第10話 勇者達の決意
学術院長と言う老人は麗香の方を向いて、航空映像を示しながら、ひとつの頼みを口にした。
「お手数ではあるが、〈光輝の勇者〉よ。これの見える範囲をもっと広げてもらえませぬかな」
麗香は、言われたとおりに上空からのライブ映像を、徐々にスクロールダウンするように縮小していった。
それにつれて、ウィンドウに映る範囲が拡大していく。すると、このアンベルクと言う国の位置が大陸の海岸に近いことがわかった。
アンベルクの周辺に、いくつかの都のようなものが見える都度、学術院長の説明が入る。
おかげで、アンベルクと周辺国家の位置関係は、おおよそ把握できた。
国家間には街道らしい筋が見えるが、ほとんどは険しい地形のようだ。
ウィンドウの中に映る地形の縮小は進み、やがて、アンベルクの北の方角に、真っ白な区域が見えてきた。
アンベルク王国の数十倍にもなる、じつに広大な面積を、その白い大地が覆っているのだ。
雪のようにも見えないが、これは何だろう。
「そこで止めて下され」
トビアスの指示に従い、麗香は映像のスクロールダウンを止めた。
「うむむ。これは便利な……あ、いや、それはともかく」
学術院長は手にした教鞭のようなもので、その真っ白な部分を指した。
「ここがオムーです。いかなる生き物も存在を許されぬ、不毛にして過酷なる白き砂の大地。いや、伝承や書物では知っておりましたが、この眼で確かめられる日がこようとは……」
知識の府を束ねる老人は、少しの間、感慨にふけっているようだった。
だが、先を促すような麗香の視線に気づくと、咳払いして説明を続けた。
「伝承によれば、遙か古代において、このオムーは豊穣な大地であり、極めて優れた文明が築かれていたそうです」
トビアス老人によれば、このオムーの文明は、現代の魔法など比べものにならぬほどの高度なものであり、時空を超える魔法すらあったとされていたようだ。
ちなみに、その時空魔法の一部が残り、今日の召喚魔法となっているそうだ。
「ですが、あまりに発達し過ぎた魔法文明は、ついに禁忌に触れたのです。これはいくつかの文献からの推測によるしかありませんが……」
トビアス老人は、異界から恩寵をもたらしていた時空魔法のひとつが、何かのきっかけで暴走したとする説が有力である旨を口にした。
「その〈禍神〉と伝えられる存在がいかなるものかは、実はよく分かっておりませぬ。ただ、暴走した時空魔法によって〈禍神〉が出現した瞬間に、オムーの豊穣な大地は、全て白き砂に変わったとされております」
一夜にして滅んだ古代の超文明。
アトランティスとかムーのようなものだろうか。
「〈禍神〉の本体は、すぐに元の時空に戻ったようですが、その一部が未だに、このオムーに残っていると伝えられております。そして、三百年周期で、南方にある人間達の領域に現れ、とてつもない災害を引き起こすと」
「つまり、その〈禍神〉の一部と言うのが……」
「さよう。我々が〈禍神の使徒〉と呼ぶもの達です」
麗香の確認するような声に、トビアス学術院長は大きくうなずいた。
「もの達? つまり、〈禍神の使徒〉は複数いるのですか?」
「記録によれば、七柱が確認されております」
七柱と言うことは〈七大の勇者〉と同じ数だけいるってことか。
「遙かな時空から飛来せし〈禍神の使徒〉が振るう力は凄まじいもので、人間達の魔法や軍事力では歯が立ちません。我らの祖先が考えた末に構築した対処法。それは、異界より来た七柱の〈使徒〉に対するに、やはり、異界より七名の〈勇者〉を召喚すると言うものでした。そして、今より三百年の昔、降臨した〈勇者〉達によって、〈使徒〉を撃退したとの記録が残っているのです」
「そして、おそらくは、あと数ヶ月のうちに、最初の〈使徒〉が南下を始める筈ですじゃ」
トビアス学術院長の後を引き取るように、宰相が付け加える。
その語られた内容に、麗香達は言葉も無いようだった。
「面白い」
粛然とした雰囲気をぶち壊すように、そんな事を言い出したのは田原だった。
「せっかく勇者として召喚されたのだ。そのくらいの強敵が控えておらねば張り合いが無いと言うもの。今から腕が鳴るわい」
駄目だ、こいつ。
厨二病だけならともかく、脳筋が加わるとろくなことは無いようだ。
相手は災害級の怪物だぞ。
もう少し慎重に……などと建前的に思うものの、その一方で、田原の気持ちも理解できなくもない。
異世界に勇者として召喚された上に、大地を割るほどの超常能力を手に入れたのだ。
舞い上がる気持ちも当然だ。
元の世界でも古流剣術の師範代……いや、その見習いとか言っていたが、どちらにせよ、相当に腕に覚えがあるのだろう。
平和な日本では遭遇する機会の無い、全力で戦えるシチュエーションに熱くなるのはわかるような気もする。
とは言え、他を巻き込む可能性のある言動は慎むべきだろう。
「うむ、よくぞ申してくれました」
二人の老人とダンディな近衛騎士団長は感激の面持ちだった。
田原はそれへうなずいて見せると、他の面々に向かって賛同を求めた。
「義を見てせざるは……とも言う。おぬしらも同意見であろう?」
「まぁ、いろいろと歓迎してもらったしねぇ。それに、三百年前の勇者達にもできた事が、僕たちにできない筈は無いさ」
相沢があっさり同意する。
「浩志がやるなら、あたしもやる」
由美が相沢に追従すると、郷田もニヤリと笑う。
「闇と影の支配者の恐ろしさを〈使徒〉に見せてやるのも面白いか。撃退などと言わず、今度はぶっ倒してやる」
この四人が盛り上がる一方で、麗香達三姉妹は簡単に付和雷同しなかった。
雰囲気に呑まれないのは偉いぞ。
お兄ちゃん、褒めてやる。
「まさか、私達だけで対処せよとは言わないでしょうね」
姉妹を代表して、麗香が探るような声で尋ねた。
「むろんですとも。この今の時間にも、〈勇者〉の方々一人につき一万騎の騎士を始めとする軍勢をつけるべく、各国と協議しておるのですじゃ」
宰相閣下が、心外だとばかりに言った。
そう言えば、外務卿な人が云々という話だったな。
麗香は大きな息をつくと、妹達を見やった。
美穂や鈴音が軽くうなずくのを見て、覚悟を決めたようだった。
「わかりました。微力を尽くす事と致しましょう」
「ちょっと待てよ!」
俺は思わず叫んでしまった。
だが、この部屋から俺の声が届く筈も無い。
歯がみするような思いで、ローグ達を通して状況を見守ることにする。
「〈勇者〉の方々には実戦に慣れて頂くため、まずは、近日中に行われる小鬼の討伐に参加して頂きます」
そう告げたのはルトガーだった。
〈使徒〉は別格として。この世界には異界から召喚され、そのまま野生化した個体――魔物の存在があり、これが人々の脅威となっている。
その被害の訴えの中で、ひときわ規模が大きい場所に討伐軍を派遣するとのことだった。
「小鬼か。まぁ、最初の経験値を得るには妥当なところだ」
田原が納得したように、うむうむとうなずいているようだ。
経験値なんてあるのか? あるいは、〈勇者〉にしか解らないシステムがあるのかもしれないが。
それにしても、こいつがもう少し慎重な言動を取ってくれたら、麗香達も危ない真似に参加しなかったかもしれない。
俺は――まぁ、頼り無いし、血の繋がりは無いが、それでも麗香達の兄なのだ。
義妹達を守り、無事に久門の父さんと母さんの元へ還す義務がある。
俺は苦々しい思いと共に、天窓から見える田原の丸刈りの頭を、ローグの視界越しに睨み付けた。
「ん?」
その時、俺は田原の首筋に小さなアザのようなものがあるのに気がついた。
図体がでかい男なので、この位置から見下ろさないと見つける機会は無かっただろう。
そのアザの、特徴のある形には見覚えがある。
「あれは……ひょっとして、隷属の印じゃないか?」
間違い無い。
召喚した飛龍に、エレオノーラさんが魔法で刻んだ紋様にそっくりだった。
しかし、なんで〈大地の勇者〉である田原に、そんなものがあるのだろう。
そう言えば、召喚された時、少しの時間だが意識がなかったような気がする。
「まさか、その時に?」
俺は慌てて自分の手や腕を見たが、一人で確認できる場所には限界がある。
「出てこい、ヴァルガン」
急いで大鬼もどきを呼び出すと、即座に視覚を共有した。
ローグほどの視力は無いが、俺の身体を調べるには充分だ。
てか、ローグの視覚とヴァルガンの視覚、おまけに自分の視覚と、三つの光景を見ていることになるが、あまり混乱してないよな。
我ながら器用なもんだ。
それはともかく、俺は服を脱いですっぽんぽんな格好になると、ヴァルガンの視覚で全身を観察した。
自分のヌードをこうやって見るのは、非常に気恥ずかしいと言うか、気色悪い。
羞恥心をこらえて調べた結果、俺の身体には隷属の印らしきものは無いようだった。
そうすると、髪に隠れているのか?
俺は服を身につけると、ベッドに横たわった。
そして、ヴァルガンに髪をかき分けて調べるように指示する。
「痛てぇ、バカやろう。もう少し手加減しろ。っつう、抜ける、ハゲる」
結構大騒ぎしながら調べた結果、俺には隷属の印は刻まれていないようだった。
他の連中、特に義妹達はどうなのか気にはなるが、今のところ確認する方法が無いので、それは後回しだ。
俺は、あらためてヴァルガンを見やった。
ミニサイズの大鬼もどきは「うが?」と小首を傾げて俺を見返している。
そんなことをしても、全然可愛くないぞ。
可愛いどころか、小さな身体のくせに、かなりの馬鹿力だ。
さすがは異界のモンスターと言うことか。
単純に膂力だけを比較すると、確実に俺を凌駕しているようだ。
ただ、身長も体重も全然足りないので、近接戦闘には全く不向きだろう。
「ん? じゃあ、近接戦闘でなければどうだ?」
鬼と言えば金棒や棍棒と言うイメージがあるが、こいつの腕力なら、石を投げつけるだけでも結構な打撃を与えられそうだ。
そして、例えば飛び道具とかが使えれば、もっと威力は増すのではなかろうか。
「飛び道具と言えば弓矢なんだが……」
ヴァルガンの小さな身体を見ながら、俺は首をひねった。
このサイズでは、普通の弓は扱えないだろう。
特注品と言うことになるが、俺の今の待遇で、そうした要望が通るかは甚だ疑問だ。
だからといって、麗香達が〈禍神の使徒〉との戦いを迎える時、指をくわえて見ているだけと言うわけには行かない。
みんなで無事に元の世界へ戻るため、俺としても可能な限りのことはやっておくべきだろう。
「ふむ。いっそ、自分で作るか」
弓の材料と言えば、弾力のある木材とか弦が必要だが……と考えて部屋を見回す。
だが、殺風景な部屋には、生憎と使えそうなものは無い。
「いや、待てよ」
思いつくところがあって、俺は植物系のドレイグを召喚した。
雑草だか毒草だか、ろくに調べてないので種族不明だが、こいつの枝は結構弾力がありそうだ。
根っこの触手は弦に使えるだろう。
加えて、こいつの棘で鏃を作れば、毒矢になるかもしれない。
「問題は、こいつが身体の一部を素直に提供してくれるか、だが……」
植物系なので感覚の共有が成立しているのか、今ひとつ分からなかったが、あまり嫌がっていない感じがする。
不意に身じろぎしたドレイグの、その枝のひとつが、いきなり、にゅう、と伸びて来てポトリと落ちた。
根にあたる触手も同様に伸びて、とぐろを巻いたかと思うとプツリとちぎれる。
俺の要望に応えて、弓の材料を提供してくれたようだ。
「おお。ありがとうよ、ドレイグ」
思わず、俺が礼を言うと、小さな樹怪は軽く身震いしたようだった。
たぶん「どう致しまして」などと言っているのかもしれない。
ドレイグが提供してくれた材料をつかって、弓を作る作業はヴァルガンがやった。
矢の方は消耗品でもあるし、こっちは後で考えれば良いか。
それにしても、ヴァルガンの小さいながらもごつい指先は結構器用だった。
あるいは、編み棒でも持たせたら、レースとかも編めるかもしれない。
麗香達、〈勇者〉の面々が、小鬼討伐の打ち合わせをしている様子をローグとザガードに中継させながら、俺はささやかな武装を始めたのだった。