第13話 刻印はあるか
毛皮の敷物、光沢のあるレースの壁掛け、蔦で造られた座椅子。
俺に割り当てられた部屋は物置に使われていたとは思えぬほどに、様相が一変してしまった。
そんな状況で迎えた放置プレイな四日目を、俺は昼過ぎまでぐーたらと寝て過ごした。
いや、傍から見たらそう見えるというだけだ。
朝から雨が降っており、外に出る気にはなれないと言うのも事実ではある。
しかし、最大の理由は、以前から気になっていた件を確認する良い機会だと思ったのだ。
あの田原の首筋にあった隷属の印が、他の連中――とりわけ義妹達にもあるかどうかを確かめなければならない。
「ただなぁ」
と、俺は首をひねった。
「アレが隷属の印だとすると、色々と筋が通らない事があるんだよな」
召喚術については、今のところ、セリアが持ってきてくれた魔物関連の文献にあった簡単な記載でしか知識が無い。
可能であれば、最初に手ほどきをしてくれた宮廷召喚師のエレオノーラさんに色々と教えてもらいたいところだが、不在とあってはしかたがない。
さて、隷属の印だ。
エレオノーラさんが召喚術の実技で見せてくれた時には大ざっぱな説明しかなかったが、諸処の文献によると、召喚術師が召喚した異界の存在を使役する為に刻むものとなっている。
これを刻まれた召喚獣は、刻んだ術者に絶対服従を強制される事になるらしい。
確かに、銀髪のお姉さんが召喚した飛龍は、これを刻まれた途端に大人しくなった。
そして、俺達を召喚したのも、エレオノーラさんだ。
従って、アレが隷属の印だとすると、少なくとも田原はエレオノーラさんに対して絶対服従を強制されている事になるわけだが。
「う~ん。どうもしっくりこないよなぁ。らしくない、と言うか」
そうなのだ。
隷属の印を人間に対して刻むと言うことは、その人間を不可逆的な奴隷化するに等しい行為と文献には記載されている。あの銀髪のお姉さんに、そのような残酷な真似ができるものだろうか。
確かに、外見や上辺だけで判断できるものではないが、彼女について言えば、そのような事をしていて、少なくとも平然としていられるような性格では無いと思えるのだ。
「それに田原にしたって、エレオノーラさんに絶対服従しているかと言うと、そんな感じじゃないよなぁ」
これが二つ目のおかしな点だ。
今までの田原の言動からは、エレオノーラさんを特に意識していないように見受けられる。綺麗な人だなぁ、くらいには思っているかもしれないが、たぶん、そこまでのような感じがする。
むしろ、田原の視線は、妖艶な魔術師長を向いているようだ。
同年代とは思えぬほど厳つい外見の田原が、ああいうのがタイプなのは、何となく納得できる。一方で、古流剣術だかの同門たる鈴音に対する振る舞いを見る限り、年下には興味なさそうだ。
ちなみに、俺について言えば、清楚なお姉さんも、妖艶な魔術師長も、年下でも何でもOKだ。
いや、まぁ、それはどうでもよろしい。
ともかく、あの隷属の印らしいものの正体だ。
あるいは、元々、田原には似たようなアザがあったと言う可能性も否定できない。同時に召喚された俺の体には、隅から隅までを探しても、あのような印は見つからなかったのだから。
何にせよ、義妹達にアレが無ければ、それでいい。由美とか、相沢とか、郷田とかは知らん。
そして、この天候は、それを調べるにはうってつけと言えた。
雨音で使役獣の気配も紛れるし、何よりも観察対象の一人である麗香の能力も多少はダウングレードする筈だ。
光を操ると言う〈光輝の勇者〉の能力は、直接戦闘には向かないかもしれないが、相手にするには結構厄介だ。
何しろ、死角の無い超高精度の監視衛星を使っているようなものなのだ。
ローグが手乗り文鳥より小さいサイズとは言え、一度注意を引いてしまったら、瞬時にしてその存在は明らかにされてしまう。
超ミニサイズの飛龍もどきが俺の使役獣である事は知られているので、こいつが麗香達の周りをうろちょろしているのがバレたら、結構面倒な話になりそうだ。
あるいは、そこまで神経質になる必要は無いのかもしれない。
だが、おそらくは俺にとって唯一のアドバンテージである、召喚した使役獣との感覚の共有については麗香達にも伏せておきたい。
具体的な根拠があるわけでは無いが、強いて言えば俺の直感が、これは隠しておくべきだと告げているのだ。
決して、エレオノーラさんの下着を覗いてしまった事がバレるからとか、そんな理由では無い。
絶対に無いったら無い。
そんな事情で、俺はベッドに寝転びながら、ローグが送ってくる麗香達の映像を眺めていると言うわけだ。
どしゃぶりの雨に濡れそぼりつつ、宮殿の窓から彼女達を監視しているローグには、さすがに申し訳無い気持ちになる。
ただ、鳥と異なり、魔力で飛行する飛龍もどきは、どれほど雨に濡れようが全く平気な様子だった。
見かけは爬虫類だが、体温が下がって活動が鈍くなると言う事も無い。
対照的なのが、偵察ドローンコンビの片割れである剣牙狼もどきの方だ。
ザガードは、雨に濡れるのをひどく嫌がった。
無理矢理に命じる事もできなくはなかったが、本日の中継は音声無しで済ませることにした。
ただし、音声が無いところは字幕でカバーしている。
ローグの眼が捉えた映像の、人々の唇の動きをガノンが解析して、文字情報として俺に寄越しているのだ。
知的好奇心をトリガーとして、ここまでの芸当を見せるようになったスライムに、俺は驚くやら呆れるやらである。
現在、アンベルク宮殿は小鬼討伐に向けて、色々と慌ただしい。
俺が放置されているのも、そのせいではあるのだろうが、これで四日目だ。
ただ討伐を目的とするならば、いくら何でもこれほどに期間はかからない筈だ。
規模を別にすれば、小鬼討伐そのものは、駆け出しの冒険者集団でも対応可能なレベルのクエストだと、指南書には記されている。
じつのところ、今回の討伐は、来たるべき〈禍神の使徒〉との戦いに向けての予行演習としての側面があるようなのだ。
召喚された〈七大の勇者〉を核とする七つの騎士団を編成すべく、アンベルク王国軍の組織改造を始めとする諸々の事務手続きで、文官や、軍の指揮官クラスは大忙しと言うわけだ。
一方で、勇者達も個々の属性魔法について、様々な事を学んでいる。
その成果のひとつが、例えば、宮殿の広大な演習場だ。ひどい土砂降りだと言うのに、ここだけは雨に濡れる事を免れている。
〈氷雪の勇者〉たる相沢が、水魔法でもって雨を操っているのが、その理由の半分。
もう半分は〈火炎の勇者〉たる由美によって、降ってくる雨が途中で蒸発してしまっている為だ。
言うなれば、極めて局地的ながら、天候にすら干渉する驚くべき能力である。
この二人の能力は、むろん、そのままでも戦闘向きなのだが、その応用によっては、味方の軍勢を強力に支援できると言うわけだ。
その演習場で、現在、麗香が行っているのは、光を操って情報を伝える術だ。
〈光輝の勇者〉直属となる〈白の騎士団〉の全員が、各々の目の前に現れた光のウィンドウに眼を丸くしている。
麗香は、このウィンドウにメッセージ文や映像を表示して、指示を出しているようだった。
ただし、本人は宮殿内にある、軍のお偉いさんらしい人々が集まっている部屋におり、そこから演習場の光景を壁に映し出していた。
『素晴らしい』
『うむ、遠見の魔法は幾人か使い手がいるが……』
『いやいや、あれは術者自身にしか見えぬであろう。〈光輝の勇者〉のお力は他の者にも遠見を示す事ができるのだぞ』
『しかも、これほどの数を対象に……まさに桁違いの能力だな』
『あの、こちらの指示を文言で伝える術も興味深くある』
『まさしく。光属性の魔法にあのような使い方があるとは』
『何でも、すまほ、とか、けーたい、なるもので、めっせーじを送るのは、〈勇者〉どのの故郷では珍しくないそうだ』
『むむ? よくわからんが、何にせよ、我々では思いもつかぬ発想だ』
『光属性魔法による戦略を根本から見直す必要があるな』
『いや、この情報伝達の仕組みにおける革命は軍事だけに止まるものではないぞ』
その部屋にいる軍人達が、麗香の能力に感嘆し賞賛する科白が字幕となって現れる。
各々の唇の動きを同時解析して、字幕化するスライムのマルチタスクな演算処理能力は、ひょっとするとスパコン並みじゃないだろうか。ガノンはそれだけの事をやっていながら、造った『眼』で物理の参考書を読んでいるようだ。
お前、スライムのくせにどんだけなんだよ。
まあ、これはこれで凄いのだが、ニコ動のコメントで埋め尽くされた画面を見ているようで、かなり見づらいものがある。
「ガノン。俺が注意を向けた人物の科白以外はカットしろ」
俺がそう命じた途端に、脳裏の画面を埋め尽くしていた夥しい字幕が消え失せた。
麗香の傍らに居た、逞しいおっさんが何やら喋っている。服装から見ると、かなり上位の軍人のようだが、初めて見る顔だ。
何者だろう、と俺が疑問を感じた瞬間、そのおっさんの襟にフキダシのようなモノが現れて、『将軍職の徽章』と言う文字が浮かんだ。
冒険者達は軍と合同で討伐に当たる場合もあるので、冒険者ギルドの指南書にも軍人の階級を示す徽章類の記載がある。ガノンがその知識と突き合わせて、ヘルプ表示をしたのだ。
芸の細かいやつだ、スライムのくせに。
俺は今までに見聞きした知識と照らし合わせて、その人物がアンベルク王国の軍務卿、ジークベルト将軍だと結論づけた。
ちなみに、俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手なので、ガノンに記憶してもらう事にしている。
おかげで、アンベルクの主立った人々の顔と名前は、ガノンを召喚した状態ならすぐに出てくるようになった。
そのジークベルト将軍は、部隊編成の状況を確認しているようだった。
『伝令を主体とする〈白の騎士団〉を真っ先に編成した訳だが、この分だと伝令そのものが不要になるな』
『いえ、〈光輝の勇者〉殿ばかりを頼るわけにもいきません。それに他国の軍との連携を考えますと、今まで通りの伝令は必要かと』
『ふむ。我々の手の内を簡単にさらすのも考えものか』
幕僚の一人が出した反対意見を考慮する様子は、それなりに許容力のある人物のようだ。
しかし、このやりとりの内容には違和感を覚える。
人間達は一致団結して〈禍神の使徒〉と戦う筈じゃなかったのか。
その為なら、むしろ〈勇者〉の能力は広く知らせるべきだと思うのだが。
まぁ、そんな事は後回しだ。
俺はローグに命じて、麗香に視線を集中した。
軍人、しかも、それなりの地位にある者ばかりなので、必然的に周囲はむさ苦しいおっさんばかりになるわけだが、その中にあっても麗香は落ち着いている様子だった。
小規模な建築会社の社長令嬢ともなれば、ガテン系のおっさんには慣れているのかもしれない。
その美しい顔、首筋、手、足と、白いドレスに軽装甲冑を組み合わせたような装備から覗ける肌には、隷属の印らしいものは見えない。
「そうなると、後は、あの装備を外した状態で確認……て、着替えを覗くわけにも……いや、しかし……」
俺はしばし煩悶したが、さしあたりは、他の妹の様子を見る事にして、ローグを宮殿の東側にある礼拝堂へと移動させた。
このアンベルクには、創造神だか至高の存在だかを崇める信仰体系があって、いわゆる治癒魔法の使い手は、その神殿に所属する事になるようだ。僧侶とか神官が治癒職と言うのはゲームでも定番だが、この世界も同じようなものらしい。
〈聖祈の勇者〉が率いる事になる〈紫の騎士団〉は、神殿所属の聖騎士以外にも女性を含む神官などがおり、少し他とは毛色の異なる集団となっている。言うなれば、衛生兵とか救護兵によって編成された騎士団だ。
それにしても、伝令を主とする〈白の騎士団〉と、救護を担う〈紫の騎士団〉を真っ先に編成するあたりは、軍務卿たるジークベルト将軍が武だけの人では無い事を示していると言えるだろう。ただし、〈紫の騎士団〉は構成員の事もあって、軍務卿麾下では無く、神官長の管轄と言う扱いのようだ。
この神官長――ディートハルトと言う名のおっさんは、一応は聖職者と言う事になる筈なのだろうが、厳かな雰囲気など皆無な人物である。
それどころか、美穂のダイナマイツ級な肢体に対する舐め回すような視線は、二人きりにするには危険なものがあった。
もっとも、美穂の傍らには麗香が連絡用のウィンドウを浮遊させており、〈光輝の勇者〉が常に見守っている事を示威していたので、指一本触れる事もままならないようだ。
まぁ、〈聖祈の勇者〉の、妙に露出度の高い扇情的な装備は、俺でも心配になる。
俺の『眼』は麗香と違って、同時に複数を対象とするわけにはいかないので、ここは麗香に任せるしか無い。
それはともかく。
むき出しの肩や首筋、こぼれ落ちそうに爆発的な胸元、スリットから見える悩ましくも形の良い足などを入念に観察した結果、こちらにも隷属の印らしいものは無い。
「ドレスの下は……いや、こっちも後回しにしよう」
神官長と距離を置き、治癒職の女性神官から色々と指導を受けている美穂から、三女の鈴音へと観察対象を変えるべく、ローグを演習場に移動させた。
その途中、身の危険を感じたローグが急激な回避行動を取った。〈氷雪の勇者〉によって操られた雨の一部が、急に氷の塊へと変じたのだ。
『ああ、ごめん、ごめん。少し気を抜いちゃった』
突然の霰や雹によって軽い被害を受けた人々に、相沢がしきりに謝っている。
こいつは「氷雪」の異名通り冷凍系に流れる傾向があるようだ。
その冷凍系魔法、直接的な攻撃も厄介だが、雨天と言う条件下では最強なんじゃなかろうか。
雹なんて小石が降ってくるのと変わらない。
これが自由落下による運動エネルギーを伴うわけだから、その威力たるや文字通りに災害級である。
もっとも、現状では敵味方を問わず被害を受けそうなので、そのあたりの制御さえできれば……。
「ん?」
俺はここで閃くものがあった。
飛龍もどきに、それなりの高度から小石を投下させれば、結構な威力になるのではないだろうか。
俺達の世界でも、第一次大戦で航空爆撃に適した爆弾の開発や製造体制が整っていなかった頃は、釘や石、レンガなどを投下したって話もある。
無論、そのままだと風に煽られたりして、目標に命中させるのは至難の業だが、ヴァルガンの弓矢と同様、ガノンに補正させれば、あるいは何とかなりそうだ。
俺がそんな事を考えると、ガノンから肯定を示す意識が返って来た。
「ま、後で検討、だな」
ローグの視界に鈴音が入ったので、そちらを優先する事にした。
鈴音は風属性魔法の術師から、主に制御と応用を学んでいるようだった。
先日の示威では、とてつもない巨石をあっさりと吹き飛ばしたわけだが、その威力を拡大するのでは無く、レーザー並みに収束するとどうなるか。
鈴音の手刀が鋭く振り抜かれると同時に、目標として置いてあった甲冑が真っ二つになった。
ぞくにいうカマイタチは、旋風の中心に出来る真空または非常な低圧により皮膚や肉が裂ける現象と言われている。
現在では人体を損傷するほどの気圧差が、旋風によって生じることは物理的にあり得ないと、これは科学的に否定されたわけだが、鈴音の能力は人体どころか金属を切断してのけたのだ。
まさしく魔法だった。
これ以外にも、風属性には雷系などがあるようだ。
そうした多種多様な技術を練習している鈴音だが、麗香や美穂と違ってじっくりと観察するのは困難だった。
とにかく勘が鋭いのか、ローグの視線をたちどころに察知するようで、常に飛龍もどきの居る方向へ訝しそうな眼を向けてくるのだ。
鈴音の傍らにも麗香の放った光のウィンドウがある。
この二人に連携されると、こちらの『眼』がバレてしまいそうだ。
「しょうが無い。戻って来い、ローグ」
どのみち、装備の下まで確認する事になるのだ。
その手段については目処がたっている。
とは言え、義妹達に対して覗きを働く行為は、俺としては気が進まないものがあった。
いや、本当だってば。