第六十七話 鬼?
本選の会場となっている市立運動場。その周辺はすでに、早朝だと言うのに異様な熱気で満たされていた。人出を見込んだ的屋や各選手の応援団が、本選に備えていろいろと準備をしている。あちこちにしかれたブルーシートの上でせわしく作業をする人々の姿は、まさに祭と言った雰囲気だ。走って通り過ぎて行くだけで、何となく気分が高揚してくる。
「いよいよって感じだな」
「ああ。昨日とは緊張感が違う」
やがて視界を占める巨大なグラウンド。流線形を描く白い曲線が、空の半分を埋めた。そのガラス張りの入口へと通じる階段の上に、人影がいくつか見えてくる。先輩たちだ。俺たちが彼女たちを見つけると同時に、彼女たちの方も俺たちに気づいたらしく、盛んに手を振ってくる。俺と小夜はそんな先輩たちに笑いながら手を振り返すと、すぐさま階段を駆け上がった。
「おはようございます! 天気が晴れて良かったですね。てるてる坊主、一杯作った甲斐がありましたよ!」
にっこりと笑いながら、お手製のてるてる坊主を取り出す竹田さん。顔の部分に渦巻きのようなマークが描かれ、胴体にお札が貼られたそれは、何とも形容しがたい不気味さがあった。二○世紀少年のト○ダチと言えば分かりやすいだろうか。あれを小さくして、身体をデフォルメしたような造形である。
竹田さんの隣に立っていた白泉先輩は、それを見た途端に呆れたように噴出してしまった。
「そんなの用意しなくたって、今日は晴れ。降水確率0%っていってたぜ」
「わかってますよ。ただ、ちょっと眠れなくって……」
そう言うと、ふああっと大あくびをする竹田さん。少し寝不足気味のようだ。朝からどことなく疲れたような雰囲気を見せる彼女に、小夜はやれやれと肩をすくめる。
「まったく、情けない。朝からこんなことでどうするんだ。一回戦で脱落しても知らないぞ?」
「失礼な! いくら私でも、一回戦で脱落はしませんよ! 塾頭の方こそ、昨日は結構苦戦したみたいですね。大丈夫です?」
「ふん、私はゆっくり休んだからな。体調は万全、問題ない!」
腰に手を当て、大きく胸を張る小夜。豊かな膨らみが弾み、楕円を描く。それを見た竹田さんは、張り合うようにして胸を前に突き出した。けれど、彼女は小夜ほどは大きくないので、あまり揺れない。小夜をぶわんと表現するなら、ぷるって感じだ。それがどうにも悔しいのか、頬が赤くなる。
「む……! し、試合では負けませんからね! じゃあ!」
「あ、おい!」
竹田さんはプイッとそっぽを向くと、そのまま歩き去ってしまった。その場に取り残された俺たちは、互いに顔を見合わせる。
「どうする? 放っておいていいのか?」
「まあ、竹田もあれできっちりしてるところはきっちりしてるからな。心配はないだろう」
「竹田さんが一人って、何か嫌な予感がするんだけどな……」
「心配すんなって、大丈夫だろうぜ。それより、竜前寺は自分のことを心配しようや」
そういうと、からかうような眼で俺を見てくる白泉先輩。彼女は俺の耳元に顔を寄せてくると、甘ったるい声でそっとささやく。
「言っとくけど、本選の出場者はあたしも含めて美少女ばっかりだぜ。桂上ってやつも、結構な美少女らしいって話だ」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ。夕べ、たまたまこの辺りを通ったダチがそいつをナンパしたらしくってさ。ま、その場で撃退されちまったらしいけどよ」
「へえ……」
「そいつが言うには、黒髪でお人形さんみたいな感じだったらしいぜ。それで、めちゃ強いんだとさ。お前、美少女にはすげえ弱いけど大丈夫か?」
ケタケタッと笑う先輩。その指摘に、一瞬、言葉を詰まらせる。
「だ、大丈夫です! 相手が美少女だろうが関係ないです!」
「ほんとかよ。まあ、俺としてはライバルが減ってくれれば助かるんだけどな」
「そんなこと言わないでください! 縁起でもない!」
「冗談だよ、冗談。じゃ、あたしも先に行くぜ」
軽い調子で手を上げると、先輩はそのまま自動扉の向こうへと歩いて行った。美少女……ねえ。俺は先輩の言葉を反芻しながら、その場で立ちつくしてしまう。そう言えば、女の子を殴ったことなんてあったっけ。とんと、記憶にない。
そうしていると、俺の肩を白い手が掴んだ。その力の強さに驚いて振り返ると、むっとした様子の小夜が立っていた。
「な、何だよその顔」
「美少女って聞いて、ずいぶん嬉しそうだなと思って」
「そ、そりゃまあ……俺も男だし?」
「言っておくが! 今回の大会で優勝しないと、一千万の借金だからな! わかっているのか!?」
「そりゃもちろん、承知してるさ」
小夜の言葉に、俺はコクンと頷いた。すると小夜は、俺の顔をじーっと訝しげな眼差しで覗きこむ。その鋭さに、体を仰け反らせながら思わず後ずさる。
「絶対、手を抜くなよ。よし、私たちも行くか」
「ああ、わかった」
小夜の手にひかれ、自動扉をくぐる。いよいよ、本選の始まりだ――。
「ただいまより、天上天下世界一武道会の本選を始めます!!」
市立運動場の中央グラウンド。バブルが生んだこの巨大施設は、数年ぶりに超満員となっていた。楕円形をした観客席には人があふれ、奥の通路には立ち見まで出ている。その様子は、まさに人の壁。そこから発せられる独特の圧迫感と歓声の大津波に、飲みこまれてしまいそうだ。
今までの人生で経験した大舞台なんて、せいぜいが学芸会か運動会。大観衆に注目されるなんて経験のほとんどなかった俺は、特設ステージ脇の通路からその様子を伺い、身震いする。こりゃ、みっともない真似なんか出来ないぞ……。小夜に貸してもらった道着の帯を、改めて締め直す。
「すっげーな……」
「四条院のせいだな。去年まで、ほとんど人が集まらない大会だったのに」
「へえ、そうなのか。さすがは四条院財閥」
「CMまで流してたからな。個人的には、知る人ぞ知るって感じが好きだったんだが……」
どことなく、さびしげな顔をする小夜。応援していたインディーズバンドがメジャーになったような気分なんだろうか。眼の光が、少しばかり虚ろになっている。小夜にしてみれば、思い出のある大会を大きく変えられてしまったのだから、無理はないのかもしれない。
「それでは、選手入場です! まずは神凪小夜選手から、どうぞ!」
司会者の良く通る声が会場全体に響き渡る。拍手喝采、空気が一気にどよめいた。小夜は軽く肩を回すと、腰にはいた木刀の位置を調整し、こちらへと振り返る。
「行ってくる」
「ああ、頑張ってな」
「ひとごとみたいだな。お前もすぐ呼ばれるんだから、ちゃんと準備をしておけよ」
「分かってるって」
そう答えると、小夜は安心したような顔をして、そのまま歩きだして行った。薄暗い通路から出たその背中は、明るい日差しに照らされて、白く輝く。小夜めがけてスポットライトが四方八方から当たっているかのようであった。
白くはためく道着と、それに相反するように揺れる黒髪。その対比は美しく、ざわめく会場の中にあっても静寂を感じさせた。美しい。凛とした気配が、こちらにまで伝わってくる。見慣れているはずの小夜の姿なのに、思わずハッとしてしまう。
「綺麗……」
「なーに見とれてるんだ?」
振り向けば、よっと手を上げる白泉先輩が居た。彼女は楽しげに目元を歪めながら、肩にもたれかかってくる。
「何だかんだで、神凪ってやっぱすげえ美人だよな」
「……否定はできないです」
「あんまり嬉しそうじゃないな。もしかして、照れてるのか?」
「そ、そんなことはありません!!」
「必死なところがまた怪しいなあ……」
ニタッと笑い、顔を覗き込んでくる先輩。俺はじりじりと壁際まで追い詰められる。さながら、啓示に問い詰められる犯人のようであった。何も悪いことはしていないけれど、何とはなしにばつが悪い。するとその時、天の助けとばかりにアナウンスが響く。
「竜前寺タクト選手! 入場してください!」
「あ、行ってきます!」
「ちぇ、逃げられたか……」
軽い舌打ちをする先輩をよそに、通路の外へと出る。日差しが暗闇に慣れた目を射抜いた。にわかに視界が白に染まり、それに遅れて、圧迫するような歓声が響いてくる。緊張とそれに伴う微かな恐怖。視力が戻るまでの間、俺は思わず立ち止まってしまう。
「頑張って! 竜前寺君!」
耳に心地の良い涼やかな高音。それが響いてきた方を見ると、そこには千歳先輩が居た。彼女は観客席の最前列で、半立ちになりながら声を張り上げている。手でメガホンを造り、叫んでいるその様子に、俺は背中を押された。拳を握りしめると、決意を新たに、足を踏み出す。
こうして一歩踏み出してしまえば早いもので、俺はそのままトントントンっとステージに昇った。白い正方形の舞台が目に飛び込んでくる。ざっと、十メートル四方はあるだろうか。その端でキョロキョロと様子を伺っていると、にこやかな笑顔を浮かべた司会者が、マイクを片手に近づいてくる。
「えー、こちらの竜前寺選手は、先ほどの神凪選手と同様に神凪流の――」
俺の脇に立つと、司会の男は実に流暢な口調で俺の紹介を始めた。細かいことまで淀みなく述べるその様子は、さながら古くからの知り合いを紹介しているかのようである。情報源は、やっぱり四条院先輩だろうか。正確だが、そのあまりの詳しさに少しばかり恥ずかしくなる。
「以上で、竜前寺選手の紹介を終わります! 次は、白泉凛選手です!」
引き続き、次々と入場する選手たち。やがて予選通過組の最後として、桂上薫の順番が回ってくる。いったい、どんな女の子が出てくるのか。噂どおりの美少女なのか……? 俺は期待が半分、不安が半分といった気持ちで、通路の方を見やる。すると――
「鬼?」
闇を思わせる黒の着物に、見るだけで背筋がそば立つような般若の面。異様過ぎる風体の少女が、ステージに姿を現したのであった。
更新が途絶えてしまっておりましたが、何とか更新です。
卒論が、卒論が迫ってくるのです……!




