第29話 大鬼じゃない
主人公の視点から、主人公以外の二人の視点に続きます。
露天の屋台や、積まれた商品を吹き飛ばすようにして暴れているのは、二頭の鷲馬だった。『成り上がり』寸前のせいか、魔物の本性を剥き出しにして猛り狂っているのだ。
周囲には腕に覚えがありそうな冒険者らしい人達の姿もあるが、ほぼ丸腰とあって手が出せないでいる。
治安維持の為、この中央市場が開かれる広場には短剣程度しか持ち込めないようになっているのだが、結果としてそれが仇になってしまったようだ。
「鷲馬だと!? 何であんなものが中央市場に……」
オリヴァーさんは絶句しているが、俺の右肩から頭部を覗かせたローグの眼には、二頭の脇腹付近に刻まれた隷属の印らしきものが見えていた。
つまり、この二頭は魔物では無く、認可された召喚獣として扱われ、荷物運びの為に入場を許されたのだろう。だが、その隷属の印は本物とは微妙に異なっているようでもあった。
俺がそう言うと、オリヴァーさんは歯噛みするような唸り声をあげた。
「隷属の印を偽造したのか。莫迦な真似を」
そうした行為は、言うまでも無く重罪である。だが、その当事者が罪に問われる事はなさそうだ。
暴れ回る二頭の鷲馬の足元で、ボロボロの肉塊となっているのは、状況から見て二頭の飼い主に間違い無かった。
ともあれ、この場所にいては危険だ。
「……シャルロッテ!?」
はっとなったオリヴァーさんが慌てて周囲を見回す。
「シャルロッテちゃんは、マルタがあちらに連れて行きました。オリヴァーさんも後を追って下さい」
「君はどうするつもりだ」
「あいつらを何とかします」
この瞬間の中央市場で、魔物を相手にできる『装備』を所持しているのは俺だけの筈だ。
「今なら……『成り上がる』前なら、俺でも対処可能です。さぁ、急いで!」
俺が重ねて避難を促すと、オリヴァーさんもうなずいて言った。
「いざとなったら、魔法陣を内向きにするんだ。たぶん、それがキーだ」
「はい?」
オリヴァーさんが何事かアドバイスをくれたようだが、逃げ惑う人々の悲鳴や怒号に紛れてよく聞こえなかった。
聞き直そうとしたところで、空間が軋む感覚が強くなり、一頭の鷲馬が凄まじい咆吼を挙げた。
これ以上の猶予はなさそうだった。このままでは、この個体が確実に成り上がってしまう。
避難する人々の流れにオリヴァーさんの姿が消えるのを見届け、俺は、その鷲馬に向き直った。
上位種ほどでは無いにしろ、間近で見ると二メートルと言う体躯は巨大と形容してもいい。
この相手を瞬時に斃すとすれば、俺の選択肢は極めて限られる。
「グロム!」
俺の呼び声に応え、ポケットの魔法陣から装備に同化した角鮫もどきが、胸の辺りから顔を出した。
そして、鷲馬に向けて水流を放つ。
俺の支援魔力を受けたそれは放水車もかくやと思わせる勢いだったが、成り上がろうとする鷲馬には全く効果が無いようだった。
むろん、こんなもので倒せるとは俺も思っていない。
「行っけぇええ!!」
目標までの通路を確保した角鮫もどきが、驚くべき速度で俺の胸から飛び出した。
水が無ければ全くの役立たずだが、水さえあれば俺の〈使い魔〉の中では最大級の打撃力を持つのが、この角鮫もどきだった。
本来の角鮫は、どんなに頑丈な軍船であっても、その頭部にある長大な角でもってもってあっさりと貫き、沈没させてしまうと言う、最も恐れられる海の存在だ。
海の覇者と呼ばれる水龍ですらも、角鮫と真っ向から戦うのは避けると言われている。
水の魔法で自らを弾丸と化したグロムは、成り上がる寸前だった鷲馬にぶち当たり、その向こう側に巨大な射出孔を生じさせて姿を現した。
内蔵や肉片をぶちまける事になった鷲馬が即死したのは言うまでも無い。
グロムの水を生じさせる能力は、本来はこの攻撃を行う為のものだ。それゆえ、狙いのつけられる前面にしか水を生じさせる事はできないわけだ。
そのうちに、俺が力量を上げれば、全方位への攻撃も可能となるだろう。
そして、オリヴァーさんが行水している間、後ろを向いている事も可能と……いや、今はそれどころじゃなかった。
ともあれ、一頭は斃したのだ。
俺はグロムをひとまず還しつつ、残りの一頭の姿を探した。
「……って、あれ? どこに行った?」
我ながら、妙に間の抜けた声を出しつつ、キョロキョロと当たりを見回した。
だが、先ほどまでいた筈のもう一頭の姿が見えない。
舌打ちしつつ、グロムに魔力を集中する為に還したローグを再召喚する。と同時に、ローグが敵の位置を補足した。
「しまった。上か!」
鷲馬も飛行能力を持っているのを失念していた。
仲間が屠られたのを見たもう一頭は、こちらの手が届かない空中で『成り上がり』を迎えるつもりなのだ。
方向が上では、グロムで仕留めるのは無理だ。そうなると、使える手はヴァルガンの弓矢しかない。
俺は魔力を集中すべく、ローグを再び還した。
だが、ヴァルガンに魔力を集中したところで、空を飛ぶ魔物に有効打を与えられるかは難しいところだ。
何より、距離があっては命中率に問題が出てくる。
以前に斑土蜘蛛を相手にした時のようなフォーメーションを組んでいる余裕も無い。
次の手をどうするか。
思い悩んだ俺は、ふと、オリヴァーさんの言葉を思い出した。
「魔法陣を……内向き?」
お腹のポケットから例の布を取り出すと、確かに描かれた魔法陣が外側を向いて格納されていた。
よくわからないながらも、布の向きを反対にして、あらためてポケットにしまい込む。
その時、上空にあった鷲馬が『成り上がり』を示す凄まじい咆吼を上げるのが聞こえた。
「ええい、一か八かだ。出てこい、ヴァルガン!!」
装備に同化させるべく、俺は大鬼もどきを召喚した。
馴染みとなった丹田に沸いた魔力が、今までとは全く異質のものとなって尾てい骨を抜け、背筋から眉間に回るのを感じる。
俺が覚えているのは、そこまでだった。
◇◆◇
王都には万一に備え、防御魔法を施された避難施設が各所に儲けられている。
中央市場にもっとも近いそこで、私はシャルロッテと再会する事ができた。
「シャルロッテ、無事だったか」
「お母様」
こちらに駆け寄ってきた娘をしっかりと抱きながら、私は彼女を保護してくれた女冒険者に礼を言った。
「ありがとう、マルタ」
「礼を言われるような事じゃないわ。んで、あの坊やは?」
「成り上がる前に、鷲馬を何とかすると残ったよ」
私の言葉に、マルタは驚きと共に感心した様子を見せた。
「こないだの上位猪鬼の時もそうだったわね。見た目は頼りなさそうだけど、いざって時はやる男なのね」
「そうだな。あれでも〈装魔の勇者〉だ。ついでに言うと、〈光輝〉〈聖祈〉〈疾風〉の三勇者の兄で、その保護者でもある」
マルタの眼がますます丸くなる。
「へぇ。その三勇者って、確か〈七大の勇者〉でしょ。その兄って。案外な大物だったのね」
私が口にするだけの〈装魔の勇者〉と言う呼称より、有名な〈七大の勇者〉の兄と言う方がピンとくるらしい。
これは、私の失敗だっただろうか。
〈装魔の勇者〉より先に『勇者の兄』と言う呼称が広まっては、言霊による影響で彼の能力に支障が出る可能性もある。
「いや、むしろ、その方がいいか」
コウイチの力は未知数だが、今ひとつ不安定なものを感じる。
三勇者の保護者との認識は、あるいは安定化の方向に動くかもしれない。
「おお!」
「すげぇぞ、あの坊主」
「何をやったかわからねぇが、あんなでかい鷲馬を一撃で仕留めやがった」
避難施設の壁をよじ登り、いくつかの明かり取り用の窓から中央市場の様子を見ていたらしい野次馬達が口々に叫んでいる。
「どうやら終わったようね」
そう言って出て行こうとするマルタを私は引き留めた。
「待て。もう一頭いた筈だ」
だが、避難施設に逃げ込んだ人々の大半はマルタと同様の感想を持ったらしい。
放り出した店舗や荷物が心配だった事もあるのだろう。
人々の流れにあらがえず、シャルロッテをしっかりと抱いた私は、避難施設の外に押し出されてしまった。
凄まじい咆吼が響き渡ったのはその時だった。
「み、見ろ!」
「鷲馬が……換わる!?」
空を遊弋する魔物が禍々しい魔法陣に包まれ、その体躯が信じられないほどに巨大化して行く光景は圧巻だった。
その時になって、ようやく乱打された王都の警鐘が鳴る中で。
百年前に三万騎の軍勢を滅ぼした魔物――鷲獅子が、王都上空に姿を現したのだった。
鷲獅子は、真下と思しき中央市場へ向けて、いくつもの火球を放った。
それは、仲間を斃した相手への報復だったかもしれない。
避難施設からは押し出されてはいたが、そこを覆う防御魔法の結界内にいたおかげで私達は助かった。
だが、結界の外に出てしまっていた人々は、ひとたまりも無く吹き飛ばされてしまっていた。
「あれは火と風の攻性魔法を混合したものか。さすがに厄介だな」
こんな時でも、私の中には醒めた視線で観察を続ける部分がいた。
中央市場にあった店舗は全て吹き飛ばされ、あるいは瞬時に焼き尽くされて、妙に見晴らしがよくなっている。
その中に、鷲獅子の放った攻性魔法をものともしなかった存在が屹立していた。
「あ、あれは……」
「畜生、どうなっちまってるんだ。鷲獅子だけじゃねぇってのかよぉ」
「お、大鬼だとぉ」
絶句し、あるいは泣きそうな声を上げる人々が見たもの。
それは五本の角を生やした逞しい体躯の巨人が、天に向かって睥睨している姿だった。
◇◆◇
「大鬼じゃない?」
「そうだよ、エレオノーラ。大鬼の角は二本、大鬼貴種で三本、最上位の大鬼王種でも四本だからね」
再編途上にある飛龍騎士団の砦での、目の回るような忙しさの中。
ぽっかりと空いた時間を見計らったかのように、陣中見舞いに来てくれたマチアスは、さすがは兄弟子というべきだったろう。
割り当てられた私の部屋で久方ぶりに三人が顔を揃え、食事を取る暇も無かったバルテルは、マチアスの持ってきてくれた差し入れを口に詰め込む事に余念が無いようだ。
そんな中での世間話で、話題が例の八人目の若者に及んだ時のことだった。
コウイチが召喚する使役獣に、マチアスが疑念を表したのだ。
「昨年亡くなった師匠も嘆いていたけどね。君は宮廷召喚術師として、もう少し色々な書物に目を通すべきだよ」
ふくれっ面になるのが自分でもわかる。
もっとも、こんな振る舞いは兄弟同様の彼らといる時に限られるわけだが。
「じゃあ、五本角の鬼族って何よ」
「鬼族の最上位種――神鬼だね。まぁ、伝説や神話にも出てこない、召喚術師の伝承に少しだけ記載のある存在だよ。五本の角が特長で、魔法も使うらしい。その力は真龍に匹敵するともあったけど、詳しい事はわからないみたいだね」
つまるところは、マチアスとても、少しだけ知っていると言うに過ぎないようだ。
「何にせよ、宮殿から放逐したのは早計だったかもしれないね。いや、君のせいじゃないのはわかってるよ」
「そうね」
ふくれっ面の上にそっぽを向く私に、マチアスは苦笑を禁じ得ないようだった。
まあ、不条理なまでの激務で、多少は幼児退行を起こしていたのかもしれない。
「それで、その若者はどこに?」
「エレオノーラの初恋の人んとこだって」
私が口を開くより先に、マチアスの疑問にとんでもない答えを返したのは、口に詰め込んだものをようやく嚥下したバルテルだった。
「ば、バルテルっ! あ、あ、あ、あんた、何をいってるのよっっ!!」
思わず動転し、満足に口もきけない私にマチアスが止めを刺した。
左の掌を右の拳でポンと叩き、思い出したように『その名』を口にしたのだ。
「なるほど、オリヴァー卿か。あの方なら、異世界から来た若者を託すに足る人物だな」
私は熱くなった顔を両手で覆うと、座っていた寝具の上にひっくり返って、両足をばたつかせるしかできなかった。
バルテルが「エレオノーラ、パンツ見えちゃうよ」などと困ったように言っているようだが、今更そんな事は気もならない。
だいだい、師匠の元で姉弟も同然に育ったのだ。見たければ勝手に見ればいい。
「あー、ごめんごめん。でも、傍で見てて、結構バレバレだったんだけどねぇ」
「みんな同じ意見だったよね」
マチアスとバルテルが追い打ちをかけてきた。
王都の外に配置された同門の連中にまで、しっかりと知られていた事が判明し、私は悶死寸前の状態だった。
「でも、あんなに綺麗なのに、なんで男の格好してたんだろね」
相変わらずに呑気なバルテルの口調が、苛立たしくすらある。
そう、オリヴァー卿は男にしておくのが勿体ないほどの美形だった。
男にしては華奢な体格と言い、野太さとは無縁の済んだ声と言い、一目で夢中になってしまい……。
私の思考は、一瞬、空白になった。
いま、この愚弟としか言い様の無い同門の男は何と言った?
それは、マチアスも同様だったようだ。
「え? バルテル、どういう意味だい」
「知らなかったの? オリヴァー卿は女の人だったんだよ。少し年齢も詐称してみたいだね。それがバレたんで学術院を追い出されたんだ」
バルテルは、その物言いから半ば知恵遅れのように見られがちだが、実際には鋭い観察眼と油断ならない情報収集能力の持ち主だ。
滅多に行使することはないが、体術や剣術にも優れ、一対一で彼に敵うものは飛龍騎士団にもいない。
何よりも(ここが、一番重要な点だが)彼が口からでまかせを言うことは絶対に無い。
むっくりと身体を起こした私の顔を見て、バルテルは「ひっ」と言って後ずさり、マチアスも顔を引きつらせていた。
「バルテル?」
「な、な、何かな」
「もう少し、詳しく教えてくれるかしら」
もう少し、などと言ったが、むろん、それは嘘だ。
たとえどれほどの時間がかかろうとも、この弟弟子には洗いざらい白状させるつもりである。
我知らず、目が虚ろになり口角がつり上がるのがわかった。
「た、助けてよ、マチアスぅ」
「すまん、ぼくには無理だ。せめて骨は拾ってやる」
抱き合って震える二人の同門に一歩踏み出した時。
王都への敵襲を告げる、警鐘の乱打が聞こえてきたのだ。
我に返った私は気分と思考を瞬時に切り替え、少し考え込んだ。
「バルテル。あなたは例の専用騎達を宮殿に回す手伝いに行って。マチアスは私といっしょに来てくれるかしら」
私同様、表情と気分を切り替えた二人は、即座にうなずいた。
そして、慌ただしくバルテルが走り去って行くのとは反対方向に、私はマチアスを伴って走り出した。
そこには、先日の鷲獅子騒ぎ以降に、特別に許可を貰って私の専用騎として召喚した、天馬が待機している筈だった。
主人公以外の二人は一人称や語り口が同じなので、少しわかりにくかったでしょうか。
(ちょっと失敗だったかもですが、他の一人称、語り口は各キャラに馴染まない気がするもので)
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