第四十七話 尾行
何で、新聞配達員さんに渡したはずのハンカチを四条院先輩が持っているのか。俺の頭の中を疑問が渦巻いたが、さすがにその場で聞く勇気はなかった。よくよく考えて見れば、三階の窓から大声で呼ぶなんて恥ずかしすぎる。悪い意味で学校の人気者へ一直線だ。ひとまずその場は黙っておくことにした俺は、その後も疑問を押し殺しながら授業を受けた。そして放課後――
「それ、本当か?」
「ああ。間違いない」
部室へと向かう道中。俺は眉を寄せて疑わしげな顔をする小夜に、ハンカチのことについて伝えた。彼女はたちまち顎を手で押さえると、はあっと大きく息をつく。
「でもな、あの四条院先輩だぞ。なんで新聞配達なんかするんだ」
「そらそうだけど、見たものは見たんだよ」
「たまたま、同じハンカチを持ってたんじゃないのか?」
「や、あれは限定品だ。そんなに数が出回っているようなもんじゃないし、そもそも先輩が持つような品じゃないだろ」
四条院先輩は、基本的にブランド趣向である。制服を海外の有名ブランドにわざわざ特注して造らせているというのは、うちの学校では有名な話だ。そんな先輩が、コンビニの一番クジの商品なんて持っているとは考えにくい。それに第一、あれはいわゆる萌アニメのキャラクター商品だ。先輩が一番嫌悪するオタクなアイテムである。
「とにかく、先輩たちに話を聞いてみよう。あの人たちなら、俺たちより詳しいだろうし」
「そうだな、考えていても仕方ないか」
一旦結論を先送りにすると、俺と小夜は足早に図書館へと向かった。そしてその奥にある通路を進むと、部室のドアをガシャリと開く。するとすでに、千歳先輩がパイプ椅子に座って待機していた。そう言えばこの人、生徒会長だけど生徒会活動の方は大丈夫なのか……?
「早いですね、先輩。生徒会の方は仕事ないんですか?」
「問題ないわ。もともと大した仕事なんてないし、副会長が大体やってくれるから」
「ああ……」
俺は影の薄い副会長さんのことを思い出した。前髪で顔が半分隠れていて、背も低く自己主張の少ない女の人である。名前は……えっと、何だったか。とにかく、それぐらい影が薄くて苦労症の人である。以前は会長である千歳先輩もそれなりに仕事をこなしているイメージがあったが……この分だと、副会長さんに丸投げなんだろうなぁ。俺は名も忘れた少女に心の中で敬礼した。
そうしているうちに、部室のドアが開いた。白泉先輩と竹田さんが連れ立って中に入ってくる。白泉先輩はようっと手を挙げ、竹田さんは軽く会釈をした。彼女たちは部屋の端に置かれていたパイプ椅子を手にすると、こちらへよこす。俺と小夜はそれを受け取り、すぐさま広げて腰をおろした。
「これで全員ね」
「顧問は来ねーのか?」
「ま、彼女には彼女の仕事があるから。それで、今日の活動なんだけど――」
「あ、先輩。ちょっと良いですか」
話始めようとした千歳先輩の言葉を遮ると、俺はその場に居る全員に朝のことを語って聞かせた。するとたちまち、先輩たちの眉間にしわが寄せられる。深刻そうな顔をした彼女たちは、揃ってうーんと首を捻った。特に、生徒会関連で四条院先輩と付き合いのある千歳先輩は、青汁でも飲んだような顔をしている。
「変ね。あの娘がバイトするなんて、考えられないわ。一度、家まで行ったことがあったけれど普通にお屋敷だったわよ」
「あたしも、あいつが普通にリムジンに乗ってるとこを見たぜ。そんな奴が新聞配達って、ありえねーだろ」
「四条院さんって、確かうちのお寺にもすっごい額の寄進をしてましたよ。うーん……」
頭を悩ませる一同。謎は深まっていくばかりである。先輩がお嬢様であるという事実は、まず疑いようがない。実際に先輩の両親が経営している会社は財閥として世間に名が通っているし、倒産危機とかそういった話もまったく聞いたことがない。では、何故お金があるのに新聞配達なんかをしているのか。もしかして、金持ちにありがちな社会奉仕とかそんな感じなんだろうか。
「まあ、考えても仕方ないわ。とにかく私たちに出来ることは竜前寺君と四条院さんをくっつけることよ」
「そうだなー。そんで、桜は何か準備してきたのか? あたしは正直、良い案とか思い浮かばねーけど」
さっぱり、とばかりに両手を挙げる白泉先輩。それに続いて、小夜や竹田さんもうんうんと首を振った。それに対して、千歳先輩はやたら自信満々の様子で胸を張る。華奢な身体の割に大きな膨らみが、ゆさっと弾んだ。ニタァと笑うその眼は、まさに魔女。……何だか、嫌な予感がする。
「ふふ、問題ないわ。そのための作戦は考えてある。だけどひとまず、今日のところは観察ね。何をするにしても、相手のことを知る必要があるわ。こっそり、四条院さんの後を付けてましょう。バイトの件も気になるしね」
「みんなで行くのか?」
「いえ、実際に行ってもらうのは二人だけよ。あとは人形に任せるわ。そうねえ、竜前寺君と竹田さんが良いかしら」
先輩の予想外のチョイスに、俺と竹田さんはえっと声を上げた。そしてすぐさま、お互いに顔を見合わせる。俺と竹田さん……接点があるようで、実はあまりない関係だ。俺が竹田さんと会うときは大体小夜がそばに居て、間に割って入ってくるのだ。だから、直接二人で話したりということは今までほとんどないし、ましてや二人っきりでどこかへ行くなんてことはありえない。
「な、なんで月奈とタクトなんですか!? それなら、私とタクトの方が自然です!」
はいはいっと手を挙げて、激しく抗議をする小夜。俺も、その方が自然だとは思う。何だかんだ言って、小夜とは腐れ縁で良く一緒に行動しているから。けれどそんな彼女の提案を、たちまち先輩は切って捨てる。
「駄目よ。あなたは目立ち過ぎるわ。存在感があり過ぎる」
「そ、存在感ですか?」
「ええ、あなたは美人過ぎ。その点、竹田さんなら問題ない」
「……そうですか、ええ。美人過ぎ……わかりました」
頬を紅潮させ、にへらーっと緩みきった顔をする小夜。美人――これまで小夜が歩んできた十数年の人生の中で、最も縁がなかった言葉だ。容姿が変化して以降は、それなりに言われているだろうが、それでも耐性なんてほとんどないに違いない。先輩が真顔で放った褒め言葉は、小夜の胸をキューピッドの矢よろしくズキューンと射貫いたようだ。彼女は危ない薬でもキメたような顔をしながら「美人……」とつぶやく。こいつ、中毒になりそうだな……。
小夜がトロンとした眼をしている一方で、竹田さんの方は何だか不満げな顔をしていた。彼女は千歳先輩の方をジトーっと睨みながら、ぶつぶつと小声で呟いている。内容ははっきりと聞き取れないが、「第二章……出番……」などという良くわからないことが断片的に耳に入ってきた。まあ、先輩もきっついことを言ったからな。ショックを受けても当然だろう。ちなみに、竹田さんの名誉のために言っておくが彼女も間違いなく一級の美少女である。
「さ、早く行ってちょうだい。四条院さんなら、今は生徒会室に居る筈よ。私たちは人形で後を追うわ」
「待ってください、それなら人形だけの方が良くないですか?」
「万が一気配を疑われた時に、人形が居るより人が居た方が良いでしょう」
「なるほど、わかりました。じゃあ行ってきます」
「はい……」
俺はまだショックから立ち直れていない竹田さんの肩を持つと、一緒に生徒会室の方へと向かった。すると、ちょうど仕事を終えたのか四条院先輩が部屋から出てくる。彼女は廊下を抜けると、そのまま昇降口の方へと歩いて行った。俺たちは気づかれないようにその後を追うと、靴を履き替えてグラウンドへと出る。
「お、帰りはリムジンじゃないんだな」
「そうみたいですね。家まで歩きでしょうか」
校門の前に、今朝目撃した長いリムジンが止まっていなかった。先輩の家までは、結構な距離があるはずだが……歩くようだ。俺と竹田さんは肩を寄せ合い、小さくなりつつも尾行を続ける。先輩は学校の前の道を抜けて、ゆっくりと繁華街の方へと歩いて行った。ははーん、何か買い物でもするつもりなのか? 俺はこっそり庶民的な物を買う先輩の姿を想像して、何となく微笑ましい気分になった。するとたちまち、隣に居る竹田さんが目を細める。
「……顔、緩んでますよ」
「そ、そうか?」
「ええ。それに、視線が先輩の胸ばっかり見てます!」
そう言うと、先輩の胸元へと視線を走らせる竹田さん。そのエベレスト級の圧倒的な膨らみを目の当たりにした彼女は、思わず自身の胸へと手をやった。柔らかな膨らみがぐにっと潰れるが、小さい。先輩と比べてしまうと一目瞭然だ。スイカと林檎ぐらいの差がある。カップで言えばDぐらいなので高一にしてはよく育っている方が……俺としては出来ればもうちょっと頑張ってほしいところだ。やっぱり、女の子は爆乳に限る。
「何か、ちょっと失礼なこと考えてません?」
「や、何も」
「そうですか? 私の胸を見て、一瞬不満げな顔をした様な……」
「そんなことより、先輩を監視しよう! ……ん?」
通りの道をぶらぶら覗いていた先輩が、急に挙動不審な態度を取り始めた。視線があっちを見たり、こっちを見たり。急にキョロキョロと辺りを見渡している。背を低くしてカバンをガッシリと抱えたその様子は、明らかにおかしい。俺と竹田さんはとっさに街路樹の陰に隠れると、そこからゆっくりと覗き込む。
「何だろう?」
「もしかして、気付かれちゃいましたかね……」
「それはたぶんないんじゃないかな。先輩の性格なら、俺たちに気づいて居れば『出てきなさい!』とか言うと思う」
「それもそうですね。……あ、動きます!」
いきなりダッシュを始めた先輩。振り切られる――! 俺たちもまた急いで木の陰から飛び出すと、先輩の後を追いかけ始めた。繁華街から路地へと入り、さらにその道を奥へ奥へ……。先輩はお嬢様然とした見た目に似せず、薄汚れたビルの谷間を滑るように走り抜けていく。ヤバいな、思った以上に早いぞ。未知に慣れていない俺たちは、徐々に先輩から引き離されていく。仕方ない。俺は竹田さんの手を握ると、速度にステータスを注ぐ。そして一気に四肢に力を込めた。
「え、はいイィ!?」
「とりゃああ!!」
竹田さんの手を引き、全速力で走る走る。周囲の景色がたちまち加速して流れて行った。引っ張られた格好の竹田さんは顔を真っ青にしているがひとまず気にしない。まずは先輩に追いつくことが先決だ。今この場所で振り切られたら、どこへ行かれたのかさっぱり分からなくなってしまう。そうして、走ること約一分。辿り着いた先は――
「嘘だろ?」
トタンの外装にかまぼこ屋根。高々と掲げられた看板には「日本超々精密工業」の文字。ガシャゴトと激しい機械音を響かせるそこは、紛れもなく町工場であった。
今回は珍しく竹田さんのターンです。
感想などあったら彼女の出番が増えるかもしれません、よろしくお願いします。




