第一話 幼馴染
翌朝。眼を覚ますと真っ先にステータス表が視界に飛び込んできたので、俺は「うへっ!?」と変な声をあげてしまった。何だかんだ言っても深夜のことだったので、てっきり寝ぼけていたのだと思い込んでいたが、そうではなかったようだ。俺は本当にステータスが見えるようになってしまったらしい。何なんだよこれ、凄く邪魔臭いじゃないか。病院へ行けば何とかなるのか……?
そう思った途端、ステータス表はすうっと溶けるように消えてしまった。消すことも可能なようだ。とりあえず、視界がステータスに占拠されると言うようなことはないらしい。これでひとまずは安心だ。俺はほっと息をつくと、今の時間を思い出して慌てて部屋を出る。
「おはよう。今日は早かったわね」
「兄ちゃんがギリギリじゃないなんてめずらしー」
リビングに着くと、母と妹が食卓についていた。離れた会社へ出勤する父は、もうすでに食事を終えて出発したようで、空の皿が流し台に積まれている。俺は空いている席に座ると、すぐに手を合わせた。今日のメニューはトーストとベーコンエッグとサラダ。キツネ色のトーストとカリッカリに焼けたベーコンが香ばしくておいしそうだ。
「あら、小夜ちゃん来ないわね? どうしたのかしら?」
俺がトーストをかじっていると、母さんが壁掛け時計を見ながらつぶやいた。そう言えば、毎朝必ず来襲するはずの幼馴染が今日は来ていない。あいつは俺と違って朝は早いので遅刻なんてことはまずないはずなんだが、どうしたことだろう。珍しく風邪でも引いたのか?
「ははーん、お兄ちゃん小夜ねえに何かしたんじゃないの? それで嫌われちゃったとか」
ニイッと目元を歪め、俺の脇腹を肘でぐいぐいと小突いてくる妹の万里。明るい茶髪とぱっちりとした目元、さらにややルーズに着崩した制服はイマドキ女子といった雰囲気だ。我が妹ながらなかなかに整った顔立ちをしていて、かなり可愛らしい。何となくステータスを表示させてみると、「容姿80」となっていた。通りで美少女なわけだ。
けれど妹よ、その言い方はやめてくれ。俺と小夜が付き合っているみたいじゃねーか。俺と小夜の関係はあくまで腐れ縁であって、断じてそういう関係じゃない。あいつと俺はもっと事務的な何かなのであって、いちゃいちゃするような物ではないんだ。
「……別に何もしてないぞ。けどま、来ないなら来ないでいいんじゃないのか。静かだし」
「うわっ! お兄ちゃん酷ーい! 小夜ねえをそんな邪険に扱うなんてさ。フツメンのくせに!」
「それを言うならなぁ……」
――小夜はフツメンなんてレベルじゃないだろと言いかけて、さすがにやめた。見てくれは確かにその……はっきり言って悪いのだが、性格は良い奴なのだ。いわゆる姉御肌と言ったタイプで、気風が良い上にこまごまと世話を焼いてくれたりもする。嫁や彼女には出来ないが、友達にするには非常に良い人間である。実際、幼馴染として長い付き合いだし、いくら身内とはいえそんなに酷いことを言っては悪い気がした。
「あーあ。でも気をつけなよお兄ちゃん。そうやって胡坐をかいてると、誰かに小夜ねえを取られちゃうんだからね!」
「それはないだろ、絶対」
あいつの学校でのあだ名は「オーガ」だ。そもそも女として認識されていないので、それだけは絶対にない。ありえない。というか、もしそんな酔狂な奴が現れたら喜んでお譲りする。その方があいつも幸せになれるだろうし。
「万里よ、人間は性格も重要だけど見た目も大事なんだぞ。性格さえ良ければモテルなんてことはさすがにないからな」
「何言ってんの? よくわかんないよお兄ちゃん」
「お前にも、いずれわかる時が来るさ」
ただしイケメンに限るは真理なのだよ、妹よ。まだまだお子様で、容姿であんまり苦労したことのないお前には分からないかもしれないけど――これが現実なのさ。俺はそれをイケメンとフツメンで露骨に態度が変わる女子とかに強制的に理解させられた。
「さてと、そろそろ行かないと。行ってきます!」
「はーい、行ってらっしゃい!」
そういうと、俺は不思議そうな顔をする万里を置いて家を出たのだった。
辰見高校。ここが半年前から俺の通っている高校である。家から徒歩十分の距離にある普通科の学校だ。偏差値は五十前後と非常にありふれた数値で、特に力を入れている部活などもない。強いて言うなら、野球部がおととし甲子園に行きかけたぐらいが特徴だろうか。結局行けなくて、今年は元の中堅レベルに戻ってしまっているらしいが。
俺がこの学校を選んだ理由は単純で、家から一番近い公立高校だったからである。小夜もおそらく、俺と同じ理由でこの学校を選んでいる。おかげで毎日寝坊してもどうにかぎりぎりで間に合っていたのだが、今日はちょっとだけ早起きしたので時間が余っていた。俺はゆっくりと住宅街の道を歩きながら、周囲の人々を何となく観察する。
「へえ、まったく関係ない人でも見られるのか」
ステータスを見たいと念じると、全く関係のない人の物でも見ることが出来た。サラリーマン、女子高生、主婦に小学生。どんな人でも思いのままだ。ただ距離には制限があるようで、俺からある程度は離れた人の者は見ることができない。見られる範囲はざっと十五メートルぐらいだろうか。夜中に小夜のステータスが見られたのは、互いの部屋が近かったためらしい。
いろんな人のステータスを適当に観察しているうちに、校門まで辿り着いた。さすがに徒歩十分、あっという間だ。俺はこじんまりとした造りの校門を抜けると、昇降口から教室へと上がる。我がクラス一年三組は、校舎の四階というやや不便な場所にあった。
階段を上がって角を曲がると、教室の方が何やらざわざわとした雰囲気になっていた。一体何があったんだ? 俺は人だかりの中に友人の佐伯の姿を見つけると、よっと声をかける。
「どうしたよ、これ。何かあったのか?」
「ああ、おはよ。いやさ、神凪さんが凄い落ち込んだ様子でさ。みんなで何かあったのかなって話してたとこだよ。お前幼馴染だろ、何かしらないか?」
はあ、どうなってるんだ? いつもの佐伯たちなら、小夜の事なんて全く気にしていないはずなのに。それこそ死んだとかならさすがに騒いだかもしれないが、落ち込んでいるぐらいなら無視する。むしろ「オーガの様子がおかしい!」とからかうぐらいだ。万里と言い佐伯といい、何か今朝から様子がおかしい。
「いや、別に。つか、小夜の事でお前らが騒ぐなんて珍しいな」
「何言ってんだよ。俺たち親衛隊が神凪さんを心配するのは当たり前だろうが」
「待て! いつの間にそんな団体が出来たんだ!? いやがらせのために造ったなら、さすがにヤバいだろ!」
「はあ!? 言いがかりはやめてくれよ、俺たちはあくまで純粋な気持ちで神凪さんを見守っている! ストーカー行為とか一切しないぞ!」
「ええ……!? まあいいや、とりあえず小夜と話してくる」
明らかに様子のおかしい佐伯を突き放すと、俺は教室の中へと入っていた。すると最後列の西端にある小夜の席に、見知らぬ少女が腰かけている。背の高い女の子で、メリハリの利いたボディラインは思わず目をパチパチとさせてしまうほどだった。スカートから覗く白い足は細く長く、ベルトの締められた腰はグッと細く窄まっている。反面、豊かに実った胸は机に乗っかってしまっていて、楕円型にふにゅんと潰れていた。たぶん、Gは堅い。
胸に奪われてしまった視線をゆっくりと上げていくと、そこには美しい横顔があった。きめ細やかな肌が雪のように輝いている。鼻筋は高く通り、ぷっくりとした唇は淡い桜色。深い紫の瞳は強い意志を感じさせ、凛とした印象を与えた。さらにシャープな輪郭を描く細い顎が、彼女のそういった雰囲気を盛り立てている。後頭部から伸びる大きなポニーテールも相まって、全体としてキリッとしたカッコいい感じの美少女だ。
「えっと、君は誰だ?」
「む……タクトか。いや何、少し自分に起きたおかしなことを考えていてな」
「いや、君は誰なんだよ。質問に答えてくれ」
「……もしかして、私の変化がわかるのか!? おお、やっと分かる人間に会えた! タクト、どうして私はこんなことに――」
ガバッと起き上がると、物凄い勢いで畳みかけてくる少女。ずいぶんと親しげだが、一体誰なんだこの子は。こんな美少女、今まであったことないぞ。
「だから、君は誰なんだ! 誰だか分かんないと話とかできないって!」
「あー、すまん。えっとそのだな…………私は小夜だ」
「………………ふぁ!!!!????」
俺は今年最大級の叫びをあげたのだった――。