変わったもの(以降ストーリー編集中。)
翌日の朝、甲は登校する途中で見覚えのある二人組の背中を見つけ、声をかけた。
「早いな、二人とも」
後ろからかけられた挨拶に、並んで歩いていた二人の少女が振り向く。
一人は、可愛らしく結われたポニーテールをぴょこんと垂らした倉松チカ。
そしてもう一人は、地毛であるブロンドの長い髪を揺らす里村紫衣である。
倉松は甲の存在に気付くと嬉しそうに手を振り返すのだが、里村は直前まで浮かべていた笑みを崩し、なにやら気まずそうな顔で俯いた。
「グッモーニンッ、コウ君!!」
「おはよう。今日も元気だな、倉松は」
「えへへー、まぁねー」
輝くような笑顔で倉松が笑う。
それだけで、甲は朝の気怠さなど吹き飛ぶような気分になった。
並び、暗い顔をする里村を見る。
「里村も、おはよう」
「う、うん。お……おは、よう」
たどたどしく返事を返す里村の様子はどこかおかしい。
普段の彼女を知る者ならおそらく誰しもが心配する程だろう。
しかし、甲としては、その反応が返ってくることはあらかじめ分かっていたようだ。
里村のぎこちない挨拶で満足したかのように、甲は笑って頷いた。
「っ……ごめん、チカ!! 私、先に行くね」
甲の取った態度の何かが彼女を刺激したのだろうか。
里村はそれだけ言うと、月ヶ岡高校へ向かう道を独り、走り去ってしまった。
何かを言おうと手を伸ばす倉松だったが、咄嗟のことに声が出ない。
里村が角を曲がって見えなくなったところで、行き場の失った手を静かに下げると、倉松は困ったように苦笑いを浮かべた。
「あははー、昨日に引き続きまた紫衣のコウ君アレルギーが発症しちゃったかなー」
冗談めかして言う倉島だが、その言葉は決して間違いではない。
里村が甲を苦手としているのは、甲の数少ない悩みでもあった。
甲は珍しく寂しそうな顔をする。
それを横目で伺ってから、里村は遠慮がちに口を開いた。
「ねえコウ君。二人の間に何があったのか、本当に話してくれないの?」
いつしか倉島の顔からは笑顔が消えていた。
「そうだな。少なくとも、俺から語っても良いような内容じゃない」
甲がそう言うと、倉島はそれ以上は何も言わなくなり、二人は気まずい空気を共有しながら、学校を目指し歩くのだった――。
――話は昨日、甲が入部届けを提出し部室へ戻った後に遡る。
部室から飛び出してきた里村の事を不思議に思った甲がその事を聞くと、楠がそれに答えた。
「あいつもウチの部員だ。元々チカと仲が良くてな、それで入った。名前は……いや、あの様子じゃどうも知り合いみたいだな」
その言葉に甲はただ頭を振って答えた。
対する楠は、困った様にこめかみに手を当てると、聞こえるか聞こえないか程の小さな溜息を漏らす。
「まあ、お前達の間で何があったのかは知らんが、揉め事はよしてくれよ。
六限までの授業をほとんど睡眠に費やした甲は、枕に使っていた教科書とタオルを鞄に詰め込み教室を出た。
廊下に出たところで倉松に追いつき、二人は共に歩き出す。
甲と倉松は同じ一年二組のクラスメイトなので特に約束していたわけではないが、自然と一緒に部室へ向かう事となった。
甲と倉松の間には、朝感じたような気まずい空気はすでになく、二人は軽い雑談を挟みながら足を進めた。
唐沢、里村が在籍する三組を横切ると、渡り廊下が見えた。
そこを渡り、東校舎を経由して旧校舎へと入っていく。
部室棟として使われるこの五階建ての旧校舎は、耐震工事のついでに内装にも手が入れられたばかりで、内部の見た目は教室棟よりも綺麗なものだった。
彼らは、三階まで上がると左右に分かれた廊下を右へと曲がり、扉に可愛らしい文字で『演劇部』と書かれた三一〇号室の中へと入っていく。
甲が扉を開けると、そこにはすでに残りの演劇部員が揃っており、彼らはそれぞれ自分の定位置の座席へと腰かけていた。
「ごめーん。遅れちゃったかい?」
部室へ入るなり、ぱたぱたーと駆けるように倉松が自らの席へ着く。
甲は、遅れるように倉松の左隣に座る……と、机の下に伸ばした足が何かに触れた。
「遅いぞお前たち!!」
楠木が苛々した様子で吠える、がそれはいつものことなので皆気にする様子がない。
何故か席にも座らず昨日と同様、黒板前を陣取り腕を組んで立つ楠木を無視して、甲は自分の足に当たった物を確かめることにした。
椅子を引いて、上半身を曲げ、頭を机の下に伸ばす。
そこで甲が見つけたものは、謎の機材だった。
「なんだ、これ?」
甲がそう呟いて機材を見つめていると、彼と机を挟んだほぼ真上から叫びにも似た片山の大声が響いた。
「あああああ!? てめぇ石動っ、なに紫衣ちゃんのスカートん中覗いてんだコラ!!」
なんだとっ、と反論しようとした甲の頭を衝撃が襲う。同時に音を立てて現映部メンバーの座る長机が浮いた。
机の下の物置用についている鉄格子部分に頭をぶつけ、半泣きになりながら這い出てきた甲の頭を再び衝撃が襲う。
見れば、倉松が手刀を振り下ろした状態で、甲を見下ろしていた。
「ねえ甲ぅ? 君はいったい何をしてたのかなぁ?」
恐ろしく冷たい声色で問いかけられた甲は、泣きそうになりながら自身を見つめる里村の姿が目に写り、慌てて口を開く。
「ち、違うって!! 俺は、里村のスカートの中なんて見てない!!」
倉島に向かって、顔の前で大げさに手を振って弁解する。しかし、今度はその言葉に片山が反応した。
「紫衣ちゃんのスカートの中『なんて』……だって?」
甲が目を向けると、片山が眉を吊り上げて、見るからに怒っていた。
甲は、確かに先の言葉は我ながら失言だった、と反省するも、なぜそれを片山に怒られなければならないのか、納得がいかなかった。
しかし、里村を己が『マドンナ』、いや最早『神』とさえ崇める勢いの片山に、そんな理屈は関係ないのかもしれない。
「甲、お前は勘違いしているよっ。紫衣ちゃんのスカートの中は……神秘だ!!……ぶほへっ!!」
男らしく、内に眠る変態心を口に出した片山が、凄い勢いで頭を机に叩きつけられた。
その頭を押さえるのは里村。すでに甲にスカートの中を覗かれた(事実無根)ということも忘れたのか、里村の怒りは片山に向いていた。
「これだから、コイツは怖いのよッ!!」
里村は心からの言葉をぶつける。片山は甲とはまた別の意味で彼女から苦手とされていた。
片思いというものの辛さを、現映部員達は片山を見て教わった。同時に『自業自得』という言葉の使い道も、だが。
「あのさ、盛り上がってるところ悪いんだけど、ちょっといいかな?」
不幸に巻き込まれた甲と、何故か自らその渦中へ飛び込んできた片山。そんな二人を見かねた瞬が遠慮がちに口を開いた。
「甲が見ていたのは、コレのことじゃない?」
そう言って瞬は、机の下から一台のビデオカメラを取り出し、それを皆が見える位置に置いた。
一般にカムコーダーと呼ばれ、家庭でも使われる一般のサイズながらも、それは一目で高そうと思えるほど精巧な作りをしていた。
甲が机の下で見たものとは実際に違うが、濡れ衣を晴らすチャンスだと思った甲は急いで頷いた。
「そう!!そうだよ、それに似た機器がこの下にいっぱい……」
「あぁーもう!! うるせぇなー!! 人が説明する前に、変な騒動起こしやがって」
甲の言葉を遮るように楠木が唸った。どうやら、また彼女のイライラが呼び起こされてしまったようだ。
「ったく。せっかくサプライズで隠してたもんがなんの意味もない…………っち、まあいいか。おいっお前ら、机の下に置いてある機器を全部引っ張りだせ、今すぐにだ!!」
現映部員達はなんのことだ、と首を傾げながらも、部長の強い口調に反論などできるはずもなく、その言葉に素直に従った――――。
――――数分後、彼らは机の上に築かれた機材の山に感嘆の声を漏らした。
楠木が隠していた、という機材は全て大きさも形もバラバラなものだったが、ある一つの共通点を持っていた。
まず瞬が先に取り出したカムコーダー、そしてそれを大きくしたかのような業務用のカメラ。その他にモニターや照明機器、音響装置、スイッチャー……などなど、全て映像制作用の機材だった。
机の上で存在感を放つ機器達を見て、瞬が驚きを隠せない様子で楠木を見た。
「どうやってコレを?」
「知り合いに相談したらくれたんだ」
「無料で?」
「うむ。まあこれを譲られた時はアタシも正直ビビったがなぁ」
そう言うと楠木は、腰に手を当てハッハッハと高笑いし、手元に置いた手持ちサイズのカムコーダーを撫でた。
「なんでも、全部合わせれば、何百万とするやらなんやら言ってたなぁ。まあ大事に使ってくれよ諸君!!」
楠木が軽口で放ったその言葉に、甲達は息を呑んだ。そして同時に、その言葉に疑問を抱く。
「使う? なんで俺たちが使うんだ?」
甲がそう口にした瞬間、楠木があからさまに呆れた顔でため息を吐いた。
「私の昨日の話を聞いてなかったのか? 撮ると言ったろう。アタシ達の手で、アタシ達の作品をっ」
「本気……だったのか?」
「当たり前だろう。なんのためにこんな機材まで用意したと思ってる? そもそも、そんな冗談をこのアタシが言うか?」
ええ、アナタなら平気でそのくらいの冗談は言いますネ。と、甲は決して口にはできない言葉を頭の中で呟いた。
「まあアタシ達は素人集団だ。だから、とりあえず今日んとこは……」
そこまで言うと楠木は、電源の入っていないカムコーダーを手に取ると、そのフィルムを覗いた。
何も映っていないだろう、ということは言うまでもないが、彼女の目にはもしかすると何かが見えているのかもしれない。そんな不思議な幻想に囚われた甲達に向けて楠木は続けて言う……
「ちょっと、試し撮りにでも行こうか」
片目をカムコーダ―で隠したままそう口にした楠木の顔は、どこか笑っているように見えた。