第二十五話 分身とテスト勉強
突然目の前に現れた、二分の一スケールほどの俺。その姿形は大きくデフォルメされていて、いわゆる「ゆるキャラ」のような雰囲気だ。ただし目つきがあまり良くなく、太く黒々とした眉と相まってどことなく不愛想である。この人形のような物体は、その小さな身体をゆらゆらと揺らしながらぺこりと頭を下げた。
「なんですかこれ?」
「あなたの髪の毛を元に作った分身よ。監視役として造ったわ」
「監視、どういうことですか」
「こういうことよ」
そう言うと、先輩はブラウスの胸元に手を当てた。たぷん――細くたおやかな手に揺さぶられ、豊満な膨らみが楕円を描いて弾む。うおお……! 俺はたまらず眼を見開くと、生唾を飲み込んだ。するとその瞬間、どこからかハリセンを取り出した分身が、スパーンと俺の頭をぶっ叩く。思わず前のめりになるほどの威力に、俺は「うへッ!」と声を上げた。
「なんだ!?」
「この分身はあなたとリンクしていてね。あなたが変なことを考えるとおしおきするの」
「は、はあ……!」
「これを使って、今日は精神面での修行……じゃなかった、勉強をするわよ。学習には精神が重要って、この本にもバッチリ書いてあるわ」
例によって、『超人学習の科学』を取り出して力説する千歳先輩。いま、明らかに修行といったけれど……大丈夫なのだろうか。勉強とは、何か無縁のことをしているような気がしてならない。知力よりも先に戦闘力が向上しそうだ。俺、別に何かと戦わなきゃならないわけじゃないんだがな……。小夜とはテストの点数で勝負するが、それに戦闘力は関係ないし。あったら死ぬ。
「さ、早速始めるわよ。そこに座って」
「ああ、はい」
俺が改めて座布団の上に腰を落ち着けると、先輩は部屋の端からちゃぶ台を転がしてきた。やがて先輩は俺の前にそれを置くと、自身もその脇にちょこんと腰を下ろす。俺は持ってきたカバンから参考書を取り出すと、黙って勉強を始めた。その横で、俺の分身がハリセンを構えた状態で正座をする。目つきが悪いせいか、威圧感が半端ではない。俺はチラチラとそちらを気にしつつも、参考書にペンを走らせる。
「ふう……アタッ!」
気を抜いてため息をつくと、すぐさまハリセンが飛んできた。俺とリンクしていると言うのは、まんざら嘘ではないようだ。俺は試しに分身のステータスを開いてみる。すると、全てのステータスが俺と同じ数値となっていた。小さくてデフォルメされてるくせに、腕力や容姿まで同じだ。……俺の顔って、こんなに不細工だったっけ?
「へえ、面白いなこいつ。全部一緒なのか……アイタッ!」
「余計なこと考えてないで、さっさと勉強する!」
「わかりました、はい!」
心を落ち着かせ、目の前の参考書に集中する。XをYに代入して、関数を……頭の中がたちまち数字とアルファベットでいっぱいになった。暗い世界の中に白い文字だけが浮いている。手先から伝わってくる、ペン先がノートを滑る心地よい感触。それだけが現実との接点だった。思考がドンドンと深化していき、頭が冴え始める。おお、これは……凄いかもしれない。この調子なら、学習効果も……!
「あばッ!」
「……船を漕いでたわね」
いつの間にか、俺は寝てしまっていたらしい。口の端によだれが付いてしまっていた。俺はそれを慌ててティッシュで拭きとると、やれやれと息をつく。何か凄い効果があったように思ったんだが……世の中そんなに簡単ではないようだ。俺は再び参考書を見ると、ペンを手にする。小夜は、今俺がこうしている間にも知能を上げているのだろうか。頑張らなくては……! ペンを握る手に、自然と力がこもったのだった。
「そろそろ時間ね」
あっという間に時は流れて、夕方。今日は昨日と比べれば、ずいぶんとたくさん勉強することが出来た。果たして効率が良かったのかどうかはわからないが、結果にはそれなりに期待してよいのではないだろうか。俺はグーッと背中を反らし、いつの間にか凝ってしまった肩をぐるぐると回すと、ステータス画面を開いてみる。すると、知能の数値が……変化していなかった。知力は一日にしてならず、ということか。俺はやれやれと肩を落とす。
「うあァ…………」
「あら、ずいぶんと元気ないわね」
「いや、知力が全く上がって無かったのでつい……」
「それは大変ね。私の方は少し、頭が冴えてるような気がするけれど」
そう言って、気持ち良さそうに首を回す千歳先輩。頭が冴えているって、本当なのだろうか。俺は先輩のステータスを開くと、そのまま愕然とする。知能の数値が、たった1ではあるが上昇していた。このトンデモ学習法、合う人には合うと言うことなのか……!?
「ちょ、先輩! 知能が……」
「上がってた?」
「はい、1ですけど」
「ふふ。信じて勉強すれば上がるのよ。あなた、この勉強法で成績が上がるって信じてなかったでしょう? だから駄目なのよ」
千歳先輩はそう言うと、じとーっと冷たい眼差しでこちらを睨んできた。……はい、その通りです。こんな学習法で効果があるなんて、全く信じていませんでした。信用してなくて、本当にごめんなさい。俺は先輩に対して何とも言えない気分になって、すーっと後ろへ下がった。こんな時、どういう顔をすればいいのか。笑ってごまかせばいいんだろうか。……美少女でもイケメンでもないから、それは無理だな。
「いや、ほんとにすみませんでした。これからは先輩の言うことは全面的に信用します」
「わかればよろしい。その分身、明日まで貸してあげるわ。ラストスパート頑張って」
「はい!」
俺は仕事がなくなってぽけーっとしていた分身を抱きかかえると、先輩に向かってグッとサムズアップをした。すると先輩も、無表情ながらもグッと親指を立ててくれる。よし、時間は限られているが今夜は頑張るぞ……!
「へえ、それで預かったんだこれ」
「大事にしろよ、俺の大切な勉強道具なんだからな!」
その日の夜、俺が部屋で勉強をしていると珍しく妹の万里がやって来た。俺の持っている4DSとソフトを借りに来たらしい。こいつも俺と同じくテスト目前のはずなのだが、本人曰く「平均点ぐらいはそこまでやらなくても取れるし」とのことだそうな。もともと知能は65以上あるので、まあ嘘ではないだろう。口うるさく言っても面倒なだけなので、俺は素直にゲームを貸してやった。するとその時、たまたま目にとまった俺の分身について万里が尋ねてきたというわけである。
「しかしよく出来てるねー、これ。ほんとにただの人形なの?」
「そうだよ。だからそろそろ離してくれ」
「ふーん。でもさ、こうやってやった時の反応とか凄く生々しいんですけど」
万里はそう言うと、分身の顔を自身の胸元にグーッと押しつけた。年の割に大きなふくらみが潰れて、分身の顔が半分ほど埋もれる。するとたちまち、その太い眉がにへらっとハの字になった。頬が緩み、鼻の下が伸びて見るに堪えないようなだらしない顔になる。ちょ、こいつ……! 俺は自分が醜態をさらしているような気分になって、すぐさま万里から分身を奪い取った。
「ちょっとー! なにすんのよ兄ちゃん!」
「お前こそ、人形に変な顔させるな!」
「別に良いじゃん、すんごい気持ち良さそうだったし」
「そういう問題じゃない!」
俺がそうやって強い口調で言い返すと、何故か万里はニタっと不敵な笑みを浮かべた。彼女は腕をグッと組むと、肩を寄せて前傾姿勢を取る。グラビアアイドルが良くするようなポージングだ。さすがに巨乳自慢のグラドルほどではないが、大きめの膨らみが寄せられてかなり深い谷間が出来る。中学生らしからぬ色気だ。
「もしかして、お兄ちゃんの方がして欲しかった?」
「そんなわけあるか! さっさとその変なポーズをやめろ!」
「ほんとかなー? お兄ちゃんってさ、めちゃくちゃ巨乳好きじゃん」
「うぐっ……! とにかく、今の俺は勉強で忙しいんだ。ゲームは貸したんだし、お前は早く部屋に戻れ」
「へーい、つまんないなあ……」
そういうと、万里はずかずかと大股で歩き去って行った。見た目に似合わず、女らしくない奴だ。彼女は乱暴に部屋のドアを開けると、廊下へと出て行く。だがここで、何かを思い出したようにこちらを振り向いた。
「そういえば兄ちゃん、勉強と言えばすんごい塾の噂を聞いたよ」
「何だそれ、塾なんてこの辺にあったか?」
「最近出来たんだって。トイッターでめちゃくちゃ話題だけど知らなかったの?」
「俺は誇り高き孤高のネット民族VIPだ! アホ発見機など使わん」
「それ、単に友達がいなくて誰もフォローしてくれないからでしょ。ぼっちじゃつまんないもんね、あれ」
……妹よ、世の中には言わない方が良い真実もあると学んでくれ。友達が居なくたって、生きていける。きっと生きていけるはずなんだよ……! 精神に特大のダメージを受けた俺は、分身を脇に寄せるとノートPCを立ち上げた。日本中のVIPたちよ、俺の孤独を癒せるのは名前も知らないお前たちだけだぜ。お前たちだけが俺の孤独を分かってくれるんだ。
「あ、兄ちゃん壊れた……。それじゃ、私はもう部屋に戻るから。ゲームは明日返すね」
「ああ」
こうして俺は、勉強を一時中断すると精神を回復させるためネットの海へと飛び込んだ。そして――
「は……! 寝落ちしたアアアァ!!!!」
PCでレポートを造ろうとする→資料を集めるついでに、匿名掲示板を見てしまう→気になるスレッドを発見、ついつい読んでしまう→時間がァ!!
主人公とは違いますが、こういうコンボはリアルに経験したことがある作者です。
まあ、こんなことをやらかすのは私ぐらいでしょうけどね(笑)




