第六十五話 不思議と団らん
空間が緊張感で引き締まる。見つめ合うラルネと千歳先輩。一見して静かな二人だが、その間には激しい火花が飛び散っていた。そのあまりに不穏な気配をすぐさま感じ取った俺たちは、揃って息を飲む。二人の関係性を考えれば、小夜と村里の比ではないぐらいの争いが起こっても、おかしくはなかった。俺はとっさに周囲を見渡すと、周りの選手たちに二人から距離を取るようにと視線で促す。俺のただならぬ雰囲気を察したのか、選手たちは潮が引くように後退した。
「あなた、来てたのね」
「まあねえ。こういうの、結構好きだし。お金も欲しいしねえ」
「本当のところは、お金より力じゃないの?」
「……ノーコメント、かな」
そういうと、口を歪めて笑うラルネ。その挑発的な態度に、先輩の視線が一気に鋭くなった。彼女は腰に差している杖に、スッと手を走らせる。ラルネもまたそれに応じるかのように、スカートのポケットへと手を入れた。ヤバいな、これは……! 高まり、張り詰める緊迫感。それに耐えかねたのか、隣に立っていた小夜がゆっくりと先輩たちの方へと迫る。その時だった。
「あら、二人ともお知り合いですの?」
場に似合わない能天気な声を響かせて現れたのは、四条院先輩だった。おいおい、大丈夫かよ!? 思わず叫びそうになる俺たちをよそに、先輩はごく自然な態度でラルネへと近づいて行く。すると、ラルネもまた警戒を解き、ポケットから手を出した。彼女は四条院先輩の方へと振り返ると、屈託のない笑顔を浮かべる。
「はい、ちょっとした知り合いです、お嬢様」
「そうですの? 何だかちょっと仲が悪そうに見えましたわよ?」
「いえいえ、そんなことは」
そう言って答えるラルネは、やけに愛想が良かった。年相応の、実に可愛らしい笑顔を浮かべている。青い瞳が、きらきらと輝いて見えた。なるほど、四条院先輩には正体を隠しているのか。とっさにそのことを察した俺たちと先輩は、揃って眉をひそめる。
だが、ここで下手に事を荒立てるのもまずい。先輩もそう判断したのか、彼女はすぐに不機嫌そうな表情をやめて、ラルネに調子を合わせた。顔から険しさが抜けて、あっというまに笑顔の仮面を被ってしまう。その変わり身の早さは、さすが魔女だ。
「私たち、古くからの知り合いなの。昔からこんなだから、気にしなくていいわ。ね?」
「うん! 僕とおねーちゃんは、大体こんな感じなんだ」
「ふーん……。まあいいですわ。それよりマリア、早く帰りますわよ。今日はパーティーの予定がありますわ」
「はーい」
とてとてと四条院先輩のもとに走りよるマリアことラルネ。彼女と先輩は俺たちに一礼すると、そのまま試合会場を出て行ってしまった。やがて彼女たちの背中が見えなくなると、俺たちはすぐに千歳先輩のそばによる。
「大丈夫ですか?」
「ええ。別に何もしてないし、されてないわ」
「それは良かった。ラルネのことだ、何をしてくるかわかりませんからね」
「まあね。ただ、ちょっと気になることがあるわ」
先輩はそう言うと、顎に手を押し当てて少しばかり考え込むような仕草をした。その様子に、小夜がすぐさま尋ねる。
「あの、何が気になるんですか?」
「それがね、さっきのラルネ……どうにもラルネっぽくないのよ」
「あれがですか? でも、姿形は完璧にラルネのように見えましたけど……」
「私の感知した限りでは、ラルネと一致しましたよ」
懐から符を一枚取り出し、怪訝な顔をする竹田さん。彼女は白い額に皺をよせ、唸る。だが先輩は、顎に指をあてると、確信したような口調で言う。
「でも、ラルネとは何かが違うのよ。連中のことだから、上手い誤魔化し方ぐらいあってもおかしくないわ」
「……確かに。私も、魔法に関してはそれほど詳しいわけでもないですしねえ」
「そうだ。タクト、ラルネのステータスは見てなかったか? お前の能力なら、偽装なんて簡単に見抜けるだろう?」
「えッ? ああ……」
小夜に迫られ、思わず俺は後ずさりをした。しまった、ステータスなんて見ていない。先輩とラルネが喧嘩をしないか見守るだけで、精一杯だったのだ。俺は期待に満ちた眼をする三人に、ゆっくりと頭を下げる。
「ごめん、見てない」
「……まあ、仕方ないか。タクトだし」
「しょうがないですよね、いきなりでしたから」
「今度見たときは、確実に頼むわよ」
やれやれと呆れたような顔をする一同。……まったく、期待されてなかったのが丸わかりだな。変にがっかりされるよりはいいが、地味に精神に来るぞこれ。
こうしてダメージを受けた俺がふうっとため息をつくと、千歳先輩がいきなり肩を鷲掴みにしてきた。彼女は俺の顔を真っすぐに見据える。その瞬間、足が情けないほど震えた。怖い、物凄く眼が怖い。「二度目があったら消す!」っとでも言わんばかりだ。その執拗な眼差しと念押しに、俺は首を三回も振った。ブルブル震えるその様子に満足したのか、先輩はよしっと俺から手を離す。
「じゃ、頼んだわよ」
「は、はい!」
「……しかし、あれがラルネじゃないとしたら何が目的かしらね。うーん、いまいちわからないわ」
「他の何かから、目を逸らせようとしているとかじゃないですか」
「他のって、何か重要なこととか最近ある?」
「それは……うーん……」
先輩の言葉に、俺だけでなく小夜や竹田さんまでもが首を捻った。が、三人とも特に思い当たる節はなさそうだ。俺たちはひとしきり考え込むと、こりゃ駄目だとばかりに肩を落とす。
「まあいいわ。とりあえず、今日のところは帰って休みましょう。明日は本選なんだしね」
「はいッ!」
「出るからには、ラルネを倒しなさい。負けたら承知しないわ」
先輩の言葉に、深々と頷く俺たち三人。こうして、俺たちは明日の本選に備えて今日のところは引き揚げたのであった――。
「ただいまー!」
ドアを開けて玄関に上がると、すぐに母さんと万里が居間から走ってきた。母さんは俺の身体をザッと見渡すと、ほっと胸をなで下ろす。
「おかえりなさい。怪我は大丈夫みたいね」
「ん、今日のところは」
「ねえ、結果は!? 結果はどうだったの!?」
その場で足踏みをしながら、早くは早くとばかりに言葉を急かす万里。俺はニッと笑うと、軽いドヤ顔でVサインをする。
「絶好調! ワンパで決勝進出だぜ」
「すごーい! さすが小夜ねえ、インドアオタを一週間でここまで鍛えるとは」
「まあな。軽い軽い……ってちょ、待て!? 何で小夜を誉める!?」
「だって兄ちゃんだし、どうせぶーぶー言いながら無理やりやらされてただけでしょ」
身内ならではの寒々とした一言。鋭い言葉の槍が、俺の豆腐ハートに深々と刺さる。
「……否定できないけど! 否定できないけど、一応は頑張ったんだぜ!」
「ふーん、そっかそっか。えらいえらい」
「妹なのに、スゲー上から目線……」
万里の顔を、じーっと忌々しげな眼で見る俺。万里もまた、何よと言わんばかりの視線でこちらを見つめ返してくる。するとその変化を察したのか、すかさず母さんが俺たちの間に割って入ってきた。
「はいはい、さっさとご飯を食べますよ。今日はタクトと万里が大好きなから揚げ、一杯作ったんだから!」
「お、いいねえ!」
「やった!」
食べ物の話に、たちまち雰囲気が和んだ。俺は素早く靴を脱ぐと、廊下に上がり、そのまま万里に続いて居間へと向かう。すると残念ながら、テーブルの上にはまだ皿は並んでいなかった。これから盛りつけと配膳をするようだ。母さんは万里を連れて台所へと引っ込むと、「ふんふーん♪」と調子良く鼻歌を歌いながら、食事を盛りつけていく。
まだ、少し時間がありそうだ。手持無沙汰になった俺は、テーブルの向こうのソファに腰を下ろすと、テレビをつける。
「お、玉城アナじゃん!」
他面に現れたアナウンサーの姿に、俺はたまらず声を上げた。俺が最近一番好きな、玉城カナちゃんである。入社一年目の新人で、瞳の大きな童顔とそれに似合わぬナイスバディが売りの美人アナウンサーだ。その豊満な胸が強調されるワンピース姿に、たちまち視線が釘付けとなる。
『今日はここ、辰見国際会議場からの中継です! 見てください、この熱気! 夕方でもうほとんどの店舗は閉まってしまっているのですが、オタフェス盛り上がってます!!』
玉城アナの声に応じて、気勢を上げるオタク達。その独特の熱気は、画面を通じてすらはっきりと伝わってくる。そう言えば、今年も祭りの季節だったなぁ。武道会のせいで、すっかり忘れてしまっていた。本来ならば、俺もあの場に入って大騒ぎしていたに違いない。そう思うと、なんだか懐かしいような不思議な気分がしてくる。
「行きたかったなあ。艦○レの同人欲しかった……」
ぼんやりしながらテレビの画面を見ていると、その端を何か黒い人影が横切って行った。あれは、ドレスだろうか。金髪とはためく黒い布の組み合わせは、どこかで見覚えがある。
「あれ、もしかして……」
「ご飯出来たわよー!」
「あ、はーい!」
振り向けば、テーブルの上にはから揚げが山と積まれていた。鼻を突く脂の香り。腹の虫が鳴いた俺は、まさかという気持ちを一旦外に置くと、急いで席に着いたのであった――。




