第6話 初めての召喚術
まずは、魔力の発動からレクチャーを受ける事になった。
臍下丹田の辺りに当てられたエレオノーラさんの白い手から、何となく暖かい感覚が伝わって来た。
その感覚は、尾てい骨に突き抜けると、背筋を伝って頭頂部へ、そして眉間へと集まってくる。
「今は私が先導しましたが、貴方ならご自分で出来るはずです」
魔法なんて使った事もなかったが、他の連中もできたのだから、と集中してみると、確かに自分の奥から沸いてくるものがある。
これが魔力の発動なのだろう。
ただ、謁見の間から、そのまま移動した為、エレオノーラさんが召喚術師の礼装……黒いマントはともかく、髪の色に合わせたかのような銀色の短衣から露わになった形の良い足にちらちらと視線を奪われ、集中するのは大変だったりする。
繰り返しになるが、俺だって三次元な女性に興味が無いわけではない。少し自重しているだけだ。
「ええと、その次は、魔法陣へ魔力を通して、異界の存在を引き寄せる……って、いったいどうすればいいんでしょうか?」
「魔法の発動は基本的にイメージです。コウイチ殿のイメージしやすい方法でおやりになればよろしいかと」
そう言われて、少し考えた挙げ句、釣りをイメージする事にした。
現実の釣りはやったことが無いが、TVゲームの釣りなら結構やり込んでいる。
眉間に集まった魔力を、釣り糸のような感覚で、例の布に描かれた魔法陣に放り込んでみる。
うん、魔法陣の『向こう側』に通った感じだ。
そして、先ほど見た飛龍の姿を思い浮かべる。
程なくして、いわゆる「アタリ」があった。
「来た!」
「では、そのままこちらへ呼び出して下さい。いざとなれば私が補佐します」
召喚魔法は、異界のモンスターを召喚するよりも、意のままに操る事が肝要なのだ。
召喚したは良いものの、制御に失敗したモンスターが、そのまま居付き野生化したモノが、この世界で魔物と呼ばれる存在だ。そんな事情もあって、召喚師と言う存在は、地域によっては白眼視される事も多いそうだ。
それはともかく、エレオノーラさんは、俺が召喚したモンスターが暴走しないようにサポートしてくれると言ってくれているのだ。
先ほどの巨大な飛龍を押さえつけた彼女の手並みを思い出す。
確かに、これは心強いものがある。
俺は、慎重に魔力を引き戻し、そして、異界の存在を「釣り上げる」事に成功した。
魔法陣が輝き、俺の召喚に応じた「ソレ」が姿を現したのだ。
「きゅい」
「…………」
俺は、そんな声で鳴く「ソレ」としばらく睨み合うような感じになった。
「あの……エレオノーラさん。これ、何でしょうね」
「…………飛龍のようにも見えますが……」
銀髪のお姉さんも困った表情になっていた。
見た感じは、先ほど召喚され、今は大人しくうずくまっている飛龍に見えなくも無い。
ただ、かなりのミニサイズ……そう、手乗り文鳥より小さいんじゃないだろうか。
そいつは、俺の周囲を飛び回った挙げ句、俺の頭の上に止まった。
「懐いてますね」
「ええ、確かに」
少なくとも、俺は召喚したモンスターを暴走させないと言う点だけはクリアしているようだ。
とは言え、これほど小さくては、そもそも何に使役すれば良いか、頭を抱えるところだ。
「ひょっとして、飛龍の子供とか?」
「卵から孵った飛龍は、それでも子牛ほどの大きさです。似ているようですが、これは別種でしょう」
エレオノーラさんは、きっぱりと言い切った。
つまり、俺が召喚したコレは、飛龍もどきと言う事になる。
「まぁ……新種のモンスターを召喚するなどは、絶えて無かった事ですので、これはこれで素晴らしいと思います。さすがは勇者と共に降臨されただけの事はあるかと」
エレオノーラさんのフォローが、かえって胸に痛い。
「それに、相性や得手不得手と言うものもあります。例えば、飛龍のような龍族を使役する召喚師は鬼族を苦手とするようですし」
それを聞いて、俺は「なるほど」と思った。
つまり、俺の召喚師としての資質が龍族には向いていないと言う事なのだろう。
気を取り直して、今度は鬼族を召喚する事にした。
比較的召喚しやすいモンスターと言うことでのチョイスである。
一本角の小鬼は、その最たるもので、モグリの召喚術士があちらこちらで召喚したおかげで、この世界では一番数の多い魔物となっているんだそうだ。
そうした事情もあって、召喚魔法の使い手は迫害されるか、国家の厳しい管理下で運用されるようになったとか。
ともあれ、俺は、頭の上に止まっていた飛龍もどきを地面に下ろすと、今度は鬼族をイメージして「釣り糸」を垂らした。
そして、召喚の魔法陣から姿を現したのは、五本角の鬼族だった。
「……五本角と言うのは珍しい。小鬼とは明らかに異なりますし。ええ、種別としては大鬼に間違いありません」
エレオノーラさんのお墨付きである。
「いや、さすがはコウイチ殿。小鬼より小さな大鬼と言うのは、私も初めてです」
銀髪のお姉さんは何かに耐えるように、眼を閉じて額を押さえていた。
そう、今度のモンスターもミニサイズだったのだ。
「うわ。小さいけど、全然可愛くない」
俺の召喚した飛龍もどきや大鬼もどきを見て、顔をしかめたのは由美である。
「まぁ、一応は龍族や鬼族らしいから、可愛い筈は無いな」
「確かに、こんなのをペットにしたくは無いねぇ」
田原と相沢も好き勝手な事を言っている。
「だが、小さい方が好都合って事もあるぜ」
ニヤニヤと笑いながら、郷田が黒い短剣に手をかけた。
「投擲の練習台にはもってこいじゃねえか」
「〈冥闇の勇者〉殿。何度も言うが、お主らの武器は軽々しく振るって良いものでは無い。御自重頂きたい」
黒髪の美女ドロテアが窘めるように言う。
それを聞いても、郷田は肩をすくめて見せただけだった。
身の危険を感じたのか、大鬼もどきは俺の背後に隠れた。俺の身体を素早くよじ登り、文字通り背中に張り付いているのだ。
結構、俊敏な動きだったし、俺にしがみつく小さな手は、意外にも力強い。
しかし、召喚獣というのは術者を身を挺して守る存在の筈だが、術者を盾にするとは、とんでもない奴である。
一方の飛龍もどきは、と見廻すと、エレオノーラさんの足元に身を寄せるようにしていた。
こいつもこいつで、何と言うけしからん場所に居るのだ。
そんな場所で上を見上げると、彼女の、銀色の短衣の中が色々と見えてしまうではないか。
などと、思っていたら、ひょいと、上を見上げてやがったよ、こいつ。
エレオノーラさんは、召喚獣に何を見られようが気にしていないふうで、何事かを考え込んでいる。
くそ、飛龍もどきめ、何と羨ましけしからん。
てか、ご主人さまにも見せろ、代われ。
などと、いつもの俺らしからぬ、いささか下世話な事を考えていたら、俺の脳裏にある光景が浮かんで来た。
「え?」
俺は飛龍もどきを見つめ直すと、向こうも俺の方を見返してきた。
それと共に、脳裏に浮かぶ光景に俺の姿がある。
(ま、まさか。あいつが見ているものが、俺にも見えている?)
そう考えた瞬間、飛龍もどきが「きゅい」と鳴いてうなずいた。
召喚獣との視覚の共有。
エレオノーラさんのレクチャーに、そんな話は無かった。
召喚したモンスターは、刻んだ隷属の印を通して言う事を聞かせると言う事だったが、俺と飛龍もどきの間にあるのは、もう少しダイレクトな繋がりのようだ。
いや、そもそも、これが召喚魔法にとって普通の事なら、エレオノーラさんは、自分の短衣を下から覗いている飛龍もどきをそのままにしておかないだろう。
つまり、これは、俺に固有の能力と言う事になる。
「あ、あのっ」
この発見をエレオノーラさんに伝えようとして、俺は思いとどまった。
「何か?」
エレオノーラさんが、少し小首を傾げて、俺に尋ねてきた。
しみじみと、清楚で綺麗な人だと思った。
飛龍もどきが転送してくる脳裏の光景が信じられない。
「意外にも、大胆な黒……いえ、そうじゃなくて」
「はい?」
エレオノーラさんは、一瞬、訝しげな表情になった。
だが、すぐに俺の問いを促すように、優しく微笑んだ。
「どうなさいました? コウイチ殿」
そこで、俺はハタと気がついた。
召喚獣との視覚共有を告げると言うことは、不埒な覗きを自白すると言う事でもある。
覗きって、確か迷惑防止条例違反じゃなかったか?
その認識が脳裏を占めた瞬間、俺は顔から血の気が引くのを感じた。
「あの……どうしたのですか?」
エレオノーラさんの戸惑うような声が鼓膜を打ったおかげで、俺は我に返る。
説明のつかない、猛烈な罪悪感が俺を突き動かし、我知らず正座して、涙目になって「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟いていたのだ。
この世界には迷惑防止条例などと言うものは無かった筈だ、と言う事実に思い至らなければ、俺は卒倒していたかもしれない。
エレオノーラさんを始め、他の人々も面食らっているようだ。
とにかく、この破廉恥な状況を続けては命に関わるような気がして、俺は大急ぎで、飛龍もどきを手元に呼び戻した。
「ええと……」
息を整えつつ、ふと思いついて、呼び戻した飛龍もどきを指し示す。
「そ、その、これって、どうすれば良いんでしょう?」
背中に張りついている大鬼もどきもそうだが、俺が飼う事になるのだろうか?
ペットを飼った経験も無いのだが。
こいつら、何を餌に与えればいいんだろう?
「そうですね。ここまで懐いているのも珍しい。多分、これは使役獣でしょう」
「使役獣? 召喚獣と違うんですか」
「私も書物でしか知りませんが、先人の中には、極めて相性の良い個体と特別な盟約を結んだ召喚師もいるそうです。その個体が使役獣と呼ばれます。これが使役獣だとすれば、名前をつけて異界に還す事をお勧めします」
「還す? 還しちゃっていいんですか。てか、還せるんですか」
「はい。勇者の皆様は事情が異なりますが、一般に召喚獣は還す事が可能です。相性の良い個体に対しては、還す前に名前をつける事で盟約を結ぶ事になり、その盟約の元に再び召喚できる筈です。この場合、名づけると言う行為が隷属の印を刻むのと同じ役割と果たす事になりますね」
いわゆる真名とか言霊とか言われているものだろう。
この世界でも、それらに類した概念は存在するようだ。
「そうした個体は必要な時に召喚して、用事が済んだら還すと言う運用が可能になります」
エレオノーラさんが丁寧に教えてくれる召喚魔法のノウハウを聞きながら、俺は引っかかるものを感じた。
何か重要な事を見落としているような、そんな気がしたのだ。
その思惟が明確な形となる前に、郷田の呆れたような声が聞こえて来て俺の思考は中断した。
「ひでぇなぁ。餌とか与えず使役するだけって、雇用形態がブラック企業顔負けじゃね?」
「はい? ぶらっくきぎょう??」
耳慣れない言葉に、エレオノーラさんが戸惑ったような表情になる。
「ま、某ファンタジーゲームでも戦闘時だけ召喚して、褒美とか餌とかを与えるシーンなどは無かったからのう。ワシとしては、召喚術とはそんなものだと思っておったが」
田原が野太い声で言うと、相沢がこれに応えた。
「あれって魔法的存在とか幻獣って設定だから、魔力が対価なんだろ?」
そこから、二人の勇者はゲーム談義を始めてしまった。
郷田は舌打ちしそうな表情で、それを眺めている。
ケチをつけようとして、はぐらかされた格好なのだろう。
しかし、こいつは、どうしてやたらと俺に絡んでくるのか、理由が今ひとつ分からない。
召喚された時に少し諍いがあったかもしれないが、ここまで粘着なやつだっただろうか。
まぁ、それはともかく。
何にせよ、餌をやったりなどの飼育の世話が不要というのは正直助かる話ではある。
そういうわけで、飛龍もどきに「ローグ」、大鬼もどきに「ヴァルガン」と言う名前をつけて、魔法陣を通して異界に還した。
ちなみに、それぞれの名前は、俺が以前にやっていたウォーゲームが由来だ。その中で使っていた戦闘機と戦車の識別コードなのだ。
では、その識別コードの由来はというと……当時は文字通りに中学生だったとだけ言っておく。
さて、〈勇者〉の連中は期待以上のチートぶりを発揮したようだが、それでも、魔法については学ぶ必要がある旨を魔術師長が告げた。
特に〈大地の勇者〉である田原と、〈疾風の勇者〉の鈴音は、力の制御を身につけないと危なくてしょうが無い。
そんな訳で、明日以降は、魔術師長が選んだ各々の魔法の専門家が講師としてつけられるようだ。
「皆様を召喚する事になりました詳細な事情も、明日に学術院長から説明させて頂きます」
なし崩し的に俺達の引率のようなポジションになった近衛騎士団長は、そう言ったのだった。