第十八話 突入!
オランダ屋敷。それは明治の頃に建てられた非常に古い屋敷で、三階建ての洋館とその前に広がる壮麗な庭園からなる大建築である。元々はオランダ人商人が別荘として建てた物だそうで、そのことから地元の住民はオランダ屋敷と呼んでいる。二十年ほど前までは一般公開されていて、この町のちょっとした観光名所だったそうだが、老朽化が進んだために現在では立ち入り禁止だ。修繕して再度一般開放する計画もあるにはあるそうだが、財政難で中断して今では完全に手つかずの状態となっている。
「気味悪いな……」
錆びの浮いた鉄柵の向こうに聳える、巨大な洋館。白い外壁はところどころ剥がれ、煉瓦の土台が剥きだしとなってしまっている。緑のスレートの屋根は土に汚れ、赤錆びの浮いた風見鶏が風が吹くたびに物悲しげな音を立てている。かつては美しく整えられていたであろう庭の薔薇も、手入れが行き届いておらず茨が伸び放題であった。全体として如何にも何か出そう、といった感じの雰囲気だ。吹き抜ける風に、俺は思わず身体をブルリと震わせる。
俺が覚醒してから、二日後の午後八時。あれからいろいろとあったのだが、俺たち四人は、小夜を救出するためそれぞれに準備をしてこのオランダ屋敷の前に集合することとなっていた。だがどうやら俺が一番乗りをしたようで、竹田さんたちはまだ到着していない。こんな気味の悪いところ、一人で立っているだけで心細いんだが……。気を紛らわせるように、俺はトントンと地面を踏んでリズムを刻む。するとその時、通りの向こうに竹田さんと美代さんの姿が見えた。
「すみません、少し遅くなりました」
「ああ、こんばんは。……何かあったのか?」
「すまんの、腰が痛くてなかなか動けなかったのじゃ」
そう言いながら、孫の手で腰をぽんぽんと叩く美代さん。何とも年寄りくさいその仕草に、俺は激しく不安を覚える。ほんとに大丈夫なんだろうかこの人。俺も人のことは言えないが、腰痛で戦闘不能なんて洒落にならない。
「……大丈夫ですか?」
「もちろんじゃ! ちゃんと武器も用意してきたしの」
美代さんは大きく胸を張った。着物を押し上げるたわわな果実が、大きな楕円を描いて弾む。見たところ、武器らしきものは見当たらないのだが……懐に隠し持っているのだろうか。スキルにはないが、暗器でも使えるのかもしれない。俺はまだまだ不安を感じて、うーんと首を捻る。するとそんな俺の気持ちを察知したのか、竹田さんが美代さんをフォローした。
「いざというときは私もサポートしますから。大丈夫、準備はしっかりしてきました」
竹田さんは手に提げていたカバンから大量の符を取り出した。真っ白い和紙に赤い梵字がびっしりと書き込まれたそれは、ざっと見ただけで百枚以上はありそうだ。どれくらいの効力がある物かは知らないが、その数はとても頼もしい。
「おお、凄いなそれ!」
「塾頭のため、頑張って作ったんですよ。丸一日かかりました。……ところで、先輩はまだ来ませんね」
「ん、そうだな……」
腕時計を見ると、予定の時刻を十五分ほど過ぎていた。時間にきっちりとした千歳先輩にしては、珍しいことだ。もしかして、何かあったのだろうか。俺たち三人を嫌な緊張感が包む。三日後に来いと言っていたとはいえ、約束の相手はイリーガルな魔法使いだ。事前に何かされていたところでおかしくは無い。
「遅れたわ、ごめんなさい」
俺たちが顔を見合わせていると、通りの向こうから声が響いてきた。慌てて声がした方に振り向いてみると、そこには黒いコートをバッチリ着込んだ千歳先輩が立っていた。腰に指揮棒ほどのサイズの杖を携え、胸に杯を模した金のエンブレムを輝かせるその姿は、これから戦に赴く騎士のようないでたちだ。あまりに決まり過ぎていて、何かコスプレのようである。
「こんばんは。……めちゃくちゃ気合入ってますね」
「当たり前。それより、あなたこそそんな装備で大丈夫なの?」
先輩は俺を一瞥すると、やれやれと言った口調で言う。俺は普通の学生服に自転車用のヘルメット、さらに野球部から借りてきた金属バットというどうにも頼りない装備をしていた。自分でもこれはどうかと思うのだが……そもそも一般人の家に、戦闘用の服なんてあるわけがない。あって、剣道の防具ぐらいのものだろう。
「これしかなかったんですよ」
「あら、言ってくれれば服ぐらい貸したのに」
「本当ですか? しまったな、借りればよかった」
俺はあははと頭を掻くと、改めて聳える洋館を見上げた。気持ちが一気に引き締まり、自然と背筋が伸びる。竹田さんたちも俺に続いてオランダ屋敷の方を見やると、顔つきを険しくした。
「さて、行きますか!」
「はい!」
「行くかの」
「ちょっと待って」
錆び付いた門扉に手を掛けようとした俺を、千歳先輩が抑えた。彼女は腰のホルスターから杖を抜くと、その先端でコンコンと門の鍵の部分を叩く。するとバチッバチッと、火花が散った。白い光が閃き、小さな雷のような音がする。その様子は、明らかにただ事ではない。高圧電流でも流れているのか? 俺は触れなくて良かったと、顔を蒼くしながら思う。
「結界が屋敷の周囲から庭全体に張られているわ。一時的に風穴を開けて、館の中まで駆け込むしかないわね」
「あの玄関までですか?」
「ええ、あそこまでよ。穴を開けていられる時間は持って三十秒、それまでに辿りつけなければならないわ。それができなければ――」
「できなければ?」
「結界にはじき出されて、空を飛ぶ事になるわ」
先輩はそう言うと、空に輝く星星を指差した。宙を飛んで星になってしまうとでも言いたいのだろうか。その仕草を見た俺たち三人は、思わず「うわっ」と変な声を出してしまう。門から庭を抜けて玄関までの間は、少なく見積もって五十メートルはある。庭は荒れに荒れていて、薔薇を始めとした植木や掘り起こされたように穴ぼこだらけの地面が行く手を阻んでいた。三十秒という時間からすると、それらに足を取られて転んだりすれば、その時点でアウトだ。かといって、スピードを下げていけば間に合わない。余裕があるように見えて、結構ギリギリだ。
「竹田さん、美代さん。行けるか?」
「私は大丈夫です。ですが、美代姉さまは……」
「何、案ずるな。あれぐらいの距離ならば走り切れるわい」
グッと親指を上げる美代さん。ここは、信じて見よう。俺は黙って、彼女の言葉にうなずいた。そして改めて先輩の方を向くと、「大丈夫です」と言って頷く。
「じゃあ穴を開けるわよ。私もすぐに行くわ」
「よし、行こう!」
「おおッッ!!!!」
気勢を上げる俺たち。それと同時に、先輩の手のひらから魔法陣が広がった。光の陣はたちまちのうちに風景を切り取り、ブラックホールよろしく黒い穴が開く。俺たちは地面を蹴ると、一目散にその中へと駆けこんで行った。すると、外から見ていたのとはまるで違う庭の様子が目に飛び込んでくる。
「うわァ……!」
「止まらないで!」
「走れェー!!」
思わず足を止めかけた俺に、先輩と美代さんの怒号が飛んでくる。俺は緩めた速度を戻し、一気に駆け始める。周囲の景色は、まさに異界そのもの。外とは違う赤い空が広がり、血を思わせる冴えた紅の月が輝いていた。木々は不気味に蠢き、庭の中央に設置された噴水からは異様な黒い水が流れ出していた。まさに魔女の住処にふさわしい、恐ろしい世界だ。その上、外から見るよりも館の玄関口までの距離が大きく離れている。軽く百メートルはあるぞ……!
全速力で走る、走る。そうしていると、庭の木々がこちらに向かって勢いよく伸び始めた。節くれだった木の枝が、さながら触手のようにのたうちながら迫ってくる。竹田さんはすぐさまカバンから霊符を取り出すと、それらに向かって投げつけようとした。けれどそれを、並走していた千歳先輩が止める。
「相手にしないで! あれに符なんて使ったら、結界から弾き出されるわよ!」
「で、ですが……!!」
ドンドン迫ってくる木の触手。その先端の葉が、今にも最後尾を走る竹田さんと先輩の背中に触れそうだった。あと十メートル……! ほんの少しなのに!
「しゃあないッ!」
俺は一端足を止めると、竹田さんたちの背後へ回った。そして――
「知能30、器用0、容姿0! 腕力極振りッ!!!!」
瞬間的に195までアップする腕力――もとい、筋力。その有り余る力にものを言わせ、俺は竹田さんと先輩の背中に手を回すと一気に大地を蹴った。足元で土埃が舞い上がり、俺たちの身体はやや前方に居た美代さんをも巻き込んで、勢いよく宙に飛び出す。響く三人の悲鳴。全身にかかるG。やがて綺麗な弧を描いた俺たちは、玄関の扉を破って館の中へとダイブした。……ふう、ギリギリで間にあったようだ。
「あたた……! めちゃくちゃ荒っぽいことしますね! って、その顔やめてください! 死にます!」
「は、早よあれを付けろッ!!」
「死ぬ、死ぬ……!」
俺の顔を見るなり騒ぎ始める三人。間にあったかどうかよりも、こっちの方が重要なのかよ! 俺はあまりの扱いにショックを受けながらも、事前に――最初に技を使った時、半ば強制的に渡された――貰っていた白狐の仮面を着用する。俺自身はキザったらしくてこの仮面はあまり好きじゃないのだが、「付けなければ命にかかわる!」とまで言われたので仕方ない。……自分では見ていないのでわからないが、容姿0ってよっぽどなんだな。
俺が仮面をつけると、三人はようやく息をついた。するとその時、どこからか「ようこそ! 我らが館へ!」という声が響き、部屋全体が明るくなる。驚いた俺たちが辺りを見渡すと、広いエントランスの両端に燕尾服の男たちがずらりと並んでいた。しかも、男たちは揃いも揃ってかなりのイケメンである。まるで、どこかのホストクラブのお出迎えのようだ。その様子に、竹田さんと美代さんは黄色い声を上げる。
「す、凄い! イケメンです! イケメンランドです!!」
「ほう……! 素晴らしき美男子たちよの!」
「気を付けて! あいつら全員使役魔よ!」
「えッ!?」
「何じゃと!?」
先輩がそう叫ぶと、男たちは揃ってニタァっといやらしい笑みを浮かべた。やがてその中から一人の男が出てくると、俺たちの前で高らかに宣言する。
「よくお越し下さいました。我ら一同、心よりあなた方を歓迎致します。ではお受け下さい、我らが死のおもてなしを」
声が響いた直後、男たちの背中が割れた。中から黒い骨格が現れ、肉の身体は瞬く間にそれに取り込まれていく。使役魔だ。しかも一体一体が、かなりの大きさである。三メートルはあるだろうか。数十体はいると聞いていたが……いきなりこれだけの個体が勢ぞろいかよ! 俺は状況の悪さに堪らず冷や汗を掻いた。敵の気配に圧倒されて、手足が軽く震える。けれど、ここで負けるわけにはいかない。気持ちだけでも勝たなくては! そのために俺は力を手に入れたんだ。そのためにトラックにはねられたんだ! こんなスケルトンもどきの十体や二十体、軽くなぎ倒してやらァ!!
「面白くなってきたじゃねえか! やってやらァ!」
「待て! ここはわしがやろう」
無理やりに雄叫びをあげる俺。それを美代さんは軽く手で制すると、一人で使役魔たちの前へと躍り出た。彼女はこちらに迫ってくるその群れを一瞥すると、吐き捨てるように言う。
「貴重な貴重な美男子たちを……良くも台無しにしおって……! このわしが成敗してやるわ!」
「はははッ、貴様一人で何が出来る!」
「ふん、見せてやろう。わしの最強の武器を……!」
もったいぶるように、動きに「タメ」を作る美代さん。――何が出るんだ? 俺たちはゴクリと唾を飲むと、彼女の手元を注視した。最強の符か? それとも経典か? 俺はさながら漫画の主人公が新必殺技を出すときのような期待感で、瞬き一つせずに美代さんを見守る。すると彼女が取りだしたのはあろうことか……
「孫の手…………!?」




