第三十九話 グラサンをはずすと……
美少女が、鬼婆になっている……!
俺はセール品に殺到するおばちゃんのようなその鬼気迫る形相に、たまらず足を止めた。金縛り。全身の筋肉が恐怖で石化して、自由に動かなくなる。蛇に睨まれた蛙とは良く言うが、この場合は鬼に睨まれたチキンとでも言うべきだろうか。全身で鳥肌が立ち、ゾワとした感触が背中を走った。俺がそうして立ち止まっているうちに、白銀は早口で呪文を唱える。
「波動・収束・天照す力の欠片。仄暗き陰の大地に偽りの華を咲かせよ! フレア・ストライク!」
白銀の手から光の球が放たれた。それは一直線に俺の頭上を通り過ぎていくと、天井近くに収納されていた工場のシャッターへと直撃する。爆発。金属が悲鳴を上げ、トタンの欠片と共にシャッターが下りる。ついでに屋根の一部も崩落し、入口は完全に塞がれてしまった。俺はチッと舌打ちをすると、白銀の方を振り向く。白銀の憎悪に満ちた顔が、たちまち俺の視界を埋めた。
「これで逃げ場はなくなったわ。ふふ、どうする?」
「舐めるなよ、俺はさっきの発言で全てを失ったからな。三十代無職童貞並みに、無敵の人だぜ?」
「まだ命があるでしょう? そりゃアッ!!」
叫ぶと同時に、白銀の手から光が飛んだ。クソ、威力のしょぼい奴は無詠唱で出来るのかよ……! 俺はとっさのことに冷や汗をかきながらも、バックステップでそれを避けた。そしてその場に先輩を寝かせると、彼女から離れるようにして工場の壁際へと走りだす。背後で繰り返される爆発。それに巻き込まれないうちに、俺はどうにか壁際にある資材置き場へと逃げ込んだ。うず高く積まれた鉄材の壁。大人の背丈よりも高く、そして分厚く積まれたそれらが俺の身体を爆発から守る。数十トンはあるであろう鉄の塊は、そっとやそっとのことではびくともしない。
「チッ……」
軽い舌打ちと共に高い足音が響いてくる。魔法で資材の山を崩すことを断念して、直接攻撃を当てるべく俺の居る方へと走ってくるようだ。耳をすませる。カツ、カツカツ……足音が止まった。その瞬間を見計らい、俺は一気にジャンプをすると資材の山を乗り越えようとする。
「待てッ!」
「待てで待つのは犬ぐらいだよッ!」
積み上げられたエの字型の鉄材。腕力を強化した俺はその場で一気に飛びあがると、その山の頂に手を掛け、身体を持ち上げた。ふわりと無重力。身体が風を切り、放物線を描いて山を乗り越えていく。見下ろせば、悔しげな表情を浮かべる白銀の姿。俺はニッと笑うと軽やかに山の向こう側へ着地しようとした。だがその時、勢い余っておかしな方向に足を出してしまう。靴底が床を滑った。鋭い痛みがくるぶしのあたり発せられ、瞬く間に全身を巡る。グッ!――口から呻きが漏れた。バランスを崩した俺は、そのままコンクリートの床を転がる転がる。
「あらら、無様」
「クソ、しくじった!」
いつの間にか鉄材の山の上に座り、俺を見下ろす白銀。その表情にはすっかり余裕が戻っていた。彼女は手を空高く掲げると、光を集め始める。唇が素早く動き、謳い上げるように呪文を紡いでいく。万事休すか……! 俺はあたりを見回したが、すぐに逃げ込めるような場所は無かった。直撃。バラバラになった自分の姿が、脳裏をよぎる。頭の奥が冷えた。全身の血流が止まりそうになる。
「さあ、消えようか――ん?」
閉じられたシャッターの方から、突如として轟音が響いた。衝撃すら感じる音の波。シャッターが大きく凹み、内側へせり出してくる。ドン、ドンドン! 音はさらに連続し、そのたびにシャッターは薄い紙のようにぐしゃぐしゃに凹んでいった。やがて金属が裂ける耳障りな高音と共に穴が空き、外から光が漏れてくる。
光の向こうからゆっくりと人影が中に入ってきた。それは大きく頑強で、岩を切りだしたような筋肉に覆われている。顔の半分を覆うほどの大きなサングラスを掛けているので、容姿は良くわからないが非常に頼もしい雰囲気だ。世紀末の救世主と未来から来た殺人マシンを足して二で割ったような感じだろうか。だがその体つきや動きは、どこかで見たことがある。服装も、何故か女子の制服だ。こいつはやはり――そう思った瞬間、サングラスが外される。
「グラサンさんを外すと…………オーガ♀!?」
「バカッ! 助けに来たのに何だその言い草!」
「普通そこはイケメンか美少女だろ! お約束を守れ、オーガが出てきてどうする!」
「好きでブサイクやってるんじゃないわ!」
そう言うと小夜は再び表情を引き締めて周囲を見た。鋭い眼差しが俺と白銀の間を行き来する。今何が起きているか、状況を把握しようとしているようだ。何にしろ、助けが来てくれて助かった。俺はやれやれと息をついた。しかし、ずいぶんと早い到着だったな。まだ電話をしてから五分も経っていない。小夜たちが向かった場所とこの廃工場は、市の中心部を挟んで3km近く離れているので、明らかに早過ぎる到着だ。そのことを白銀も疑問に思ったのか、訝しげに眉を寄せる。
「ずいぶん早いご到着ね」
「最初からこうなることは読まれたってことだよ」
「……どういうことかしら?」
白銀の問いかけに、小夜はニッと目を細めた。分かってないなといった表情だ。
「千歳先輩に言わせればもともと胡散臭かった上に、完璧過ぎたんだ」
「完璧すぎ?」
「そう、千歳先輩はあんたに師匠の魔導師番号を聞いただろう? あんな番号、普通は自分の物ですら忘れてるような物だってさ。それをわざわざ師匠の物まで覚えてるなんて、不自然過ぎたんだ」
「そういうこと。それで、あなた一人で来たのかしら?」
「そうじゃない。そうじゃないんだが……先輩は少し遅れる」
「なら問題ないわね」
白銀はそう言うと、鉄材の山から下りて小夜の方へと歩き始めた。その手は大きく膨らんでいて、何か丸い物でも握っているかのようだった。それを見た俺はすぐさま小夜に警告する。
「気をつけろ、そいつは無詠唱で手からビーム出すぞ!」
「了解ッ!」
「遅いわッ!」
掌から放たれる光。小夜は瞬時に姿勢を低くすると、それを回避した。疾走。小夜の巨体が重さを忘れたように加速し、白銀の懐へと潜り込んだ。腰の木刀『秋雨』が瞬く間に抜刀され、宙を切り裂いた。切っ先が白銀の腹を強かに打ちつけ、白いセーラー服が破れる。白銀は顔を歪めると、その場から飛びのいた。彼女は腹をさすりながら、忌々しげに小夜を睨みつける。
「さすがに強いようね。まさに鬼神」
「伊達でこんな見た目してないわ!」
「なら、これでどうよ!」
懐から小さな瓶のような物を取り出し、床に投げつける白銀。固い床に当たった瓶はたちまち砕け、白い煙のような物が瞬く間に広がる。煙幕か!? 俺がそう思った直後、朗々とした呪文の詠唱が響く。図体のデカイ小夜は煙の中でもはっきりと見えてしまうのに対して、小柄な白銀は完璧に隠れてしまっていた。小夜が攻撃できないうちに、大呪文で一気に片をつけるつもりか!
「波動・収束・天照す力の欠片。仄暗き陰の大地に偽りの華を咲かせ――ハバッ!?」
不意に途絶える呪文。やがて吹き抜けた風によって煙が晴れると、そこには茫然とした表情の白銀と、その首筋に木刀を突きつけた小夜が居た。たらり。白銀は額から汗を流すと、小夜の方を睨みつける。
「どうして、私の居場所が分かった!」
「煙は下から上に昇る物だ。だからどうしても、足元はお留守になる。足さえ見えれば後は簡単だ」
「チッ、抜かった!」
「さあ、分かったらさっさと降参しろ! それで私を元の超美少女に戻せ!! ついでに慰謝料を払って、テストをまともに受けられなかった分の成績も……」
「長いわッ!」
小夜がああだこうだとしゃべっている隙に、白銀は素早く彼女から遠ざかった。そして胸ポケットに手を突っ込むと、例の結晶を取り出す。彼女はそれを高々と掲げると、顔に嘲笑を浮かべる。
「手加減してたけど、一気に終わらせてもらうわ」
そう言うや否や、白銀は結晶を呑み込んでしまった。彼女の身体をにわかに青い稲妻が走り、血管が浮かびあがる。膨れ上がる肉。弾け飛ぶ制服。少女の白い肢体が急速に、そして異常な成長を始める。俺は白銀のステータスを開いた。するとあらゆる数字が一足飛びに上昇している。先ほどとは、まるで比べ物にならない変化だ。これは、いよいよ本格的にやばいかもしれない……! その力の波動に、物理的な圧迫感すら感じた俺は堪らず唾を飲み込んだ。さすがの小夜も、引き攣った表情をしている。
「ははは! 直接身体に取り込めば、力の吸収効率は跳ねあがる! もはやあなたたちなんて敵じゃない!」
光に包まれる白銀。やがて光が晴れると、そこには2mほどにまで成長した彼女の姿があった。少女の趣は消え失せて、完成された大人と化している。輝くほどに神々しく、美しく。そして何より――大きかった。常人を圧倒する質量を持ったそれに、俺は愕然としながらつぶやく。
「新撃の……巨乳!」
服が破れた白銀は、ほぼ裸になっていた――。
中身が巨大化すると、何で服も一緒に巨大化するんだろう?
そんな疑問を感じたことって、ありますよね(笑)




