第三十七話 筋肉砲弾
「せ、先輩大丈夫ですか……?」
車体を軋ませながら車道を爆走する自転車。その後方で、俺と白銀さんは揃って青い顔をしていた。三人乗りなら、大したスピードは出ないから逆に大丈夫だろう。断じて先輩のアホな理論に賛同したわけではないが、俺と白銀さんはそう思ってひとまず先輩の誘いに乗った。が、その予想は甘かった。先輩の人並み外れた脚力は、三人乗りの自転車をグングン前へと推し進めている。原付ぐらいの速度は出ているだろうか。耳元でざわつく風と、先輩が足を踏み込むたびに右へ左へと傾く車体が恐怖を醸し出す。
「ス、スピード出し過ぎですよ!」
「へーきへーき! しっかりつかまってりゃ大丈夫だよ!」
そう言うと、腰を浮かせて立ち乗りの体制に入る白泉先輩。チェーンが鈍い音を立て、速度がさらに上がる。俺の後ろに座る白銀さんは、たまらず俺の身体をぎゅっと抱きしめてきた。背中に柔らかい物があたるのが分かる。結構、大きいな……。服越しでもはっきりとわかる柔らかさに、俺の体温が少し上がった。けれど、今はそんなことを考えている余裕はない。俺は先輩の腰のあたりを掴んでいる手に、さらに力を込める。すると、先輩の肩が急に震え始めた。
「こ、こら! くすぐったいだろ! 離せ!」
「離したら落ちます!」
「ならそこじゃなくてもっと別の場所を掴め!」
「は、はい!」
俺はとっさに、目の前にある先輩の体で一番掴みやすそうな場所を手で鷲掴みにした。手に、腹とは全く違うプリッとした感触が伝わってくる。肉がたっぷり詰まっていて、確かなハリとしなやかさがあった。けれどその直後、俺は己のした行為に「やべ……!」と舌打ちをする。慌てるあまり、俺は先輩の尻を鷲掴みにしてしまったのだ……!
「す、すいません!」
「バカ! 気をつけろ」
「本当にすみませ――」
「手を離さないで! 落ちる落ちる!!」
俺が急いで尻から手を離すと、今度は後ろから苦情が飛んできた。手を離したことにより俺の身体がふらっとしたので、それを支えにしていた白銀さんが落っこちそうになったらしい。仕方ない。俺は恐怖を押し殺して唾を飲み込むと、腰を浮かせて先輩の腰にガッシリと抱きついた。チョークスリーパーをかますようにして、肘で身体をしっかりと固定する。これでようやく、姿勢が安定した。俺はやれやれと息をつく。
「ふう……。目的地まで、あとどれくらいですかね」
「この調子ならもうすぐだな」
「良かった……」
ほっと胸をなで下ろす俺たち。美代さんの占いの結果、塔堂が居るとされたの町の北にある廃工場と西側の廃スーパー。そのうち、俺たちが向かっているのは北の廃工場である。俺や白銀さんには全くなじみのない場所だが、そこは町の不良のたまり場だそうで、先輩は地理についてかなり詳しいらしい。
そうしているうちに、前方の視界が急に開けてきた。道路の両端にあった家々が消えて、茜色の空が見えてくる。長い下り坂だった。その下に、広いトタン屋根が見える。夕陽を反射して赤く波打つそれは、俺たちの目的地である廃工場の物だ。かまぼこ型の屋根が三つ並んでいる工場はかなり大きく、薄暗闇の中で独特の怪しげな雰囲気を醸し出していた。いかにも、何かが潜んでいそうだ。
「よし、こっから先は坂だから降り――わッ!?」
坂を前にして、減速しようと先輩がブレーキを握った瞬間。プチンッと小気味良い音がして、T字型のハンドルの両端から何かがすっぽ抜けた。細いヒモ状のそれは――ワイヤーだ。三人乗りなんてむちゃくちゃをしたせいで、ブレーキが壊れてしまったらしい。ブレーキが効かなくなった自転車は、そのまま下り坂に向かって止まることなく突き進んでいく。
「せ、先輩!?」
「落ちつけ、とにかく降りるんだ!」
「は、はいッ!」
先輩の指示を受けて、最後尾に座っていた白銀さんが真っ先に自転車から飛び降りた。彼女は器用に受け身の姿勢を取ると、アスファルトの上をごろごろと転がって衝撃を殺す。それに続き、俺も自転車から飛び降りようとする。だがここで、俺よりも早く先輩が自転車を飛び降りてしまった。ハンドルを支える人間が居なくなり、不安定になる車体。俺はとっさに前方へ移動すると、ハンドルを掴む。
「さ、早く降りろ!」
「そんなこと言われても、なかなか……!」
坂に差しかかりグングンと上昇していくスピード。軽く50kmぐらいは出ているだろうか。ハンドルから手を離すだけで車体が大きくふらつき、とてもそこから飛び出すなんてことはできない。下手をすれば自転車ごと大クラッシュだ。住宅街を抜ける道のため幅は狭く、横滑りすれば電信柱やブロック塀に激突である。ノーヘルでそんなことをやれば、最悪死亡だ。
「とーまーれー!!!!」
一か八か、タイヤに足を巻きこまれること覚悟で足を伸ばす。そして前輪のタイヤを足の裏で挟み込むようにした。キュイイィと激しい摩擦音が響き、自転車の速度が急激に緩み始める。止まれるか……!? そう思って、俺がさらに力を込めた瞬間。足の裏から煙が上がった。強烈な摩擦熱によって、靴底に火がついたのだ!
「熱い! アツアツアツッ!!」
すぐさま足をタイヤから離し、思いっきり振り回す。幸いなことに、ブンブン風を切ると足の裏の火はすぐに消えた。だがそうしている間にも再び速度は上がり、坂の終わりが迫ってくる。急速に大きさを増して行く、廃工場の威容。その敷地に続く門は鉄の格子で出来ていて、ぶつかれば肉が細切れになってしまいそうだ。俺は恐怖のあまり思考が停止しそうになる。
「こ、こうなったら……! 頼むぞ、筋肉!」
最低限の知能と器用を残し、ステータスのほとんどすべてを腕力へとぶち込む。制服の中で、筋肉が爆発するのを感じた。世紀末救世主みたく服が破れるまでは行かないが、膨れ上がった筋肉によって窮屈な制服がミチミチと音を立てる。数値にして250、常人の五倍近い量の筋肉だ。よし、これだけの筋肉があれば……何でも出来るはずだ! は、はずなんだ! 筋肉があれば何でも出来る!!
「うおおッ!!」
坂の終わりにある小さな交差点。俺は少しでも勢いを殺すべく、急ハンドルを切った。当然のように車体は傾き、外向きの強烈なGが俺の身体に掛かる。さながら巨人にでも掴まれたように、俺の身体は空中へと飛び出した。視線はぐんぐんと上昇し、家々の屋根が見えるほどになる。やがて上向きの力が消え、筋肉で重くなった身体は一気に下降を始めた。そしてそのまま、工場のトタン屋根へと突っ込み、それを突き破る!
「どはッ!」
「ぐふほァ!!!!」
……止まったのか? 俺は痛む身体をさすりながら、ゆっくりと起き上がった。トタン屋根を突き破ったせいで、多少の切り傷はあるが身体はほとんど大丈夫だ。筋肉って凄い。鍛え上げられた筋肉の鎧は、俺の身体をきちんと守ってくれたらしい。俺はステータスを元に戻すと、その場から立ち上がる。
「ん?」
ふと振り返ると、何かがコンクリートの床に横たわっていた。白いブラウスと黒のタイトスカートを着ているそれは、どう見ても人間だ。ヤバい、落ちて来る時に押しつぶしたのか? まさか、死んでないよな……。俺は恐る恐る、うつ伏せに横たわっている女の胸元へと手を差し伸べた。心臓が鼓動を打ち、胸がゆっくりと上下しているのが分かる。良かった、生きてはいるようだ。俺は彼女の身体をひっくり返し、仰向けにした。すると――
「なッ!?」
溢れるような色気を感じさせる切れ長の瞳。ぷるぷる震える深い紅の唇。頬から顎にかけてのシャープな白いラインと、それを縁取る豊かな黒髪。そして何より、胸元をこんもりと盛り上げる巨大な山脈とその狭間のグランドキャニオン。いま俺の目の前で気絶しているのは、紛れもなくターゲットの塔堂その人だった――。
やや短めですが、キリが良いので更新です。




