番外編 仁義なきパーティー
「あはは、今回は本当にお世話になりました!」
頭をポリポリと掻きながら、申し訳なさそうに頭を下げる竹田さん。白銀を倒したおかげで、彼女もすっかり元に戻っていた。満福寺の座敷に集合した俺たち五人――塔堂と白泉先輩は先に帰ってしまった――は、やれやれと胸をなで下ろす。これですっかり元通りだ。明日からまた平和な日常が帰ってくることだろう。……テストの補習がなければだが。
「さて、月奈も元に戻ったし今日は祝いじゃの。寿司を取っておいたから、届いたら皆で食べようぞ」
「おっ! いいですねえ!」
「ふふ、奮発して松銀の特上を頼んだからの、期待しておれ」
「おおっ!!!!」
美代さんがそう言った途端、みんなの肩がピクッと震えた。松銀と言えば、この辺りでは言わずと知れた高級寿司屋である。そこの特上寿司など、出前といえど滅多に食べられるような物ではない。俺も、五日は食べて見たいと思っていたが、貧乏な一般庶民のこと、今まで一度も食べる機会はなかった。それが思わぬことで……口の端から、よだれが出てきてしまう。みんなも同じようなことを考えたのか、普段は表情のない千歳先輩まで顔がゆるんでいた。
「すいませーん、出前のお届けにあがりましたーッ!」
「お、着いたようじゃの」
美代さんは座布団から立ち上がるとパタパタと玄関先まで駆けて行った。やがて彼女は、その小さな体にはいささか大き過ぎるほどのすし桶を持って帰ってくる。だがその顔は、若干だが引き攣っているようにも見えた。何事だろう。まさか、運搬途中で寿司に何かあったんじゃあるまいな? 期待と若干の不安が入り混じったみんなの視線が、すし桶に殺到する。やがてちゃぶ台の上に置かれたそれに、一同は揃って息を飲んだ。
「変ね」
「あれ、足りない……?」
「ネタが一貫ずつ足りない」
「美代姉さま、これは?」
どことなく冷えた声で尋ねる竹田さん。その追求に、美代さんは「ああ、うん……」などと歯切れが悪そうにしつつも、ゆっくりと話し始める。
「向こうの手違いか、わしの勘違いかは分からんのじゃが……四人前が届いたんじゃよ。量はあるし、まあ大丈夫じゃろ」
みんなの視線が、自然とすし桶に注がれる。確かに、美代さんの言うとおり量はあった。もともと、かなり多めの設定なのだろう。女性がほとんどだし、仲良く割ればみんなお腹は満たされるに違いない。だが……ネタは限られているのだ。特に、桶の中央に鎮座する大トロを始めとした高級ネタの数々。それらはすべて四つずつしか存在しない。つまり、この中の誰か一人が食べられない……!!
「ま、まあともかく食べましょうか」
「そうだな」
「ええ」
すし桶についていたお手拭きを箸を各自に配布する竹田さん。全員がそれを受け取ると、綺麗に手を拭き、箸を割った。何とも言えない緊張感が漂う中、先頭を切って美代さんが手を合わせる。
「では、いただきます」
「いただきます」
美代さんに続き、全員が挨拶を終えた。さあ、いよいよ戦闘開始だ。俺の狙いはただ一つ。桶の中心で輝く大トロ。鮮やかな紅と白が混じり合い、全体として淡い桜色の輝きを放つそれは、見ているだけでも舌がとろけてしまいそうな極上の逸品だ。俺は緩む頬を抑えつつ、箸の狙いを大トロに定める。だが……ここで動くわけにはいかない。ネタが四つしかないと言うこの状況、先頭を切って大トロを喰うのはいかがなものか。やりづらい。非常にやりづらい。
他の連中も何かしらの高級ネタを狙っているのか、なかなか箸を動かそうとしない。みんながみんな、周囲の動きを伺っていた。高級ネタを食べるには、人より早くてもいけないし遅くてもいけない。みんなが寿司を食べ始め、場の雰囲気が適度にほぐれた頃にスッと桶から持ち去っていくのがベストだ。全員に行き渡らないことが分かっているこの状況で、最初から高級ネタというのは自殺行為に等しい。最初は出来ればタマゴ、もしくはイカかタコあたりの地味なネタでなければならないのだ。
「クッ……重いぜ」
場の空気が重い。いっそ、先頭を切るか? いや駄目だ、もし俺が先頭を切って食べ始めたりしたら、そのネタを食べている間に大トロが持ち去られてしまう。誰かが食べ始めるのを待つのがベストだ。クソ、早く! 何でもいいから早く食え……!
「みなさん、お腹一杯の感じですか?」
そう言って、首をひねる竹田さん。ナイス、大チャンスだ! ここで「いえ、お腹はペコペコです」とでも言えば、そのまま流れに乗って「それならたくさん食べてください」といってくれるに違いない。そうなれば、大トロに手を出してもさほど不自然ではなくなる……!
「いえ、お腹はぺ――」
「いやー、こんな高級な寿司を食べるのなんて久しぶりだからなぁ! つい緊張してしまって、なかなか手が」
「そうなんですか塾頭? あはは、遠慮なんてせずにドンドン食べちゃってください!」
「そうか、悪いな」
そうは言いつつも、嬉々とした様子で桶の方へと箸を伸ばす小夜。クソ、やられた……! まさか先を越されてしまうとは……! 俺は小夜の顔を忌々しげに睨みつけた。すると小夜はニタァっと邪悪な笑みを浮かべる。そうだ、普段は信頼しているが食卓においては小夜とて敵! 決して油断はできない! チッ、俺としたことがそんな基本的なことも忘れていたぜ……!
小夜も狙いは大トロらしい。箸の先端が、ゆっくりゆっくりと桶の中心の方へと向かっていく。するとその時、小夜の箸の脇を別の箸がすり抜けて行った。千歳先輩だ。先輩の箸はそのまま桶の端に乗せられているガリを挟むと、スッと戻っていく。そして、ガリを一口食べた先輩が一言。
「お寿司はね、最初はガリとかさっぱりしたものから食べるのが通なのよ」
出たーー!! 通っぽい発言! クールで理知的なイメージの先輩が言うと、説得力も段違いだ。さあどうする、どうする小夜よ。この状況下で脂の乗った大トロなど食べられないぞ! さすがは先輩だ、たった一言で小夜の動きをほぼ完璧に封じ込めている。ガリが持っていかれた今、小夜が選択肢に出来るのはさっぱりとした青物だけだ。小夜には悪いが、お前が青物を食べている間に俺たちは高級ネタ、ひいては大トロを喰う! だが、こうして俺が勝利を確信した瞬間――小夜の眼元が歪んだ。
「そうですか? でも、私はいつもお寿司は好きな物から食べてますから」
小夜はそう余裕たっぷりに言ってのけた。マイルール。空気を読まない、いや読まなくても良い王者にのみ許された振る舞いだ。まさかこれを小夜がやってくるとは、完全に読みが外れてしまった。いや、良く考えて見れば十分ありうる事態だったのだ。何せ小夜は、元とはいえオーガ♀だ。地上最強の生物が、マイルールの一つや二つ通せないわけがない……!!
「んー、おいしい! さすが松銀の大トロだな!」
全員の嫉妬の視線をよそに、大トロを堪能する小夜。チクショウ、何て旨そうなんだ! 残された大トロは三貫。どうにか確保しなければならない。幸いにも、小夜のマイルールのおかげで先輩の造り出した「さっぱりした物から食べなければならない」雰囲気は打ち壊された。あとは、王者の風格を持たない俺が初手から大トロを食うという壁を超えるだけ。行ける……! そう思った瞬間、それまでサポートに徹していた竹田さんがにわかに動き始めた。彼女の箸はゆっくりと桶の中心へと向かい――あろうことか、大トロを掴んだ。
「なッ!?」
「む!?」
皆が驚愕する中、竹田さんはゆっくりと手を引き箸を戻した。そして大トロを、美代さんの方へと渡そうとする。何だ、やっぱり竹田さんはサポート役だったのか。俺は再び警戒心を緩めようとした。だがその時、二人は一瞬だがアイコンタクトをし、何か笑ったように見えた。
「美代姉さま、大トロいりますか?」
「いや、わしは大トロよりウ二じゃの」
「そうですか。なら私が」
竹田さんは美代さんに渡そうとした大トロをひっこめると、そのまま自身の醤油に付けて食べてしまった。そしてすぐさまウニを確保すると、美代さんの方へと渡す。そうか、これは二人の共同作戦だったのか……! 竹田さんは美代さんの断った大トロを自然な流れで口にし、かつ美代さんはウニを手に入れる。完璧かつ自然な作戦である。まさか、まさかこの事を予想して最初から気配りキャラを……!? 俺と千歳先輩は揃って竹田さんの方を見た。するとその眼がギラッと輝く。その光は、どこか仄暗い物だった。クソ、見事に出しぬかれたぜ……!
だが――今のは大トロ狙いの俺にとっては好都合だったかもしれない。さすがにこの流れで美代さんが大トロを口にすることはないだろう。となれば、あとは先輩と二人で一貫ずつ大トロを山分けにすれば良い。喧嘩もなく、勘定はピッタリと合う。やれやれ、戦は終わりか。俺は悠々と大トロの方へと箸を伸ばそうとした。だがその瞬間、不意に背後から声がかかる。
「わりー、忘れ物しちまった! ……おッ、寿司食ってるのか!?」
現れたのは、白泉先輩だった。良くわからないが、忘れ物を取りに来たようだ。彼女はずかずかと部屋に入り込むと、テーブルの上に置かれている寿司に早速目をつける。何か一貫、口にしそうな流れだ。俺の頭の中に、タマゴを口にする白泉先輩の姿が思い浮かぶ。だが現実の白泉先輩は、そんな俺の楽観的すぎる予想を物の見事に打ち砕いた。
「うほっ、うめーー!!!!」
「いきなり、大トロだと……!?」
「ありえない、ありえないわそんなこと!」
いきなり現れたくせに、白泉先輩は迷うことなく大トロを口にした。こいつ、空気を全く読まない! 読まないどころか、木っ端微塵に破壊している。破壊者だ。小夜を覇道を行く王者とするのならば、白泉先輩はあらゆる秩序を破壊する破壊者だ。こうなってしまったからには、もはや心理戦など意味がない。いかに早く、大トロを食うのか。先輩とのガチバトルだ! ステータスを素早さに割り振り、箸を極限まで加速させる……!
「ふんッ!」
「ぬッ!」
箸と箸がぶつかる。スピードでは勝っていたが、そもそもの判断が先輩の方が早かったか。だが負けるわけには……! 大トロの上で、俺と先輩の箸が互いにせめぎ合う。だがその時、ピキッとイヤな音がした。安物の割りばしが、力と力のぶつかり合いに耐えかねたようだ。俺と先輩はすぐさま手をひっこめ、態勢を整え直す。
「レディファーストって知ってる?」
「先輩こそ、たまには後輩の俺に譲って下さいよ」
「ふ、考え直す意思はないようね?」
「ええ」
「ならば、勝負あるのみよ……!」
俺たちは互いに息を吸うと、腕を持っていかれそうなほどの勢いで箸を繰り出した。さあ、これで決着がつく……! そう思った瞬間、遠くから声が響く。
「すいませーん! 松銀ですが、手違いで足りなかった分をお持ちしましたー!」
「へッ!?」
「おッ!?」
突然消滅してしまった、戦闘理由。俺と先輩は思わず拍子抜けしてしまった。すると、微妙な力加減で成り立っていた二人のバランスが崩れて――
「あッーー!!!! お寿司が!」
「しまったッ!」
「あーあ、やっちまったな」
俺と先輩は、揃ってすし桶にダイブしてしまったのであった。
初めてのギャグ百%な番外編。
面白く仕上がったのかちょっと不安ですが、ぜひ感想など頂けるとありがたいです。




