第六十三話 戦いの先
小夜の不可思議な宣言。
それに見守る選手たちや審判、さらには試合相手のラーチュンまでもが訝しげな顔をした。彼は右手をしっかりと構えたまま、左手で顎ひげをなでる。その眼は鋭く、何もかも見抜いてしまうかのようだ。
「はったりは良くないぞ? そこから何をすると言うのじゃ」
鋭い眼差しを受けてなお、小夜は平然としていた。彼女はまっすぐな視線で、ラーチュンをにらみ返す。
「はったりなどではない。私は必ず勝つ」
「本当か?」
「ああ」
「そうか、ならばせいぜい期待させてもらうとするかの」
ラーチュンは口元を歪めると、心底愉しげに笑った。食えない爺さんだ。心の底から、戦いを楽しんでいるようである。その眼は良くも悪くも純粋で、しかも飢えていた。狩りを目前に控えた猛禽のようである。小夜も似たようなことを思ったようで、その顔はわずかに引き攣る。だが、彼女はすぐにまた元の調子を取り戻した。さすが武道家、切り替えは早いらしい。
「さて……少々遅くなったが、やるか」
そう言うと、小夜は木刀を放り投げた。そして体を一気に傾けると、ラーチュンの懐へと潜り込む。その姿は、まさに倒れたというのにふさわしかった。あいつ、武器もなしに何をするつもりだ!? 驚いた俺は、たまらず息を飲む。さすがのラーチュンも若干動揺したようで、目を丸くした。けれど彼はすぐさま体勢を立て直すと、逆手に構えた寸鉄で小夜を襲う。
その時、先ほど放り投げた木刀が小夜の上へと落ちてきた。小夜はそれをすかさず手に取ると、その寸鉄を身体に当たる寸前で受け止める。キシン――! 木材らしからぬ、澄んだ音が周囲に響いた。小夜はその勢いで、ラーチュンの身体に向かってさらに一発繰り出そうとする。下から上。予想外の方向からの攻撃に、さすがのラーチュンも隙がある――かのように見えた。
「残念じゃ」
小夜の攻撃が届く寸前、ラーチュンはひどく低い声を出した。彼は先ほど攻撃を防がれたのとは逆、左手で小夜の身体を狙う。速い! まさに電光石火だ! このままじゃ、小夜の攻撃よりも先にラーチュンが小夜を仕留めてしまう。そう思った瞬間だった。
「そりゃッ!」
「何ッ!?
小夜の左手が動き、ラーチュンの寸鉄を食い止める。その手は、「半分になった木刀」をしっかりと握りしめていた。驚いたことに、小夜は自らの木刀を折り、二つにすることでいきなり二刀流へと切り替えたのだ。さすがのラーチュンも、動きが鈍った。その隙をついて、小夜は残った右手で思いっきり攻撃を繰り出す。
「うおりゃアァ!!」
「ぐぬッッ!!!!」
「チッ!」
クリーンヒット、とはならなかった。ラーチュンはかなり無理な体勢ながらも、寸鉄で小夜の攻撃を受け止めたのだ。だが、小夜の攻撃の威力は相当な物だったのだろう。硬い木質で出来ているはずの寸鉄が、さながら鉄でも裂けるかのような激しい音を響かせて、へし折れる。勢いを殺された木刀は、ラーチュンの肩を掠めて行った。彼の額の皺が、一層深まる。
攻撃が当たらなかったことを確認するや否や、小夜はバックステップでラーチュンから距離を取った。そして二つに折った木刀を眼前に構える。ラーチュンは小夜の顔をまっすぐ見据えると、軽く口元を歪めて笑う。
「驚いた、そんな手があったか」
「あなたは実戦向き過ぎるんだ。実戦じゃ、刀を折るなんてことは出来ないからな。だから思いつかない」
「それはそうかもしれんのう。最後に、面白いものを見れた。では、わしはこれで」
そういうと、ラーチュンはあろうことか小夜に背を向けた。そしてそのまま、リングの上から下りてしまう。これはどうしたことか。とっさのことに、小夜や俺たちは石化してしまった。このまま戦っていれば、状況は五分五分。いや、ラーチュンの方が有利だったかもしれないのに、だ。
「なぜ、何故だ!」
遠ざかって行くラーチュンの背中に、小夜はすがるようにして叫んだ。するとラーチュンはゆっくりと立ち止まり、こちらを振り返る。その瞳は妙にすがすがしく、爽やかな気配を漂わせていた。
「わしは老いた虎じゃ。牙が折られては、戦えぬよ」
「しかし! それなら私だって!」
小夜は折れてしまった木刀を、高く掲げた。それを見たラーチュンは、朗らかな顔で笑う。
「カカカッ! わしとそなたでは、戦い方が違うのじゃよ。わしは虎、そなたは狩り人。狩り人はどのようにでも戦えるが、虎は牙がおられたらおしまいじゃて」
「そんな……!」
「せっかくの勝利だぞ。そんなに悩まずとも、素直に笑っておけばよかろう」
そういうと、ラーチュンは二度と振り返ることなく試合会場を出て行ってしまった。ここで、ようやく茫然としていた審判の男が再起動を果たす。
「え、えー! ラーチュン選手、場外! よって神凪選手の勝利!」
宣言に遅れて、湧き起る歓声。リングを取り囲んでいた選手たちは、こぞって小夜の健闘をたたえる。ヒューっと口笛が響き、「おー!」っと声が爆発した。俺はすぐさまリングにかけ上がると、未だに茫然としている小夜の元へと駆け寄る。
「勝ったな!」
「あ、ああ……」
「何だよ、随分暗いな」
「この勝ち方では、素直に喜べなくてな」
顔を下に向け、悔しげな表情をする小夜。無理もない、勝ちを譲ってもらったような物だからな。武道科としてのプライドに、軽く傷でも付いたのだろう。
「でも、あのままやってたら勝てなかったんじゃないのか? 勝たせてもらえてよかったじゃないか」
「ふん! まだまだ手はあった! 出していない必殺技もあるしな」
「何だよその必殺技って。いつの間にそんなの編み出したんだ」
俺がそう問いかけると、小夜は眼を細めてニタッと嫌らしい笑みを浮かべた。彼女は俺のおでこに人差し指を当てると、さらに口元を歪める。
「ふふ、それはまだ言えん。だが、とにかく凄い技だ。見たらきっと、目玉が飛び出すぞ」
「おいおい本当かよ。期待値上げるからな? これでしょぼかったら、押すなよ押すなよって言われてほんとに押さないみたいな感じだぞ?」
「ああ、期待しているといいさ」
自信たっぷりにそういうと、小夜はリングから降りた。これで一安心、だな。あとは大した奴はいないようだし、小夜なら無難に勝ち進むだろう。ほっと胸をなで下ろした俺は、今度は先輩たちのリングの様子を確認した。すると、俺の視線に気づいた先輩が任せろとばかりにサムズアップをする。こちらも、全く問題ないらしい。
「さてと、全員本選には出られそうだな」
俺はそうつぶやくと、ゆっくりとその場を離れた。その時、背中に妙な視線を感じる。氷水でも掛けられたかのような、冷たく痛い気配。俺は嫌な予感がしつつも、視線を感じた壁際の方へと振り返った。するとそこには、意外な顔があった。千歳先輩である。その白い額には深い皺が寄っていて、目つきもいつになく鋭くなっていた。女子高生としてではなく、魔女としての先輩だ。これは間違いなくヤバい!
「ど、どうしてこんなところに!?」
「ラルネの様子を見に来たのよ。あなたたちの方こそ、これはどういうことかしら?」
出場選手の中に混じった小夜たちの姿を見て、先輩の声は一層低くなった。マズイな、相当お怒りのようだ。俺は先輩から発せられる静かな怒りのオーラに気圧され、後ろにやや仰け反った。背中から嫌な汗がじわじわと溢れだしてくる。これは、これはヤバい。誰か助けを呼ばないと、俺の寿命がマッハだ!
そう思って周囲を見渡すと、タイミングの悪いことに小夜はどこかへ居なくなってしまっていた。それなら白泉先輩だとおもって首を振るも、こちらは試合中。なんてこった! こうなったら、頼りないけど最後の希望の竹田さん……! そうおもって彼女の居るCのリングの方を見ると、何と驚いたことに試合をしていた。俺がすがるような視線を送ると、彼女は申し訳なさそうに手を合わせる。
「そんな、活躍するなら今でしょ!?」
「……残念だけど、お取り込み中みたいね。さ、話を聞かせてもらうわよ?」
こういうと、空々しい笑顔で俺の顔を覗き込んでくる千歳先輩。こうして俺は、予選が終わるまでの間、みっちりと絞られたのであった――。




