第十四話 黒猫
少女というのは、愛されるように出来ている。
親に依存しないと生きていけない人間の赤ん坊が、自然と万人に好まれる姿となったように、少女もまたそうなのだ。ロリータ・コンプレックスという言葉もあるが、愛の対象としてではなく好意の対象としてならば、ほとんどの人間が少女を好きだというだろう。俺ももちろん、そのほとんどのうちの一人である。
けれど――振り向いた先に立っていた少女は、全身の毛が逆立つようなおぞましい気配を放っていた。ここに居てはいけない。存在自体に、明らかに異質な物がある。黒いゴシックロリータ風のドレスを着て、柔らかな金髪を揺らす彼女の様子は、さながら良く出来た肖像画のようだ。けれど俺は決してそれを綺麗だとは思えず、深い蒼の瞳も、精緻に造られたビスクドールのような顔立ちも、全てが作り物のように見えてしまった。
「さっきの術、霊術の一種だよね。君、そんな格好だけど法師さんなのかな?」
「は、離して!」
「バカだなぁ、そう言われて離す人なんていないよ?」
少女は竹田さんの顔に手を伸ばすと、顎の先から頬にかけてのラインをスウッと撫で上げた。白くほっそりとした手が美しい顔を撫で上げる様は何とも官能的だが、今はただそれが恐ろしい。この子、一体何者なんだ……? 俺は急いでステータスを開こうとした。その時、俺の耳に野太い叫び声が響いてくる。
「てめえ、うちの生徒に何をしやがる!」
スーツの袖をまくり、力こぶを作る校長。興奮しているのか、口調がヤンキー時代に戻っている。彼は怪物たちの合間を素早く通りぬけると、拳を振り上げて少女に殴りかかった。校長の腕力は七十。不良として鳴らしていただけあって、現在でもかなりの高水準だ。それに殴られれば、俺より頭一つ低い少女など吹っ飛ぶ――はずが。
「我、右手に剣を所望する。ソード・ア・ディスタンス!」
「ふがァッ!?」
刹那のうちに伸びた光。剣の形に収束したそれは、校長の肩を貫く。絶叫。校長の口から声にならない叫びが漏れた。出血。グレーのスーツがたちまち赤黒い色に染め上げられ、血がぼたりぼたりと滴り落ちる。彼はそのまま意識を失い、手で肩を掴みながら崩れていく。
俺は顔を蒼くしながらも、校長のステータスを表示した。HP三十、体力二十五――良かった! 普段の半分以下になっているがまだきちんと生きている。致命傷とはならなかったようだ。俺は急いで彼のもとに駆け寄ると、その身体を抱える。
「校長!? 貴様ァ!!」
小夜は恐ろしいほどの大声を上げると、こちらに向かって飛び出そうとした。だがその行方を、怪物たちの黒い巨体が阻む。彼女はそれを手にした木刀で振り払おうとしたが、奈何せん、多勢に無勢。ガッシリと通せんぼされてしまった彼女は、こちらに来ることすらできない。
「クッソォ! 校長、タクトッ!!」
「竜前寺さん……!」
「君たちは静かにしていてよ。僕はこのおっさんにちょっと用があるんだ」
カラカラと高笑いをしながら、こちらに近づいてくる少女。頬を緩め、目を細めたその姿はさながらこの世に蘇った悪魔のように見えた。俺は身体をブルリと震わせると、彼女のステータスを表示する。すると、そこには絶望的な数値が表示されていた。
・名前:ラルネ・フォンシール
・年齢:13
・種族:人間(強化状態)
・職業:魔導師 コレクター
・HP:170(120)
・MP:110
・腕力:105(55)
・体力:100(50)
・知能:70
・器用:70
・速度:130(80)
・容姿:90
・残りポイント:140
・スキル:黒魔術 杖術 ソウルハント
「クッ……! なんつー化け物だよ……!」
強化状態とはいえ、恐ろしい数字だ。身体能力だけで小夜とガチバトルが出来るレベルじゃないか。その上、さっき校長に使って見せたような魔術もある。ただのオタク学生の俺に、とてもどうにかできるような相手じゃない。身体の芯が冷えて、気持ちの悪い脂汗がとめどなく溢れてくる。口が渇いた。自然と息が荒くなり、ハアハアと情けない声が漏れてしまう。
「拍動が加速している。僕が怖いのかい?」
「そ、そんなことあるか! 何で校長を狙ってるのか知らねーが、渡さねえ!」
俺は震える足を無理やりに立たせると、精いっぱい胸を張った。そうでもしなければ、恐怖で心がへし折れてしまいそうだった。そんな俺の虚勢を見た少女は、口の端をニイッと吊り上げると愉しげに笑う。
「そうかい。なら死にな。――深淵より伸びる異形の手。それが握るは血の器。我が断罪の剣、今その欠片に魂を注がん。来たれ! ソード・ア・スピリアル!!」
いきなり、少女の手より放たれる光。先ほどの物より遥かに強力に見えるそれは、嫌にゆっくりとこちらへ迫ってきた。もしかして、これが走馬灯というやつなのだろうか。俺はゆっくりとした時間の中で、そんなことを考えてしまう。当たれば俺なんてひとたまりもない。それが感覚的に理解できてしまったのだ。すぐさま逃げようとするが、足は動かない。思考は極限まで加速しているが、日頃怠けていた身体はそれに追いつけていないようだ。俺の脳内で絶望ともどかしさが急速に増大していく。
無理だ――あきらめが首をもたげた時だった。どこからか小さな黒い影が飛び出してきて、俺たちの前へと立ちふさがる。それは猫だった。最近校長が拾ってきた猫で、確か名前はミーちゃんとか言ったか。それが雄々しく二本足で立ち上がり、俺たちを庇おうとする。
「?%!=$&##」
得体の知れない言葉。さながら不器用なコーラスのようなそれは、いくつもの音が多層的に重なり合っているようであった。意味はさっぱりわからないが、中身が詰まっていることだけはわかる。そんな不思議な言葉が響くと同時に、淡い光の壁が現れる。蒼い正三角形をしたそれは、瞬く間に薄く広がると俺たちの前をしっかりと覆い隠した。衝突。光と光が正面からせめぎ合い、洪水となってあたりに溢れ出す。
白い世界。やがてそれが収まると、壁があった地点には小さなクレーターが出来ていた。その向こうで、少女が驚いたように声を漏らす。
「圧縮詠唱……! 桜だね!?」
少女の問いかけに、ミーちゃんはコクりと頷いた。まさか……! 俺は大急ぎで、ミーちゃんのステータスを開こうとした。すると、本来は動物のステータスは見られないはずなのに、あっさりと開くことが出来た。そこには――
・名前:千歳 桜
・年齢:17
・種族:人間(猫化状態)
・職業:高校生 魔導師
・HP:80(130)
・MP:5(80)
・腕力:20(45)
・体力:15(55)
・知能:80
・器用:40(80)
・速度:30(60)
・容姿:50(95)
・残りポイント:90
・スキル:黒魔術
「せ、先輩!?」
名前と括弧の中に表示されているステータスは、間違いなく千歳先輩の物だった。どおりで見つからないわけだ、まさか猫になって校長先生のもとに潜り込んでいたとは。おそらく、拾った校長先生も知らなかったに違いない。俺は驚いて先輩の方へと身を乗り出すが、すぐさま現在の状況を思い出して、再び身を縮める。
「なるほど、猫化していたのか。上手く魔力を辿れないはずだよ」
「力を回復させるには、これが一番」
「そうかい。まあいいや、君の方から出てきてくれて手間が省けたよ。オッサンから魔力の残滓を探るには、結構時間がかかりそうだったからね。ふふ、その様子だと君はさっきので力をほとんど使っちゃったでしょ。今なら楽勝だよ?」
「……チッ」
額に皺を寄せる千歳先輩。少女の言うとおりだ。今の彼女のMPは五、魔法の消費魔力はよくわからないが平常時と比べて十分の一以下にまで落ちている。対する少女のMPは、あれだけの魔法を使ったのに未だに九十以上。魔法の打ち合いとなれば負けるのは目に見えていた。かといって、猫の状態では肉弾戦などもっと不可能に近い。
何か方法は……! そう思った時、ステータスの「残りポイント」が目に止まった。そうだ。このステータスがRPGと同じならば、ポイントを振ることによってその分だけ「今のMP」も上昇するはず……!
「先輩、いまMP送ります!」
「えッ!?」
俺は先輩の持っている九十ポイントのうち、五十ポイントをMPへと注ぎこんだ。すると俺の予想した通り、最大MPだけでなく現在のMPもきっちりと五十ポイント増加する。よし、これで……! 俺はグッとガッツポーズをした。その直後、先輩の身体がにわかに光を帯び、元の姿へと戻っていく。
「これは……! 魔力が戻った?」
「バカな! おいお前、一体何をした!」
「”%&&%’(」
「しまった!!」
響き渡る呪文。少女が俺に気を取られている隙に、先輩の手から光が放たれた。白い光は少女の脇をすり抜け、その奥に居る竹田さんの方へと殺到する。竹田さんの身体を絡め取っている、醜悪な木の幹のようなもの。それがたちまち白い炎に包まれ、燃えた。直後、竹田さんは身を激しくよじると一気に身体の拘束を打ち破る。解放された彼女は軽く肩を回すと、今まで見たことのないような強い視線を少女に向けた。
「……ふう、これで二対一ですね。今度は油断しませんよ?」
「やれやれ、少しばかり分が悪くなっちゃったね。しょうがないなあ……」
そう言って少女は左手を高く掲げると、指をパチリと弾いた。すると小夜と戦っていた怪物たちの形状が崩れ、さながら水が人を飲みこむようにして小夜の体を包み込んでいく。小夜は霊刀を振るって抵抗しようとしたが、瞬く間に黒い塊の内へと取り込まれてしまった――!
「しまッ……タクト……!」
「さ、小夜!? お前、小夜に何をしたァ!!」
「人質だよ。彼女はこのまま僕が預かっていく」
「なッ!」
「そんなことさせません!」
竹田さんと千歳先輩がすぐさま構えを取った。だがそれを少女は、おどけたよな仕草で制止する。
「おっと、それはいけない。今のこいつらは融合したことで高純度の魔力の塊みたいになってるんだ。魔法をぶつけて見ろ、ドッカーンだよ。そうなったら……わかるね?」
「あなた、そのつもりでわざわざ使役魔なんて……!」
「ま、使わないつもりだったんだけどね。貴重な使役魔を使い潰しちゃうし。そんなことより、この子を助けたかったら僕の指示に従ってよ。そうだなあ、三日後の夜十時にオランダ屋敷までおいで。そうしたら返してあげる」
そう言うと、少女はひと固まりとなった怪物たちの上に飛び乗った。黒い塊は小夜を内に封じたまま重さを失い、ふわふわと風船のように浮かび上がっていく。やがてそれは上空を吹き渡る風に流され、群青色の彼方へと消えて行ってしまった。俺は茫然と空へと手を伸ばし、喉も裂けよとばかりに絶叫する。
「小夜、小夜オオオォッ!!!!!!」
とりあえず、二度目の山場に入りました。
シリアスパートはコメディパートと比べてやや受けが悪いようですが……これから楽しんで頂けるよう、頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします!




