六話 モーニング
翌日の日曜日、甲は自然と目が覚めた。ベッド脇の目覚まし時計に目を向けるとまだ朝の八時で、普段休日は昼過ぎまで眠りこけている甲にとってこれは大変珍しい。
寝起きの良さに自分自身驚きを覚えながら、甲は背伸びをすると、簡単に布団を畳んで部屋を出た。
廊下に出てすぐにある階段を下りて洗面所へと向かう。途中リビングの前を横切ると、中から言い争うような声が聞こえ、甲は足を止めた。
「……朝から何を騒いでんだぁアイツらは」
リビングの扉を呆れたような目で見てため息をつく。とりあえず放置して顔を洗いに行こう、と甲が踵を返した途端……バタンッ、と大きな音を立てて扉が開き、中から少女が飛び出した。
「甲兄ぃーーーー!!」
少女は大声を上げながら、どたばたと足音を立てて甲へ向かって走り寄ると、タックルするかのように飛びついた。
「ぐぉ!?」
背中に重い衝撃を受け、甲は体勢を崩す。半歩足を前に出して踏ん張ろうとするが、勢いを殺しきれず頭を壁にぶつけた。
鈍い音と少女の悲鳴が廊下に響く。ずきずきと痛みを訴える頭を押さえ、甲は後ろを振り返った。
「灰音、急に飛びつくのはやめろって、いつも言ってるだろ」
甲が諭すようにそう注意すると、少女……灰音は、しゅんと申し訳なさそうな表情で俯いてしまう。そんな顔をされてしまうと、しっかり怒るべきだとは思いつつも甲は弱ってしまう。
結局それ以上は怒れず、甲は灰音の頭に手を乗せた。
「これからは、気を付けるんだぞ?」
そう言って、頭をくしゃくしゃと撫でられた灰音は、パーッと顔を輝かせ、大きく頷いた。
彼女――――夢島灰音は、甲の妹でつい先日一二歳になったばかりの小学六年生。年齢以上に幼い言動が目立つ少女だが、アイドル張りに可愛らしい顔立ちだ。母親譲りの淡い栗色の髪が肩の少し下で切り揃えられていて、軽くウェーブしている。
ぱっちりとした大きな瞳で自身を見つめる彼女の頭から手を放し、甲は灰音にたずねた。
「それで? 朝から大声で、どうしたんだ?」
「あっそうだった!! 聞いてよ、甲兄!! 灰霧がね……」
思い出したように灰音がそう口にすると、その後ろから彼女と顔立ちがそっくりな少年が慌てた様子で姿を現した。
「ずるいよ、灰音!! 兄さんに告げ口するなんて!!」
少年は憤慨するように灰音に詰め寄る。彼は灰音の双子の弟で名を灰霧《はいむ》という。彼と灰音は日本でも極数例しか存在しないという異性の一卵性双生児だ。故に、顔がとても似通っていて、それこそ男女という違いもなければ、二人の兄の甲ですら見分けがつかないかもしれない。姉弟は互いを睨むように顔を突き合わせた。
「ずるくない!! 灰霧が悪いんだよ、アタシはプリチーウィッチが見たいのにー!!」
「ずるいよ!! 僕だってアストロノーマン見たいもん!!」
「でもアタシが先に見てたんだよ!!」
「でも先週は灰音が!!」
どうやらテレビのチャンネル争いで揉めたらしい。二人の言い争いは徐々に熱が入っていった。
日曜日のこの時間は、アニメ番組が他局と被ってしまうので、この年の子にとっては案外切実な問題なのかもしれない。
少しの間見守っていた甲は、見かねた様子で二人の間に割って入った。
「その辺にしとけ。ほら、二人とも時計を見ろ」
甲は双子の頭を掴んで、後ろを向かせる。開け放しの扉から覗くリビングの時計は八時三十分を示していた。双子は揃って「あー!!」と叫ぶ。
「つまらない言い争いしてる内にお前達が見たかったアニメも終わっちゃったな。これに懲りたら次からはちゃんと順番を決めて週ごとに交互に見ろ。まあ見れない方はDVD録画だな。それくらいなら兄ちゃんがしてやるから」
言うだけ言うと、甲は二人に背を向け洗面所へと向かう。背後からは互いに謝り合う双子の声が届いていた――――――。
――――――洗顔と歯磨きを終えた甲がリビングへ入ると、双子は机を挟んでカードゲームをして遊んでいた。
甲に気付くと、二人揃って、「お腹すいたー」と口にする。普段なら、仕事へ出かける前に母親が朝食を作り置きして行くのだが、今日は時間がなかったようだ。
甲は苦笑し、引き出しから引っ張り出したエプロンを身に着けて台所に立った。冷蔵庫から食材を取り出して洗うと、慣れた様子で刻んでいく。
両親共働きの夢島家では、長男の甲が家事を任せられることが多かった。下に食べ盛りの姉弟がいるので基本的に金のかかる外食はせず、家でつくる。なにより甲自身、以外にも料理は好きでしている。
手際よく調理を済ませ、双子に声をかけて皿を運ぶように指示する。二人は文句も言わず、言うとおりにした。基本的に兄の言うことをよく聞くいい子達だ。
家族全員が朝は米派という夢島家の朝の定番、野菜炒めに目玉焼き、鮭の塩焼きに納豆といったメニューが並ぶ。双子の腹は長い調理時間を与えてくれず、味噌汁をインスタントに頼るしかなかったことが甲は悔しかった。
兄弟が揃って席に着き、手を合わせる。甲が「いただきます」というと双子もそれを復唱する。それを確認して茶碗に手を伸ばした瞬間、甲の携帯が鳴った。初期設定のままの『ぴろりろり~ん』とマヌケな音が響く。これは着信を知らせるものだ。
ディスプレイを見ると、咲子からだった。甲は切断ボタンをタップし、電話を切る。
それを灰音がきょとんと見ていた。
「甲兄、電話出なくて良いの?」
「ああ。どうせたいした用じゃないだろうし、なにより今は食事ちゅ……」
ぴろりろり~ん。再び着信音が鳴り、甲の言葉を途中で遮った。
「ああもう!! 出ればいいんだろ出れば!!」
そう言うと、甲は双子に気にせず食べているように言い残すと、携帯を持って席を立った。
甲は、電話の用件になんとなく予想がついた。反響待ちになっていた例の動画だ。結局、昨日は夕方になっても感想が書き込まれることはなかったので、その場で解散した。具体的な内容までは分からないが、十中八九、動画に関係のある話だろう。
そんなことを考えながら廊下まで出て電話に出ると、咲子の大声が甲の鼓膜を揺らした。
「おい!! なに切ってんだバカ!!」
「耳がいてぇ……声でけーよ。こっちは食事中だっつの」
「え、ああそうだったのか。それはすまないことを…………って、そうじゃない!! だあぁーもう調子狂うなぁ!!」
再び大声を上げる咲子に、甲は首を捻った。どうにも様子がおかしい。普段から罵声を浴びせてくる彼女だが、今の彼女からは普段と違う緊迫感のようなものが感じられる。
「……おい楠木、どうかしたのか?」
甲がそうたずねると、電話の向こうで咲子は舌打ちした。少し間を起き、落ち着いたのか咲子が低い声で話し出す……そして、次に続く言葉に甲は息を呑んだ。
「ササラちゃんが……キレた」