目が覚めて
固まり続けるテッドを放り、グレッグは警戒しながら未知の少女の身体を揺さぶる。ここが街中であれば、捕縛即牢獄行き間違いなしの光景である。
しかし、ここは幻魔の森の奥部。二人を咎める人間はいないが、危害を加える魔物は無数に存在する。
「………おい、おい、頼むから起きてくれ」
呼吸はしているようだから生きているのは分かるが、悠長に少女が目覚めるまでこの場に留まる訳にもいかない。
ただでさえ、隠れる目的以外で一カ所に長時間留まることは危険とされているのに、繭が弾けたときに派手な音と衝撃が響いたのだ。魔物に気付かれないわけがない。
「おい、おいって!」
「グ、グレッグさん! 落ち着いてッス! あとマントか何かをかけてあげないと」
焦りから声を荒げるグレッグをテッドが宥める。同時に少女の身体を隠す物はないかと、顔を赤くしたまま提案した。
女性経験のない少年には、いくら蝶の翅が生えている未知の存在とはいえ、同年代の全裸の少女というのは刺激が強すぎたのだ。
どのみち、少女が目を覚ましたときに全裸のまま見知らぬ男に囲まれた状況では、状況が悪化することは明白なので、対処療法的に必要な処置なのだが。
「あ、ああ、そうだな。確かマントならマジックバッグに入ってたはずだ………」
グレッグはそういうとマジックバッグを漁り、一枚の安マントを取り出すと少女の身体にかける。
それから一分ほど待つが少女が起きる気配はなく、これ以上無為に時間を消費する訳にもいかないということで、少女を抱えて木を降りることになった。
抱える、といっても両腕が塞がっては降りることは出来ないので、マジックバッグから取り出したロープで身体を固定して降りることになったのだが………。
「無理ッス! 俺には無理ッス!」
「何を恥ずかしがってんだ。ただの女の子一人背負うくらいどうってことないだろ」
このとおり、少女の運搬役に決まったテッドがごねるので作業は進んでいなかった。
「どうってことあるッスよ! 裸の女の子ッスよ!?」
「お子様発言はもうちょっと場所でしろ。今はそんな場合じゃない」
「で、でも……、あ! オレ、この剣を背負ってるからダメッスよ!」
答えに詰まったテッドは自らが背負う大剣を指差し、拒否を続けた。
「ああ、そうだったな。ならそれを貸せ」
グレッグはテッドに向かって手を差し出し命令した。
「えっ…………?」
「だから、その剣を貸せ。マジックバッグにしまうから。それならお前の背中はフリーだ」
ほぼ無尽蔵の収納力を誇るマジックバッグなら、テッドの背負う大剣程度しまうことは容易だ。しかし、それはテッドの戦力を削ることに他ならない。
「でもそれじゃあ、いざって時に戦えないッスよ」
「ほう、この子を背負ったまま戦うってか?」
「そうは言ってないッス……」
「なら、俺がこの子を背負うとしてだ。お前は俺の代わりに警戒と戦闘が出来るって言うんだな?」
「それは…………っ」
そこでようやく、テッドは押し黙った。
テッド自身も分かってはいたのだ。仮にグレッグが少女を背負うとしても、その代りにこの領域でグレッグ並みの働きが自分には出来ないことを。
Dランクのレイヴァ相手に辛勝する程度の実力では、到底勤まらない役割だということを。
だが、思春期の感情は簡単に割り切れるものではない。スレた大人と違って繊細なのだ。
それを許してくれる環境なら良かったのだが、生憎と世界はそう優しく出来ていない。それを乗り越えられた者だけが生き残れる世界なのだ。
「キツイ言い方だが、この程度でイヤイヤ言うようなら冒険者なんて辞めたほうがいい」
「………………」
「周りに迷惑が掛かるし、なにより早死にするからな」
「………………そんなこと、言われなくても分かってるッス」
テッドは落ち込みながら少女を背中に固定するためにロープを持った。
「まあ、そう落ち込むな。帰ったらそういう店に連れてってやるから。な?」
「……………奥さんがいるのに、そんなとこ行っていいんスか?」
グレッグの言葉にテッドは手を止めて溜息をつく。気遣いの言葉だと分かってはいたがが、素直になるにはテッドは若かった。
「俺がヤる訳じゃないからなー。なに、独身時代のコネってやつだよ」
「…………はぁ。そっちはどうでもいいッスけど、言われたことはちゃんとやるッス」
「どうでも良くないぞ? またこういうことが無いとも………言えなくもない、から、な?女に慣れとくことも大事だ!」
拳を握りしめて力説するグレッグの姿を見てテッドは、こういう大人にはなるまいと心に決めた。
「アホなこと言うのは帰ってからッス」
「お前が駄々こねるからだろうが」
「分かってるッスよ――?」
テッドはぶつぶつ言いながら少女を背負おうとした。しかし、その時少女が身動ぎをしたので手を止めた。
『………………う、うぅ……?』
「――あ! ちょ、ちょっと、グレッグさん! 気がついたみたいですよ!」
「ん? こんな時にか………」
グレッグが顔を顰めながら呟く。その間に少女の意識は完全に覚醒したようだ。
『―――え、なにこれ!? なんではだ、きゃあああああ!』
「お、落ち着いて! 大丈夫だから!」
少女は自分の姿を見るなり悲鳴を上げた。目が覚めていきなり見知らぬ男二人に囲まれ、しかもぼろマントで身体を覆われているとはいえ全裸な上に、ロープが巻きつけられて身動きがとれないのだから当然の反応だが。
『誰か助けてー!! なんでこんな目に遭うのよー!』
「大丈夫ッスから! 何もしないッスよ、だから落ち着いて!」
『いやああ、来ないで! 近づかないでッ!』
「ロープ解くだけッスから、暴れないで! 他には何もしないッスから!」
テッドは暴れる少女にゆっくりと近づいていき、固定の為に巻きつけていたロープを丁寧に解いていく。
「ほら、これで解けたッスよ――あ、ちゃんとマントを押さえてくださいッス」
『…………ぐすっ、あ、ありがとう。―――――悪い人じゃない、の………?』
「いや、オレたちは人攫いじゃないッスよ。ここから移動するためにそうしてただけで、やましいことは何もないッス」
『………本当?』
「本当ッス」
ロープを解き終わるとテッドは少女からゆっくりと離れた。少女の方もマントを押さえるように身体を抱きしめ、少し後ずさりして距離を取った。
そして、言葉通りテッドはそれ以上何もしてこないと分かると、少しずつ落ち着いてきた少女はテッドと一言二言、言葉を交わす。
そんな二人の様子を、一人蚊帳の外になっているグレッグは眺めていた。もちろんただ眺めていたわけではなく、この騒ぎで魔物が近づいていないか警戒をしていたのだ。
だが、現在進行形で起きている目の前の疑問を解消するため、グレッグはテッドに話しかけた。
「……なあテッド。お前、この子の言葉が分かるのか?」
「は? 何言ってるんスかグレッグさん。普通に分かるじゃないッスか」
「いや、はっきり言って聞いたこともない言語だ。俺にはまったく分からん」
「そんなわけ――。君もオレたちの言葉は分かるッスよね?」
グレッグの問いにテッドは困惑しながら、少女にその問いを投げかけた。
しかしテッドの予想とは違い、反応は芳しくなかった。
『――えっと、言葉、ですか? そっちの人と話してるときの言葉は、聞いたことがないです。英語じゃないし、ドイツ語かロシア語ですか?』
「どいつ語? どこの言葉ッスか、それ。クーリア語に決まってるじゃないッスか」
「テッド、この子はなんて言ってるんだ?」
また二人で話し出したので、グレッグは再び問いかけた。
「なんか、グレッグさんと話してるときは分からないって言ってるッス。でもオレ、クーリア語以外に話せないし、変ッスよね?」
「変って、お前なぁ……。俺にもお前が別言語を話してるようには聞こえなかったが、この子には自分と同じ言語に聞こえていた、と―――」
グレッグが思考の海に沈みかけたとき、何処からか低い唸り声が響いてきた。
「!? グレッグさん、考え事は後ッス!」
「――おぉ、そうだな。早いとこお暇しよう」
『え、なに今の唸り声!? 何がいるの!?』
謎の声にパニックを再発しかけた少女に、テッドは落ち着いて話しかける。
「大丈夫ッス。あ、いや、あんまり大丈夫じゃないッスけど、さっさとここから離れれば何とかなるッスから」
『大丈夫じゃないって、そういえば、ここってどこなの?』
「おい、話は後だ。早くその子を背負って降りるぞ」
「分かってるッスよ。――えっと、急ぐんで話は後ッス。オレの背中に掴まってくださいッス」
『う、うん、分かったわ……え、なにこの翅!?』
背を向けてしゃがんだテッドに掴まるために、少女は身体の前から掛けられていたマントを背中に回そうとした。その時、自分の背中から生える蝶の翅に気付き、驚愕の声を上げた。
「あ、翅を引っかけないように気を付けるッスから、早くしてくださいッス」
『なんでこんなモノが私の背中に生えてるのよ!? ちょっ、取れないッ!』
「おい、早くしろ! やっこさん足が速いぞ!」
「先に行っててくださいッス! ――とりあえず、ソレも後回しにしましょうッス。考えるのは後でいくらでも出来るッスよ」
『なんなのよもう! 分かったわよ!』
グレッグは言われるまでもないと、先行して木から降り始めた。
テッドも、少女がようやく背中に掴まってきたので落とさないように駆けだした。少女も振り落とされないようにテッドにしっかりとしがみつく。
こんな切迫した状況でもなければ、マント一枚で男にしがみつくことに赤面する少女や、顔を赤らめつつも革鎧で少女の身体の感覚が分からないことを残念に思うテッドを見られたのだが。
三人は登ってきた時とは比べるまでもないほどの速さで巨木を駆け下りていた。
もちろん実際に走っているわけではなく、着地する枝を確認しながら飛び降りるように移動していた。
『きゃああああ!』
「ちょっ、首、首が絞まるッス……!」
急ぐために仕方ないとはいえ、軽業師も真っ青な曲芸を繰り返していたので、少女は悲鳴を上げていた。
『私無理なの! 高いとこと絶叫系は! いやああああ!』
少女の翅を気にしながら降りているのでグレッグよりは幾分マシな移動なのだが、ジェットコースターはおろか観覧車さえ乗ることが出来なかった少女には、巨木からの急速降下はハードルが高すぎた。
少女の首絞めに耐えながら、踏み外さないようにテッドは移動を続ける。呼吸はしづらいが少女を落とす心配は減っているので、かなり急スピードで降りることが出来た。
『早く終わってよぅ………』
「もうちょっとッスから、頑張ってくださいッス!」
その甲斐あって、登った時の半分以下の時間で降りることが出来た。先に降りていたグレッグは遅れて降りてきた二人を見ると、呆れたように溜息をついた。
「これからが本番だってのに、もうバテバテじゃないか」
ほぼ窒息状態で曲芸をし続けたテッドは言うに及ばず、恐怖から身体が緊張し続けたせいで息も絶え絶えな少女。
本来なら、密林を全力で駆け抜けなければいけないこれからの道程の方が消耗が激しいのだが、既に力尽きそうになっていたからだ。
しかし、現実は悠長に体力が回復するのを待ってはくれない。
徐々に大きくなる巨大なナニカの向かってくる音。このままでは数分と待たずにそのナニカと接触することだろう。
「ほら、死にたくなかったらさっさと立ち上がれ!」
「い、言われなくて、も! ハァ、ハァ。は、走れるッスか?」
『………ごめんなさい、足に力が入らない』
「わ、分かったッス。はい、もう一回掴まってくださいッス」
『うん…………』
テッドが少女を背負うのを確認すると、グレッグが先頭になって密林を駆け抜ける。
剣で邪魔な草木を薙ぎながら走っていると、魔物溢れる幻魔の森の名の通り何度か魔物と遭遇した。
ギガントワームやビリジアンラビットなど比較的危険度の低い魔物は、追跡者に怯えているのかこちらに向かってこず、相手にせず素通りにすることが出来た。しかし、ヴァラクラッドなどの危険な魔物はお構いなしに襲いかかってきた。
「ふん! そら!」
ズサッ! ザシュッ!
グレッグはそれらを視認すると走る速度を上げ、そのまま止まることなく魔物を切り伏せていった。複数体現れてもそれは変わらず、テッドたちに魔物が接近することはなかった。
テッドはその鮮やかな手際に見惚れ、追跡者に追いつかれてもグレッグがあっさり撃退してくれるのではないかと気が緩み始めていた。
だが少女の方はそうではなく、初めて見る魔物という脅威に怯え、遭遇する度に『ヒッ』と短い悲鳴を上げていた。さらにグレッグが魔物を屠る瞬間に飛び散る血飛沫や部位を見て気絶しそうにもなった。それでも意識を保っていられたのは、身体を支えてくれるテッドの温もりと、文字通りお荷物になっている自分の不甲斐なさからだった。
そんな状況が三十分以上続いただろうか。依然として追跡者を振り切ることは出来ず、徐々にその距離も詰められていた。
「………チッ。野郎、狩りのつもりか? ――テッド! これ持って先に行け! 俺はヤツを足止めする!」
グレッグはこの状況に違和感を覚え、二人を逃がしながら自分は追跡者と対峙するという決断を下した。
先に感じていた進攻速度とプレッシャーの強さから、とっくに追いつかれているはずだと結論付けていたからだ。
だが現実は距離を詰められつつあるが逃走は継続出来ている。それが意味するのは二つの可能性。
一つは自分の感覚の読み違い。緊張状態から追跡者の脅威度を高く見積もり過ぎていたがために、今のジリ貧の逃避行となっている可能性。この場合なら、まだどうにか状況を打破出来る自信がある。
―――もう一つは追跡者が遊んでいる、もしくは絶好の機会を窺っている可能性。この場合だったらどうしようもない。力量差は感じていたものよりも大きくなりそうで、こちらが弱ったところを狙って襲撃してくるだろうから対処できるとは思えない。足止めに徹したところで、どれだけ持ちこたえられることやら………。
グレッグはこの二つ可能性のうち、後者の方だと考えていた。今までの経験から言って、都合が悪いほうに傾くことが多かったからだ。今回もきっとそうだろう、と。
「ゼェ、ゼェ、何言ってん、スか。もう少、ししたら、深部を抜けるんスよ!」
「だからだよ。ヤツを深部から出すわけにはいかない。仕留めるのは無理でもここに釘付けにしとかないと」
「で、でもグレッグさん一人じゃ………」
「だからこれを持って行けって言ってるんだ。もしもの時の保険だが、俺にとってもお前らにとっても生命線になるはずだからな」
そう言ってグレッグがテッドに手渡したのは、十センチほどの木彫りの形代だった。
「いいか、ヤバくなったりそれが赤く光ったりしたら、それを壊すんだ。事態が好転はしないだろうが、最悪だけは回避できるはずだ」
「な、何が起きるんスか?」
「その時になれば分かる。それまで無くすんじゃないぞ!」
「あ、ちょっと!」
言うが早いか、グレッグは反転して追跡者に向かって走り出した。
心情で言えばグレッグと離れるのは避けたいのだが鉄火場、それも死神が手薬煉引いて待っている死線に背中の少女を連れて行くわけにはいかなかった。
あっという間に見えなくなったグレッグの言うとおり、深部から脱出するためにテッドは走り出した。
太陽は中天を過ぎ、空を塞ぐ木々の群れの足元は徐々に明るさを失い、夕刻を迎えるまでもなく闇に飲み込まれる。
その中を二人と一人がそれぞれ反対方向へと駆けていく。
片方は光を求めて森を抜ける為に。もう片方は闇を押し留める為に。
それぞれの行く先に何が待ち受けているのか、ほどなくして分かるのだった―――
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今回の魔物
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<ギガントワーム>
危険度認定:E
名前の通り、巨大な芋虫。体長は最大で四メートルを超すものが確認されたこともある。雑食で、草木だけでなく小動物や人間を襲うことも。しかし攻撃性は高くなく、足も遅いのでよほど運が悪くなければ素人でも怪我無く倒すことが可能だ。その代わり吐く糸に絡め捕られれば脱出は容易ではなく、さらに体液には他の魔物を呼び寄せる効果があるため、不用意に手を出すと痛い目を見ることになる。だが、それを逆手にとって撒き餌代わりにする冒険者も少なからずいるようだ。これほどの巨体でも成体ではなく、いわゆる幼虫なのだ。しかも成体の姿はランダムで、繭から羽化するまでどんな姿になるかは分からない。そもそも他の魔物の餌食なる場合がほとんどで、成体になることが出来るのはほんの一握りだ。
<ビリジアンラビット>
危険度認定:D
派手な体色を持つ兎。体長一メートルほどの大きさがあり、普通の兎と同じく俊敏な動きと驚異的な脚力を持つ。まともにその蹴りを受ければ、竜種といえども無事では済まないと言われている。五、六匹の群れで生活している場合が多く、その派手な体色と相まってかなり目立つ存在である。基本は草食なのだが、必要であれば狩りをすることがあるので注意が必要だ。肉体には毒を持っており、その肉を口に入れれば喉は焼け爛れ胃は腐り、全身から血を吹きだして絶命するという。その為毒薬作りに利用されることも多く、それを防ぐために定期的に駆除の依頼が出される。肉体のスペックは高いのだが戦闘能力は高くなく、危険度認定もそれほど高くはない。
<ヴァラクラッド>
危険度認定:B+
巨大な一本爪を持つ三本の主腕と人間のような二本の副腕、触手の先に口の付いた一本の捕食腕を持つ体長五メートルほどの熊のような身体の魔物だ。その特異な外見通り行動も特異で、普段は主腕を用いて木や崖の上で生活をしており、獲物が近くを通るとそこから飛び降りて襲い掛かる。基本は主腕での突き刺しや切り裂きを武器に戦闘するのだが、死角に入られた場合や意表を突く時などは捕食腕による攻撃を繰り出す。しかも捕食腕には自我もあるようで、完璧な不意打ちであろうと独自に反応する。さらに捕食腕の口からは強酸性の溶解液を吐き出すので、動きを見切ったとしても油断できない。その巨体を活かした膂力と捕食腕のトリッキーな行動は、上位ランクの冒険者パーティでも単体で壊滅させるほどである。食事の仕方も変わっており、普通の肉食動物のように獲物を噛み砕いて飲み込むのではなく、副腕で獲物を支えたまま主腕で傷を付け、その傷口から捕食腕が溶解液を流し込んで体内を溶かし、本体の喉に隠れているストロー状の器官を使って溶けた中身を吸い取るように食事する。戦闘能力の高さと猟奇的な食事風景から出会いたくない魔物ランキングでTOP3に入るほどだ。