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作者: 柏木砂陽

ある日、父が東京のマンションに引っ越す、と言い出した。

引っ越す。つまりは、今住んでいる家とさよならするということだ。ぼくは父に「この家はどうなるの?」と尋ねる。

「そりゃあ、誰か別の人の手に渡るんだろうなあ」

父は、まるで他人事みたいにとぼけた口調で言った。誰かの手に渡るということは、この家がぼくの、ぼくらのものでは無くなるということ。ぼくの成長を綴った柱も、怒られたすえに反逆の意思表示で落書きしてやった壁も、父が子供の頃、苛立ちをぶつけて開けた穴も、みんな他人のものになってしまうのだ。

ぼくはそれが嫌だ、と思った。思ったが、それを言葉や表情に出すことはなかった。それはとても子供っぽくて格好悪いと思ったからだ。

結局、父にぼくの意思を伝えることも無いまま、ぼくは東京の新居に連れてこられた。

扉を開け、廊下を抜け、視界に飛び込んでくる大きな窓。差し込むまばゆい陽光。それがツヤツヤのフローリングに反射し、居間は大きな大きな光に包まれた。そんな新居にぼくは「天国」を連想する。ぼくの心はこの新居に移っていた。

「どうだ?いいだろう」

父の得意げな声にぼくは何を話すでもなく、ただ頷いて応答した。

「いいんじゃない?ここなら床暖房もあるし、冷え性のお義父さんも楽に暮らせそう」

興奮気味の母が窓を開けながら言う。居間が初秋の少し冷たい風に包まれた。

そう。この引越しは体弱ってきた祖父の身を案じた引越しなのだ。

ぼくは、これなら祖父も喜ぶだろう、と思った。思っていた。

「馬鹿なことを言うな。そんな簡単にこの家を捨てられる訳がないだろう」

帰宅後、引越しの件を父から聞いた祖父は、激怒しこう答えた。自分や父、亡くなった祖母が長年暮らしてきたこの家を手放したくないと言う。

父はあからさまに苛立った口調で祖父を説得し続けた。しかし、祖父は説得には応じない。挙げ句の果てには「おまえ達が住みたいって言うからこの家の一部を貸してやったんだぞ」と見当はずれの理屈でぼくたち家族を罵った。

ついに堪忍袋の尾が切れてしまったのであろう。父は祖父の胸ぐらを掴み、また同じように祖父を罵った。それを母が仲裁する。

祖父は昔からそうだった。自分勝手で頑固でぼくたちのことなんか気にもしてくれない。ぼくらそんな祖父が嫌いだった。いや、たった今大嫌いになった。

そんな感情の変化、高揚がぼくを行動に駆り立てたのだろう。ぼくは今まで聞いたことも無いような、飛び交う罵声を吹っ飛ばしてしまいそうなほど大きな声で、「やめろ」と叫んだ。

罵声が止む。時間が止まったみたいだ。

「お父さんとお母さんはおじいちゃんのために新しい家を探していたんだよ。それなのに、おじいちゃんなんて自分の勝手な独りよがりで怒っているだけじゃないか」

ぼくは頬を紅潮させて、今までの不満を感情の赴くままにぶつけた。周りを一切気遣わない横暴な言動。他人の指図を受けようとしないあまのじゃくな行動。頭に血が上って、怒りがふつふつと湧き上がって、ほとんど無意識に、そして今までずっと意識していた「本心」をぶつけてやった。

「おじいちゃんなんか、死んじゃえばいいんだ」

ぼくの口から飛び出した「死んじゃえ」はやがて実体を持ち、形を変え、大きな大きな刃になる。そして、その刃は一直線におじいちゃんの胸に飛び込み、貫いた。胸にぽっかり大きな穴が開いたおじいちゃんの身体は木っ端微塵に吹き飛び、辛うじて形の残った上半身は色鮮やかに装飾された額縁に閉じ込められる。今まで見たことも無いような笑顔で。

続きはありません。

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