プロローグ
航空機の知識など全くない。今後の展開も全く考えていない。ただ何となく書き始めた小説です。
ものぐさな自分ですが、週一で更新できるよう頑張る。
天井にぶら下がる蛍光灯が無機質に照らす廊下を歩く。
文明の利器で照らされているこの廊下は、無機質な印象しか受けず、一歩足を進めるたびに気が滅入る。
もっぱらの仕事場が空だからだ。青空でも、曇り空でも、星空でも、雨が降る日でさえ美しいと思える空を飛んでいるから。
憂鬱で陰気なこの廊下は、まるで明日にでも敗戦の報告が届くのではないかと暗い希望を抱く敗残兵の巣窟のようではないか。つらつらと自分勝手な思いを脳裏でつぶやいていると、目的の部屋の扉の前へ辿り着く。
「失礼します。」
二度、扉を軽く叩く。
何拍かの空白ののち、どうぞとそっけない入室許可を受け、扉を開く。
噂に聞いていた女性司令官。どのような人なのだろうかと、期待や好奇心というよりは著名人の不祥事や不意に遭遇した事故現場に心をときめかせるような、無責任な野次馬根性で考える。
いつの間にか先ほどまでの欝々とした気分はなくなっていた。我ながらお気楽な性格をしていると思う。
古めかしい執務机が大きな窓の前に配置された部屋。
無駄な装飾がなく、長い年月を積み重ねた父性を感じるその机以外には取り立てて目立つもののない、何の面白みのない部屋。だけれど、その執務机に腰かけている女性は美しかった。
司令官などという仰々しい肩書を持つだけあって忙しいのだろう。入室した自分に目を向けることなく、黙々と書類仕事をこなしている。
体の動きに合わせて揺れる黒髪がきれいですね。
口に出しては言わず、胸のうちで呟く。初対面で、しかも上司を口説くわけにもいかないし、そんなに社交的な性格でもない。
執務机の前に私が到達しても何か言葉がかけられることはない。まだ私が喋らなければいけないらしい。
「本日からこちらに配属となりました。小林 立です。」
「知っているわ。黒瀬 涼風です。よろしく。」
それはまぁ、私の名前やこれまでの経歴ぐらいは知っているだろう。きっとその机の上に積み上げられている書類の中か、引き出しの中に仕舞われている報告書の中にそれぐらいは記載されているに違いない。
名前はリツではなく、タテルと読むのだという注釈とともに。
黒瀬はそこまでは読んでいなかったようだが。
まぁ定型で事務的な内容しか書かれていない代物で、私の趣味趣向や性癖まではのっていないだろうからそんなに重要でもない。
その趣味趣向や性癖からいくと、キミは十分合格点。
あまりよろしくない私の考え事に気が付きでもしたのか、ようやく彼女は目線を私へとむけた。彼女の右手は終わっていない仕事に未練があるらしく、万年筆を紙の上で動かし続けているけれど。
見ずに書類仕事ができるなんて、すごい能力だ。事務仕事には重宝するに違いない。もしくは適当に何か書いていれば事足りる程度のお仕事なのだろうか。
司令官なんて、なったこともないしなりたいとも思わないから知らないけれど。
「小林飛空士、さっそくだけれどあなたには二機編成で明日夜間に行われる偵察任務に参加してもらいます。詳しい内容は僚機を務める葛城に確認すること。」
「了解しました。しかし、私の搭乗機の用意はされているのでしょうか?」
ここまでは地下鉄を乗り継いできたのだ。モグラになった気分を味わえたのは貴重な体験だったかもしれない。
とにかく前の基地で乗っていた慣れ親しんだ愛機はここにはない。
生身で空が飛べるはずもないのだから用意はされているだろうけれど、以前まで乗っていた機種以外ではなれるまで苦労しそうだ。できれば同じものがよいのだけれど。
新しい体験も大切ではあるが、保守的な人間だという自負もあるし、それで死んでしまっては馬鹿々々しい。
「風鳴が一機空いているからそれに乗ってもらうことになります。以前の配属先でも風鳴に乗っていたと聞いています。問題はないでしょう?」
喜ばしいことだ。同種の戦闘機に乗れる。
カゼナリ、私と同じで名前を呼び間違えられることの多いところに親近感を感じる、好みの機体なのだ。
「問題はありませんが、一つ伺いたいことがあります。新品というわけではないのでしょう?私の前任に当たる方から引き継ぎをいただきたいのですが。」
「戦死しています。引き継ぎなら整備士から受けてください。」
死人から話は聞けないのだから仕方がない。
「撃墜されたのですか?修復できる程度には損傷は軽微だったのでしょうか。」
「詳しい事については整備士から聞くように。3番格納庫にあなたの機体と一緒にそこにいます。葛城も17時には宿舎に待機するように伝えてあります。」
彼女の目線はまたも書類の上に戻ってしまった。おしゃべりはこれで終わりらしい。
「了解しました。では、失礼します。」
軽く頭を下げ、退室する。またあの陰気な廊下を通らなければいけないのかと思うと気が滅入る。彼女の切れ長の涼やかな目を見ながらの会話が存外楽しめた分、余計にそう感じる。内容は極めて事務的なものであったけど、美人と喋れればそれだけで上機嫌になれる。
指令室のある建物を出ると、空の眩しさに目を細める。先程まで暗い建物の中にいたせいで特別に眩しい。
空の色は明るい青で、そこかしこに積乱雲が浮かんでいる。
地上にいるとその喧騒にうんざりとしてしまう。夏の風物詩などと呼ばれる蝉は特に。一番嫌いなのは、人ごみの煩さだが、この基地はそういった喧騒から外れた田舎にあるから、幸いなことに無縁でいられる。
腕時計に目を向けると、時刻は15時を回ったばかりだった。この時間であれば先に整備士からの話を聞けるだろう。
三番格納庫へと足を向ける。先ほど出てきた建物の正面に滑走路があり、その右手にいくつかの格納庫が並んでいるのが見える。
目的の格納庫は扉が開いており、その中から調子のよい声がノイズ音交じりにかすかに聞こえてくる。中にいる人間がラジオでも聞いているのだろう。最近流行りの楽曲を宣伝しているようだ。
「こんにちは。今日から配属になった小林です。」
入口に立ち、風鳴のそばで作業を行っている男に声を掛ける。
男がこちらに顔を向ける。うるわしの女司令官よりは興味を持ってくれたらしい。
大柄な男だ。海の男って感じがして、戦闘機の横にいる姿に違和感を覚える。その違和感ににやけそうになるのを自制し、言葉を続ける。
「黒瀬司令官から搭乗機に関しての引継ぎをあなたから受けるようにと指示を受けました。私の前任者は撃墜されたと聞いたのですが、修復できたのですか?」
「せっかちな奴だ。名前くらい名乗らせろ。」
外見通りの声。低くてよく通る。荒くれた海の上だってちゃんと聞こえるに違いない。
彼は名乗りつつ、私に握手を求めてきた。外見に反して友好的な性格らしい。
「渡辺 工冶だ。お前が乗る風鳴の整備を担当することになってる。」
「よろしくお願いします。」
「お前の前任の話だが、交戦中に被弾してな。軽微な損傷だったんだがプロペラがいかれたんだ。うまく不時着はしたようだが、そのあと地上に居た敵に射殺された。風鳴自体は鹵獲される前に取り返せたんだがな。」
だから機体自体はすぐに修理できたんだ、と彼はつづけた。
空の上で死のうが地上で死のうが、死んでしまえば同じではあるけど、飛空士としては空戦のさなかで死にたかっただろうに。いつもは地面を這いずり回るだけで、的でしかない存在に殺されたなんて、ネズミにでもかまれた気分だったのではないだろうか。
「問題なく飛べるなら大丈夫です。特別なチューニングがされているとか、何か注意しないといけないことは?」
「慎重な奴で余計なことはしたがらなかったから、余り手は加えていない。世間一般の由緒正しい風鳴のままだ。」
それはいい。私もそのほうが好みだ。
「修復も完全に終わっているから、明日の偵察任務も問題なくこなせるさ。」
「ありがとうございます。」
風鳴に近づき、冷たい機体をそっと撫でる。陸上攻撃機としては早風や熱風等ほかにも存在するが、私としては流線型のスリムな外観をしている風鳴が一番好みなのだ。
双発の熱風と比べて力は劣るし、小柄な早風に運動性能は劣るが癖のない操縦性と対地対空どのような状況にも耐えられる柔軟性がいい。どっちつかずのつまらない機体などどのたまうやつもいたが、私にはそのとがった部分のない質素な彼女が好きなのだ。
まだほかの機体の面倒も見なければいけないという渡辺に別れを告げ、今度は宿舎へと向かう。時刻はまだ16時前だが、もしかしたらすでに葛城何某さんもすでに宿舎にいるかもしれないし、夏の熱気を避けたくもあった。
レンガ造りの宿舎の扉を開けると涼しげな空気が感じられた。人の気配はここからでは感じられない。誰もいないのかもしれない。
右手にある大きな扉が食堂だ。黒瀬司令官に挨拶を行う前に荷物を置くため、一度訪れている。その際にここの構造はある程度把握している。
私の部屋には二段ベッドが置かれていたが、ほかの人間が生活しているようではなかった。運のいいことに一人で使えるらしかった。
誰もいないだろうと思いながら扉を開けて食堂へと入ると、予想に反して女性が一人で壁際のソファに腰かけ、新聞を読んでいた。
ここの基地は女性運に恵まれているらしい。黒瀬司令官に続き、またも美人さんだ。飛空士の制服を油断なく着ている彼女が葛城何某さんだろうか。
食堂に入ってきた私に気が付いた彼女に対して、自己紹介を行う。これで本日3度目だ、と思いながら。
「今日からここに配属になった小林 立です。」
「よろしく。明日からあなたの僚機を務めることになる葛城 三季。集合時間にはまだ余裕があるけど、諸々の用事はもう終わったの?」
あと、これから命を預けあう間柄になるんだから敬語を使う必要はないよ。と付け加えられる。
彼女は私よりも年上なのだろうかと益体のない考えが頭をよぎる。小柄ではあるがそこはかとなく包容力を感じる。黒瀬司令官からは冷たい事務的な印象しか受けなかったが、彼女は気さくな性格をしているのだろう。この基地の男たちから人気なのではないだろうか。高嶺の花に違いはないが、こちらのほうがまだ手の届きそうだと思う。
「では遠慮なく。用事はもう済ませた、と思うよ。今日来たばかりだからほかに見て回らないといけない場所があるのかもしれないけど。」
「そう?まぁ、空軍基地に名所なんてないし、黒瀬女史とあなたの風鳴の面倒を見る渡辺さんに挨拶をすませればそれで充分だと思う。もう済ませているんでしょう?」
もちろん、と頷く。
コホン、とかわいらしくもわざとらしい咳払いを一つして、彼女が明日の任務内容を告げる。
「それでは最後の用事を済ませましょう。明日の偵察任務について説明します。明日は私と二人でここから一番近くにある敵基地の偵察を行うわ。目的は向こうの活動状況を探ること。」
先の大規模攻勢作戦は知っているでしょう?と葛城が問いかけてくる。
「知っているも何も、参加していた。ここから一番近いとなると高知のところかな。」
「そう。あそこは前回の作戦で私たちの攻撃目標となっていたけど、天候が最悪で結局中止されたの。今回のはリベンジマッチを告げる軽いジャブをお見舞いしてやるってわけ。」
「ジャブって、ただ様子を見るだけじゃなくて攻撃も仕掛けるってこと?」
「威力偵察ってやつね。機銃をちょっと食らわせて、私たちの迎撃に上がってくるであろう敵戦闘機の相手をちょろっと行うの。」
「たった二機で?」
「偵察に何機も連れて行ったってしょうがないでしょう。それにあなたは腕のいい操縦士だって聞いているし、期待しているわよ。」
美人な同僚と二人きりでデートができると不埒なことを考えていたが、転勤先での初仕事はかなり大変な内容になるようだ。