第四十二話 新担任
テストは結局、俺の勝利だった。にわか仕込みの勉強ではやはり無理があったらしく、辛くも俺の方が勝っていたのだ。その差、わずか七点。小夜は非常に渋い顔をしていたが、勝負の世界は非情なのだ。俺の勝利には変わりなく、小夜をウィザードランドに連れて行くと言う話はなしになった。まあ、もともと小夜が何をやったのか話してしまった時点で賭けとしては成立していなかったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
それよりも、テストを休んでしまった竹田さんの方が大変だった。病欠という形にしてあったので、再テストを受けることが出来たものの、その勉強の手伝いなどでテスト明けの貴重な時間が丸ごと潰されてしまった。このあいだ奢ってくれた高級寿司にはこの迷惑料も込みこみだったらしい。さすがは、見た目はロリでも中身は百一歳の美代さんのこと、抜かりがない。
そうしてあれから特に何事もなく二週間が過ぎ、夏の気配が迫ってきた頃。朝、いつものように教室へ入ると小夜が猛ダッシュで俺の方へと近づいてきた。な、なんぞ!? 俺はそのいきなりの行動に顔を引き攣らせる。また何か、厄介事でも持ってきたのか? 最近いろいろとあっただけに、嫌な予感がした。
「な、何だよ小夜」
「まずは何も言わずにこれを見てくれ」
そう言って、小夜はA4サイズほどの紙を差し出してきた。そこには「天上天下世界一武道会開催のお知らせ」と書かれている。……なんだ、この小学生が考えたような名前は。俺が呆れて小夜の方を見ると、彼女はどーんと胸を張って答える。
「この天上天下世界一武道会というのはな、世界中から選りすぐられた武道家たちが世界一の座をかけて争う大会なんだ。武器あり、ルール無用の何でもありのガチバトルだぞ。それに何と、今回は私が出ることになったのだ!!」
「あー、なるほど……」
そう言えば小夜の家の道場に「○○武道会一位!」とか貼りだされていたのを見たことあるな。あれって、この武道会のことだったのか。全く聞いたことのない武道会だけど、優勝すれば自慢になるぐらいの規模ではあるんだろうな、うん。俺は興奮した口調の小夜に、適当に相槌を打ちつつ席に座る。
「そりゃ、良かったな」
「なんだ、あんまり嬉しそうじゃないな? せっかく私が、この間の戦いで親父に認められて出場すると言うのに!」
「まて、この間の戦いって何だ?」
「ん? お前だって見てただろう?」
何を言っているんだと言う顔をする小夜。けれど、そんな顔をされても俺にはさっぱりわからない。戦いといわれて思い当たるのは、白銀との一戦だが……あれは関係ないだろう。あの戦いで、小夜は十ポイントもの振り分けポイントを獲得しているが、彼女の父はステータスのことを知らないし、そもそも戦いがあったこと自体も知らないはずだ。認められるも何も、あり得ない。俺はぼんやりとした顔をすると、オウムよろしく小夜に聞き返す。
「いや、だからこの間っていつだ? 白銀の時は関係ないだろうし」
「バカだな、幽霊の時だよ。あの時、私は親父と一晩に渡って戦ったじゃないか」
……あれはてっきり、親子の触れ合いも兼ねてのぬるーいバトルだと思っていた。実際、厳造さんの様子を見る限りだとそういう雰囲気だったし。というか、親子喧嘩で流派の代表を決めるとか、そんなことしてもいいのか!? 仮にもそれなりの歴史と格式のある古流剣術の代表者が、そんな適当極まりない流れで決まってしまって本当に大丈夫なんだろうか……? 部外者ながら、神凪流の将来に不安を感じるぞ!
「おいおい、あんなので流派の代表を決めて良いのかよ……?」
「もともと私が出ることでほとんど決定してたらしいからな。問題はないさ」
「そういう物なのかね……!?」
「そんなもんだよ。まあとにかく、応援に来てくれ。ふふ、もし優勝したら何かおごってやるから」
「おごり……!」
なんて素敵な三文字だろう! まさに貧乏庶民の味方だ。俺は小夜が持つ武道大会のチラシを再びちらっと一瞥した。するとそこには「優勝賞金百万円、さらにウィザードランド・アメリカペアチケット!」と書かれている。おお、これは……! そう言えばこいつ、やたらと俺とウィザードランドに行きたがっていたな。あのときはたぶん、俺に入場料を奢ってもらいたい一心だったんだろうが……この機会だ。上手く交渉すれば、アメリカに連れて行ってもらえるかもしれない。どうせ、相手も居ないだろうしな。
「よし、応援しよう!! で、いつなんだその大会は?」
「来週の土日だ。二日間に掛けて行われる」
「まて、来週の土日だと……?」
なんてこった。俺は頭を抱えずには居られなかった。どうして、どうしてこの日なんだよ……! 俺は机に突っ伏すと、あーっと唸る。そんな俺を見て、小夜はすぐさま不安げな顔で俺の肩に手をかける。
「どうした、何か都合でも悪いのか?」
「ああ、悪い。来週の土日は――」
俺はもったいぶるように、間を置いた。小夜はゴクッと唾を呑み込むと、真剣なまなざしでこちらを見据えてくる。すうっと大きく息を吸い込んだ。そして――
「オタフェスの日だ。オタクとして、オタフェスだけは絶対に休めん!!」
「なんだそれは?」
「お前、そんなことも知らないのか。これだからパンピーは……。オタフェスというのはだな、全国のオタが一同に集結するイベントなんだ! 年に二回、七月と一月だけの祭りなんだぞ!!」
「……よくわからんが、大事なことなんだな。わかった、私一人で行ってこよう」
俺の迫力にビビったのか、小夜の声はいつになく小さかった。これは、少し悪いことをしたかな。小夜の方だって、かなり重要なことだろうし。俺は改めて小夜の方を振り向くと、出来るだけ優しく声をかけてやる。
「大丈夫だって。離れてても、お前が勝つことをしっかりと祈っててやるよ」
「そ、そうか!? まあ、お前になんぞ祈ってもらわなくとも私の優勝はほぼ確定しているが……」
頬を赤く染めながら、あれやこれやと早口でしゃべり始める小夜。ありゃ、やっぱ臭いなんてセリフ言うもんじゃなかったか。俺は明らかに挙動不審になっている小夜に、ふうっと息をつく。するとその時、教室の扉が勢い良く開いた。そして廊下から息を切らした佐伯が入ってくる。
「よう、どうした? 酷い顔してるけど」
「それがさ、すっげー情報を仕入れてよ」
「なんだそれ、まさかドラドラの新作でも出るのか?」
「違う違う、モッチーが階段から落ちて緊急入院したらしいんだ」
佐伯の発言にざわめく教室。おいおい、まだ夏休みまでまだ一か月以上あるぞ。その間、うちのクラスはどうなるんだ? 生徒たちはそれまでの雑談を中断し、こぞってモッチーのことを話し始める。ブツブツとつぶやいていた小夜も言葉を失い、俺の方を見つめてきた。
「……どうなるんだ?」
「さあ、俺に言われてもな。たぶん、代打でも来るんじゃないか?」
「代打か。うちの学年で担任を持っていなかったのって、確か鬼島先生だけだったな。ということは、まさか……!」
「うわ……!」
鬼島と言えば、口うるさいことで有名な数学教師だ。態度の悪い生徒や気に入らない生徒には容赦なく「地獄の数学課題」を与えると言われている。山のような課題を終わらせない限り延々と怒り続けるため、下手をすればパンチ一発で済ませてくれる校長よりも遥かに厄介だ。もし鬼島が担任になったら、最悪だぞ……! 俺は課題の山に追われる姿を想像して、げえっと声を漏らした。それと時を同じくして、教室の端々から悲痛な叫びが聞こえてくる。鬼島だけは嫌だ。普段はてんでバラバラなクラスの思いが、今一つになった。モッチー、カムバック!!!!
言葉にならない叫びが教室を満たした時。チャイムが鳴り響き、廊下の向こうから足音が響いてきた。カツカツと、硬質で良く響く足音だ。一体誰が来るのか。俺たちは一切のおしゃべりをやめ、全神経を研ぎ澄ます。そうして教室に入ってきたのは――
「こんにちは、塔堂成美です。今日からしばらくの間ですが、望月先生の代理としてあなたたちの担任をすることになりました――」
第三章開幕です。
よろしくお願いします。




