第十九話 喪魂鎧
孫の手。
それはマッサージ器具である。孫に背中を掻いてもらうように、かゆいところを掻くことができることから、その名称がつけられているのだそうな。長さは四十センチほどで、大体のものが木製かプラスチック製。先の曲がった細長い板のような形をしており、その薄さと材質から間違っても武器としては使えない。鋼鉄製の孫の手でもあれば別なのだろうが……そんな物は見たことも聞いたこともない。
美代さんの手にある孫の手は、大多数の孫の手と同じく木製だった。黒く艶のある紫檀のような木で出来ていて、良く見るとかなり古い物のようにも見えるが、特徴らしい特徴はその程度。あとは普通の孫の手と形状など特に変わらない。見たところ、とても使役魔と渡り合えるような品ではなかった。俺はあまりに意外なそれに驚き、思わず天井を仰ぐ。
「お、おい……!? 大丈夫なのか、それ!?」
「見ていてください!」
美代さんの方へと駆け寄ろうとした俺の肩を、竹田さんが掴んだ。振り返ってその眼を見ると、そこに不安は一切見当たらない。良くわからないが、俺は竹田さんを信じて美代さんを見守ることにした。
「なんだそりゃ? 子供の喧嘩かよ」
嘲笑する使役魔たち。美代さんはククっと肩を震わせる彼らを一瞥すると、余裕たっぷりといった様子で笑う。
「まだまだ、これからじゃよ。現れよ、暴虐の化身。殺戮に燃え、終末に嗤い。無知なる八百万をその手で薙ぎ払え! 『鬼子孫々』解放ッ!」
赤い光が孫の手を走る。光は鮮やかな紋様を描きだし、一気に弾けた。硬いはずの孫の手がにわかにのたうち、蠢きながらその大きさを増していく。より長く、長く。やがて美代さんの身長を追い越すほどの長さになったそれは、赤黒い炎のような物に包まれた。その炎は先端の折れ曲がった部分へと収束し、松明が如くに燃え盛る。その中で孫の手の先端部分が急速に肥大化し、五つに分かれた。指だ。太く不格好ではあるが、それは確かに指であった。やがてその指は細く洗練され、爪の部分が異常なまで長く伸びていく。
ざっと十秒ほどの変化。それが終わって炎が収まると、中から現れたのは異形の手だった。刃のような爪。血の通わない黒い地肌。血管が浮き上がり、ねじれた様な造形の手のひら。全てが不気味だが、その物が持つ圧倒的な力は伝わってくる。
「何じゃありゃ……!」
「あれが美代姉さまの『鬼子孫々』です。あの程度の魔ならすぐですよ!」
竹田さんが興奮した口調でそう言うや否や、美代さんは鬼子孫々を斜めに構え、使役魔の群れへと突っ込んだ。一閃。鋭い爪が振るわれ、美代さんを止めにかかった使役魔の腕が切り飛ばされる。あの鋼鉄を思わせるような材質の腕が、一瞬で……! その理不尽なまでの威力に俺は目を見張る。
「ここはわしが何とかする! そなたらは先に行けェ!」
「わかりました! さあ、みんな行こう!」
「ええ!」
「了解です!」
エントランスの正面にある大階段。美代さんが敵の注意を引きつけたことを確認すると、俺たちは一気にそこを上って二階を目指そうとした。すると俺たちの動きに気付いた使役魔たちが、すぐさまそれを阻もうと動き始める。
「待てェ!! 行かせはせんぞ!」
「クッ……破ァ!!」
「$|&%(=’)!!」
竹田さんと千歳先輩の手から放たれる光。それぞれ色は違えど、使役魔に殺到したそれらは強烈な光をまき散らすと同時に激しい爆発を巻き起こした。使役魔たちの動きが一瞬だが止まり、隙が出来る。
「腕力100、速度110……!」
腕力に振っていたポイントを、今度は速力に割り振る。ステータス再割り振り(自)は、三分の間は自由自在にポイントを振ることが出来るのだ。あと残された時間は、正確にはわからないが一分足らずか。それが終わると十分間のインターバルが発生し、その間は能力の使えない元の平凡学生に戻ってしまう。だから今のうちに何とかここだけは切り抜けなければ……! 俺は二人の背中を押すと、足を限界まで速く動かす。
階段を瞬く間に上り切り、敵を振り切ったところで手近な部屋に入る。ここでちょうど、三分が経過した。俺たちは部屋に置かれていた机の陰に隠れると、ふうふうと荒い息をつく。さっきは本当にギリギリだった。あともう少しでステータス再割り振りの効果が切れて、敵に取り囲まれてしまうところだった。……さて、これからの十分をどう乗り切るか。俺は机にもたれかかりながら、同じく息を荒くしている二人の方を見やる。
「どうする?」
「ラルネを捜すしかないわ」
「場所は分かる?」
「もちろん」
千歳先輩はそう言って瞳を閉じると、額にその細い指を押し当てた。彼女は眉間に皺を寄せると、大きく息を吐き出す。やがてその紫の瞳をカッと見開くと、先輩は部屋の東側を見た。
「あっちの方に居るわ。近くに何か大きな魔力もあるわね」
「そうですか。では、気を付けないと――おわっ!」
部屋の扉が開き、使役魔がいきなりこちらに突っ込んできた。黒い拳が机の天板をぶち破り、俺と竹田さんの間を抜けていく。あぶねえッ! 俺たちは机の陰から転がるように飛び出すと、反転して使役魔の方を向いた。
「#%&$&!!」
「ドリャァ!!」
使役魔の放り投げた机と、千歳先輩の魔法が正面からぶつかる。爆音。大きな机がバラバラに砕け、細かな破片が周囲に散らばった。俺たちより机との距離が近かった使役魔は、その破片を頭からもろに被り、一瞬だが視界を失う。
「ぐそ……!」
「今よッ!」
「はいッ!」
千歳先輩は俺の手を引っ張ると、そのまま俺を連れて廊下へと飛び出した。竹田さんもそれに並走し、俺たちと一緒に廊下へと出る。すると廊下の端に、一体の使役魔が居た。視線が交錯。俺は使役魔の赤い瞳を見てしまった。俺たちの存在に気付いた使役魔は、その黒い巨体をガシンガシンとさながら出来そこないのロボットのように軋ませながら、猛然とこちらに迫ってくる。
「先輩、竜前寺さん! こっちです!」
竹田さんが指差す先には、古びた螺旋階段があった。俺たちは迫ってくる使役魔の方に注意を払いつつも、素早くその階段へと移動する。だがここで、階下から頭を貫くような絶叫が響いてきた。
「腰ィーーーーーー!!!!!!」
その悲痛な叫びに、竹田さんがハッとしたような顔をした。彼女は青汁でも飲んだような渋い顔をすると、俺たちの方を向く。
「しまった、ドロンパスの有効時間が……! すみません、美代姉さまの援護に行ってきます。あとから必ず追いかけますので、先へ行っててください!」
「ええ、お大事に……」
俺と先輩が呆気に取られたような顔をしていると、竹田さんはドロンパスの箱を懐から取り出して、急ぎ美代さんの方へと駆けて行った。彼女は迫ってきていた使役魔を「破ァ!!」と一喝すると、敵が動きを止めている隙に廊下の端を通り抜けていく。
「い、急ぐわよ!」
「え、ええ」
俺たちは気を取り直すと、階段を駆け上がり始めた。石造りの塔のような空間を、グルグルと円を描きながら上昇していく。カツカツカツッと、忙しい足音が響いた。やがて目の前に現れた黒い鋼鉄製の扉。相当に分厚く、厳めしいそれを先輩は魔法で容赦なく打ち砕く。鋼が鳴き、風穴が開いた。するとそこから一気に、外の空気が流れ込んでくる。階段の外側はそのまま屋根に繋がっていたのだ。
「居た……!」
傾斜した緑のスレートの奥に、ラルネの姿があった。黒いゴシック風のドレスに身を包んだ彼女は、傾斜の天辺にちょこんと腰かけている。その隣には、手足を屋根から伸びた黒い柱に縛られ、顔をうつ伏せにした小夜の姿もあった。
「小夜ッ……!」
「タ、タクト……! 何で来た、お前じゃ殺されるだけだぞ!」
「大丈夫だ、今助けてやる!」
俺はそう叫ぶと、ラルネを睨みつけた。すると彼女は軽薄な笑みを浮かべながら、その豊かな金髪を掻きあげる。
「思ったよりも早かったじゃないか。意外だよ、もっと苦戦してくれると思ったのに」
「優秀な仲間が加わってくれたからね。さあラルネ、あなたも年貢の納め時よ!」
「あらら、もう勝ったつもりかい?」
「ええ、そうよ。あなたにはもう使える駒はいないはず!」
「ははは、それが残念ながら居るんだなぁ。ここに!」
そう言ってラルネが指差したのは――小夜だった。まさか。俺も先輩も、そして指差された本人である小夜までもが驚きで顔を歪める。一体、こいつは何を言っているんだ。不安が頭をよぎった瞬間、小夜が縛り付けられている柱がにわかに砕け、液体となる。そこから発生した黒い津波が小夜の身体を瞬く間に取り込んだ。
「がァッ! な、何だこれは……!!」
「小夜、小夜ッ!!」
「いけないっ! #%&%’%!!」
先輩がとっさに魔法弾を放つ。だがその蒼い光は、小夜の前に立ち塞がったラルネによって弾き返されてしまう。赤い空に消える光。それを茫然となすすべもなく見つめる俺たち。そうしている間にも小夜を包み込んだ液体は拘束の度合いを増していき、断末魔の叫びと共に、彼女の身体を完全に隙間なく覆ってしまった。やがてそれは腕や足、腰など部分ごとに収束していき、鎧のような形状へと落ち付く。黒騎士。そう呼ぶのがふさわしい、禍々しい気配の全身甲冑が今ここに出現した。俺はただただ唖然とし、その圧倒的な存在感に膝を屈しそうになる。
「ふふ、驚いてるね? これは喪魂鎧。使役魔を僕がより使いやすく改良したものさ。これに取り込まれた人間は、死ぬまで僕の命令に従って戦い続けるんだよ! さあ、呪われし鎧よ。この哀れなる贄たちと踊れ――!」
今回はかなりお堅い感じとなりました。
が、このまま一気に、ペースを上げて第一章完結まで行きたいと思います!
第二章以降はまたコメディー路線にきっちり戻りますので、それまでよろしくお願いします。




