プロローグ 初めての討伐
背丈は成人男性の半分程度という大きさでしかない。だが、小鬼は侮れない魔物だ。
RPGなんかでは単なる雑魚キャラだが、この異世界に実在するこいつらは、まぎれもなく深刻な脅威だ。獰猛で狡智な性質は、一定数以上の集団ともなると精鋭の騎士団ですら手を焼くほどの災害級であるとも聞いている。
巣があると思しき森の中から、ぞろぞろと現れた数は、その一歩手前と言うくらいの、まさに大群だった。こちらの様子をうかがう風情で、まだ大きな動きは無い。
垢や脂がこびりついた汚らしく醜悪な外見に内心ビビりながらも、俺は地面に布を置き、そこに描かれた魔法陣に思念を集中する。大きく鼻から息を吸い、腹の下の落とし込むように息を溜める。
不思議な感覚が、へその下……丹田と呼ばれる部位に沸き起こるのを感じながら、ゆっくりと息を吐き出す。と同時に、その感覚が尾てい骨辺りへと抜けて背筋から頭頂部を通って眉間に集まる。
この世界に来てから馴染むようになった、魔力と呼ばれるものが顕在化する感覚だ。
だが、ここに来るまで諸々の事情があった為、かなり消耗してしまったようだ。
俺が必死でかき集めた魔力に、ようやく魔法陣が呼応して光を放つ。
「汝と我の盟約の元に……」
いつもなら必要の無い、術を発動する為の詠唱を紡ぎ出す。
「出でよ、ヴァルガン!」
光り輝く魔法陣の中から、今までにも幾度となく召喚した大鬼が出現した。
それを見た小鬼達が、一瞬、目を見張ったようにも感じられた。
俺が「ヴァルガン」と名づけた大鬼は、俺の意思に従い、咆吼をひとつ上げると、のっしのっしと小鬼の群れに進んでいった。
そして、集団の先頭に居た小鬼に――――あっさりと蹴飛ばされて、明後日の方角に吹き飛んで行った。
「………………………………………………」
まぁ、いくら大鬼と言えど、小鬼の膝丈にも届かないミニサイズでは、これは至極当然の結果かもしれない。
「ぎゃははははは」
けたたましい笑い声を上げたのは鈴原由美だ。
本人は一向に気にしていないようだが、高校生にしてはメリハリのある体の線がぴっちり出る全身網タイツに、胸や腰だけを覆うような所謂メタルビキニとでも言うべき格好は、じつに目のやり場に困る。
どちらかと言えば、派手と言うか、ケバイと言う印象の顔立ちの由美には似合っている事は確かだ。ひょっとしたら、元々彼女のために誂えたのではないかと思えるような装備である。
色彩も派手な赤一色で、まともに見ると目がチカチカする。その意味でも目のやり場に困る格好だ。
ちなみに、笑い声が一番けたたましいのが彼女だったと言うだけで、それ以外の面々も同様だったりする。
一応の護衛、と言う事でついてきたアンベルク王国の騎士達は、それでも表情を取り繕おうする努力が見て取れたが、俺と一緒にこの世界に召喚された〈勇者〉達の大半は、そうした姿勢とは無縁だった。
「ひゃっひゃっひゃ。しっかし、小鬼より小さいのに、あれで大鬼って言えるのかよ」
まるで忍者を思わせるような黒い衣をまとった郷田武史が笑いながらそう言う。やや細身の、ヤンキーというか、チャラいといった言動の郷田だが、これまた誂えたように妙に似合っている。
「ふふふ。まぁ、黒鳥の事を『黒い白鳥』とか言うのと同じかな?」
それに答えたのは、郷田の隣にいた相沢浩志だった。男にしては、やや長めにした茶髪のイケメンと言った彼に、青い軽装甲冑が、これまたよく似合っていた。
「がははは。確かに。黒とか青色とかの、赤くない『口紅』もあるのう」
豪快に笑っているのは、田原耕太だ。見るからに動きにくそうな黄色の重装甲冑だが、その横にも逞しい巨躯には何ともないようだ。
程度の差はあれど、揃いも揃って笑い声を上げる〈勇者〉達にあって、例外は一人の少女だけだった。
短く刈り込んだ髪に、ぴしりと伸ばした背筋は少年のようにも見えるが、鈴原由美のメタルビキニと似たような装備のおかげで、そのような誤解を持つ者は皆無だったろう。ただし、その緑色の装備は、鈴原由美のそれに比べれば、デザイン的にもおとなしめで、水着に例えれば、ビキニでは無くセパレートと言ったところだろうか。
名前は久門鈴音。
つまり、俺こと久門光一の妹にあたる少女の一人だ。
ただ、鈴音が他の連中と同じに俺を笑ったりしないのは、元から表情に乏しいせいなのかもしれない。日頃からほとんど口を開く事も無く、自宅でも、笑ったり泣いたりと言ったところを見たことが無い。まぁ、いっしょに暮らすようになって半月ちょっとなので、この鈴音に限らず、他の二人の「妹」達の事もよくわかっていないのだが。
不意に、俺の目の前に光のウィンドウが現れた。そのウィンドウに文字が映し出される。
『それくらいにしておきなさい。小鬼達が動き出しました』
ここから数十キロ以上は離れているアンベルク王都。その中央にそびえる宮殿にいる筈の、久門麗香からのメッセージだった。彼女も鈴音と同様、半月前から俺の「妹」となった一人である。
光のウィンドウは俺だけでなく、他の『勇者』や騎士達の前にも現れていた。
『美穂達は後方一キロの位置に控えています。存分に戦って下さい』
万が一の為に待機している救護支援部隊と、彼らと共にあるもう一人の「妹」である久門美穂について情報を伝えてくる。色々と露出の多い紫のドレスといった格好の美穂が、負傷者の一団を治癒しているところまでは知らせてこないが、これは必要無い情報と判断しているのだろう。この負傷者達は、小鬼の規模について正確な情報を伝えられないままに、軍とは別ルートで討伐に来て、あやうく全滅するところだった冒険者集団だった。
まさか見殺しにするわけにもいかず、彼らを救う為に色々と準備していた武器を使い果たしてしまった。おかげで、みんなの前ではヴァルガンを単独突入させるしか手が無くなってしまった。
その甲斐あって、瀕死状態にあった重傷者も、何とか美穂達の元へ送り届ける事ができたのだから、これは良しとするしか無い。美穂の治癒魔法が紫の輝きと共に、そうした重傷者を次々に回復させるのを見て、支援部隊の騎士達は目を丸くしているし、当の冒険者達は拝まんばかりの様子である。
マイク役を還したせいで声を拾う事は出来なくなったが、口々に〈聖祈の勇者〉を讃えているのは見れば分かる。脳裏に浮かぶ、その「光景」を見ながら、俺は苦々しい達成感を覚える一方で、深い諦念の溜息をついた。
そんな俺の耳に、郷田の聞こえよがしな大声がうっとおしく響く。
「あ~あ。誰かが、笑わせてくれたせいで、麗香ちゃんに叱られちゃったぜ」
俺の妹を馴れ馴れしく「ちゃん」づけで呼ぶんじゃねえ……と、普通の兄だったら思うのだろうか。だが、親同士の再婚で、兄妹と言う関係になったばかりの俺に、そんな資格があるとは思えなかった。
黙ったままで魔法陣の描かれた布をひろい、俺は後ろに下がろうした。
そんな俺を押しのけるようにして前に出たのは、由美だった。
「んじゃ、ひとつ、〈勇者〉としての見本を披露しようかしらね」
由美は、こちらへと殺到してくる小鬼の大群に恐れる様子も無くそう言うと、腰に下げた鞭に触れていた右手を、そのまま前に突き出した。巨大な火球が生じ、小鬼集団の三割を瞬時にして焼き尽くす。
「おお!」
「これが〈火炎の勇者〉の威力か」
アンベルク王国の騎士達から驚きの声が上がる。
「おっと、ぼくも負けてはいられないね」
相沢がイケメンに相応しい仕草で、空いていた右手で額にかかる前髪を払うと、左手で持っていた槍を軽く掲げるようにした。
その瞬間、その槍と同様の形状をした氷が、火球の一撃を免れた小鬼達に雨のように降り注ぎ、その肉体を貫いていく。
「ふん」
戦槌を手にした巨漢の田原が軽く気合いを入れると、土の中から鋭い岩が無数に出現し、小鬼達は次々に下から串刺しになった。
「何という……」
「ああ。〈氷雪の勇者〉も〈大地の勇者〉も素晴らしい」
騎士達が口々に感嘆の念を表す。
それでも、数は力と言う事か、氷の槍や岩の杭をくぐり抜けて、少なくない数の小鬼達がこちらに殺到してくる。
そちらに向けて、再度、手をかざした由美を制したのは忍者もどきの格好をした郷田だった。
「おいおい、日陰者とは言え、ちゃんと俺の分も残してくれよ」
そして、俺を小馬鹿にするように一瞥をくれると、郷田は手にした短剣で何かの文様を宙に描いた。
その瞬間、小鬼達の動きが止まった。
よく見ると、そいつらの足下にある影から、真っ黒な何かが飛び出して、その身体を縛っているのだ。
「ん~。やっぱ、お前らに比べると地味だよなぁ」
郷田が残念そうな素振りで、そんな事を言っているが、騎士達の顔には驚愕の表情が張り付いている。
「影縛りだと? いや、しかし……」
「あれほどの数を一斉に!?」
「さすがは〈冥闇の勇者〉と言う事か」
威力のある火球や、広範囲を殲滅する氷の槍、岩の杭などは、それはそれで凄いのだが、敵や味方が入り交じる混戦……集団戦ではよくある局面においては、今ひとつ使いどころが難しい。
その点、郷田の持つ能力は、派手さは無いものの、意外にも評価が高いようだった。
それはともかくとして、だ。
俺の足下からも蠢く闇が出て、さっきからギリギリと締め付けているのは、きっとわざとに違いない。
「さて、こいつらをどうしようかな~。このままくたばるまで、締め上げてやるのも手だが」
郷田がニヤニヤして、身動きの取れない小鬼達を眺めている。
俺の身体を締め付ける力が、だんだん洒落にならないレベルになってきた。
小鬼達も同様のようで、苦しそうな呻き声を上げている。
もっとも、俺の方は闇が口元を覆っているせいで、声も出せない。
視界が暗くなってくるかと思われた直前で、一歩進み出る者がいた。
鈴音だった。
その右手が、鋭い動きで振り抜かれた。
闇に縛られた小鬼達の首が一斉にぽとりと落ちる。
カマイタチ……いや、そんな表現ではすまないレベルにある『風の刃』が魔物達の首を切断したのだ。
「むぅ、これは……」
「いかな名剣でも、ここまで瞬時に斬れるものではないぞ」
「これが〈疾風の勇者〉の刃か」
もはや、騎士達は驚く事にも疲れ切った様子である。
「ありゃあ。最後は鈴音ちゃんにいいところを取られちゃったな」
郷田はへらへらと笑いながら、闇を引っ込めたようだった。
俺の身体がようやく自由になる。
大きく息をつく俺の目の前に、再び光のウィンドウが現れた。
『小鬼の群れの壊滅を確認しました。討伐任務は終了です』
騎士達の指揮官が、自分の前のウィンドウを見てうなづく。
「うむ。千里の彼方を見通す〈光輝の勇者〉が言われるならば間違い無い。皆、引き上げるぞ」
俺も上空の『眼』から確認したが、生き残った小鬼は皆無のようだった。
背丈の低い小鬼相手と言う事で下馬していた騎士達だったが、撤収の声を聞いて各々の馬に騎乗する。
その中で〈勇者〉達が騎乗するのは、ただの馬では無い。
本物の召喚師が召喚した、聖獣ユニコーンである。
そして、騎士でも〈勇者〉でも無い俺が騎乗するのは、大人しいロバだ。
あるいは、今回の討伐で「目に見える実績」を上げられれば、俺にも一角獣に騎乗する機会があったかもしれないが、これでその望みは失せた事になる。
一団の後ろをトボトボとついて行きながら、俺は再び大きな溜息をつくと、この異世界にやってきた顛末を思い返すのだった。