四話 メモリー
翌日の土曜日。起きがけに咲子から電話で召集を受けた甲は、遅めの朝食をとって家を出た。
人通りもまばらな商店街を尻目に歩くこと約十分で最寄りの山梔子駅へ着き、二つ隣の南山梔子まで電車で移動する。
そこからさらに歩くこと数分、甲は目的地にたどり着く。本日の現映部の活動場所だ。
腕時計を確認すると、集合時間より少し早く着いていた。
表札に『倉松』と書かれた家の前で立ち止まると、迷わずチャイムを押した。
数秒の沈黙ののち、扉が内側から勢いよく開かれて、ポニーテールの少女が家から飛び出してくる。
「やっほー甲、遠路はるばるすまないねぇ」
そう言って、輝くような笑みを浮かべる少女の名は、倉松チカ。現映部のムードメーカーで、ここ倉松家の可愛い一人娘だ。
いつも通りハイテンションなチカに対し、甲は右手を挙げて応えた。
「おはよ、今日は邪魔するな」
「いえいえー、狭い家ですがどうぞゆっくりしてってください」
とチカはいったものの、彼女の家はどちらかと言えば大きくて、新しそうな外観だ。それなりに裕福な暮らしを感じさせる立派な家だといえる。
チカはまるでスキップするかのように玄関へと戻っていくと、甲を手招きした。
甲は招かれるまま扉をくぐり玄関を上がる。不思議と落ち着くような懐かしい香りを感じた。
そんな甲に気付いたのか、チカが口を開く。
「甲がウチに来るなんて久しぶりだね!!」
「ああ、小学校ん時以来だな」
なんとなく甲は家の中を観察して、以前に来た時の記憶と照らし合わせた。
「変わってないな」
そう言って笑う甲を見てチカは少し驚いたような顔をする。
「覚えてるんだ?」
「ああ、まあな。ほら、そこに置いてあるヤツなんてあの時のまんまだろ」
そう言って、甲が指差す先。靴入れの上には北海道土産で有名な鮭を加えた熊の置物があった。基本は木彫りのまま着色されないのがオーソドックスだが、その熊は芸術的にカラフルだ。
「お母さん達に内緒で二人で色を塗ったんだよね」
ぼっと思い出に浸るように、チカが口にした。
そう、この熊も元々は上にニスが塗られただけのシンプルなものだった……が、それは若かりし頃の甲とチカにより塗装されてしまったのだ。
「なんか今考えるとほんと反省モノだな。今更だけど、スマン」
申し訳なさそうに甲が頭を垂れ、チカは見るからに焦った。
「ちょ、ちょっと謝らないでよぅ。あの後、お母さんもコレの方が気に入っちゃったし、お父さんに至っては、甲には芸術の才能があるとか絶賛してたほどなんだから」
そう言われて、甲は苦笑する。それを見て、チカはほっとした様子でスリッパを甲に差し出すと、「それじゃ行こっか」と言って、階段を上って行った。
二階へ上がると、彼女は突き当りの部屋を示した。お茶を準備するから先に入っているようにチカに言われ、甲は素直に頷く。彼女の部屋へと繋がるその扉のドアノブを掴んで甲は気付いた。
(そういや、先に誰かついてんのかな)
中に入ったら自分ひとりだけでした、なんていう状況はあまり喜ばしくない。仮にも同い年の女の子の部屋に一人でいる自分を想像して、甲はため息をついた。チカに聞いておけばよかったと後悔しながら、ゆっくりとノブを回した。
そして、扉を開けた甲はその想像以上の後悔をすることになった。
チカの部屋には既に一人の先客がいた。彼女のベッドに寝転がり、雑誌を読みながらポテチを食べている。
金色に輝くつやつやした髪が腰まで伸びた小柄な少女。可愛らしいピンク色のパーカーがめくりあがり、引き締まったおなかが覗いている。
彼女は音で気付いたのか、ゆっくりと甲へと振り返りながら口を開いた。
「もうチカー。ずいぶん遅かっ……た……じゃん」
ぽとり、と彼女の手からポテチが落ちる。少女――里村紫衣は、点になった目で甲を見つめていた。
「お、おっす。は、早いな」
「う……うん」
たったそれだけのやり取りを交わし、二人の間に沈黙が落ちた。
(き、気まずい)
気付けば里村は起き上がり、姿勢を正してベッドの上で正座していた。甲はまるで周りを警戒する草食動物のようにそろそろと部屋へと入り、ベッドから距離のある場所へと腰を下ろした。
お互い視線を合わせず、ただただ気まずい時間が続く。ほんの数秒そうしていただけだが、甲は数時間にも感じられて、たまらず口を開いた。
「く、倉松のやつ遅いなー」
「う、うん。そ、そうだね」
そしてそして十秒にも満たない会話時間が終了し、甲が次の話題を探していると、突然扉が開いた。
バタン!!
「ちーす……って、あれ!? 紫衣ちゃんと甲が二人っきりでいたー!! ずるいずるいー俺も混ぜてー!!」
そう言って部屋に入ってきた途端、甲に抱き着こうとする男、片山。
暑苦しそうに片山を振りほどきながら、甲は心の中で彼に感謝した――――。
――――数分後、片山に続き、瞬と咲子もやって来て、現映部メンバーが揃った。
一番最後にやってきた咲子の掛け声の元、本日の活動が始まる。
「今日は、昨日配信した放課後チャンネルの反省会をしようと思う」
放課後チャンネル――彼ら現映部のこれからの活動内容は、学校のホームページ上に自分たちが撮った作品をアップしていくこと。
咲子の話では、すでに昨日のうちに撮ったばかりの作品『ササラちゃん観察記録(盗撮)』をアップしておいたそうだ。
甲の隣に座る瞬が、持ってきていたPCを開いて、その月ヶ岡のホームページを開く。その横に並ぶ部活動記録の中には確かに放課後チャンネルと書かれたリンクが貼られていた。
「さて、それじゃ須藤頼んだ」
そう言われ、瞬は「はーい」と返事をしてPCを操作して放課後チャンネルのページを開くと、部員全員が見える位置にPCを滑らせる。
それを確認して咲子が口を開いた。
「見ろ。まだ感想が一件も書きこまれていない。これは由々しき問題だ」
「そもそもアクセス数が0なんだよね」
咲子の言葉を引き継ぐように、瞬が言う。
それを聞き、甲も事態を悟り、苦い顔を浮かべた。それを見た瞬が苦笑する。
「甲はさ、普段ネットサーフィンってする?」
「え、ネット? うーん、そもそも俺が使ってるパソコンって家族共有のやつだしな……」
そう言って、甲は自分の家にあるPCを思い浮かべた。今年にて入って買い換えたデスクトップパソコンで、OSも最新だったりする。しかし、最近では下の弟と妹が占領してしまうので普段あまり使わない。
故に、甲は首を振った。
「あんまりしないな。たまにスマホで調べごと程度」
「そっかー。それじゃ、月ヶ丘のホームページをチェックしたりは?」
瞬は、首を横に傾けるような動きでそう聞いた。一見すると少女と間違えるような美形の彼がそのような仕草をするので、甲は動揺してしまう。甲はそれを隠すように、いつもより少し早口に答えた。
「まあ、そうだな。学校のホームページなんて、そんなに見るものじゃないだろ……あ!?」
言いかけ、途中であることに気付いた。
瞬は、そんな様子を見て、再び苦笑した。
「そうだよね。僕はよくネットサーフィンしてるけど、学校のホームページって見ないもん。皆もそうじゃないかな……?」
そう言って瞬は、現映部一同を眺めた。彼らはそれに対し、首を縦に振って答える。
「つまり、そういうことなんだと思うよ。僕達の活動ってまだ認知されてないわけでしょ。どれほど楽しい動画をアップしても、普段からホームページを見る習慣のない月ヶ岡の生徒は気付かなくて当たり前なんだよ」
「な、なるほど」
瞬の言うことはもっともだ。甲は、むしろ何故そんなことにも気づかなかったのかと自分を恥じた。
簡単な話。そもそも彼らは、何の告知もせずに動画をアップしているのだ。誰かが気付かない限り、動画は人の目に入ることもないだろう。
甲がその考えに至った時、咲子がニヤリと笑った。
「そこでだな、宣伝活動をしようと思うのだが……片山っ、それから甲!!」
突然咲子に呼ばれ、それまで机に突っ伏して寝ていた片山が「ひゃい!!」と変な声をあげて跳び起きる。甲も嫌な予感がして身を固くして、先に続く言葉を待った。
「お前達には、ある仕事をしてもらおう」
……そして彼女の口から、彼らへの指令が伝えられた。