第八話 アンデッドの弱点
人の手があり得ない長さまで伸びる。
ゴム人間が主人公のアニメとかがあるので、これを二次元の絵として見たことがある人は多いと思う。だが実際に、三次元のものとして見てみると……その異様さは想像を絶していた。生理的嫌悪感、とでも言えばいいのだろうか。見ているだけで、胸を掻き毟りたくなるような不快な気分がしてくる。俺はとっさに、自分の肩を掴んでいる七瀬の腕を思い切り振り払う。伸びすぎた腕は、バンっと床に叩きつけられた。そして勢いよく縮み始めると、そのままスルスルと寝間着の袖口へと吸い込まれていった。
「貴様、何者だ!?」
カバンから木刀を抜き、叫ぶ小夜。その問いかけに七瀬は、ニタァっといやらしい笑みを浮かべた。魔性。まさに総称するのがふさわしい表情だ。
「知る必要はない。お前たちはここで俺の餌になるんだ!」
そう言うと同時に、七瀬の背中がくの字に曲がって盛り上がった。白い寝間着が裂け、その中から巨大な黒い骨格のような物が出てくる。全身の筋肉がそれに従って変形し、金属のような光沢を帯びた。皮膚はいつのまにかそれらの中に取り込まれ、その姿を失う。やがて現れたのは、骨格標本のお化けのような巨人だった。ファンタジーゲームでよく見られるモンスター、スケルトン。あれを漆黒に染めて、大きさを二回りほど大きくしたような感じだ。そのあまりの迫力に、俺はただ黙って息を飲むことしかできない。
「タクト、お前は下がっていろ! 私が何とかする!」
「バカッ! いくらお前でもこんなの無理だろ!」
「ふん、前に戦ったヒグマに比べれば、こんな骨ぐらい雑魚だ!!」
瞬間、小夜の身体が跳んだ。木刀が横に一閃。それに遅れてビョウッ、と鈍い風切り音が響く。あまりにも早い一撃。動きに追い付けなかった七瀬は、その攻撃をまともに食らった。背骨が腰のあたりで大きく曲がり、巨大な足がたたらを踏む。彼は赤い輝きを放つ眼を小夜の方に向けると、おぞましい声を上げた。
「良い動きだ! それにその木刀、ただの木刀ではないな?」
「ああ、霊刀秋雨とか言っていたな」
「霊刀か、それは厄介な物を。まあ良いわ、まとめて嬲り殺しにしてやる!」
七瀬はどこからか巨大な鎌を取り出すと、それを手に構えた。直後、一瞬のうちに振るわれた鎌と木刀が激しく火花を散らす。鉄と木材。普通に戦えば勝負は見えているが、さすがは霊刀。見るからに切れ味の鋭い鎌を相手にしても、互角以上だ。すぐさま斬り合いが始まり、激しい剣劇の音が響く。
「ヤバいな、小夜の体力が少しずつ減ってる……!」
しばらくして小夜のステータスを覗いた俺は、思わず声を上げた。平常時は90あるはずの小夜の体力が、すでに70にまで減少している。さすがの神凪流剣士と言えど、全力での動きは数分が限界なのだろう。このステータスの体力が、いわゆるゲーム一般でのスタミナに該当するのであれば、0になれば動けなくなる。そうなれば負けだ。一方で、七瀬の方は体力がほぼ減少していない。体力の減り方には個人差――いや、この場合は種族差か――があるらしい。
クソ、どうすればいいんだ。どうすればあいつを行動不能にできるんだ――?
俺は両者のステータスを見比べながら、必死に頭を捻った。普通ならば、体力が減らなければHPを減らしてしまえばいい。だがあいつのHPは0だ。マイナスという概念は無いようだから、それ以上はどうやっても減らせない。こうなったら、騒ぎになるのを承知で助けを求めるしかないか……? そう思って扉を開くと、そこには異様な世界が広がっていた。視界に飛び込む全ての物が色を失い、白黒となっているのだ。
「無駄だ! この病院には一時的に結界を張らせてもらった。助けを求めることはできんぞ!」
「チッ!!」
動揺する俺に対して高らかに言い放った七瀬。それに俺は貯まらず舌打ちをした。そうしている間にも、戦闘を続けている小夜は限界に近付いている。何とか、何とかしなければ――思いだけが加速していく。チクショウ、HP0のアンデッドって、どうすれば倒せるんだ? 聖水、魔法……俺は脳内にある記憶の引き出しを、滅多やたらにひっかきまわすが、良い手掛かりは見つからない。そうしているうちに、限界の近づいた小夜が絶叫する。
「もういい、逃げろ! お前だけでも助かれ!」
「バカッ!! 最後まであきらめるな! こんな三流ゲームのボスみたいな奴、俺が攻略してやる! ……んッ?」
――俺はふと、ゲームにおけるアンデッドの特性を思い出した。こいつもアンデッドなら、もしかすると回復する薬のような物が弱点かもしれない。そう思った俺は、七瀬がもと居たベッドの脇を見た。するとそこには、点滴のパックが先ほどまでと変わらない様子で存在していた。設置されている場所からして、腕を伸ばした時に無理やり管を引っ張ったはずなのだが、中身が漏れたりしている様子はない。これは、最初から刺していなかったということだろうか。
そこで俺は、以前入院した時に点滴で薬を打ってもらったことを思い出した。ゲーム的に考えれば、点滴は如何にも回復アイテムらしく、アンデッドに何となく効きそうではある。怪我をした七瀬の点滴にも抗生剤などの薬が入っていて、彼がそれを避けて点滴を刺していなかったのだとすれば……!
「小夜、そいつの動きを一時的に止められるか!?」
「できる! できるが、持って十秒だ!」
「それでいい、頼む!」
「わかった! ……天流一式ッ!!」
にわかに小夜の身体が大きくなった。全身のリミットが外され、一時的に筋肉が膨張しているのだ。その刹那、彼女の身体が爆発的な勢いで飛び出し、一閃。木刀が鎌を弾き飛ばし、七瀬の骨格を強かに打ちつけた。黒い巨体は床を滑るように飛び、病室の壁へと叩きつけられる。頑強な壁にクレーターができ、それにめり込んだ七瀬はにわかに動きが取れなくなる。
「おのれエ……!」
「行くぞ、小夜! こっちだ!」
「逃げるのか!?」
「違う! 良いから早く来てくれ!」
小夜を連れて扉の外に出ると、俺は急いで看護師の姿を捜した。彼女たちならば点滴を持っている可能性が非常に高いからだ。すると、通路をまっすぐに行った先に身体を石化させた若い看護師が居た。しかも運が良いことに、点滴のパックを台車で大量に運んでいる途中だ。俺は動きを止めている彼女に軽く会釈をすると、それをグッと握りしめる。細かい薬の名前までは分からないが、数を打てばそのうち有用な成分の入った物もあるだろう。今は賭けるしかない!
「よし、これをあいつにぶつけるぞ!」
「お、おい……それ点滴じゃないか!?」
「そうだ! 点滴の中には薬が入ってる奴もあって、もしかしたらそれが効くかもしれない!」
「根拠は!?」
「ほとんどない、強いて言うならゲーム! だけど何もやらないわけにはいかないだろ! ……来たぞ!」
あまり大きくはない病室の扉から、奴の巨体が這い出してきた。俺たちはその頭に狙いを定めると、台車に置かれている点滴のパックを手当たり次第にぶん投げる。透明なパックは次々と奴の体に直撃し、弾けた。中に入っていた薬液が飛び散り、たちまちのうちに水溜りができる。そしてあるパックをぶつけた時、白い煙のような物が上がり始めた。どうやら有効成分の入っている物を引き当てたようだ。
「ウオオォッ!?」
「効いてる! めちゃくちゃ効いてるぞ!」
「やっぱりな! もっとだ、もっと投げるぞ!」
こうして点滴のパックを投げ続けること数十秒。台車に大量に積まれていたパックも、いよいよ底をついた。その中には何個か当たりがあり、かなりのダメージを与えることが出来たようだ。すでに七瀬は雄叫びをあげることすらせず、沈黙している。やったか……? 俺と小夜は、恐る恐る七瀬の様子を確認するため病室の方へと歩み寄って行った。だがその時――。
「グアアァ!! 許さん! その魂の力、今すぐ喰らってやるわ!」
「しまった――!」
一瞬の隙を突いて、七瀬の鎌が小夜の身体を斬った――いや、通り抜けたと言うべきか? 紫の輝きを帯びた刃が、彼女の身体をすうっと煙のように抜けて行ったのだ。まさか、身体は斬らずに魂だけを斬るとか、そういうヤバいことをやったのか……!? 俺は慌てて小夜の顔を覗き込んだが、今のところ変化はない。生気が消えているとか唇が紫になっているとか、そういう兆候は全く無かった。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ……何も」
「バカな……! こやつほどの腕ならば、間違いなく魂力を貯め込んでいるはずなのに! なぜ、なぜ力が流れてこない!?」
平然としている小夜の一方で、動揺した声を上げる七瀬。その様子はいつになく慌てふためいていた。何の事だかわからないが、とにかく小夜は助かったようだ。俺たちはこの隙に再び七瀬から距離を取ると、体勢を立て直す。だが頼みの綱の点滴に耐えられた以上、打つ手はもうない。状況は絶望的だ……!
そう思った時だった。どこからか、聞き覚えのある高い声が響いてくる。
「破ァ!!!!!!」
その直後、何か青白い光が七瀬の半身を吹き飛ばした――。
始めてのバトル回です。
上手く書けたのか、我ながら少し不安であります。
なので感想やメッセージなどを頂けると、作者としては非常にありがたいです。
※点滴について少し修正しました。