第三十五話 広がる事件
「妹弟子……あの人、また女を連れ込んだのね」
一旦学校へ戻り、真剣塾で起きた出来事を報告した俺たちに千歳先輩はそう言った。彼女はやれやれと肩をすくめると、指をパチンっと弾く。たちまち小夜の身体に絡みついていた鎖が解け、魔法陣が霧散した。不意に束縛から解放され、宙に放り出される小夜。彼女は空中でとっさに受け身の姿勢を取ると、転がるようにして綺麗に着地を決める。さすがに武道家だな、うん。俺が感心していると、小夜はゆっくりこちらへと歩み寄ってきた。
「ふう……助かった」
「どうやらあなたは犯人じゃないみたいだわ。ごめんなさいね」
「いえ、私もこんなことになったので……」
小夜は自らの身体を見下ろすと、哀しげに目を細めた。その顔には深い落胆が見て取れる。まあ、無理もないよな……。この間までの姿と現在の姿を比較して、俺は何とも言えない気分になった。心の中が虚無感で満たされたようである。戻せるものなら、早く戻してやらないと。俺としても、小夜が美少女で居てくれた方が精神衛生上良い。
「さて、くわしい話を聞きたいわ。白銀さんだったかしら、こっちへ来てくれる?」
「はい!」
「ちょっと待て! その前に、どういうことだか説明しろ!」
吠える白泉先輩。そう言えば、彼女は魔法のこととか一切知らないからな。俺たちの様子を見て不審に思うのも無理はないだろう。千歳先輩は仕方ないなという顔をすると、部屋の端へと移動した。そしてそこに置いてあったカバンの中から、大きなスケッチブックを取り出す。……もしかしてまた、あれで説明するのか。
「とりあえず、絵で説明するわ。こっちを見て」
「ん……?」
訝しげな顔をする白泉先輩の前で、千歳先輩はスケッチブックの表紙を持ち上げた。するとそこには、やたらと精細なタッチで描かれた老婆の姿があった。眼がぎょろりと大きく、鷲鼻で、黒い三角帽子を被ったその姿は一般にイメージされる魔女その物である。まさか先輩、いきなり自分は魔導師ですとか言いだすんじゃなかろうな……? 俺はとっさに小夜の方を見やった。すると小夜も同じことを思ったのかどことなく不安げな視線を返してくる。けどまあ、さすがに無いだろう。魔導師というのは普通、正体を外部に明かさない――
「実はね、私は魔導師なの」
「へッ!?」
「あっさり言ったーッ!?」
あまりにもあっけないカミングアウトに、俺と小夜は思わずその場でずっこけそうになった。白銀さんも、口をあんぐりと開けて茫然とした顔をしている。普通、そんなにあっさりと大事なことを言うか!? 俺は思わず、先輩に詰め寄り突っ込みの嵐を浴びせかけたい衝動に駆られた。しかしその一方で、言われた本人の白泉先輩は超然とした態度でその場に立っている。
「へえ……胡散臭い奴だと思ってたら、やっぱそうだったのかよ」
「先輩、信じるんですかそれで!?」
「ああ。こんだけ怪しい奴なら魔導師とかでも不思議じゃないだろ。なんつっても桜だし」
そう言うと、納得したとばかりにうんうんと頷く白泉先輩。そうか、本当にそう言うことでいいのか? 置いてきぼりにされつつ俺たちをよそに、先輩たちはああだこうだと話を進めていく。付き合いが長いだけあって、互いに互いを知り尽くしているようだ。ああ見えて、先輩達って仲良かったんだな。次々と劇画タッチの紙芝居を繰り出す千歳先輩と、それにほうほうと相槌を打つ白泉先輩を生暖かい目で見守る。そうしていると、白銀さんが俺の方をぽんぽんと叩いた。
「あの二人、あれで通じてるんですか?」
「まあ、付き合い長いみたいだから」
「へえ……」
白銀さんの眼が、一瞬、妙な輝きを帯びた気がした。何かを探るような、非常に怪しげな光だ。すぐに元に戻ったのだが、見間違いではない。確かに何かおかしな気配を感じた。これは……まあ、気にするほどのことでもないか。俺がそう気持ちを切り替えると、ちょうど先輩たちの話も終わる。
「さて、私の話は大体これで終わりよ」
「ふうん」
白泉先輩はあまり納得していなさそうな顔をすると、小夜の方を見やった。そして彼女の身体を上から下までジイっと丹念に観察する。その容赦のない視線に、小夜は恥ずかしげに顔を下に向けた。
「先輩……?」
「お前、桜の話だと小夜だそうだが……本当に小夜か? どう見ても男だろ」
「本当です、信じてください!」
「じゃあ聞くが、昨日、あたいはどんなパンツを穿いてた?」
「……なッ!?」
何を聞くんだこの人は!? 質問された小夜だけでなく、思わず俺の顔まで赤くなってしまった。常軌を逸した鋼鉄メンタルというか、恥を知らないと言うか……。とにかくおかしい。小夜は恥ずかしさのあまり、助けを求めるように視線を右往左往させる。けれど先輩はそんな俺たちの様子などお構いなしに、質問を続けた。
「昨日、喧嘩した時に見ただろ? 下手な質問するより、こっちの方が確実じゃねーか
「そう言われると、そんなような気も……」
「ほら、言えって」
「…………黒のレース」
巨体に似合わぬ蚊の鳴くような声で小夜がそう言うと、先輩は嬉しそうにその肩をバンバンと叩いた。ひとまず、納得してくれたようだな。俺はほっと胸をなで下ろす。しかし、黒のレースか。先輩は足長くて太腿もほどよくむっちりしてるし、半端なく似合いそうだな……。俺の頭の中をにわかに桃色の妄想が漂い始めた。表情が少し緩み、鼻の下が伸びる。するとたちまち、周囲――正確には先輩以外の人たち――から冷ややかな視線が殺到した。
「何を妄想してるのよ」
「変態です……」
「一度、死んでみるか?」
「す、すみません……! 許して……!?」
「……ま、どうでもいいわ。興味ないし。そんなことより、白銀さんからもうちょっと事情を説明してほしいわ。ジジイから誰か人をよこすってことまでは聞いてたのだけど、具体的なことはほとんど聞いていなくてね」
そう言った先輩の口調は、どこかよそよそしかった。姉妹弟子という割には、親しくなさそうだ。むしろ、初めて出会った他人に対して話しているようである。どうみても、以前から交流があったようには見えない。これは、一体どういうことなんだろうか。まさか、姉妹弟子なのに知らないのか?
「あの、もしかして先輩は白銀さんのことを知らないんですか?」
「ええ、会うのは初めてね」
「……妹弟子さんなんですよね?」
俺がそう尋ねると、先輩はいつになくうんざりしたような顔をして息をついた。彼女はまたスケッチブックを手にすると、ぱらぱらとページをめくる。やがて指を止めた先には、背の高い男の絵が描かれていた。面長で目が大きく、赤ら顔のそれはどことなくひょうきんな印象だ。さらに鼻の下がだらしなく伸びていて、お世辞にもしまりがない。身体も痩せぎすで、風格にイマイチかけている。
「私たちの師匠のフォークス・アルバルトって人は、腕は確かなのだけどずいぶんだらしのない人でね。才能があって、それなりに可愛い女の子ならすぐに弟子にしちゃうのよ」
「女の敵かよ、酷いなそれ」
「無いですね、さすがにそれは無い」
露骨に顔をしかめる女性陣。彼女たちは何故か、一斉に俺の方へと視線を向けた。……いくら俺でも、そこまでのことはやらんぞ! そもそも、女の子に声がかけられないからな! 俺はフルフルと首を横に振って彼女たちに人畜無害であることをアピールする。これだから、モテない非リアはつらいぜ……!
「……ま、ナンパと同じよ。『わしの弟子にならぬか?』って酒を飲むたびにしょっちゅう声をかけてたわ。さすがに、本当に弟子にする子はそれなりに限られてたけど……。弟子が何人現れても不思議じゃないわね、あの人のことだから」
先輩は気だるげな様子でそう言うと、白銀さんの方を見た。表情や態度に反してその眼光は鋭く、強い猜疑心を感じさせる。まだ何か、疑っているようだ。さすがに魔導師だけあって、容易には警戒を解かないらしい。
「一応、白銀さんに確認しておきたいのだけど……先生の魔導師番号はいくつだった?」
「189947番ですね」
「……そう。間違いないようね。改めてよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」
ペコっと頭を下げる白銀さん。その様子を見た先輩は、先ほどまでとは打って変わって、満足げに目を細めるとうんうんと頷く。あれ、いやにあっさりと信用したな……。小夜の時は、これでもかというほどに粘ったのに。俺は先輩の様子に妙な違和感を覚えた。けどまあ、先輩のことだから深い考えでもあるのだろう。考えてもらちが明かないので、俺はひとまずそれを思考の棚の奥へと置いておく。
「さてと、それで私の事情なんですが。千歳先輩は、師匠から人が送られるというところまでは聞いておられたんですよね?」
「ええ。ラルネのことを連絡したら、人をよこすってすぐに連絡があったわ。まさか、あの師匠がこれだけ早く動くとは予想外だったけど」
「なるほど、そこまで聞いているのならば話は早いです。私は師匠から、千歳先輩のバックアップをするようにと仰せつかってこの町へとやってきたのですが、先輩のことをほとんど教えてもらっていなくて……捜しているうちに、塔堂と接触したと言うわけです」
そう言うと、白銀さんは肩に提げていたカバンから一枚の地図のような物を取りだした。A4サイズほどのそれは酷く単純に描かれていて、辰見高校と駅が一本線で結ばれている。実際は、間に商店街があったり交差点があったりするので必ずしも一本道じゃないはずなんだが……物凄く大雑把に書いた結果らしい。さながら、小学生が走り書きしたようなクオリティーだ。これでは辿り着けるわけがない。
「師匠が渡したのはこれだけ?」
「は、はい」
「いつのも増して酷いわね。ま、いいわ。それで私の情報を集めているうちに怪しい奴を見つけたってわけか」
「そうです、あの学習塾から妙な魔力が感じられましたので」
「事情はわかったわ。うーん……」
先輩は壁の方へと歩み寄っていくと、そのまま背中を壁に預けた。そして顎に手を当てて、うんうんと悩ましげに唸り始める。目を細め、思考に沈むその姿は一幅の絵画のように様になっていた。俺たちはその思考を邪魔せぬように、にわかに息をひそめる。部屋に静寂が満ちて、空気が澄んだ。そして数十秒後、先輩は唐突に目を見開くと、白泉先輩の方を見る。
「凛、あなたそう言えば塾からテキストを盗んだらしいけど……どうしてそんな物盗んだの?」
「ああ、それはな……。見るからに盗んでくれって位置にドリルが置いてあったんだよ。ビルの裏口のすぐ脇に、山積みされてたんだ」
「本当に?」
千歳先輩は背中をグッと曲げると、白泉先輩に詰め寄った。額に皺をよせ、不機嫌そうに眉を寄せたその表情は明らかに疑いを孕んでいる。鋭い眼光。そのあまりの迫力に、さすがの白泉先輩も一瞬たじろいだが、すぐさま「そうだ」といって首を縦に振った。
「そう。じゃあそれが仮に本当だとして、何でそんなの盗んだのよ。勉強なんて全く興味なさそうなあなたが」
「売れそうだと思ったんだよ。転売目的って奴だな。実際には自分で使っちまったけど」
「売れる? 塾のテキストが?」
思わず、きょとんとした顔をする俺たち。塾のテキストが売れる……? 全くといっていいほどイメージがない。そりゃ確かに、本である以上はブックオンあたりに持ち込めば買い取ってもらえるんだろうが、せいぜい百円じゃないだろうか。下手すると無料なんてこともありそうだ。貴重書でもないし、古本屋で買い叩かれる以外の想像が全くできない。
こうして動揺した様子を見せる俺たちに対して、先輩は少し意外そうな顔をした。彼女は「あーらま」というと、ポケットからスマホを取り出す。マスカット社の最新型だ。
「おめーら知らないのか? RINEでめちゃくちゃ話題になってるだろ。『テストの神様ドリル』って」
「……私、携帯が古いからやってないわ」
「私もまだですね」
「そういうのはどうにも苦手で……」
「…………クッ!」
最新型のスマホを持ってても、ぼっちだからRINEやってないとか言えるか! 俺はみんなでワイワイと騒いでいるリア充たちをよそに、一人でパズルゲームをやっている自身の姿を思い出した。ツイッターの件でもそうだが、最近の流行から完全に取り残されているな俺。よし、来年までに何とか友達を一人増やそう……! そう硬く決心した俺は、グッと拳を握りしめる。とりあえず、アプリのダウンロードだけでもやっておくか。登録者はまだ全くいないけど。
俺が悔しさをにじませている横で、千歳先輩は再びうーんと唸り始めた。彼女は額に手を当てると、悩ましげな表情をする。
「ねえ、そのテキストについて話題になってた時の履歴って確認できる?」
「あー、ちょっと待っててくれ。もしかしたらできるかもしれね。すまねーな、あたしも始めたばっかりなんだ」
そう言いつつも、白泉先輩は手慣れた動作でタッチパネルを操作した。するとたちまち、その顔が驚愕に歪む。
「な、なんかやべーぞ!」
「どうしたのよ」
「それがな……!」
スマホの画面を俺たちに見せる先輩。するとそこには、「ご飯食べたかの?」という何とも年寄り臭い文章が溢れていた――。
実は作者も、LINEはほとんど使いこなせていなかったり……
IT化から着々と取り残されております(笑)




