1 ブレイン・マシン・インターフェイス
「――それでついに来週! 始まるの!」
駅前の定食屋で熱っぽく語るのは三十歳ほどの女性。板山晋一の気心知れた友人、岡谷縁だ。
休日の昼時ということもあって、店内はそれなりに客が入り活気に満ちている。
「あー、前に言ってた開発中の大プロジェクトってそれのことか。結構CMも流れてるよな」
趣味が高じてゲーム業界へとその身を投じた縁。元から高かったポテンシャルに国内大手の企業で先達の知識と工夫を上乗せし、飛躍的に向上した能力を遺憾なく発揮して充実した日々を送っている。好きこそ物の上手なれを体現した形である。
「ウチの開発史上最大規模のBMIVRよ! 力入ってるわよ! 凄いから! ほんと凄いから!」
BMIVR〈ブレイン・マシン・インターフェイス・バーチャル・リアリティ〉。
いわゆる五感没入型のサイバー空間へダイブするタイプのゲームである。
BMIとは脳波を利用した機械操作や、その逆の外部から脳への刺激による五感への入力等、その名の通り脳と機械を繋ぐもの。
近年になって研究が加速し始めたこの技術は、医療、軍事、労働、娯楽等、様々な分野で発展し、現代社会に欠かせないインフラの一部となっている。
「NPCだって最新の汎用AI搭載してもう! 意識があるとしか思えないの!」
「汎用? ……人工無脳でよくねーか?」
「会話だけじゃダメなの! みんなきちんと生活してるんだから」
「それサーバー大丈夫か? NPC全員汎用AIだと演算量やばいことになるんじゃないか?」
現在進行形で経験し、学習し、行動に反映させる汎用AIの演算量は膨大だ。高効率化が進められているとはいえゲーム内のNPC全てを賄うにはスパコン級のスペックが求められる。
「ふふ……そう思うじゃん? ここで秘密兵器が登場するわけよ! どーん! 量子コンピューターーー!」
「マジか!」
「何か政府直轄のどこかの施設が、新しいの導入するからって引き払ったものを買い取って調整したらしいの。そんなコネがあったことにビックリよ」
ここ十数年の間に様々な研究機関が競って発表した量子コンピューティング理論の数々は大きなブレイクスルーの呼び水となり、その後の量子コンピューターの高性能化、高精度化を促進させていった。
近年民間でも徐々にではあるが、既存のコンピューターから量子コンピューターとのハイブリッド化、更には置き換わりが進行しつつある。
「だから魂実装したNPCに会えるわけ。凄いでしょ!」
「いやAIに魂はないだろ」
人工知能に意識は宿るのか。
その辺りの話になると、そもそも意識とは一体なんなのかとか、哲学的な議論にまで発展してしまうので面倒くさいことこの上ない。
だが少なくとも、現時点においてまだ人工知能に意識を搭載するだけの技術は確立されていない。
「えー、でも晋、外見派でしょ。なら問題ないじゃん」
「んーまあそうなんだけど」
人工知能の意識の問題に関しては、大きく二つの立場に分かれる。
実際に人工知能に意識が宿るのかどうかを議論する『内面派』と、意識の有無を考慮に入れず表向きの振る舞いのみで判断する『外見派』だ。
つまり意識の存在が重要であるかどうかの違いで、外見派である晋一にとってはAIの表面上の行動に違和感がなければ、実際の意識の有無はわりとどうでもよかった。
「それじゃ来週、発売だから! ちょっともう楽しみすぎてやばい」
「ああ、覚えとくよ」
「プレイして……くれるよね? もちろん」
「……手が空いたらな」
年甲斐もなくはしゃぐ縁。それほどにこのゲームに対する入れ込み具合が伝わってくる。自身が開発に大きく関わっているのだから当然ではあるが。
晋一はそんな縁に悪いと思いつつ、最近は多忙な身でプレイの確約が出来ないことを少し悔やんだ。
(仕事がある程度片付けばプレイ出来るんだけどな……)
今はまだ終わりの目処が立っていない仕事達を、一つずつこなしていくしかない。
いまだ熱を下げることなく語り続ける縁を見ながら、晋一はぼんやりとこれからのことを考えていた。
そして翌週、サークル・エンター社が満を持して開発したBMIVRMMO〈SEEKERS' FANTASY〉の封が切られた。
◇◆◇
季節が巡って。
「よーし、後は依頼人に完了の報告を出して、と」
溜まりこんだ依頼に終わりの目処がついたことに大きく息を吐き、晋一はゆったりと作業椅子の背もたれに体重を預けた。
フリーランスで仕事を選んで決める晋一ではあるが、あまり選り好みが過ぎると依頼自体がなくなってしまう危険性がある。
最低限の生活保障としてベーシックインカムが普及しているとはいえ、それだけでは最低限の生活しか送ることができない。
故に汎用AIが人間の仕事の多くを代わりにこなすようになった現代でも、いまだ大半の人々は仕事をし報酬を得るという生活を送っていた。
「遅くなっちまったけど、やっと縁のゲームに手を出せるようになったな。とりあえず連絡入れとくか」
件のゲーム〈SEEKERS' FANTASY〉は見事な人気を獲得していた。
BMIVRとして先発隊の問題点をしっかりと改善し、尚且つ運営側の本気度が窺える対応ぶりで高評価のユーザーが多かった。
「……出ないな。まあ履歴見たら連絡してくるだろ」
もう仕事が終わっていてもおかしくない時間のはずだが、特に急ぐ理由もないので晋一は相手が連絡を返してくるのを待つことにした。
大型の依頼を捌いてそれなりに収入を見込めるということもあって、晋一は久しぶりのゲームをゆっくり時間をかけて楽しもうと思っていた。
翌日。
縁からの連絡はまだ来ない。
特に重要でもない要件ならば一日程度連絡を怠る知り合いはままいるが、縁はその類ではない。
晋一が連絡を入れればどんなに忙しくてもその日のうちに反応してくる縁が、一日たっても何のリアクションもない。
念のためもう一度連絡を入れてみるがやはり繋がらない。
(……何かあったのか?)
ただ単に今までにない忙しさで連絡を入れる余裕がないだけかもしれない。〈SEEKERS' FANTASY〉の対応に追われているのならばその可能性もある。
しかし晋一は一抹の不安を覚え、縁の同僚に尋ねてみることにした。
「もしもし、絵里さん? お久しぶりです、晋一です」
「あら、晋さんどうしたの? ……あ、もしかして」
どうやら心当たりがありそうだ。
「縁、知りませんか? 連絡入れてるんですけど反応がなくて」
「……やっぱり。それなら明日オフィスに来てもらえるかしら? 受付には話通しておくから」
やはり忙しかったのだろうか。しかしそれでは晋一が招かれる理由にならない。忙しない職場で晋一に割く時間が勿体ない。とすれば他に理由があることになる。
「分かりました。何時ごろ伺えばいいですかね?」
「いつでもいいけど、そうね……じゃあ十時頃に」
考えてもわからないので絵里さんの指示通り、次の日に職場を訪れるということでその日は話を終えた。
◇◆◇
サークル・エンター社はサードパーティーのゲームソフト開発会社として名を馳せた企業である。
特にRPGは国内御三家として知られるシリーズタイトルのうちの一つを扱っており、当ゲームの新作を開発したいという入社希望者は後を絶たない。
汎用AIとベーシックインカムによって働き手が徐々に減っていく中、クリエイター気質の若者が多く勤める数少ない企業のうちの一つである。
「悪いわね。足を運ばせちゃって」
「いえいえ、わざわざ時間を取らせてしまってこちらこそすいません」
待合室に現れた絵里さんと挨拶を交わす。
陽気で快活な縁に対し、絵里さんは穏やかで落ち着いた印象の女性だ。
「縁にはどんな用事があったのかしら?」
「ええ、仕事が一段落したんで例のゲーム始める前に一言声かけとこうかと」
「へー晋さんまだプレイしてくれてなかったんだ、悲しー」
「うわーあざといー」
棒読みのセリフで瞳を潤ませる絵里さんを適当にあしらって話を切り替える。
「それで、縁は?」
「そうね、それじゃあちょっとこっちに来てもらえるかしら」
案内されたのはBMIVRテスト室と掘られたプレートのついた扉の先だった。整然と並べられた何台もの機材。その中の一つに彼女の姿はあった。
「これって……」
「そ。ダイブ中」
「念のため聞いときますがGMの仕事をしているわけでは……」
「ないわね。単に自分が楽しんでるだけ。ほら、あれ」
絵里さんが目線だけを動かして示す。
縁には装着している機材の他に一つ、大きく目を引くものがあった。腕から伸びたチューブの先に栄養剤の入った透明の袋。
「こいつ……点滴まで準備してやがる」
「確か潜ったのは一昨日よ。一応、形だけ止めはしたんだけどね」
「形だけでこいつが言うこと聞くわけないじゃないですか」
頭を抱える。心配した俺がバカだった。
しかも社内の機材を使って……いや流石にそこは許可を取っているか。許可した方も大概だが。
絵里さんも呆れた様子でため息をついている。
「一週間くらい有給申請してるみたいだから、まだ当分戻ってこないわよ。たぶん」
BMIVRへの長期間接続は、サイバー空間内で十分な休養――具体的に言えば睡眠を取ることと、現実世界で栄養分を補給することである程度可能となった。
現在の技術ならばほぼ実生活に差し支えないということを多くの体験者が証明している。とはいえそれでもイメージ的に身体への悪影響が懸念されているのが現実だ。
「……このバカ、引きずり戻してきます」
「ふふ、そう言ってくれると思ってたわ」
絵里さんが顔を綻ばせる。成程。初めからそれが狙いだったか。
無論ここの機材ならば外側から呼びかけることも出来るだろうが、その程度でこの女が戻ってくるとは到底思えない。
こんな形でこのゲームをプレイすることになるとは思ってもいなかった。
「……すぐに見つかりますかね?」
オンラインでのフレンド登録はしてあるが、当然ゲーム内でのフレンド登録はまだだ。縁は常時オンラインへのログイン時の通知を切っていた記憶がある。プレイする前に連絡を入れようとした理由の一つでもある。
「普段ならね。晋さんがログインしても私からの依頼だとは判らないはずだけど、でも縁ってこういう時の勘が異常に鋭いのよね。逃げられたのなら探し出すのは骨が折れるわよ。きっと」
「縁の上司とか誰か強制力のある人が連れ戻すことは?」
「接続の許可を出したのがその上司でこのゲームのチーフプロデューサー。ほんとあの人甘いんだから」
そう言えば縁が仕事の話をする時にはよくチーフの名前が出ていた。大分懐いているらしい。懐かれてるからって部下に甘い顔すんじゃねえよ!
半ば八つ当たり気味に顔も知らない想像のチーフに文句を浴びせる。
しかしまあそれで縁を連れ戻せるのなら既に絵里さんがやっているか。
「捜索方法にはどんなものがありますか?」
「探知魔法とスキル、あと探知用アイテムがあるけど、逃げられた場合それだけじゃ難しいわね。GM権限で探知出来れば話は早いんだけど、許可が下りている以上強制は出来ないし、何より一応晋さんは部外者だし」
「逃げられたら根気強く探すしかないってことですね……」
もし逃げられたらの話のはずだが、なんか絵里さん逃げられること前提にしてないか?
「でも縁はまだ晋さんが探しに来ることを知らないから、ゲームにログインした直後が勝負よ。縁がいちユーザーとしてプレイ中ならGM用ツールは使っていないはずだから」
「初期設定ってどう変えられるんですか? レベルやステとか上限まで設定できます?」
逃げられた場合、GM相手にかくれんぼの鬼をやることになる。手段を選んではいられない。
とはいえ知識の乏しい自分には初期設定で全ての能力値を限界まで引き上げることくらいしか思いつかないが。
「上限はないわよ」
「……は?」
想定外の答えに間の抜けた声が出る。
「このゲーム、レベルの上限がないの。無限に能力を上げることができるわよ」
「いやいやいや無限て! それじゃ例えばグラハム数とかも設定可能ってことですか?」
「ええ。じゃ、それでいいわね」
冗談で言ったつもりが事も無げに肯定する絵里さんに面食らい、顔をひくつかせる。返す言葉が出てこない。
グラハム数なんて数のデータのやり取りを本当に想定しているのか?
「アバターはどうするの?」
「あ、え、ええ、基本となるデータを持ってます」
「それって自身のスキャンデータよね? だとしたらいつ頃の? 古いものなら更新した方がいいんじゃない?」
確かに今所有しているアバターの基本データは数年前に自身をスキャンしたものだ。近年の成長著しいこの技術は、数年前のものであればもう何世代も前のものとなってしまっている。
幸いここならば機材も揃っているので今からでもすぐに更新できるだろう。
「そうですね。お願いします」
「アレンジはいつもはどうしてるの?」
「いつもなら体の動かしやすい二十歳ごろに設定するだけで、他は特に弄らないですけど……今回は変えた方がいいでしょう?」
多少なりとも外見を弄った方が縁に先に見つけられる危険性も減るはずだと考えていたが、絵里さんは微妙な表情を浮かべる。
「どうかしら。初期アバターの視認で決着がつくような勝負にはならないと思うけど。姿を変える方法はいくらでもあるし。それなら少しでも違和感を覚える変化はつけない方がいいんじゃない?」
「ああ、まあそうか……そりゃそうですね」
BMIVRに接続する際、アバターに身体のアレンジを加えると初めのうちはかなりの違和感を覚えるものである。
少し時間がたてば慣れてくるので大した問題はないが、今回はその初めの時間が重要になる。
「アカウントは新規のものを用意するわね。ユーザー名は?」
「いつもの『シン』で」
いちいち考えるのも面倒なのでいつもの名前を使う。
「もうちょっと捻ってもいいのよ。『シンさん組四番隊用食糧偽造専門家』とか、『新参入冒険者組合下請けピンハネられ係』とか」
「そーだねー。また今度ねー」
たまにお茶目アピールしてくる絵里さん。やはり適当にあしらう。
「そういえば初期設定弄って縁に勘ぐられたりしませんかね?」
普通に遊んでいる体で縁を見つけられればいいが、初期設定を変更していることが分かれば警戒されるのではないか。
「それを言うなら、新規プレイヤーの晋さんが特定人物探知しようとしてる時点でアウトね」
「……もしかして初めから詰んでません? これ」
始める前からちょっと心を折られそうになる。それで逃げられる前提の話の進め方してたのか。
「頑張ってね」
にっこりと笑顔を向ける絵里さん。黒い。知ってはいたけどやはり黒い人だ。
「分かってるとは思うけど、くれぐれも一般のプレイヤーに関わらないようにね。色々と面倒だから」
「大丈夫、分かってますよ」
準備を終え機材を装着し、最後の確認を行う。
「それじゃあ、初期位置から少しだけずらした座標に配置するわね。チュートリアルを飛ばせるから」
「そうですか。よろしくお願いします」
チュートリアルはまた今度、普通にゲームを楽しむときに受ければいい。今回は縁を連れ戻すことが目的なのだから。
アカウントも今回限りのものだ。
「私は今日の仕事はこの部屋の管理を買って出たから、何かあったら呼び出してちょうだい」
そう言って絵里さんが最後の入力を済ませる。
機材が稼働し始め、ぐにゃりと世界が歪む。サイバー空間への接続が始まった。
「じゃ、行ってらっしゃい」
「ええ、行ってきます」
意識が途切れ、眠りから目覚めるような感覚。アバターとなった自身の眼を開ける。
BMIVRMMO〈SEEKERS' FANTASY〉の世界が、目の前に広がった。