大通りに必要とされる施設が一通り揃っていたからだ。
魔法を使って移動した方が早いのは言うまでもないが、瞬間移動も空間転移も術者にしか効果は及ばない。そしてそれ以前にシンは自分の不公正な能力を必要に迫られた場面以外で気安く使用するつもりは無かった。
三人は停留所から一頭の馬が曳く六人乗りで箱型の乗合馬車に乗り込み、目的地へ向かう。
「そういえば識世の科学技術って、どの程度の水準にあるんだ?」
交通機関を利用するにあたって触発された好奇心の赴くままに、シンはデオに問いかける。
「現世と比べて一概にこうだ、とは言えないかなあ。識世の技術水準は魔法と魔導具に依るところが大きいからねえ」
「そうか、魔導具を物理科学技術の産物と呼べないなら一般定義は難しいか。雰囲気的には中世から近世って感じだけど」
シンは馬車に揺られ流れゆくエプスノームの街の景色を見渡す。
実際に中世や近世を体感したことなど無いが、シンのイメージではそうだ。
蒸気機関の開発に代表される産業革命には至っていないが、流通している書物の量からして印刷技術はそれなりのものだろう。十五から十八世紀辺りの欧州はこんな感じだったのだろうか。
「スチームパンクの方が良かったかい?」
「はは、それも悪くないな」
「まあでも、この国の一般市民が与る技術の恩恵が中世レベルってことは無いかな。多くは近世から近代、局所的には現代レベルに達するものまである」
「移動手段が馬車なのにか?」
シンの疑問を受けデオは少し考え込むそぶりを見せる。それは返答に窮したというわけでははなく、どう答えたら良いか適切な言葉を探しているといった様子だ。
「……さっきも言ったけど、識世の技術水準は現世と比べて一概にこうだとは言えない。分野ごとの隔たりが大きい。例えば食に関する技術なら識世はかなりの高水準にあるんだ。良質な食材が豊富に生産可能で、市場には安価で出回っていて、近代を凌ぐレベルの飽食を実現させている」
「あー確かに、食事に関しての不満は少ないかな」
「うんうん、ごはんおいしいもんね」
フェアがとても美味しそうに食べていた光景を思い出し、シンは頬が緩む。現代の食生活で肥えきったシンの舌でも、識世で味わった料理はいずれも満足いくものであった。
「それにこの馬車も現世のものより性能は優れているはずだ。馬車馬に専用の魔導具が装備されていて、速度も馬力も持久力も向上している。とはいえ流石に蒸気機関車には敵わないけどな」
「成程、魔導具の存在が現世には無かった技術を生み出して、識世独自の文化を形成しているわけだな。で、魔導具の利便性が高い分、物理科学の発展は遅れている感じか」
技術の発展は大衆の需要と密接な関係にある。現世で物理科学の産物が満たしていた需要を識世では魔導具が代替しているのなら、その物理科学技術は用無しとなり、開発には至らないだろう。
「まあ、そういう側面があるのは事実だな」
「でもその分、魔導具の研究開発が進んでるんだろう?」
「まあ……そうだな……」
デオは肯定はしたものの随分と歯切れが悪い。予想していた反応との違いにシンは疑問符を浮かべる。
「どうかしたか?」
「ああ、魔導具……というか、魔法を研究する魔導学者のことだけど、優秀な学者ほど短命でね。特に大きな発見の直後に急逝する天才が多くてねえ……これは物理学者にも言えることだけど」
「才子短命ってやつか……どこの世界でもそういうのはあるんだな」
残念な話だ。現世でもそういった天才達が早世せず科学技術の発展に心血を注いでくれたなら、どれほどの進歩が望めただろうか。
「嘆いたところでどうにかなるものでもないけどねえ」
「そうだな……」
少しばかりやりきれない思いを抱き、両者は口をつぐむ。
魔導学者達の知恵と研鑽の結晶を備えた輓用馬が力強く曳く馬車から、シンはふと遠くを眺める。
気がつくと、日は西に傾き始めていた。




