第六十話 それぞれの戦い
試合終了後。俺は広い部屋の端に置かれたベンチに、一人で腰掛けていた。あまりにもあっさりと本選出場が決まった事に、自分でも驚いて気が抜けてしまった感じだ。身体が何となくふわふわして、落ちつかない。俺は壁にもたれかかると、ぼんやりと天井を眺める。ほんとに、これで良かったんだろうか。他の選手がまだ激しく戦っているのを見ると、どうにも手持ち無沙汰な気分になってしまう。
「あ、そうだ。応援しないとな!」
しばらくしてやっと心が戻ってきた俺は、応援をするべくベンチを立った。えっと、まずはそうだな……竹田さんの応援にでも行くか。彼女が霊にめっぽう強いのは知っているんだけど、対人戦でどれだけ強いのかはイマイチ未知数だからな。倒れるところが想像できない小夜や先輩に比べると、ちょっと不安だ。俺はCと書かれた看板のあるリングの方へと歩み寄る。するとまだ試合前だったのか、やや緊張した面持ちの竹田さんがリング脇で準備体操をしていた。
「あ、竜前寺くん! どうやら、勝ったみたいですね!」
「まあな。けどまぐれだよまぐれ、運が良かった」
「はは、運も実力のうちですって」
「竹田さんの方はどうだ? もう、一回は戦った?」
「はい、一回戦は何とか。あと二回勝てば……おっと、時間です!」
係員に呼ばれ、リングに上がる竹田さん。彼女の前に、小柄だが引き締まった身体をした男が立つ。その手には木製のヌンチャクが握られていた。服装もどことなく中華風で、さながらカンフー映画の登場人物の様である。彼は長い辮髪を揺らしながら、「フォー!!」と良くわからない叫びを上げる。
「……なんだ、ありゃ」
あまりにもあまりな男の様子に、俺はため息をついた。映画じゃないんだから、いくらなんでも型にハマりすぎだろう。今時アルアルと言っている中国人のようなもんである。こりゃ、ステータスを見なくても結果はわかるな。俺は「じゃ!」といって竹田さんに背を向ける。
「え、見ていかないんですか?」
「あれなら普通に勝てるだろ? これから、先輩のとことかも見に行かなきゃだし」
「いやいやいや! 私これから見せ場ですよ! 大活躍しちゃいますよ!?」
「……それじゃ」
「そんなぁ!?」
こうして俺がリングに背中を向けた直後、部屋全体に激しい爆発音と「どわー!!」と聞き苦しい悲鳴が響いた。それに遅れて、「何で私はいつもこうなのー!!」という甲高い雄叫びが迸る。うむ、勝ったな。俺は竹田さんが勝利したことを理解すると、今度は白泉先輩のいるEのリングへと向かう。すると、タイミングの良い事にちょうど白泉先輩の試合が始まるところであった。
「竜前寺じゃねえか!」
「どうも、調子はどうですか?」
「まあまあってとこだな。今度の相手も大したことなさそうだしよ」
そう言って、対戦相手を見据える先輩。その視線の先には、二枚目という言葉が良く似合うキザな雰囲気の男が立っている。男の手には、フェンシングのフルーレを思わせる細い剣が握られていた。彼はそれをこちらに向かって素早く突き出すと、ニッと目元を歪める。
「言っておくが、今のは全力じゃないよ。君にこれがよけられるかな?」
「ははは、こりゃ無理だな」
男の問いかけに、あっけらかんとした態度で答える先輩。へえ、無理……え!? 無理ってどういうこと!? やや遅れて言葉を理解した俺は、驚きのあまり茫然と目を見開く。びっくりしたのは対戦相手の男も同じだったようで、形のいい唇が不格好なひし形となった。秀麗な眉も、情けないハの字を描いてしまう。まったく、予想外にもほどがある。緊張で背筋がスウッと伸びる。
「な、やる気がないのか!? レディーと言えど、容赦はしないぞ!」
「やる気がないわけじゃねーよ。ま、やりゃわかるって」
「ふん、いいだろう……」
「ごほんッ! それでは、試合始め!」
手を振り上げ、試合開始の宣言をする審判。その声が響くと同時に、男の足がリングを蹴った。早い――! 目にも止まらぬとはまさにこのことだろうか。男の身体は残像を残し、風を切って飛び出す。その動きの速さに、先輩は全く追いつけていなかった。かろうじて、腕で顔をガードしただけだ。
「せ、先輩!?」
俺が声を挙げたのは、全てが終わってしまったあとだった。展開が速すぎて、認識が全く追いつかなかったのだ。電光石火。まさにあっという間の出来事。一瞬のうちに、先輩の腕に男の細剣が刺さっている。まさか、腕を貫かれているんじゃ……!? 苦悶に顔を歪める先輩に、俺は堪らず口を押さえた。一方で、男の方は目元を歪めて楽しげに笑う。
「一撃、ですか」
「甘いな」
「何!?」
メシッと鈍い音。男が先輩に突きつけていた細剣の先端が、あっさりとへし折れてしまった。先輩は剣を防いでいた右腕をブンブンと振るうと、憔悴した様子の男にニタッと笑いかける。立場逆転。今度は男の方が追い詰められる番であった。彼はリングの端までゆっくりと後退すると、唾を飲む。
「な、何故だ……!?」
「確かに、あんたの攻撃は速かった。でもさ、全ッ然力を感じねーんだよな」
「何……!?」
「強いて言うならあれだ、武器が軽すぎるんだ。お前、油断して今日使う武器をあんまり触ってなかっただろ。そのせいで、いつも使ってる武器と同じ感覚で攻撃しちまった。それが敗因だな」
「チッ、ぬかったか……!!」
男は手にした木剣を忌々しげに睨んだ。その眼は血走っていて、殺気すら感じる。彼はそのまま勢いよく手を振り上げると、あろうことか剣をそのまま床に叩きつけた。ベキッと嫌な音が響き、細い剣はいとも簡単に真っ二つに折れてしまう。一体、何をするつもりなんだ……? このまま降参か? 男の一挙手一投足に、熱い視線が集まる。すると驚いた事に、男は折れた剣の欠片を二つとも手に取った。そして――
「力が足りないと言うならば、とにかく数を増やせばよいのだ! 数こそ力!!」
「二刀流!?」
男は二つに折れた剣を両手で構え、猛烈な速度で突きを繰り出した。ただでさえ速かった突きが、さらに二倍。その様子はまさに刺突の嵐である。激しく荒れ狂う剣の猛攻に、さすがの先輩もなすすべがない。徐々にリングの端へと追い詰められ、だんだんと後がなくなっていく。やがて、先輩の足がリングの端に差し掛かった。かかとが宙に浮き、身体が一瞬だが不安定になる。
「いつもの二倍の速度! いつもの二倍の数! 合わせて四倍の圧倒的パワー!!」
「そんなの成り立つか!」
突っ込みと共に、先輩は強烈な足払いを放った。攻撃に集中し過ぎていた男は、あっさりとそれに掛かってバランスを崩す。転倒。ド派手にスッ転んだ男は、そのまま勢い余ってリングアウトしてしまった。すかさず審判が先輩の勝利をコールし、周囲から大歓声が上がる。
「やっぱ強いなぁ、先輩」
「あいつが間抜けなだけさ。上半身にばっかり力が入って、下半身がガラ空きだったからな」
「……確かに、手数ばっかりに気合入れすぎでしたね」
「ははは、男の弱点なんて下半身なのにさ。上半身に気合を入れてどうすんだよ」
豪快に笑う先輩。その視線はどことなく下を向いていた。ああ、そういうことか……。先輩の言わんとすることを理解した俺は、やれやれと肩をすくめる。
「あの、急所攻撃はやめてくださいね。あれ、一応反則ですから」
「安心しな、いくらなんでもやらねーから」
「不安ですけど、まあ……。俺は小夜の応援に行ってきます」
「おう、神凪によろしくな!」
こうしてリングを離れたところで、会場全体にピンポンパンとチャイムのような音が流れた。何かの放送のようだ。会場のざわめきがにわかに収まり、妙な静けさが漂い始める。そして数十秒後、その沈黙を破って酷く陽気な男の声が響く。
「こんにちは! えー、ただいまより一次予選を中断いたしまして、お昼休憩の時間を取りたいと思います。なんと! 今大会中の食事はスポンサーであられる四条院様のご厚意で、超豪華バイキングとなっております! 午後からの英気を養うためにも、ぜひぜひたくさんお食べになってくださーい!!」
昼か。そう言われてみれば、朝から来ていたとはいえ結構時間が過ぎている。腹もだいぶ空いてきていた。試合が見られないのは残念だが、ここはひとまず腹ごしらえだな。俺はリングのそばでどこかがっかりした様子の小夜を発見すると、こっちこっちと手を振る。
「おーい、飯行こうぜ!」
「ク、あと少しだったのに……」
「どうしたんだ?」
「試合が始まる直前だったんだよ。ほら、最初に見た爺さん居ただろ? あいつと戦うとこだったんだ」
「爺さんって、ラーチュンの事か?」
「そうそう、あのラーチュンとかいう拳法家だ」
これはまた、凄い試合が先延ばしになったもんだな。さすがの小夜とはいえ勝てるかどうか。結果が気になる試合だな。とはいえ、まずは腹ごしらえだろう。俺は悶々とした様子の小夜の手を引っ張ると、多少強引に出口の方へと連れて行く。するとそこには、既に試合を終えた先輩と竹田さんが待ち構えていた。
「よ、試合は順調そうだな」
「凄くいい匂いがしますよ! 速く速く!」
竹田さんに急かされて、俺たちはすぐさま食堂へと向かった。するとたちまち、香ばしい匂いが鼻を抜ける。上質な脂の焼ける香り、食欲をそそるスパイスの刺激的な匂い。口の中で、一気によだれが溢れてくる。腹の虫が鳴り始めた俺たちは、急いで食堂の扉を開ける。だがそうして飛び込んだ食堂の中は、予想外の景色が広がっていた。
「りょ、料理がめちゃくちゃ――!?」




