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苺なふたり

作者: 惣領莉沙

 どんくさくて要領が悪くて。

 素直すぎるお人よし。

 高校時代からの親友である亜季を形容する言葉はこんな感じ。

 あ、いつもいじけて人の後ろに隠れる弱虫ってのもあったかな。

 でも、それは彼女の魅力でもあるのだ。

 その魅力を誰よりも理解し、愛しているのが信吾だ。


 「亜紀は信吾に愛されて、ホント幸せだよな」


 亜季から電話があったことを話している私に届いた声。

 くつくつと肩を震わせて笑う目の前の男を軽く睨み、コーヒーを飲む。

 砂糖とミルクが入っていない、ブラックコーヒー。

 功司が目の前でおいしそうに飲んでいるのを見ているうちに飲み始めて、最近ようやくおいしいと思えるようになってきた。

 ホテルのカフェで出されるコーヒーはそのお値段もお味も普段味わえない高級なもの。

 一杯300円ほどのコーヒーでも十分おいしいと思い飲んでいる私にとって、一杯1200円もするこのコーヒー、味わって飲まなくてはもったいない。


「で?亜季は昨日ハネムーンから帰ってきたんだろ?会いに行かなくていいのか?」

「うーん。亜季はお土産を渡したいから今日にでもおいでって言ってくれたんだけど、側にいた信吾が電話に出て、今度にしてくれってさ」

「は?」

「あ、別に私を拒否してるわけじゃないのよ。信吾はなんといっても私の幼なんじみだし、小さな頃からの友達だし」

「……友達ねえ」


 意味ありげににやりと笑う功司を、一瞬睨む。

「おー、こわ」と冗談めかして言われても無視。

 本当、面倒くさい。


「信吾はとりあえず亜季の実家に挨拶に行くって言ってるの。高校の時から亜季と付き合っていても、やっぱりまだ遠慮があるみたいでね、亜季のご両親にお土産持って行くから私は今度にしてくれって」

「亜季のご両親って、医者だよな」

「そ。開業医だし、いずれは信吾が継ぐって話が出てる。信吾のお母さんは養子にとられるみたいで複雑だって落ち込んでたけど、まあ、そうなるんじゃないかな」

「で、いつものように、『百花ちゃんがお嫁にきてくれると思ってたのに』って泣かれたか?」

「え?どうしてそれが」

「ん?だって、昔は百花だってそれを望んでたって知ってるし。それが叶わなくて泣き通しだったのも近くで見ていたし?」

「……ほんと、やな男」


 私をからかうことを生活の一部として楽しんでいる功司は、いつものように私が拗ねるとわかっていることを言っては面白がっている。


「やな男って、褒め言葉か?」


 なんて言いながらコーヒーを飲む姿は悔しすぎるほど整っていて、組まれた足の長さと小さな顔も相まってモデルのようだ。

 カフェの中にいる女性たちの視線からハートがいくつも飛んできて、露骨すぎるほどの注目を浴びている。

 あ、広いお店の端に立っている店員さんだって功司を見てる。

 仕事しなさいよ仕事。

 本当、功司の見た目に騙されてるって大声で言いたい。

 功司の見た目の良さは認めるけど、この男の腹黒さと言えば折り紙つき。

 自分が望むものを望むように手に入れるまでは、絶対に手を抜かないし作り笑顔という最強の武器を使って人生を楽しーく生きている。

 高校時代からその兆候はあったけど、弁護士先生となった今では、見た目の良さだけでなく財力だって身につけて、無敵の男になってしまった。


「まあ、信吾だって、苦労して医者になったんだ、開業医になりたいと思わなくもないだろう。サラリーマン家庭に生まれたあいつが自分の力だけで開業できる可能性なんて低いんだから」

「なにその言い方。まるで信吾が亜季の実家の力に惹かれて結婚したみたいじゃない」

「ムキになるなよ。ほんと、信吾のことになると熱くなるんだから、おもしれー」


 おもしれー、なんて言いながら、私に体を寄せてよしよしと頭を撫でる。

 テーブル越しだとはいえ、その近すぎる距離感に照れくさくなる。

 それに、私を見つめる目だって、甘すぎだ。


「まあ、信吾は百花にとっては大切なおさななじみ。それも、自分の親友が心から愛している旦那様。行く末が気になってもおかしくはないよな?」


 嘘くさい笑顔を作って私の顔を覗き込む功司の額をペチンと手のひらで叩いた。

 すると、功司は叩いた私の手をあっという間につかみ、額を私の額にごつんと合わせる。


「いたっ。何するのよ」

「手で叩かれるより、額でごつんとやられた方が楽しいだろ?」

「……ばか?」

「ん?それも誉め言葉か?」


 面白そうに笑い、「ほんと、百花は飽きないねー」と呟く功司にため息をついた。


 もう、何も言わないでおこう、こんな能天気な男は放っておこうと決めて、目の前のショートケーキを食べる。

 甘いものが大好きな私。

 特にショートケーキには目がなくて、どんなお店に入っても、メニューにショートケーキがあれば迷わず注文している。

 ふわりとくちどけのいい生クリームにすっぽりと埋まっている苺の輝きに見とれながら。


「いただきまーす」


 小声で呟き、口に入れる。

 その甘酸っぱさに笑いが抑えられない。

 ケーキの上に一つだけ乗っている、まるまる苺。

 まず最初に食べるのがわたし流。

 美味しい物は一番最後にとっておく人も多いけれど、私は真っ先に食べる。

 大好物は、必ず最初に食べておく。

 そうでなければ誰かに取られて後悔することだってあるんだから。


「その苺、俺も狙ってたのに」

「ふふん、残念でしたー」


 目の前の功司のように、ケーキも苺も大好きだというようなオトコに狙われて、かっさらわれる可能性があるんだから、まず最初に食べておく。

 そして、あとはのんびりとスポンジのふわふわ感やお皿にデコレートされているベリーソースの味を堪能。


「おいしい」


 思わず口にしながら食べる私を見て、功司が苦笑しているけれど、どうでもいいんだ。

 とにかくおいしいんだから。


「本当、ショートケーキを食べてる百花ってかわいいな」

「な、何よ」

「ショートケーキを追い求めるみたいに、信吾にも全力でぶつかれば良かったのに。

 そっち関係は本当にへたれだったよな」

「むむっ」

「怒るなよ。本当のことだろ?百花がおさななじみへの不毛な思いに右往左往している間に、亜季にかっさらわれたんだろ?」

「かっさらわれたって……まあ、そうだけど」


 確かにそうだけど。

 今更私の負の歴史を言い出さなくてもいいのに。

 幼稚園の頃から、近所に住んでいた信吾が大好きで、いつかはお嫁さんにしてもらおうと夢みていた私の思いに信吾が気づくこともなく。


『お互いに一目ぼれだったらしくて……』


 そう言いながら信吾と亜季がふたり揃って我が家を訪ねてきた高校一年の夏休み。

 照れながらもしっかりと繋がれた二人の手を目の前にして、私は「そ、それはおめでとう」としか言えなかった。

 あの時、他にどう言えば良かったというんだ。

 私が信吾を思って生きてきた長ーい時間をひとっとび、亜季は魔法でも使ったのではないかというほどの早業で信吾を手に入れた。

 ここでいう魔法というのはきっと、亜季の純粋すぎる恋心が信吾の心の琴線を震わせたというものなんだけど。

 反対に、私のしぶとかった恋心は誰に伝えることもできないまま厳重に封印され、心の奥ふかーい所に隔離。

 二度と戻ってこないで、と強がり全開で消し去った思いに、何故か功司だけは気付いていた。


 同じ小学校と中学校を卒業した私と信吾は、高校でも奇跡的に同じクラスだった。

 その頃信吾への恋心をはっきりと自覚していた私は、一人でかなり盛り上がっていた。

 幼稚園の頃からずっと一緒にいて、お互いの人生には欠かせない存在。

 やっぱり、私と信吾は一緒に生きていく運命なんだと密かに納得し、近いうちに告白でもしてみようか。

 ドキドキしながら考えていた。

 おさななじみから恋人に昇格して、いっそ学生結婚でもいいかあ、なんて夢みてはぐふふと笑っていた。

 そんな私の不気味な様子を生温い目で見ていたのが功司だった。

 独りよがりな妄想に浸り、乙女な脳内で日々を過ごしていた私は、今思い返してもかなり痛い女の子だったな……。

 そんな私に気づくことなく楽しい高校生活を送っていた信吾は、同じクラスの亜季と急速にその距離を縮め。

 まさに飛ぶ鳥を落とす勢いというか、亜季以外は何も目に入らないとでもいうような、周囲にはばればれの恋愛モードを露わに見せ。


『亜季が大好きだ』


 と私の知らぬ間に告白なんてことをやってのけた。

 そして、高校入学以来、同じクラスで妙に気が合い仲良くしていた功司は信吾の気持ちを知っていて、亜季とうまくいくように後押しもしていたと。

 落ち込みに落ち込んだ夏休みを経て迎えた二学期の始業式に、功司本人から聞かされた。


『だって、信吾と亜季なんて誰がどう見ても両想いのバカップルだったし。気づいてなかったのは百花くらいのもんだぞ』


 私の気持ちもとっくに気付いていたと言って、そして。


『まあ、他にもいい男はいるさ』


 よしよし、と頭を撫でてくれた。

 私の気持ちを知りつつ信吾と亜季の仲を応援していた心苦しさもあったのかもしれないけれど、私を優しく見つめて温かさを注いでくれる功司の胸に飛び込んで、大泣きした。

 それはもう、功司の制服の白いシャツが私の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになるほどに、泣いた。

 それでも功司は文句ひとつ言うことなくて。


『おいしいショートケーキ、おごってやるから元気出せ』


 男前な言葉で私の涙を止めてくれた。

 そして、当然のように私は功司にショートケーキをおごってもらい、信吾への気持ちの整理をつけようと、前向きに考えるようになった。


 一方、付き合い始めた信吾と亜季は、順調に交際を続け、先月結婚した。

 亜季の実家は内科を開業していて、亜季がお医者さんになるか、お医者さんと結婚して跡を継ぐと決められていたことを理由に、信吾は迷わず医学部に進学した。

 亜季は、それなら私は、と彼女もまた迷わず看護師となり、いずれは夫婦で病院を経営していくこととなる。

 ……らしい。

 まあ、信吾のお母さんも信吾のことが大好きだから、息子を嫁の実家に取られるような事を心から受け入れてはいないけれど、そうなるに違いないと思う。

 功司が言うように、サラリーマン家庭に生まれた信吾には、この先自分の力だけで開業医になる可能性なんて低いだろうしね。

 結局は、信吾は愛する人と素敵な未来、両方を手に入れた幸せ者だってことだ。

 高校時代から付き合いを続けて12年。

 二人の想いは結婚という形で一つ目のゴールを通過。

 そして昨日『ハワイ、良かったよー』という亜季からの電話により、ハネムーンも完了したと報告を受信。

 高校時代から二人を見てきた私と功司もほっと一息ついた。


 高校を卒業しても、私達4人は付き合いを続け、今でも飲みに出かけたり旅行に行くこともある。

 これまでの楽しい日々の幾つかを思い返しながら、手元に残っていたショートケーキを食べる。

 既に苺を食べ終えて見た目は生クリームに覆われた真っ白な物体だけど、その中にはスライスされた苺がたっぷり隠れていた。

 その事に気づいて、自然と口角も上がり急いで食べる。

 目の前にいる工事が私のそんな様子に苦笑しているのはわかっているけれど、大好きなんだから仕方がない。

 一番大きな苺はとっくに食べたから、とられる心配もなく安心だし、あとは残りのケーキ本体を味わうのみ。


 ケーキをあっという間にたいらげて、「おいしかったー」と呟き椅子の背に体を預けていると、意味ありげな声で功司が呟いた。


「もう、人に取られたくないもんな。……イ・チ・ゴ」


 テーブルに頬杖をついたまま見上げる視線はあまりにも色気がありすぎて、絶対に自分の魅力を自覚しているとわかる角度で私を射る。


「うわっ。お金取れそう」


 その瞳の揺らめきに、何人の女の子がきゅん痛みを覚えて胸をおさえただろう。

 功司の見た目の麗しさに心酔している女の子は私の周りに何人もいるし、きっと写真に撮っておけばかなり稼げる。

 きっと、一杯1000円以上もするコーヒーを余裕で何杯も飲めるほどには私の財布にも厚みが生まれるはずだ。

 それに、たとえお金を払って手に入れたとしても、功司の写真なら買った女の子も幸せになるだろうし。

 うん、かなりいい考えだな。


「ねえ、功司……」

「却下」

「え?私、まだ何も言ってないし」

「俺の写真を売ってうまいもん食おうなんて甘いんだよ」

「ぐぐっ……。むー」


 あまりにも正確に私の企みを読み取った功司に悔しさの唸り声を進呈しながらも、やっぱりこの男は自分の見た目の良さを自覚しているんだと実感する。

 そして、私の心の声を読み取る才能に満ち溢れている功司に「あっぱれだなあ」と密かに誉め言葉を綴ってみる。

 功司とは高校一年の時は同じクラスだったけれど、二年生と三年生の時にはクラスが離れてしまった。

 ずっと私の側にいた功司と違うクラスになってしまったと知って、同じようにクラスが分かれてしまった信吾のことよりもずーっとずーっと悲しいなあ、嫌だなあと思う自分に気づいた。

 これからは授業中に功司が居眠りしている子供みたいな顔を見たり、女の子に囲まれてにやけた顔で「どうだ、俺すごいだろ」と自慢げに視線を向けてきた時にあっかんべーをしたり、そしてそして。

 お昼休みに一緒にお弁当を食べることもないのかも、と考えて、体がずーんと重くなった。

 クラス分けが発表されて各々新しい教室に向かう時、私は一緒のクラスになった亜季が言葉を失うほどの大泣きをした。

 ぐすんぐすん、なんていうかわいらしいものではなく、「ぐおー、うぉーん」と獣が雄たけびをあげるようなお腹に響く泣き声は、今でも年に一度の同窓会でのネタになっている。

 同窓会で酔った私もその時の再現とばかりにのりのりで雄たけびをあげ、そして翌朝後悔してるんだけど。


 高二の春、功司とクラスが離れたことが悲しくてただ大声で泣いていた私。

 その理由なんて誰にもわからなかったはずなのに、いつの間にか私の傍らにいた功司にはやっぱりお見通しだった。

 さすがだ。


『俺とクラスが分かれて泣くなら、もっと俺好みに泣いてくれよ』


 涙でぐっちゃぐっちゃの私の顔を覗き込み、笑いをこらえながらそう言った功司。


『俺好みってどんなの?』


 功司の言葉の意味がわからなくて、ひくひくと肩を上下させながら必死で聞いてみた私。

 きっとあの時は、功司の側から離れたくなくて、功司のブレザーの裾をぐっと掴んでいたような気がする。

 あまりにも切羽詰まった形相だったはずの私に、功司は余裕を感じさせる視線を向けた。


『俺の胸で泣きながら、『功司、離れたくない』って言ってみ?』


 私の頭をゆるゆると撫でながら、そして、もう片方の手でごしごしと私の頬の涙を拭きながら。

 功司は女の子なら誰もがどきゅん、と気を失ってしまいそうな笑顔でそうささやいた。

 きっと、私はあの時、功司にとっ捕まったんだろう。

 功司が言った言葉の意味を深く考えることなく、ただ「功司が側にいなきゃ寂しいよー」という思いだけに囚われておかしくなったのかもしれない。

 だから、するりと開いた私の口を突いて出たのは。


『功司とずっとずっと離れたくないよー』


 見事、周囲の皆々様の耳にお届けできるほどの大きな声。

 恥ずかしげもなく数回それを繰り返し、功司の胸にぱふん、と飛び込んだ私のこと、周囲の皆々様は半径5メートルくらいの距離をとりながら見ていた。

 自分の胸に飛び込んできた私を、功司は優しく包み込み、相変わらず飄々とした様子のまま満足げに頷いた。


『ん、上出来上出来』


 ぎゅぎゅっと功司の胸に張りついたまま動こうとしない私を無理矢理離そうともせず、嬉しそうな声でそう呟く功司を見上げると、ただでさえ格好いい顔が、一層格好良く見えて。

 どきどきする鼓動と功司を独り占めしたいという思いに満ちた私はそれが苦しくて仕方がなかった。


『好きになっちゃったよ。ちきしょー』


 思わず悔しがる私とは逆に、功司は淡々と私の背中を撫でながら。


『ようやく、俺の魅力に陥落したな。偉い偉い』

『ようやくってどういうこと?』

『そのままだけど?俺、入学式の時に百花を見てからずっと百花に惚れてるんだけど』

『うそっ』

『まあな。俺みたいに容姿端麗成績優秀なオトコが百花みたいにどこかずれてる、それでいて憎めない女の子を好きになるなんて、想定外だよな』

『それ、褒めてない』

『褒めてないし。だけど、結局俺は百花に惚れてしまった物好きなオトコで、百花を手に入れたいと願いながらそのタイミングを虎視眈々と狙っていたってこと。ほんと、お前って幸せ者だな』

『ん……?なんか変だけど。要するに功司も私のことが好きってことだよね?』

『そうそう。惚れてる惚れてる』


 あまりに軽すぎるテンポで言葉が返されて、「それはどうも、さんきゅー」と思わず口にした私。

 一瞬驚いたような目をして私を見つめた功司だけど、変わらず私の頭を優しく撫でてくれた。

 私と功司のやりとりに、半径5メートル向こう側にいる大勢のギャラリーの皆々様が、お腹を抱えて笑い出したのに気づいたけれど、そんなことはどうでも良かった。

 いつの間にか功司を好きになって、そのことに気づいた途端に告白なんてしてしまったけれど。

 そのことを当然のことのように受け止めてくれた功司の言葉の方がすごく大切で嬉しかった。

 信吾への長い初恋に撃沈し、自分の未来は真っ暗に違いないと、根拠のない自信と思い込みとともに半年以上を過ごした。

 そんな悲劇のヒロインちゃんを演じながらも休むことなく登校し、気づけば信吾とも亜季とも馬鹿笑いをしながら『また明日ね~』なんて言いながら手を振って。

 学校って楽しいなあとスキップしながら下校していた私。

 信吾への気持ちに心をぶるぶると震わせることもなく、亜季といちゃいちゃ~としているのを目の前にしてもちっとも心は苦しくなくて。

『百花、おいで』

 そう言っては私を傍らに置いてくれた功司との距離も近すぎるほどのものに変化した。

 信吾への思いを封印した私につけこんで、私の中のぽっかり空いた場所に一気に攻め入った功司の作戦だったと、後々聞かされたけれど。

『百花、おいで』

 と後光が差しているような眩い笑顔を向けられれば、私はいちころ。

 尻尾を振って飼い主に駆け寄る子犬のように、私は功司の側でくんくん頬ずりしていた。

 だから、『功司とずっとずっと離れたくないよー』と涙と共に懇願したのは多分。

 捨てられるのが嫌で、必死で飼い主にまとわりつく子犬ちゃんの気持ちと同じ。

 それは、私が功司から離れたくないという単純な思いからつながる恋心を、ようやく自覚した瞬間だった。


「俺も、ショートケーキ頼もうかなあ」


 ぼんやり、うとうとしそうな時を、過去の照れくさい思い出と感情と一緒にさまよっていた私は、ふっと目を開ける。

 目の前でメニューを見ながら迷っている功司の呟きによって、過去よりも百倍幸せな今に呼び戻された。

 高校の時よりも今の方が格好いいな。

 ぐふぐふ、と漏れそうになる声をどうにか我慢し、それでも目の前の功司から目が離せない。

 私のだもんね。


「まだ時間あるよな?俺も、苺を食べておこうかな」


 私に言ったのか、それとも独り言だったのかわからなくて黙っている私に関知することもなく、功司は店員さんに『ショートケーキとコーヒーのおかわりをお願いします』と注文した。

 遠くから功司を見つめ続けていた店員さん、もちろん女性。

 顔を真っ赤にして注文を受けると、功司の前でぼーっとしている私にちらりと視線を向けながら背を向けた。

 いいんだけどね、まあ、慣れてるし。

 功司のような見た目抜群の男の側にいると、不要な嫉妬にさらされて心はばきばき折れそうになるけれど。

 骨は折れると強くなるのと同様、私の心はダイヤモンド以上の強いものに進化した。

 それは功司の周りに次々現れる女の子の意地悪な感情に傷つかないための強い心。

 何年もかけて進化した強い心を確認しながら、ほんの一瞬だけ、功司を気にしていた店員さんをちらり、見た。

 見たというよりも、にらんだかもしれないな。


「そんな顔しても、かわいいだけだぞ?」

「かわいいのはいつもだもん」

「だな。俺はかわいくない百花を見たことないもんな」

「でしょ?」

「ああ。そのかわいい顔は俺だけに見せればいいから、無駄にふりまくな」

「……らじゃ」


 へへっと、笑う私の頭をよしよしと何度か撫でてくれた功司は、ふと思いついたようににやりと笑った。


「苺は俺のだからな」

「……わかってるもん」

「さっき、百花はいつもと同じように真っ先に苺を食べたから、やっぱり俺もいつもと同じように、真っ先に苺を食べるから」

「うん、食べて食べて」

「本当に欲しいものは、人に取られないように真っ先に手に入れないとだめだからな。

 ショートケーキに乗っているまるまる苺は何がなんでも真っ先に食べる。だな?」

「もっちろん」


 今もダイヤモンドのような強い心を呼び出して、たくましい自分に変身しようとしたけれど、そんな私の心なんて功司にはお見通し。

 功司に気のある素振りを見せる女の子たちに向ける私の切なさを一瞬にして砕いてくれるのも功司本人だ。

 人を羨んだり、嫉妬したり、できれば見せたくない後ろ向きな黒い感情も、功司は『かわいい、かわいい』と受け止めてくれるし、独り占めしたいと真面目に言ってくれる。


「私のこと、本当に好きなんだね」


 うぬぼれでもいいもんね、功司は私のことが一番好きだもんね。

 頬杖をついて上目使いなんていうあらわざを使ってみると、予想通りの言葉が返ってくる。


「そうだな。百花が俺のことを好きなのと同じくらい好きだぞ。だから、苺は真っ先に食べるんだろ?」

「うんっ。苺な私たち、だもんね」

「そうそう」


 顔を見合わせてくすくす笑っていると、相変わらず功司を意識しているのがまるわかりの店員さんがショートケーキを持ってきてくれた。

 功司の前にそっとケーキを置きながら、何度も功司の顔に視線を投げる……器用だなあ。

 感心しながらケーキを見ると、さっき私が食べたのと同じもの。

 なのに、ベリーソースが私のよりもたくさんデコレイトされていると思うのは気のせいじゃないと思う。

 ちらりと功司を見ると、功司も同じことを考えていたのか、肩をすくめて笑っている。

 男前って、得だな。


 店員さんが名残惜しそうに立ち去った後、わくわく期待する私に応えるように、真っ先に苺を口にした功司。

 口に入れた瞬間、満足げな笑みを浮かべ、私にアイコンタクト。


『百花を誰にも取られないぞ、逃がさないぞ』


 とその目はおっしゃっている。

 でへへ、という何とも色気のない笑い声をあげた私に、嬉しそうに大きな笑顔をを作った功司。


「ん。これで俺たちの幸せは確定だな。で、これ食べたら幸せづくりの打ち合わせだな。

 何といっても今日は衣装を試着できるんだから楽しみだな」

「そうだね。功司のタキシード姿、想像するだけでにやけちゃうよ~」

「俺の衣装より、百花のドレス一式だろ?白いのと赤いのだっけ?ほんと、ショートケーキが好きだな」

「だってさあ。やっぱりショートケーキでしょ?」

「確かに、俺たちの大好物だもんな」


 私に負けないほどの甘党を自称する功司は、目の前のケーキをぱくりと平らげると、満足げに一息つき、コーヒーも飲みほして席を立った。

 時計を見れば、約束の時間15分前だ。

 んー、武者震い?いや、違う違う、緊張?それも違うんだけど。

 レジへと向かう功司の後をついて歩きながら、力が入らず震えを感じる足に気づいた。

 7センチほどのピンヒールが、カーペットに絡まって歩きにくい。

 でもきっと、この震えは別の理由からくるものに違いない。

 嬉しすぎる時にも、人間は震えるのかなあ。

 そう言えば、功司に告白をした後も足元が震えて教室までたどり着くのが大変だったな。

 あの時はたとえクラスが分かれても隣にいられる権利を獲得できた嬉しさでいっぱいになって、歩けなくなったんだ。

 功司にもらった最高の幸せの重みに耐えながら歩くのは大変だった。

 そんな過去を振り返れば、今私の足がプルプル震えているのもきっと、幸せすぎて仕方がないからだ。

 そうに違いない。


 だって。


「百花、おいで」


 なかなか功司に追いつかない私に振り向いて、とてつもなく破壊力のある笑顔と共に手を差し出してくれる功司。

 その手に向かう私は手なずけられた子犬がご主人様が餌をくれそうだからきゃんきゃんと叫びながら駆け寄る姿そのものだし。

 幸せなんだ、すごく。


 カフェを出て、手をつないでエレベーターに乗り込んだ。

 18階「ウェディングサロン」を目指していざ上昇。


「苺、甘くておいしかったね」

「ああ、この季節はうまいよな、やっぱり」

「だねー。それに、縁起よく苺を真っ先に食べたから、ご利益があるに違いないよ」

「……くくっ。そうだな、きっといいことが目白押しで困るんじゃないか?」


 なんだか私の言葉を軽くあしらわれたような気がするけど、まあ、いっか。

 今日は大安だし、天気もいいし、功司は私がプレゼントした薄手のジャケットを着ているし。

 嬉しいことばかりだから、いいんだ。


 それに、二人で苺食べたしね。

 ふふふっ。

 私と功司が初めて一緒にショートケーキを食べたのは付き合いだしてすぐの頃だ。

 その時、


『大切なものは、他人にかっさらわれないように真っ先に手に入れないとな』


 そう言って、ショートケーキの上の苺を一口で食べた功司につられて、私も真っ先に食べた。

 それまでの私は、最後まで苺をとっておいて、まずはスポンジ部分を食べていた。

 大好きな苺は最後の最後にゆーっくりと味わって食べることが多いんだけどな。

 二人でケーキを食べ終わったあと、そう言って笑う私に。


『だから、信吾を亜季にかっさらわれるんだよ』


 それまで聞いた中で一番真面目で低い声で言った。

 功司といえば、いつも笑っていて、何が起きても「おもしれー」と受け流す余裕に満ちた男。

 怒ったり、人を羨んだりする感情が欠如しているんじゃないかと思ったこともあるけれど、私は『あ、まずい』と思い、その場から逃げ出そうとしたくらいその時の功司はクールだった。

 けれど、私に涼しげな視線を送る功司も素敵だあと、ぽわん、となったことは今も言っていない。


 結局、大切なものを大切にし過ぎて、タイミングをはかっている間に大切なものはするするっと逃げ出したり、突然登場した『ヒロインちゃん』にかっさらわれることもある。

 そんなことがあったら悔しすぎる。

 というわけで、大切なものはとっとと手に入れろ、そういうことらしい。

 私が信吾への気持ちを温め過ぎて、蒸発しそうになるまで抱え込んでいる間に、亜季という新しい登場人物に信吾はするりと持っていかれた。

 それはショートケーキの苺にも似て、人生の教訓そのものだ、と難しい顔で語っていた功司の言葉全てを理解できたわけじゃなかったけれど。

 何を言っても格好いいなあと、胸をときめかせていたこと、これも功司には内緒だ。


 結論、ショートケーキの上のまるまる苺は、真っ先に食べなきゃいけないってこと。


 ポーン。


 エレベーターが止まり、扉が開く。

 功司と手をつないでブライダルサロンに向かう私の足はもう震えていない。

 大切なもの、功司のことだけど、手に入れるために踏ん張らなくてはいけないのだ。

 衣装合わせだって、招待客のリスト作りだってなんだって、功司との結婚式のために、頑張ってみせようじゃないか。

 そう、私は功司にとっての苺ちゃんなのだから。

 功司が真っ先に食べて、自分のものにしちゃった苺ちゃん。

 そして、功司は私の苺くんだから。

 功司を誰にもとられないように、真っ先にその胸に飛び込んだ。

 あの日、私が功司に告白しながら号泣して、その胸をぐっちゃぐっちゃに濡らしてからずーっと、お互いがお互いの苺なのだ。


「あ、披露宴の料理、デザートはやっぱりショートケーキだよな?」

「もちろんっ」


 私と功司は顔を見合わせて大きく笑う。


 新郎と新婦も、ショートケーキ、食べることはできるのかな?

 当日目の前に置かれたら、たとえ主賓の挨拶の途中でも、まっさきに苺を食べてしまいそうだな。

 うーん、それって、どうなんだろう、やっぱりまずいかな。


 そんな事を考えている私の脳内は筒抜けだったのか、功司がにやりと口元を上げた。


「俺も、真っ先に食べるから、安心しろ」


 やっぱり、私の苺くんは、素敵なのだ。



【完】



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[一言] こんにちは。 読後感の気持ちよさに、しばしの間、呆けておりました。 素敵な物語をありがとうございました。
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