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恋人はゲームの住人(仮)

ゲームの中の彼と彼女

「よし、あの夕日まで競争だ!」

「何でやねん!」


 焦げ茶よりはやや淡い、寝癖の跳ねたショートヘアの元気の良さそうな女性、志藤 旭(しどう あさひ)と、少し長めの黒いレイヤードカットに細身で長身の男性、暮野 麻辰(くれの あさとき)は幼馴染みの為か、毎日一緒に下校する。

高校からの帰宅時、唐突に旭は麻辰の予想しない行動に出ようとする。


「まったく、そんな事ではボクシング界の星になれないぞ?」

「いや、全然ボクシング興味ねーし」


 夕日まで競争する事とボクシング界の星の関連性もよく分からない。

だが麻辰はこうして旭と話している事が一番好きだった。




 ここは『桜色の思い出』という、恋愛ゲームの中だ。

ゲームの中と言っても、サーバーのような物の中でキャラクター達が同じような日常を繰り返している世界で、プレイヤーはこの世界からデータを借りて個人のデータを作る事で各々の世界をプレイ出来る、という異次元世界のような世界だった。

しかし、その世界がリアルすぎて自分の意志を持って動く事の出来るようになってしまった為、モブキャラ兼監視員を設置する事で、入力したデータを逸脱した行為に及ばないよう監視役がゲーム内に常駐している。

 麻辰はそのゲームを作った『異世界プロジェクト』の恋愛ゲーム部門ゲーム内監視員兼モブキャラとして、データ上はメインヒロインの一人である志藤旭の幼馴染みとしてこのゲームの中で生活していた。



「……って、そう言えば、幼稚園の時に、お昼寝の時間麻辰と勝手に幼稚園飛び出しちゃって無茶苦茶怒られたよね」


 不意に思い出した事を懐かしい瞳で語る旭にちょっぴり心が痛む。


「……そーだっけか?覚えてねーな」


 麻辰は態とぶっきらぼうに答え、格好付けているように見せかける。


「またまた!ホントは覚えてるくせにカッコつけちゃって〜!」


 ニヤニヤした表情で麻辰の背中を叩く旭と距離を感じ、話題転換を試みる。


「……そういや、中間返ってきたよな。どーだった?って聞くまでもねーか」

「あああ!その言い方は酷い!」

「じゃ、見せてみろよ」


 急に大事そうに鞄を抱える旭に、意地悪そうに麻辰は鞄を奪おうとする。


「赤点は免れた!免れたのだよ!!」


 旭は必死に自己弁護するが、星奉学園の赤点は平均点の半分で、お世辞にも良い点とは言えない。

麻辰は深い溜息を吐き、付けてはいないが眼鏡を直すような素振りをした。


「……強制補習授業をせねば、だな」

「げっっっ!あ、麻辰様!ど、どうかお慈悲を!!」


 旭は麻辰に手を合わせ、必死に拝み倒す。

それは麻辰の加虐心を大いに奮い立たせた。


「よし、早速帰って勉強だ」

「うぎゃぎゃぎゃっっっ!!あ、麻辰のドS野郎〜!!!」



「……そういえば、麻辰は部活やんないの?」


 自宅に戻り麻辰と勉強をする羽目になった旭はつまらなさそうに教科書を開きながら、高校年1学期も後半に差し掛かっているのに部活を始めない麻辰に疑問を感じ、尋ねる。


「帰宅部。」

「えー?麻辰何でも出来るのに、勿体ないよ〜!」


 旭は麻辰のつまらない返答に憤慨しているが、正直本業の調査の為、記憶しなければならないキャラクターのデータを山積させている麻辰には、部活を楽しむ時間は無かった。


「出来る、と好きは違うしな。それよりその問い、初っぱなから間違えてんじゃねーよ」


 初歩の初歩である問題を解かせていたはずが、いきなり計算方法をミスっている。


「……ってか、お前も部活なんかしねーで、毎日俺の授業ちゃんと受けて、せめて平均は取れよ」

「……授業じゃなきゃ、そうしたいけどね〜」


 怒られて溜息を吐きながら計算し直す旭の口から意味深な言葉が飛び、麻辰に動揺が走る。

だが己の言動に対する冗談の上での応対かと気付くと、自分自身が滑稽に感じ、教鞭の鞭を強めた。


「せ、せめて飴とムチを要求する!このままでは兵士は犬死にだ!」


 ようするに、厳しいばかりだとやる気が出ない、と言いたいらしい旭の主張に、多少理に適っていると判断した麻辰は暫し考えに暮れる。

旭は現在、星奉学園の制服を着替え、グレーのパーカーにジーンズというラフな格好をしていた。


「……お前、本当に星奉の制服似合わねえよな」

「そ、それのドコが飴?!!どうせなら、今の格好可愛いな、よく似合ってるよ、って言うんじゃ?」


 そう叫んでから、旭は己の服装を思い出し、項垂れる。

あまり似合うと言われて嬉しい装いではなかったからだ。


「……っち!今度はスゴい服着て褒めさせてやる!ベタ褒めさせてやるぞ!」

「いや、スッゲー似合う、誂えたかのようだよ」

「今言われても嬉しくないーーー!」


 旭はその場に寝転がり、駄々っ子のように手足をバタつかせる。

麻辰は不意に立ち上がり、机に置いてあったのど飴をそっと旭の側に置き、定規で旭を突いた。


「ほら、お前の好きな飴だ。さて、鞭の続きをするぞ」

「……ホントの飴よこすとは怠惰な」

「なら返せよって、もう食ってんじゃねーか」


 言葉とは裏腹に、旭は早速飴を嬉しそうに口に放り込んだその直後、顔を顰める。


「これ、辛ッ!!飴ですらないとはさては貴様、暴君か!」

「普通ののど飴だろ。この甘ちゃんが」


 麻辰はふと、自分の買ったのど飴が甘さ控えめハイパーミントという触れ込みだった事を思い出し、下階へ下りて作ってきた甘めのココアを旭に進呈した。

それを飲む旭の表情は、極上の笑顔であったという。


* * *


 昼食を早めに済ませ、校内をタブレット型の端末を片手に麻辰は調査する。

昼食にあまり時間を食うと、旭がやってきて昼休みが無くなってしまう。

クラスが違ったのはその為かと勘ぐってしまうほどに、旭はよく麻辰の元へと足を運ぶ。


「……あいつ、友達いねーのかな」


 不意に不安が麻辰を過ぎるが、移動教室での移動中遭遇した旭は、女生徒達に囲まれ、過剰なほどに慕われているように見えた事を思い出し、安堵の溜息を吐く。


「……いや、俺が心配する事じゃないけどな」


 幼馴染みで、色々と幼い旭は妹のような存在でもある、だから仕方ないと麻辰は自己弁護する。

思わず反れてしまった己の思考を元に戻し、手元のデータと取り敢えず性格設定を覚えたキャラクター達の行動を見比べてみる。

問題行動を起こしそうな様子もなく、楽しそうに日常生活を送っている。

一通り監視を終え、麻辰は己の教室へと戻っていった。


「あ!来た来た!長いトイレだなー」

「違うわ、黙れ」


 予想通り、昼休みも終わりに近いというのに旭は麻辰の机に寄り掛かり、麻辰を待っていた。


「いっつも昼休みどっか行ってるし、トイレで踏ん張ってるとしか……」

「……女の言う事か、それ?違うと言ってるだろーが」

「じゃ、何してたんだよ〜?」


 麻辰の行動を逐一知りたがる旭に若干苛立ちを覚えなくはないが、不名誉な行動で納得していられるのも不愉快だった麻辰は言葉を濁し、無難な説明を考える。


「……女の物色」

「え?!!」


 正確には女だけでは無いし、物色している訳では無いが、本当の事を言うのは当然御法度であった為、一応高校男子が取ってもおかしくなさそうな行動を簡潔に述べる。

そこに男も入れなかったのは、余計不名誉な結果になりそうな上、更なる理由を聞かれそうだったからだ。

旭は思いがけなかった理由に驚愕し、絶望にも似た表情で麻辰を見詰める。


「……た、確かに、この学校、可愛い子多いけど、さ……」

「何そんなにビックリしてんだ?」

「え?!べ、別に?!……ちょっとキャラじゃないな、と思ったから、だよ……」


 旭の驚きように麻辰も意表を突かれ、まずい説明であった事を理解し、焦燥感を感じ始める。


「……いや、物色っていうか、なんだ、その……」

「……あ、も、もう教室戻んなきゃ!」


 麻辰の言葉を制し、何だか足が覚束無ず、千鳥足のような状態で旭は教室を後にした。


 放課後、普段なら旭が教室まで迎えに来るのだが、今日に限って現れなかった。

麻辰は胸の中にある不愉快な気持ちに後押しされ、旭を教室まで迎えに行った。


「……あ」

「おう、来ないから来たぞ」


 既に友達と帰ろうとしていた旭を引き留める。

麻辰が旭の友達と思われる数人の女性に視線を配ると、女性達は何かを察したらしく、旭を置いて帰ろうと無言で頷き合った。


「んじゃ、旭、私ら、行くね」

「え?!ちょ、何で?一緒に帰ろうよ?」

「ダメだよ、旭!今日は暮野君と帰らないと。暮野君、今度旭貸してね」


 女性達は一方的に話すと、さっさと二人を置いてその場を離れる。

その場に残された微妙な空気が二人を包んでいた。


「……取り敢えず、帰るぞ」

「う、うん……」

「……旭、右手と右足が一緒に出てるぞ……」

「あ……い、いや、今流行なんだよ、これ!」


 旭のボケに多少麻辰は浮上したが、以前として空気が重い。

微妙な空気も引き連れ、二人は学校を後にした。



 二人はお互い黙ったまま、歩を進ませている。

沈黙が、微妙な空気の勢力を増大させ、余計に会話を始める力を沈静化させていた。


「……あのさ」


 始めに沈黙を破ったのは、旭だった。

微妙な空気と戦っていた麻辰は、突然聞こえた旭の声に思わず身構える。


「さっきは驚いてゴメン。麻辰が女を物色しようが、男を物色しようが、麻辰の自由なのに……」

「そこで何で男を……あ、いや、そうじゃなくて、こっちこそ悪い」

「何で麻辰が謝んの?!」

「嘘吐いたからな」

「え?!!」


 麻辰の衝撃の発言に、旭は驚きのあまり、口を開いて制止する。


「……う、そ?」

「……ああ」


 麻辰は旭と向き合い、意を決した表情で状況説明をし始める。


「……実は、学校の生徒を把握し、異変が無いか調査しなければならないんだ」

「……何、それ?」

「素行調査、みたいなモンかな?勿論、プライバシーまで踏み込む気は無いが、普段の態度から逸脱した行動を取る生徒を、依頼された学園上層部に報告、というか……」


 細かい事までは話せない為、多少の嘘を若干織り交ぜながら説明する。

この説明もこの説明で旭の機嫌を損ねそうな気もするが、これ以上の言い訳を麻辰には思い付かなかった。


「……不良になる前に、正してあげるって感じ?」

「……まあ、そんな感じかな?」


 不良を更生させるスポコン教師物が好きな旭は、徐々に目を輝かせながら麻辰を見詰める。

 麻辰の、普段見せないような真摯な態度の功績も有り、旭の解釈は自分にとってプラス評価出来る物へと変換されていた。


「それは、内緒の秘密だったんだね?」

「……ああ。だから旭も内緒にしてくれると助かる」

「うん!!絶対!!!麻辰の秘密は守るよ!!!麻辰頭良いし、依頼した人の気持ちも分かるしね!」


 自分の言葉を善意で解釈する旭に喜びと罪悪感を感じると共に、他の男にコロッと騙されそうな旭に対する焦燥感や独占欲も麻辰の心を襲い出した。


「……俺はお前以外の人間、興味ねえし」

「え?!」


 思わず発した自分の言葉に麻辰自身が驚倒し、歩む速度を早め、驚きのあまり立ち止まっている旭を置き去りにする。

暫く茫然自失していた旭は、目の前にいたはずの麻辰の姿が遠ざかっている事に気付き、麻辰の元へと走り出した。


「ねえ!……今日も勉強教えてくれるのかな?」


 旭自身、先程の言葉に色々聞きたい事もあるが、それに勝る気恥ずかしさが、別の話題へと方向転換させる。


「俺の授業は厳しいぞ?」

「ふえええ!せめて、飴とムチを交互にして頂きたく直訴するでござる!!」


 不敵な笑みを浮かべながら旭を振り返る麻辰に、旭は両手を合わせて拝み倒した。



* * *



 いつもと変わらず旭と巫山戯た日々を送っていた麻辰の元に、本業からの緊急伝達が入る。

『桜色の思い出』をプレイしているユーザーから、志藤旭とのハッピーエンドが迎えられなくなったとの苦情が殺到しているらしい。

異常を報告せよ、との事だった。


 旭は、暇さえ有れば麻辰の側にいる。

以前と変わった事といえば、麻辰に物質的にもくっつく事が多くなった事だろうか。

座っている麻辰の背中に寄り掛かりながら座る旭、歩いている時に腕に掴んでくる旭など、元々人懐っこい旭は遠慮無く接触してきていたが、密着する機会は数え切れない程に増えていた。


 どう説明すればいいのか考え倦ねながら、麻辰はキャラクター設定を開く。


志藤旭……星奉学園1年 ちょっぴりおバカな元気ッコ。幼馴染みが大好きでいつも一緒にいる。


 文章に変化は無い。

だが恐らく、最後の文の『大好き』の意味合いが以前と違うのではないか、という考えも、無くはなかった。

もしそうなら、自分が見限れば元に戻るだろう。

しかし、それを行う勇気が麻辰には無い。


『データ及び行動パターンに異常無し。捜査を続行する』


 後ろめたい気持ちを孕みつつ、麻辰は緊急伝達に返信を出した。



「麻辰ー!帰りにアイス食べてこー!乃絵瑠ちゃんに美味しいアイス屋教わったんだ!」

「…………」

「……麻辰ってば!」

「あ、わりー。何だ?」

「……最近、麻辰、疲れてるっぽいね。……だいじょぶ?」


 相変わらずの放課後。

緊急伝達から数日が過ぎ、麻辰の不安は拭えずにいた。

基本、旭の幼馴染みをしている麻辰が旭の監視員と言っても過言では無いが、ゲーム内の異常が解決されない場合、別の人間が派遣される可能性は高かった。

麻辰は熱心に周囲を模索する。

それらしい人物は見当たらない。

だが、いつ現れるか分からない驚異に、麻辰の精神は疲弊していった。


「……一緒に、どっか逃げるか?」

「はえ?!!」


 麻辰の、突然掛けられた奇妙な発言に、旭も思わず不可思議な返答を返してしまう。


「に、逃げるって、ドコに?何から?」


 旭の尤もな疑問に、麻辰は返答するべきか考え倦ねる。

それに、ゲームのデータである旭と、何処へ逃げればいいのかも、麻辰自身、分からない。


「……いや、有る、か」


 何処へ逃げればいいのかという自身への問いに、脳内に同社のゲームが思い浮かぶ。

『琥珀色の囁き』という、『桜色の思い出』より十年以上前に作られた乙女向け恋愛ゲームだった。

使用しているデータ作成の基本言語は同種属の物が使われている為、変換も可能であったと麻辰は記憶している。

自分が自分の世界から『桜色の思い出』へと移動する機械で同業者が『琥珀色の囁き』へ移動していた事も記憶に有った。


「……行ける、かもな」


 そこへ行ってどうするか、正直細かい事は考えていなかったが、ここにいて、逐一旭のデータが見張れる状態にいるよりは、その方が逃げやすいという考えが麻辰を支配する。


「……旭、俺と離れ離れになるのと、一緒に別世界に逃げんの、どっちがいいか?」

「麻辰と一緒ー!」


 旭が元気よく挙止し、麻辰に微笑みかける。


「……家族や友達と会えなくなっても、か?」

「あうっ……で、でも、麻辰と会えなくなる方がイヤだよ……」


 眉の端を盛大に下げ、甘える子犬のように旭は麻辰を見詰める。

旭の、こういう素直で無邪気な所が、麻辰の心を何度も救っている。

最早麻辰にとって旭は、無くてはならない存在になっていた。


「……でも、何でそんな事聞くの?」


 麻辰の尋常ならざる雰囲気に押されながらも、不安げに旭は首を傾げながら尋ねる。


「……そうだな、ちゃんと説明して、それから聞かないと、だよな……」


 麻辰は決意を固め、旭に説明をしながらゲーム内の自室へと足早に移動した。




 麻辰は部屋のパソコンに向かうと、ローマ字や数字の羅列した画面と睨み合い、キーボードを叩き始める。

麻辰の様子を見るともなく見ながら、旭は麻辰と少し離れた場所に座り、麻辰から説明された事を反芻していた。

 自分が、作られた世界の、作られた人間だという事。

 麻辰はこの世界を作った人に頼まれて異常が起きないよう監視していた事。

 何より一番耐え難かったのは、自分が見も知らぬ人に恋愛対象として遊ばれていたという事だった。


 ……麻辰以外の人を好きになって堪るか!

 そんな状態になるくらいなら、死んだ方がマシだ!


 旭の拳は強く握られ、その爪が掌に食い込んでくる。

両親や友達と別れるのは辛い。

しかし、自分が延々と恋愛ゲームとして遊ばれる事、麻辰と会えなくなる事を考えると、麻辰と何処かへ逃げてしまうのが最良と考え、話を聞いた時点でも、自分の意志は変わらなかった。

むしろ、是非にもそうして欲しい気持ちだった。


「……ッッ!!」


 不意に旭の頭を激しい痛みが襲う。

最近妙に頻繁に起こるこの頭痛は、もしかして何処かの誰かが自分を恋愛対象として攻略している事への抵抗なのではないか、と旭は考えていた。


(……けど、麻辰を好きになった時より、もっと最近からかな?)


 思わず旭は自分の頭痛の原因を考えるが、考えた所で自分に分かるはずもない、と頭を左右に振り、不意に動きを止めた麻辰へと視線を動かす。


「……よし!出来た!!」


 歓喜に満ちた麻辰の声が、旭の気持ちも上昇させ、旭は麻辰の元へと歩み寄る。


「これで、ずっと一緒にいられるの?!」

「ああ!もう、何の心配もせず一緒にいられる!」

「……それは困りますね」


 喜びを分かち合う麻辰と旭の横辺りの空間が渦状の歪みを生み、そこから黒いパンツスーツに身を纏った30代位の女性が徐々に現れ始める。

右2割左8割ほどで分けられた真っ黒でまっすぐな髪は長いワンレンで、切れ長で黒目勝ちの黒い瞳は見る者を圧倒させる威圧感に満ちていた。


「さ、佐久間!!!」


 麻辰は女を青ざめた顔で睨み付けながら、旭を自分の背後へと促す。

佐久間と呼ばれた女は猟奇的とも言える恍惚とした表情で麻辰を見据えた。


「上司に向かって呼び捨てとは、出世したものですね、暮野さん」


 佐久間は不気味な笑みを浮かべたまま、颯爽と旭と元へと歩み寄る。

佐久間の唯ならぬ異様な雰囲気に旭は身を縮め、麻辰の背中を強く握り締めた。


「……やはり、要因は貴方ですね、暮野さん。あれから何度も志藤旭のデータの初期化を試みましたが、ことごとく拒否され、不思議に思っていたのですよ。身近な何かがデータの上乗せをしている、とね」


 ここで言うデータの上乗せとは、旭の麻辰に対する思いだろう。

幼馴染みで常に麻辰と一緒にいた旭が麻辰への恋心を消されそうになっても、麻辰が側にいる為、どうやっても恋心を消す事が出来なかったようだ。

これこそが旭の頭痛の要因であった。


「従って、方法を変更します」


 佐久間が旭の方へ手を伸ばすと、四角形の結界のような物体が旭の胴部分を覆い、その角から上下へ一点に向かうラインが形成される。

旭の胴体を中心とした四角錐が上下に形成された状態だ。

旭は物体に取り囲まれたまま、佐久間の方へと強制移動されていく。


「あ、旭!!!!!」

「きゃあああ!!!」


 その物体からは雷撃のような電流が旭へと降り注がれ、旭に苦痛を与える。

苦痛に顔を歪める旭を助けようと麻辰は物体に手を伸ばす。

だが、物体はガラスか何かに覆われているかのように麻辰の手を跳ね返した。

佐久間は恍惚から無へと表情を切り替え、無機質に言葉を発する。


「志藤旭のデータは完全消去。その立場には別のデータを設置する事にしました」

「な?!!」


 物体に攻撃を繰り返していた麻辰は愕然とした表情で佐久間を凝視する。

そんな麻辰の表情を、憮然とした表情で佐久間は見据えていた。


「落ちない恋愛キャラクターより、新しいキャラクターの方が良いに決まってるでしょう?」

「旭をキャラ呼ばわりすんな!!」


 佐久間に振り上げた拳が虚しく空を切る。

佐久間の姿は既にかき消され、声だけが虚しくその場を漂っていた。


「暮野さん、優秀だと思っていた貴方にも失望しました。最早、元の世界に戻れると思わないで下さい」


 その声で、麻辰のパソコン、タブレット端末が淡い煙を吐きながらその存在を消去され、麻辰の制服も自分が現代で着ていたスーツ姿に戻されている。


「貴方の存在を知るキャラ達の記憶も消しました。その世界で己の力だけで生きるように。勿論、志藤旭のいない、その世界で」


 麻辰は一瞬呆然と消滅した物の跡を眺めるが、すぐに旭へと向き合い、懸命に物体を消そうと試みる。

だがその力は虚しく、苦しそうに藻掻く旭の姿は徐々にその存在を薄めていった。


「あ……旭旭旭旭旭あさひあさひ!!!!!!!」


 麻辰は己の目から涙を流している事にすら気付かず、ひたすら旭を囲む物体を叩き続ける。


「あ……麻辰……ゴメンね……」


 旭も涙を浮かべたまま苦しそうに麻辰に笑みを浮かべた。


「……私のコト、麻辰だけは、覚えててね……それだけが、私の願いだから……」

「やめろ!!そんな事言うな!!!旭!!!あさひ!!!!!」


 麻辰は、旭の姿を消すまいと、出来うる限りの大声で旭の名を叫びながら血が溢れ出す拳を物体へと振り下ろし続ける。

しかし、その行為に物体は何の反応も無く、旭の姿は薄れていき-----


----------そして、旭は、消えた。


 旭が消えたと同時に物体も消え、その場には旭が零したと思われる涙が一粒、光を反射させていた。

麻辰はゆっくりとその場にしゃがみ込み、旭がいたと思われる場所に手を添える。

暫くその場に蹲っていた麻辰は拳を強く握り締め、己の唇を噛み砕く。


「……何が、ゲームだ!!何がキャラクターだ!!!」


 麻辰の瞳が血走り、唇からは血が溢れ出す。


「そんな貴様らの遊び、俺は全部ぶっ壊してやる!!!!!」


 麻辰は嘗て自室だった窓から飛び出し、全ての破壊を胸に誓い、その場を走り去った。

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