仲間との出会い
ここは幻魔の森と呼ばれる密林の奥深く。長らく外界を拒み続けている影響で太古の植生が息衝く、一種の聖域然とした場所であった。この密林には数多くの魔物が棲息しており、外界を拒む要因の一つとなっている。
先日、この密林から生還したある冒険者のパーティが数々の希少素材や新発見を持ち帰ったことにより、この手付かずの自然と魔物の素材を求めて各地から様々な人間が財を得ようと集まっている状態だった。だが進めば進むほど急激に跳ね上がる危険度の所為で、大抵の人間は密林の外側三割程度を活動範囲としており、中部以降に歩を進めるものはほんの一握りであった。
そんな場所を背中と腰に剣を一本ずつ装備した一人の少年が、見たこともない木々を掻き分けながら進んでいく。その足取りは目的地に向かうようなしっかりとしたものではなく、何かを探しながら歩くフラフラとしたものだ。
その挙動は未だ発展途上のそれであり、こんな危険地帯に一人で来られるようなレベルではない。そもそもこの少年自体が、こんな深部まで足を運ぶ羽目になるとは思ってもいなかったのである。
では何故、こんな場所に一人でいるのか――
「………やっと見つけた。先生! 一人でどんどん先に進まないでくださいよ!」
「………………」
「―――先生!!」
「ん? ああ、俺のことか。先生なんて言うから誰のことかと思ったじゃないか」
「ここに他に誰がいるっていうんスか! それより、早く引き返しましょうよ。こんなとこまで来るなんてオレ、聞いてないッスよ!」
答えは単純で、一匹の魔物の死体を前に熱心にメモを取るこの中年の男に置いていかれたからである。
「はは、そりゃ言ってないからな。言ったら引き受けてないだろ?」
「当たり前じゃないッスか! オレ程度の腕じゃすぐ死んじまうでしょうが!」
「そうは言ってもな、俺の予算じゃ君一人を雇うのが精一杯なんだ。それにまだ死んでないからいいじゃないか」
「結果論でしょ! もっとヤバい状況になったら一発ッスよ!」
「なに、その時はその時だ。成果を持ち帰った後にあの世へとお供するさ」
「全然うれしくねー!」
必死に訴える少年の言葉を中年の男はのらりくらりと躱し続ける。そうしてメモを取り終えると立ち上がり、密林の奥へと進みだした。
「ちょっ、まだ進む気ッスか! オレじゃこんなとこ無理って言ってるじゃないッスか!」
「うーん、コレをやった魔物のことを調べるまでは戻るに戻れないからなぁ……」
そういって中年の男は魔物の死体を指差し、困った風に頭を掻いた。
「え、コレ先生がやったんじゃないんスか?」
「俺にこんな芸当出来ないさ。ガズルカの後頭部を一撃、それも完璧な奇襲によってだ。少なくとも俺の知ってる限り、人間でこんなことを出来るやつはいないな」
「この魔物、ガズルカって言うんスか? 聞いたことないッスけど………」
「新種だし、発表も周知もされてないから仕方ない。ガズルカっていうのはこの辺りの言葉で潜むものという意味でその名の通り、木の上や茂みに身を潜めて獲物が通りかかったらこの伸縮する腕を伸ばして獲物を仕留めるんだ。ほら、指先が尖っているだろう? これを獲物の急所めがけて―――」
「あーーー先生、もう分かったから! こんな状況で勉強してる場合じゃないッスよ!」
少年は思わぬところで始まった魔物講義を慌てて中断させた。
「おっと、それもそうだな。いやぁ、つい癖でな。――それはそうと、その先生ってのは止めてくれないか? 俺はそう言われる仕事はしてないし、始めにグレッグと名乗ったじゃないか」
「先生だってオレのことテッドって呼ばないからおあいこッス。それにオレは学がないから、頭が良くていろんなことをスラスラ言える人はみんな先生に見えるんス」
「俺も大した経歴はないんだが………。ああ分かった、これからはちゃんと名前で呼ぶよテッド君。だから俺のことも名前で呼んでくれ」
「………了解ッス、グレッグさん。あと、『君』はいらないッス」
中年の男――グレッグは、話は纏まったと言わんばかりに立ち上がり、密林の奥へと歩き出した。
「……はぁー、もういいッス。死んだら化けて出てやるっス」
「根に持つタイプだな、そういう奴はモテないぞー?」
どんどん進んでいくグレッグに不承不承ながらも追従する少年――テッドはぼやき続けている。
「あんま興味ねえッス。そんな余裕もねえし」
「珍しいな、若いうちからそんな枯れた発言とは。なんだ、嫌な思い出でもあるのか?」
「……別に、なんでもいいじゃないッスか。そういうグレッグさんこそどうなんスか?」
沈み込むテッドの気を紛らわそうと、グレッグは積極的に話しかけていた。いつ何が起こるか分からない状況で危機意識に欠ける行為ではあったが、相方が落ち込んだままの状態で危機的状況に遭遇するよりはマシだと判断したからである。
テッドは図星を突かれたのか言及を避けてグレッグにそのまま言葉を返した。するとグレッグは少々照れくさそうな顔になった。
「俺か? まあ俺も若いころは考えたことがなかったな。いろいろ忙しかったし」
「人のこと言えないじゃないッスか」
「でも去年、嫁さんをもらってな。パームスにある家で俺の帰りを待っていてくれてるんだわ、これが」
「去年て、まだ新婚じゃないッスか、しかもその歳で。ならなおさら引き返しましょうよ」
「その歳で、とか失礼な。――もしもの時のことは伝えてあるし、了承はしてくれてるからな。それに嫁さんはまだ若いからやり直しもしやすいさ」
「奥さん、納得はしてるんスか?」
ぱっとしない中年が実は幸せの真っただ中だという事実に、テッドは何とも言えない感情が浮かんできた所為で少し棘のある語調になっていた。
「学がないとか言う割に難しいこと言うねぇ。まあ納得はしてないわな、そりゃ。でも、もう諦めてるって感じだ。すまないとは思うが、こればっかりは止めるわけにはいかんからな」
「………そッスか、いい奥さんみたいッスね」
「ああ、自慢の嫁さんだ」
グレッグはいい笑顔で言い切った。テッドはそれを見て、羨ましいと思った。
「そういや若いとか言ってたッスけど、若い人がなんでグレッグさんみたいなおっさんと一緒になったんスか?」
「……いちいち一言多いな、これでも傷つくんだぞ。何年も前の話になるんだがな―――」
棘の取れないテッドの言葉に傷つくグレッグだったが、さっきまでの様子よりはマシかと自分を納得させ、自分たちの馴れ初めを語ろうとしたその時。
ズザサアアァァ!
テッドのすぐ傍の茂みの中から暗緑色の槍が鞭のようにしなりながら、テッドめがけて襲い掛かってきた!
「………くっ、オラアァァ!」
ガキイィィィン!!
「―――え、グ、グレッグさん!?」
「俺のことはいいから! あっちからも来てるぞ!」
「なっ、ク、クソッ!」
だが逸早くそれに気づいたグレッグが槍とテッドの間に割って入り、バックラーを掲げて受け止め押し返した。そして剣を抜き放ち、次の攻撃に備えて構え直した。
テッドは突然の出来事に頭と体が働かず対処が遅れてしまった。グレッグの指摘でようやく背中の剣を構えることが出来たが、直後に別方向から向かってきた四脚獣に突撃されて体制を崩してしまった。
「ぐぅ……ッ!」
「テッド、そいつは任せるぞ」
「い、言われなくてもッ!」
グレッグはテッドに声を掛けたあと、茂みに戻っていく槍に向かって走り出した。
茂みに突っ込むと、槍の持ち主が次の一手を放とうと身を縮めていた。槍の正体はついさっき死んでいた魔物ガズルカの別個体、その腕だった。
力を溜めているガズルカを視認するとグレッグはバックラーを斜めに構え、腕が飛んでくるのを待った。
ブォンッ!
「フッ、そらよっと!」
ガン! ズシャッ!
グレッグは飛んできた腕をバックラーで逸らすと、その衝撃を利用して身体を潜り込ませながら右手の剣を斬り上げ、肩口から腕を斬り落とした。
「ル、ギャアアアァァ!」
「はい、お疲れさん」
ズバンッ!
そして返す刀でガズルカの首を斬り落とし、密林の襲撃者を絶命させた。
ガズルカの強さは、冒険者組合の危険度認定で上から三つ目のランクB相当である。これは奇襲攻撃の危険さも考慮に入れたものだが、普通の冒険者なら例え正対した状態から戦闘になったとしても勝つのは厳しい相手だ。
それを僅かに三手、しかも無傷で倒したのだ。奇襲を察知して防ぎ切ったことといい、グレッグはかなりの手練れと言えるだろう。
「さてと、テッドの方に行くかな。ま、レイヴァ相手だから大丈夫だとは思うが……」
グレッグはそう呟くと未だ戦闘音が続くテッドを残してきた方へと顔を向けた。
その頃テッドはグレッグがレイヴァと呼んだ鹿に似た魔物、レイヴァガランドンを相手に苦戦していた。
「ハッ、ハッ、この、しつこい!」
「キュオオォォン!」
レイヴァは嘶くと頭部に生えた曲刀のような四本の角をテッドに向けて突進してきた。
ガキイイン!
「ぐ、この野郎!」
「キュア!」
テッドはそれを剣で受け止め押し込まれまいと踏ん張るが、テッドが足に力を込めた瞬間にレイヴァは後ろへと大きく飛び退いてしまう。
レイヴァからの圧力が無くなったことでテッドは体制を崩してしまい、そこを狙ってレイヴァがまた突進してくる。グレッグがこの場を離れてからこの光景が何度も繰り返されていた。
「クソッ、このままじゃジリ貧だ。なんとかしないと………ッ!」
テッドは打開策を考えるも、レイヴァの突進が邪魔をして上手く頭が働いてくれなかった。次第に押し切られそうになる回数が増えてきて、ついには大きく後ろに弾かれてしまった。
バアアン! ドサッ!
「うわ! ヤベッ!」
「キュオオオン!」
レイヴァはこれを見逃さず、立ち上がらせまいと今一番の速さで突進してきた。
「く、こんのおお!」
「キュアッ!?」
テッドは咄嗟に背中のバネを使って上体を起こし、その勢いで脇へと飛び込んだ。
テッドが脇に飛ぶのとほぼ同時にレイヴァが突っ込んできたが、間一髪のところで回避に成功した。しかもすれ違いざまにテッドの剣がレイヴァの腹に当たり、浅くではあるが傷を与えていた。
「ハア、ハア、ハア……あ、当たった……?」
思わぬところで攻撃が当たったことで、テッドはそこに希望を見出すことにした。
一方レイヴァは自分の身体に傷を付けられたことで、怒りと屈辱が溢れだしていた。今まで一方的な展開だった戦闘が、テッドの行動で戦況が僅かに傾いたのだ。身体だけでなくプライドにも傷を付けられたからだった。
「キュルルルゥ………」
「ハァ、ハァ、いいぜ、来いよ魔物野郎。今度はきっちり捌いてやる……!」
「――キュオオアア!」
「アアアア!」
テッドが剣を構えると、レイヴァは舐めるなと言わんばかりに突撃を敢行した。その突撃に対しテッドは身構えることをせず、レイヴァの左側をすり抜けるようにヘッドスライディングを繰り出した。
テッドの髪がレイヴァの角に掠り、何本か切れて宙を舞う。テッドはレイヴァの角を躱した瞬間、剣の切っ先をレイヴァに向けて突き出した!
ザッ! ズシャアアア!
「ギュアアアア!」
剣は腹に突き刺さり背中まで突き抜けた。突進の勢いが逆に仇となり、剣に威力を与えたのだ。そしてその勢いのまま両者はすれ違い、剣は左足の付け根までを切り裂いて体に残った。突進の勢いにテッドが剣を支えきれず手放してしまったからだ。
「ハア、ハア……チッ、まだ生きてるのかよ。しぶといな」
「………キュ、キュオアア……ッ!」
「待ってろ……今、楽にしてやるから」
テッドは腰の剣を抜くと倒れているレイヴァに向かって歩き出した。
レイヴァは必死に起き上がろうとするが、切り裂かれた身体では思うように動けず、近づいてくるテッドを睨みつけることしか出来なかった。
手負いの獣は危険なので慎重に近づき、レイヴァの正面まで来ると剣を逆手に持ち替え、レイヴァの額めがけて振り下ろした。
「ギュッ…………」
レイヴァの身体がビクンッと震えて目が虚ろになっていき、やがて動かなくなった。息絶えたことを確認すると、テッドは突き刺さったままの剣を回収してその場にへたり込んでしまった。
「ハア、ハア、ハア、なんとか、勝てた………」
テッドが肩で息をしながらへたり込んだところで、いままで茂みの中から戦闘を眺めていたグレッグが茂みから出てきた。
「よ、お疲れ」
テッドは後ろの茂みから音がしたことで身体を強張らせたが、出てきたのがグレッグだと分かると、安堵から大の字に寝転がってしまった。
「グ、グレッグさんッスか……そっちも、終わったッスか……?」
「ちょっと前にな。あとはこっそり覗いてたから、いい休憩になったよ」
「げー、それなら、手伝ってくれても、いいじゃないッスか……」
「レイヴァはテッドに任せたんだから俺が出張ったらダメだろう。何よりテッドの為にもならん」
「はぁ、それでオレが死んだらどうするつもりだったッスか………」
「さすがにヤバそうなら飛び出したさ。でもなんとかなったろ? それに――」
「それに?」
グレッグはそこで言葉を切ると、溜息交じりに肩をすくめていた。
「ランクD相当とはいえ、草食で比較的対処の簡単なレイヴァ相手にこんなにてこずるとは思わなかったから、なんていうか、なあ?」
「ちょっ、オレついこの間ランクDになったばっかッスよ!? それなのにランクDの魔物相手に簡単に勝てるわけないじゃないッスか!」
冒険者組合が行っている冒険者のランク付けと魔物の危険度認定は、位階の設定こそ同じなのだが、その意味合いはかなり異なっている。魔物の危険度認定は単純にその魔物の強さと特異性を考慮して決定されるが、冒険者のランクは冒険者組合への貢献度で上下するのだ。
なのでランクが高い冒険者は強い、というわけでもない。ランクAだが一度も魔物と戦闘したことがなく戦闘能力皆無、という冒険者も少なからず存在している。要は世渡り上手な者ほど上位ランクに上がれるということだ。中には突出した戦闘能力だけでのし上がった猛者もいるが、肩身の狭い思いをしているという。
冒険者のランクと魔物のランクの能力差比は一般に、一対二・五~三と言われている。これは前述の理由とは別に、単純に生物としての性能差によるものが大きい。テッドは魔物相手の仕事を中心に活動しているので同ランクの冒険者の中でも戦闘能力は上位の入るのだが、特に秀でているというわけでもないので同ランクの魔物を単独で撃破したことは称賛に値する。
だが、グレッグの戦闘能力はランクBのガズルカをあっさり葬ったことを見てもずば抜けているのが分かるだろう。その所為で普通の感覚から多少ずれているところがあるわけだが、今回テッドはその犠牲者となったのだった。
「……はぁ、もういいッス。グレッグさんが変なのは会ったときからッスから」
「変とは失礼だな。組合の中じゃ、俺は常識人として通ってるんだぞ」
「うっそだー。グレッグさんが常識人なら、他の人は人外じゃないッスか」
「………うん、まあ、否定できないのが辛いところだが、それはいい。それより、立てそうか?」
テッドの言葉に苦虫を噛み潰したような顔になるグレッグだったが、気を取り直してテッドを気遣う素振りをした。………頭の中は未確認の魔物の調査のことで一杯だったので、本当に素振りだけだったが。
「……怪我も大してないし、大丈夫ッス。ただちょっと疲れたんで休みたいところッスけど」
言いながらテッドは上体を起こし立ち上がると、手をグーパーしながら身体の調子を確かめた。
「………確かにここまで休憩なしだったからな。だがここから離れたところで休憩しよう。派手に立ち回ったから他の魔物が寄ってきてるかもしれん」
「了解ッス」
二人は仕留めた魔物から使えそうな部位を剥ぎ取り、グレッグの持っているマジックバッグに入れるとその場から急いで離れた。
先の場から二十分ほど移動していると根元が奇妙に捩れた巨木が数本、複雑に絡み合うように生える場所に辿りついた。肩で息をしているテッドの代わりにグレッグが周囲の安全を確認し終えると、その巨木たちの根元に隠れるようにして休息を取ることになった。
「だらしないな、もうちょっと鍛えないとこの先辛いぞ?」
「ハア、ハア………元々、ここまで来れる、ほど、強くない、ッスから、ハア、ハア、ハア―――」
「そうは言っても今まで一人で魔物狩りをしていたんだろう? そんなのでよく無事だったな」
「ハア、ハア、そりゃ、一人で、なんとかなる、ハア、ところで、やってた、ッスから………」
「それじゃ日銭を稼ぐのがやっとだろうに。少々危ない橋を渡ってでも良い物を手に入れようとは思わなかったのか?」
冒険者の大半が一攫千金を狙い危険を冒すアウトローである。特にテッドのようにパーティを組まずソロで活動している者たちはその傾向が顕著であり、グレッグも初めはテッドのことをそのようにイメージしていたのだ。
しかし、一緒に行動するうちにそのイメージは塗り替えられていった。思い切りはいいのだが安全面に気を使う慎重派、というのが実際のテッドの気性だった。
「ハア、だって、それで死んだら、終わりじゃないッスか、ハア……」
「それならそもそも冒険者なんてならない方がよかっただろうに。なんでまた冒険者を続けてるんだい?」
なのでグレッグはテッドが冒険者を続けている理由が分からず、その理由を尋ねていた。
その質問に、ようやく息が落ち着いてきたテッドは苦い表情で答えていた。
「…………オレにはコレしか取り柄が無いッスから」
「若いうちから自分に見切りをつけるのは感心しないな。もっといろんなことに挑戦すればいいじゃないか。他に出来ることや、やりたいことが見つかるかもしれないだろう?」
「大きなお世話ッス」
グレッグの説教にテッドは顔を背けてしまった。ある程度年齢を重ねると理解出来るものだが、若い時分には受け入れがたいのだろう。誰しも一度は通る道である。
「それよりも、そんなに便利な物を使ってるなんてグレッグさんはズルいッス!」
テッドは話を逸らすために、グレッグの持っているマジックバッグを指差して文句をつけた。
「俺だって無理言って借りてる物なんだぞ」
「借りれるだけでもズルいっすよ! そんなレアもの、一流の冒険者でも使える人は少ないのに」
「そりゃあ普及させられるならそれが一番だが、なにしろモノがなぁ………」
マジックバッグとは、古代人の遺跡とされる場所から発見された遺物の一つである。その機能は途方もない収納力であり、マジックバッグの口から入るものであればほぼ際限なく物を収納できる。過去には居城を解体してその資材を収納し、別の土地で組み直した貴族がいるくらいである。
しかし発見されたマジックバッグの数は少なく、その機能も相まって超高額・一級希少品指定となった。量産しようという動きもあったが、現代技術ではどうやってこの機能を発生させているのかが謎であり、試作品すらまともに出来ていない状況なのだ。
そんな経緯からマジックバッグを所有している人物は権力者や資産家が大多数を占めている。普通の冒険者がマジックバッグを使おうとするならば、そんな人物たちから借り受けるか盗み取るか、はたまた運頼みに遺跡探索をするしかない。
グレッグの持っている物も、とある貴族に交渉を繰り返してやっとのことで借りている物なのである。
「遺物研究会の奴らが早くこれの解析を終わらせて、普通に作れるようになるのを待つしかないな」
「オレが生きてる間にそうなればいいッスけどね………」
「テッドが生きてる間って、それじゃ俺は死んでるじゃねえかよ」
「グレッグさんはもう使ってるからいいじゃないッスか。ここは後輩たちに譲る気持ちで」
「借り物より自前の方がいいに決まってるじゃねえか。そっちこそ先輩を立てるってのをだな……って、なんかずれてるな。………―――ん、どうした?」
反応のないテッドの方に顔を向けると、テッドは上を見上げて何かを探しているようだった。
「なんだ? 魔物の気配を感じたのか?」
「グレッグさんに分からないものがオレに分かるわけないじゃないッスか―――あ、まただ」
テッドはそう呟くと、いきなり背後の木を登りだした。グレッグはそれを慌てて追いかける。
だが技術や経験はおろか身体能力でも勝っているはずのグレッグは、先を行くテッドに追いつくどころかどんどん距離を離されていた。
その理由はテッドが木登りの名人だから――ではなく、導かれるように淀みなく登るテッドに対し、グレッグは慌てながら最短距離を行こうとして逆にもたついてしまっているからだった。
「テッド! どうした!? 何があった!?」
「何って、グレッグさんにはこの声が聞こえないんスか!?」
「慌てるほどの声なんて聞こえんぞ! とにかく一回止まれ!」
テッドはグレッグの制止に渋々従い安定した枝で足を止めた。しかしその様子は焦燥を抑えきれないといった風に落ち着きなく、テッドだけに聞こえる『声』のする方向に顔を向けたままであった。
テッドが足を止めてから遅れること数分、ようやく同じ高さまで登ってきたグレッグはテッドのいる枝とは別の枝に足を乗せて幹に寄り掛かるように身体を支えた。
「はあ、やっと追いついた。切羽詰まってるみたいだから焦るのは仕方ないが、せめて何があったかくらいは言ってから行動しろ」
「それは、すいませんッス……。お説教はあとでたっぷり受けるんで、今は急ぎたいんスよ!」
「だから事情を説明しろと言ってるんだ。声が聞こえるだけじゃ分からんだろうが」
「ああ、もうッ! かなり上の方から『助けて』って悲鳴が聞こえるんスよ! 何かに閉じ込められてるみたいッス!」
「閉じ込められる? 同業が魔物に捕まったのか?」
「声の感じが一般人っぽいッス。だから急がないと!」
テッドの言葉にグレッグは疑問を増やすばかりだった。魔物の生息域の奥深くに一般人がいるというだけでもかなりの異常事態だが、こんな巨木の上部付近に閉じ込められている状況とは想像の埒外だ。
一般人のことは置いておくとして、これが魔物の仕業ならまだ納得はできる。この一帯は探索が始まったばかりなので、新種・未発見の生態系の宝庫だ。その中にこのような事を習性として行うモノがいても不思議ではない。
問題なのは生物以外が原因の場合だ。このような危険領域では、時々ではあるが説明のしようもない異常現象が発生することがある。起こる現象はその都度さまざまだが、そのどれもが碌でもない結末を残している。さらにテッドだけが聞こえる『声』の存在もイレギュラーの可能性を強めている。
グレッグは、せめて魔物の巣とかであってくれと願いながら冷や汗を拭った。
「………なんにしても登ってみないと分からないか。テッド、先導してくれ。くれぐれも一人で突っ走るなよ?」
「……分かったッスよ! じゃあ行くッス!」
テッドは頷くと今度はグレッグを気に留めながら、しかし足取りは緩めずに登っていった。グレッグもテッドに遅れまいと急ぐが周囲を警戒しながらなので、どうしてもテッドとの差が広がってしまう。
十分ほど登ったところでテッドは止まった。グレッグもテッドに遅れること三分、枝が複雑に絡み合い棚のような形状になった場所に到着した。
何とはなしにグレッグが外に目を向けると―――そこには見渡す限り蒼と碧の世界が広がっていた。
視線を上に向ければ、身近な距離になった雲が漂う澄み渡った空。眼下は鬱蒼と生い茂る木々で敷き詰められ、ところどころには今登っている木ほどではないがそれでも異常なほど樹高の高い木が聳えている。
視界の奥には雄大な山々が連なっており、麓から広がる密林はさながら配下の軍勢といった風情だ。この光景を前にグレッグは、出立前は不気味ささえ漂っていたこの地が一種の聖域だという印象に変わっていた。
三十秒ほどぼうっ、としていたが呆けている場合ではないと意識を切り替え、さっきから何の反応もないテッドに目を向けた。
テッドも自分と同じようにこの景色に圧倒されているのかと思ったが、反応がないのには別の理由があった。
「おいテッド、何か見つけたのか?」
「…………」
そもそも、テッドは外に目を向けている余裕などなかった。必死に聞こえてくる『声』、悲鳴にも似たそれを確かめる為にここまで登ってきたのだ。目的地に到着して声のする方を向き、そこにあるモノを前にして身体を硬直させていたのだった。
「………こりゃあ、ナンだ……?」
「……さあ。けど、声はコレの中から聞こえてるんスよ」
二人のあるモノ、それは一見すると繭のような物体だった。しかし、普通の繭とはあらゆるものが違っていた。
大きさは三メートル以上、幅も二メートルはあるだろう。材質も糸や綿ではなく、無数の蝶の翅だった。
「………近くで見ると、かなり気持ち悪いッスね」
「確かにな。にしてもこの珍しい蝶の、ご丁寧に翅だけをこんな大量になんて、いったいどうやったんだか」
この蝶、ナイトグラス=スワローテールという名前なのだが、翅を広げた大きさが五十センチメートルを超える大きな蝶だ。翅の色は黒地に白の斑点なのだが、よく見ると硝子のように透きとおっており光沢もあって大変美しく、“羽ばたく様は夜空がきらめくよう”と言われている。その為人気があるのだが、生息地が魔物の生息域とほぼ同じ。群棲もしないことから幻の蝶と呼ばれている。
だが、そんな美しい蝶も翅だけがこんなに大量にあっては気持ちが悪いだけである。
「あー、さて、どうするよ?」
「どうって、グレッグさんでも分からないんスか?」
「お前な、知らないことだらけだからこんな稼業なんじゃねえか」
テッドのがっかりした声にぼやきつつも、グレッグは目の前の物体をどうするかに思考を集中させる。
「――形は繭っぽいんだから中には幼体ないし蛹みたいなのがいるんだろうな………だとしたら下手に剣で切り開くって訳にもいかないか……いや、でも――」
グレッグがぶつぶつ言いながら考え事をしている間、テッドは繭の周りを歩きながら出来ることはないかと探していた。
相変わらず『声』は聞こえていた。繭の感じから今すぐどうこうという訳ではなさそうなのだが、テッドは早くこの『声』を止めてあげたいと思っていた。
そして、テッドは思い切って繭に手を触れていた。正直なところ気持ち悪いのでかなり抵抗があったのだが、何もしないままウロウロするだけでは駄目だと思ったのだ。伝わるかは分からなかったが、大丈夫だよ、自分はここに居るよ(ついでにグレッグも)と教えてあげたかったのだ。
触った感触は想像していたフワフワとしたものとは違い、硬質感のあるものだった。一瞬驚いたが、いっそう気持ちを込めて繭を見つめていた。
その時、繭がキシッという硝子の擦れるような音を立てて蠢動した。
テッドは慌てて繭から手を放すが、音は次第に増えて大きくなっていく。
「――ッッ! テッド、何をした!?」
その音で思考の海から引き揚げられたグレッグは、繭の前で慌てているテッドに向かって怒鳴りつけた。
「え、えっと、何って、ただ繭に触って『大丈夫だよ』って念じてただけ、なんスけど……」
「なッ……!?」
テッドの迂闊さにグレッグは絶句した。正体不明なものに不用意に触れるなど、自殺行為どころか周囲を巻き込むテロと同義である。もっと余裕のある状況なら殴り飛ばして叱りつけるところだが、今はそんな時間さえ惜しい。
「テッド!! 今すぐそこから離れろ!!」
「え、は、はい!」
グレッグの叱咤にテッドは跳ねるようにその場から離れる。その直後――
「は、弾ける!」
「クソッ、伏せろ―――!」
ガシャアアアアアン!!! バラバラバラ………クシャ…カシャン
キシキシ音を立てていた繭は、爆ぜるように翅を吹き飛ばしながらその巨体を崩壊させた。
音が止んだことを確認し、グレッグとテッドはその身に降り積もった翅を払いながら身体を起こした。
「ビ、ビックリした――。なんだったんスかね?」
「……テッド」
「なんス――」
バキッ! グシャアアン!
グレッグは起き上がったテッドの顔を殴り飛ばし、そのまま怒鳴りつけた。
「この、大馬鹿野郎ッ!! 不用意な行動はしないなんて、駆け出し以前の常識だろう! 今回はこの程度で済んだが、こんなもんじゃ済まなかったかもしれんだろうがッ!」
「………すんませんッス」
テッドは殴られた部分を抑えて蹲りながら謝罪した。グレッグがテッドにゆっくりと近づくと、ビクッっと身体を震わせた。
「……ハァ。だがな、何もするなって意味じゃないぞ? 何かするならせめて仲間に相談してからにしろってことだ。緊急なら仕方ないが、今回はそうじゃかったろ? もしヘマをしても突然起こるのと身構えていたのとじゃ、対処の難度が段違いだからな」
「……すんませんッス、次からは気を付けます」
グレッグはテッドの頭をわしわしと撫でながらやさしく伝えた。反省している者に過度に怒鳴りつけても逆効果な場合の方が多い。テッドは既に反省しているようだったので語調を和らげたのだ。
「よし、じゃあこの話は終わりだ。立てるか?」
「大丈夫、ッス。一人で立てます」
テッドは差し出されたグレッグの手を取らずに一人で立ち上がった。若干ふらついているが、ここで手を借りるのは情けなさが増すと思ったのだ。
グレッグは空振りになった手を頭に持っていき、ボリボリと頭を掻いて誤魔化した。
「さて、ここまで何の反応もないが、何が出てくるのかね?」
グレッグの熱血指導の間、周りからは何も干渉はなかった。もし繭の中身が魔物だったのなら、今頃戦闘状態になっているはずだ。
「まさか、さっきので中にいた人も吹っ飛んだんじゃ――?」
「まあ、無いとは言わんが……ん?」
二人は警戒しながら繭があった場所へと近づいていく。すると爆心地――ちょうど繭の中央部分だった場所に人影が横たわっていた。
グレッグは警戒のレベルを上げ、テッドは心底ホッとしたような顔になった。
テッドが振り向くとグレッグはゆっくりと頷き、それを見たテッドはその人影に駆け寄った。グレッグは警戒を解かず歩を進めた。
すると突然、テッドが人影の前で立ち止まる。グレッグはてっきり、そのまま抱き起して話しかけるのだろうな、と思っていたのだが。不審に思いながらも近づくと、その理由がハッキリした。
横たわっていたのは十四、五くらいの一糸纏わぬ少女だった。髪の色は黒と、この辺りでは珍しいもので、長さは肩口くらいのようだ。
少女の特徴がこれだけだったなら、テッドは気恥ずかしさから立ち止まったのだろうと思えたのだが、少女にはもう一つ大きな特徴があった。
その特徴とは、背中に生える、辺りに散らばっている翅を人間サイズにした巨大な翅だった―――。
*********
今回の魔物
*********
<ガズルカ>
危険度認定:B相当(組合に認知されてないため、グレッグによる仮認定)
体長約一・六メートル、暗緑色の体毛に覆われた猿のような魔物。腕部が異様に発達しており、骨は脊椎のように連なった形状で伸縮性に富んだしなやかで強靭な筋肉に覆われている。長さも体長の三分の二ほどあるが、腕を突き出す攻撃の際は関節同士が外れて二倍近くも伸びる。体毛による隠密性も優れており、茂みに紛れて気配を殺せば一流の冒険者ですら探知は困難になる。また忍耐力も高く、狩りの為なら三日以上の継続した隠密行動をすることも可能だ。
<レイヴァガランドン>
危険度認定:D
体長約二・七メートル、頭部に複数本生えた曲刀のような角が特徴の鹿に似た魔物。体毛は白く、体を斜めに走った黒い線の数が多いほど個体の強さが高くなる。主食はベルオークという木の枝で、角を器用に使って枝を落として食べる。基本この木が生えている地域にしか生息しない。角はそのままでも剣として使えるほど鋭利で頑丈なもので、よく武器の素材に使われる。縄張り意識が強く、自分の縄張りに侵入者があれば、たとえ自分より強大な存在相手でも突撃するほどである。繁殖期には十数頭以上の群れを作るため、その時の危険度認定はC+からB-まで跳ね上がる。
初めましての方は初めまして、前作を読んでいただいた方はお久しぶりです。
相変わらず拙い文章ですが、ご意見・ご感想をお待ちしてます。
※10/2
脱字を修正しました。




