12 契約
「契約?」
「ええ。主従の契約を」
「いや、そういうのはいいって」
自分にそんな資格があるとは思えないし、必要ともしていない。何よりロードの従者である二人の立場にも配慮したい。
「でしょうね。そう仰られると思っておりました。それでは召喚契約などいかがでしょう」
「召喚……って、もしかして召喚魔法か?」
魔法の中に召喚魔法の項目があったな。確認した限りでは今のところ召喚が可能な対象は何もなかったが。
「ええ。契約を交わすことにより、召喚魔法を用いて対象を使役することが可能となります」
それはファンタジーやRPG的な要素という意味で、とても惹かれるものではあるのだが……。
「でも召喚したところでなあ……。戦闘に困ってるわけでもないし」
個人的な欲求を満たす以外に必要性が感じられない。
「召喚魔法の用途は、何も戦闘に限られたものではありませんよ」
「え?」
「例えば人手が必要となる時や、被召喚者の知識や技能が生きる場面に遭遇した時などにも有用だとは思いませんか?」
「……成程」
そういう使い方もあるのか。召喚魔法は戦闘で使うものという先入観に縛られていた。
「だけどそういった場合、相識交信の魔法で連絡を取ればいいんじゃないか? 移動が必要なら空間転移の魔法で代わりが利く」
「空間転移は超がつくほどに扱いの難しい魔法、実用的な効果を得られる者は極々少数でしょう。それにこのドビル大空洞には転移阻害をかけておりますので、基本的に空間転移の魔法は効果を発揮されませんよ」
「え、あんた空間転移使えないのか?」
「まあ、使えますけども」
「だったら自分が転移するときくらい転移阻害解除すりゃいいだけじゃねーか!」
バン! とテーブルを叩いて当たり前のことを主張する。シンの指摘に対し、ロードは「はっはっは」と笑いながら紅茶を喫するだけだ。
「召喚魔法の長所はそれだけではありません。魔法の発動から間を置かず即座に契約者の召喚が行われるという点も挙げられます」
「そりゃ召喚魔法なんだから当たり前のことだろ」
「ええ、連絡を取った結果、相手の都合がつかないといったケースを考慮する必要もありません」
「……!」
今まで意識していなかったところを突かれて言葉を失う。
「召喚魔法って、相手の都合が悪かった場合どうなるんだ……?」
「召喚魔法で呼び出す場合、相手の都合は関係ないよ。召喚されるのは本人であって本人じゃないから」
「すまんフェア、意味がわからん」
もう少し詳しい説明を頼むと目で訴える。フェアは人差し指を口元に当て視線を中空に移し、わかり易く説明出来る言葉を選びだす。
「んー、さっきシンとロードが勝負した時に複製体を創ったじゃん。召喚魔法はそれを呼び出す感じかな。結構違いはあるけど。実体複製の魔法だと能力値が大幅に落ちるけど召喚魔法なら本人と変わらないし、被召喚者は独立した個体となるから指示を与えないと動かないなんてこともないし、本体との並列思考になるわけでもないしね。召喚された方も本体扱いだから」
「ふーむ。つまるところ、召喚している間、被召喚者はこの世界に二人存在することになるわけか?」
「そうそう、そういうこと」
例えるならドッペルゲンガーとか、死者のないスワンプマンといったところか。……何か違う気もするが。
「どうでしょう? 便利だとは思われませんか?」
「そうだな。でもロードに都合がつかない時とかあるのか?」
「それは勿論。私とて多忙の身、自由に使える時間は限られます」
「……あんた確か最初に暇を持て余してるって――」
「ああコヴァ、後程明日のスケジュールの確認をお願いします。何せこの時期となると、こなさなくてはならない作業がすぐに溜まってしまいますからね」
「……畏まりました」
「こいつ……」
わざとらしいロードの態度に、コヴァが呆れたように小さくため息を漏らす。
「まあいいや。じゃあ召喚契約を頼もうか。契約ってどうすりゃいいんだ?」
何かもう色々と面倒になってきて提案を受け入れることにした。無理して遠慮する理由を探すのも馬鹿らしい。こちらに不利益となる話でもないし。
「召喚契約に必要なものは意思の相互確認です。あなたが私を召喚することを望み、私はあなたに召喚されることを受諾する。それを互いに明示するだけです」
「具体的には?」
「特に決まりごとはありません。口頭でも、所作でも。意思の相互確認が取れるものであれば」
「へえ、儀式とか必要ないのか。楽でいいな」
「厳粛なものは不要ですが、これもある意味で儀式と言えるでしょう。現在の状況でも契約が成立する条件は整っていますが、召喚契約はまだ成されておりません」
「ああ、一応そこの線引きはされてるんだな」
確かに曖昧ではあるが、今の状態でも互いに召喚、被召喚に関する同意は得られている。しかし契約が成立したという感触はない。
契約の成立には、はっきりと自分の意思を発信する必要があるということか。
「それと、契約を交わす前に私の方で一つ、やっておかなければならないことがあります」
「何を?」
「被召喚者となり使役される者が主君と名乗るのもおかしいでしょう?」
「いや別に……」
どうでもいい。本気でどうでもいいことだったが、ロードは拘った。
「故に私には改名する責務があります」
「いや責務て」
拳を握りしめ、重大な決意表明でもするかの如く高らかに宣言する。
そんな大層なものでもないだろ。何だか随分と温度差を感じるのだが。
「それではこの地の統治者という意味で、ソブリンという名などいかがでしょう」
まるで準備でもしていたかのように、すかさずコヴァが新しい名前の案を進言する。
「私はこの地を支配しているわけではありませんが、他ならぬ我が友コヴァの提案です。その名、貰っておきましょう」
シンを置いてけぼりにして話は進み、まとまっていく。
「ただいまをもって私の名はソブリンとさせていただきます。以後よろしくお願いします」
「あ、はい」
迷うことなくあっさりと名前を変更するロード。いやソブリン。この場の展開についていけない。
ていうか、ロードがダメなのにソブリンはいいのか。違いとかわからないんだが。変えた意味あるのかそれ。
「それでは召喚契約を行いましょう」
「私も契約を行います」
「コヴァ」
「え、コヴァも?」
予想外の申し出とガウンの咎めるような声に片眉を上げる。
「ご主人様が召喚契約をされるというのです。従者である者も当然追随するべきでしょう」
「……コヴァ」
ガウンの声を無視してコヴァは持論を語る。
二度目のガウンの呼びかけは、先程よりも感情が強く込められたものとなっていた。
「いやそんな無理しなくても」
「無理とは? 何か勘違いなされているようですが、これは私の意思で決めたことです」
「黄の!」
ついにガウンが声を荒らげる。
場が静まりかえり、ようやくコヴァがガウンへと向き直る。
「……何でしょう、ガウン」
「さっきの今だぞ。それがわからんほど貴様は鈍くないだろう」
口調は冷静なものに戻ったが、まだその声には多分に怒気が含まれている。
「勿論、理解しています」
「ならば何故召喚契約を交わそうとする」
「理由なら先程述べた通りですが」
「そういう意味ではないことくらいわかっているだろう。話をはぐらかそうとするな」
苛立ちを隠そうともしないガウンから突き刺されるような目つきで睨まれたコヴァは、面倒くさそうに一つ嘆息する。
「……緑竜、黒竜は問題視しないでしょう。赤竜、藍竜には口がありません。残るのは青竜――あなたと白竜、紫竜。何かあれば私が対処します。他に問題は?」
「対処出来ると思っているのか」
「ご主人様はもとより、あなたにも迷惑はかけません」
話の中身はわからないが、ガウンの言った「さっきの今」――今までにあった話と何らかの繋がりがあると思って然るべきだろう。
少し考えれば何か見えてきそうな気もしたが、今は余計な詮索はせずに、シンは二人を静観しているソブリンに声をかけた。
「いいのか? ほっといて」
「私の口出しするところではありません」
関心がないわけではないのだろうが、ソブリンは言葉の通り彼らの話が収束するまで待つつもりのようだ。
人の姿をした竜の睨み合いが続き、室内は緊張感を湛えた空気に占められていく。
「甘い考えだとは思わないのか?」
「どちらにせよ、私の意思に変わりはありません」
「どうあっても召喚契約を行うと?」
「そう言っています」
コヴァの頑なな態度に、ガウンは大きく息を吐いた。
「そうか……ならば仕方ない」
そう言ってガウンは視線をコヴァから外し、シンの方へと体を向けた。
「シン、我も貴様と召喚契約を交わすことにしよう」
「は?」
「え?」
「なっ……」
今までの姿勢とは真逆の発言にシンは呆気にとられ、フェアは当惑し、コヴァに至ってはそれまであまり崩すことのなかった表情を大きく歪め、絶句している。
「どうした、何か問題でもあるのか」
「いや俺の方は問題はないけど……」
コヴァを見やると、混乱を絵にかいたような挙動でガウンに詰め寄っていた。
「あ、あなたさっきまでは……」
「何だ、文句があるのか」
「馬鹿にしているのですか!」
今度はコヴァが怒声を放つ。気持ちはわからなくもないが。これまでそんな印象はなかったけど、結構感情的なんだな。
「ご主人様が召喚契約をされるというのだ。従者である者が追随するのは当然のことなのだろう?」
「……っ!」
皮肉をたっぷりと含んだガウンの返し言葉に、青筋を立て歯を軋らせるコヴァ。
「まあそれは別として、紫の奴は今更どうこう言ってくることもあるまい。対処が必要なのは白の奴だけだろう。奴一人なら何とかならんこともない」
「それなら初めから問題などなかったわけでしょう」
「召喚契約など交わそうとしなければ根底の問題が解消されるのだがな。貴様が強情だからやむを得なかっただけだ」
「頼んだ覚えなどないのですが」
「頼まれた覚えなどない」
いまだ言葉に棘はあるが緊張は和らいだものとなり、馴染みの友人がいつもの言い合いをしている程度の空気に落ち着いてきた。
「話はつきましたか?」
状況を見計らってソブリンが二人に声をかける。
「ご主人様、失礼致しました」
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」
すぐさま言い争いを中断させ、主の前に跪く青と黄の竜。
「……謝罪する相手が違うのではありませんか?」
二人はその言葉にハッと息を呑み、ソブリンが目線で示す相手――シンとフェアへと向き直る。
「すまない。無駄な時間を取らせてしまった」
「大変ご迷惑をおかけ致しました。弁解の言葉もございません」
「そんなに気を遣わせなくていいよ。俺は気にしてない」
「あ、うん。わたしも大丈夫だから……」
シンはいつもの調子で手を挙げて制したのに対し、フェアは少し慌てた様子でわたわたと手を振った後に、「ちょっと怖かったけど」とぼそりと呟いた。
「それじゃあ今度こそ、召喚契約を始めようか。三人共契約でいいんだな?」
「ああ」
「はい」
「では、契約意思の表明をお願いします」
ズラリとシンの前に跪き待機する三者。厳粛な儀式は不要とは言われたが、成程確かにこれは一種の儀式のようでもある。
見る者が見れば圧巻とも呼べる光景に、シンは少しばかりの緊張と高揚を覚えた。
「それでは俺……シンは、ソブリン、ガウン、コヴァの三名を召喚して使役することを希望する」
「黄竜コヴァ・イエロー、シン様の召喚に応え、使役されることを許諾します」
「青竜ガウン・ブルー、シンの召喚に応え、使役されることを許諾する」
「私ソブリンはシン様の召喚に呼応し、持てる力をその要望に従って振るうことを約束致します」
言葉による互いの意思の発信が行われる。
暖かく淡い光が身体を包み込んだように思えた。それが実際に起こったことなのか、それとも錯覚だったのか。それすらもわからないほどに不明瞭で微かな感触。
やがてシンと三人の間で、目に見えない糸に似た何かを張ったような感覚が現れた。
シンが余韻に浸る中、満足気な薄い笑みを浮かべたソブリンがこの場を締める。
「これにて、契約は完了です」