第二十三話 エクストリーム勉強会(修正版)
何故、寺なのか。
そんな俺の疑問をよそに、先輩は本堂へと続く石段をトントントンと昇って行った。その後を追いかけて行くと、石段から伸びる石畳の先に、竹田さんと美代さんが並んで立っていた。竹田さんの白いベール姿が、純和風な寺の風景から異様に浮いていて、形容し難い強烈なインパクトがある。さながら、出来の悪い合成写真のようだ。俺はそれに堪らずビクッとして肩を震わせたが、二人の方から軽く会釈をしてきたので、それに合わせてスッと頭を下げた。状況は良くわからないが……今回の勉強会には、この二人も絡んでいるらしい。
「場所はもう用意できてる?」
「はい、ばっちりです!」
「こっちじゃ」
美代さんに連れられて、俺たちは一段高くなっている本堂へと上がった。奥に控えている、奈良の大仏と同じような形の荘厳な仏像――盧遮那仏とか言ったか――に頭を下げて、その脇にある廊下をさらに奥へと抜ける。板張りの長い廊下が、足を踏み出すたびに鈍く軋んだ。どこへ向かっているのか。俺は、そっと前を歩く竹田さんに聞いてみる。
「あのさ、一体これはどういうことなんだ?」
「どういうことって、勉強会ですよね」
「いや、そうなんだけど……何で寺?」
「ああそれは、単にうちが一番落ち着いて勉強できるからみたいですよ。ほら、街中に比べて静かですし」
そう言われれば、確かにこの場所は静かだ。寺の周囲には広々とした林が広がっていて、その奥には山が聳えている。当然、騒音などほとんどなく空気も良い。気温も若干だが低くて過ごしやすい気がする。環境が良いか悪いかで言えば、間違いなく良いだろう。そうやって考えて見れば、先輩が満福寺を勉強会の会場として選んだのも無理はないかもしれない。
「さて、着いたぞ」
美代さんが襖を開けると、そこには広い座敷があった。まだ青々とした畳がパッと見ただけでは数え切れないほど敷き詰められている。三十畳はあるだろうか。部屋の反対側は深い林となっているようで、そこから差し込む柔らかな木漏れ日が、薄暗い部屋の闇と入り混じって美しかった。
「良い部屋ね。勉強がはかどりそうだわ」
「何の。では、月奈を宜しくの」
「ええ、任せて! 間違いなく天才にして見せるわ」
「え、待ってください! 私も勉強会に参加するんですか!?」
「当たり前じゃろう。実力テストの点数、忘れたとは言わせぬぞよ」
美代さんは眼を細めると、冷え冷えとした視線で竹田さんを睨んだ。竹田さんは「あわ……」と小さく声を漏らすと、顔を赤くして美代さんから視線を逸らせる。そう言えば竹田さん、知能の数値はそこまで高くなかったな。うちの学校の平均と同等か、やや低いぐらいだったはずだ。これは、相当にやってしまったんだろうか。反応が尋常でない。
美代さんは赤面した竹田さんを置いて、スタスタと歩き去って行ってしまった。先輩はその背中が見えなくなったことを確認すると、パンっと手を叩く。
「では、そろそろ勉強会を始めるわ。まず最初にこれを付けましょう」
そう言うと、先輩は持参してきていた大きなスポーツバッグの中から、得体の知れないバネの塊のような物を取り出した。何かのトレーニング器具か何かだろうか。彼女はそれを頭の上まで持ち上げると、バネの隙間からすぽんと被ってしまう。そこからさらに腕を出して、要所要所でパチンパチンと留め金を閉じれば……恐ろしく時代遅れなギプスの完成だ!
「せ、先輩……? 何ですかそれ!」
「これは天才養成ギプスよ。こうやって上半身の筋肉に負荷を掛けることにより、血流量を増やして脳の働きを活発にするの」
「それ、ほんとに正しいんです?」
明らかに怪しい理屈に、すぐさま竹田さんのツッコミが飛んだ。すると先輩はカバンをがさごそと漁って、一冊の本を取り出す。古ぼけた黒いハードカバーのそれには、『超人学習の科学』と金文字で刻まれていた。……裏に貼られた値引きシールも相まって、見るからに胡散臭い雰囲気が出ている本だ。
「大丈夫、この本にばっちり書かれているわ。間違いない」
「その本自体が怪しいんじゃ……」
「ちゃんとした出版社の本よ。民光書房って聞いたことない?」
おいおい、そこって実在すら怪しい出版社じゃなかったか……? 俺と竹田さんは揃って顔を見合わせると、不安を露わにした。すると先輩は、本の裏表紙を開いて「大丈夫!」と声を上げる。
「安心して。ふ学会も素晴らしい本だって推奨してるわ」
「そこに推奨されたら駄目じゃないですか!」
怪しいなんてレベルじゃない。信憑性ゼロだってことが確定しているじゃないか! 俺は付き合っていられないとばかりに肩を落とすと、先輩のギプスに手をかける。
「先輩、考えても見てください。ギプスを付けて勉強する人なんていないでしょう? さ、外しましょ」
「ふ、何を言っているのよ。さあ勉強するわよ。二人も早くつけて?」
人の話をまともに聞いてねえ! 俺は思わず、先輩に対してため口で叫びそうになってしまった。この人、どこかずれているとは常々思っていたが……まさかここまでだったとは。隣を見れば、既に竹田さんは死んだマンボウのような情けない顔をしていた。駄目だ、完全に説得をあきらめてしまっている。頼りにはならない。俺は仕方なく、単身で先輩の説得に挑もうとしたが……駄目だった。勇者は一人じゃ魔王を倒せない。PTが必要なのだ。
こうして差し出されたギプスを着込むと、勉強会は始まった。ギプスは想像していたよりもかなりバネがきつく、腕を上げるのでさえ一苦労だ。こんなのをつけて一日中勉強なんてしてたら、筋肉痛で倒れてしまいそうだ。ましてや俺はインドアオタク。体力の無さに掛けては自信がある。シャープペンを握っていただけで、明日は動けなくなるに違いない。
「さて、どうしたものか」
先輩から渡された数学の問題集。それに記された三次方程式を前に、俺は唸る。腕が上げられないから、筆記する時間は出来るだけ抑えなければならない。だから当然、だらだらと途中式など書いていては駄目だ。けれど俺にそれだけの頭脳はなく、脳内で方程式を解くなんて無理な相談である。せめて、もう少し知能があれば……そう思った俺は、ふと時計を見た。時刻は午前十一時ちょうど。この問題集の解答期限は十ニ時だから、まだ一時間ほど余裕がある。
「そうだ、一回三分でも……」
ステータス再割り振りを使って、知能を限界まで増やしてやればいいだけのだ。一回三分でも、インターバルの時間はたったの十分。時間は一時間あるから、あと四回は使える計算だ。簡単な問題ならばどうにかなるから、その四回で難しい問題を狙い撃ちにすればいい。英語や歴史などなら元々の知識量が問われるからこれは無理なのだが、今回は運よく数学。行ける、行けるぞ……!
「ステータス再割り振り――」
正面に先輩が座っているので、チートがばれるといけないから容姿は削れない。できるだけ素早く文字を書かねばならないことからすると、速度と器用も落とせないだろう。むしろ速度の方は上げる必要性があるぐらいだ。そこから考えると、筋力と体力が狙い目だろうか。俺は問題を手早く片付けるべく、筋力と体力を大幅に削ってそれをすべて頭脳にぶち込んだ。すると――
「あばばばばッ!!!!」
筋力の削除は、予想以上の効果を発揮してしまった。たちまちモヤシになった俺の身体は、ギプスの締め付けによって腕や腰がおかしな方向へと曲がってしまう。骨が、骨が軋む……! 身体が崩れる! 視界が歪むような激痛の先に、俺は花畑を見た。やがて意識が暗転し、先輩たちの叫びが暗い世界で響く。こうして俺は、勉強会の途中でベッドのお世話になることとなったのであった。
「はあ、酷い目に遭った……!」
夕方。勉強会を終えた俺は、未だに痛む身体を引きずりながら帰路についていた。まさか、筋力の減少があれほどまでに影響を及ぼすとは。一歩踏み出すたびに鈍く痛む腰をさすりながら、俺は草臥れたように息をつく。結局、大した効果もなさそうだったし散々だった。勉強会は明日も開催されるそうだが……いくら先輩からの誘いとはいえ、明日はさすがに参加を辞退した方が良いかもしれない。あそこまでやらなくとも、俺の場合、平均点ぐらいは何とかなりそうだしな。
こう思って道を歩いていると、こちらに向かってくる少女の姿が見えた。長く伸びたポニーテール。身体の半分にまで達したしなやかな足。瓢箪よろしく括れた腰、重力に逆らって弾む胸。やや吊り眼ながらも、絶世のと形容してよい日本人形のような細面。一瞬、アイドルでも歩いてくるのかと思ったが……小夜だ。容姿が変化してからずいぶんと立つが、意識していないと未だに別人と思ってしまう。
「タクトじゃないか。ずいぶんと疲れているようだが……どうした?」
「ん、いやさ……。先輩と勉強会をしたのは良いんだけど、いろいろあってさ」
「そうかそうか。ふふ、私の方は順調だったぞ。白泉先輩のおかげで、私も結構良い点数が取れそうだ」
そう言えばこいつ……俺を置いて、白泉先輩の方に付いたんだったな。ずいぶんなドヤ顔だが、本当にその成果はあったんだろうか。俺は野次馬根性の導くまま、小夜のステータスを開いてみる。するとその知能を見て、俺は絶句した。75。つい昨日まで、知能45だったはずの小夜が立った一日で知能75になっている……!
「おま、この知能どうした!? 何でこんなに賢くなってる!?」
「やっぱり上がってたか? どうだ、凄いだろ」
「一体何をやったらこうなるんだよ! どう考えてもまともな方法じゃないだろ」
「それが、意外と普通の方法なんだな」
ニタっと悪戯っぽく笑う小夜。こんな表情をされたら、逆に気になってしまうじゃないか。俺は堪らず小夜に尋ねる。
「一体どうやったんだ。教えろよ!」
「嫌だ。だけど、どうしてもって言うなら……」
「なら?」
聞き返す俺に、小夜は再度笑った。その眼は先ほどまでと変わらず、どこか悪戯っぽい光に満ちている。これは、何か悪いことを考えている眼だ。まさか、改めて俺に勉強を教えてくれとか言うんじゃないだろうな……? 俺は小夜と二人きりで勉強する場面を想像して、ゴクッと唾を飲んだ。いくら今は美少女とはいえ、小夜と二人きりは御免蒙りたい。
俺の気分を察したのか、小夜は一拍の間をおくとゆっくりと口を開いた。そして――
「テストで私と勝負だ! 私に勝てたら、私が何をやったのか教えてやる!」
※最後の展開について、微修正を加えました。
今後のお話には特に影響はない予定ですが、お目通しいただけると幸いです。




