聖戦士の遺跡調査①
――これは幸広が到達と旅に出るひと月前の物語である――
☆ ☆ ☆
とある日の午後一時。
ナースに呼ばれて病室に駆けつけた若き女医の瑚湖は、もぬけの殻のベッドを見て怒りを爆発させた。
「……なんなのよこれはあぁっっ!!」
ベッドを指差し、担当ナースにくってかかる。
「も、申し訳ありません…ですが、本当に、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまって……」
ナースが弁解するが、瑚湖には火に油だった。
「ふざけんじゃないわよ!アイツが、隙を見せたが最後脱走する超迷惑患者だって、知らないわけじゃないでしょ!?そんな言い訳が通用すると思ってんの!?わざわざ個室から人目につきやすい大部屋に移して、主治医だってこの!私が担当してやってるってのに!」
瑚湖はその『超迷惑患者』のアホ面を思い出して握り拳を作った。いくら病弱だからって、一発殴ってやらなきゃ気が済まない。
「……いいわ、こうなったら私がアイツを捕獲してくる!あのバカ博め!覚悟してなさいよ!次はベッドに縛り付けてでも入院させてやるんだから!」
「あ、先生!…行っちゃったぁ。午後からオペが入ってるのにぃ」
ナースが呼び止める声も聞かずに、血気盛んな彼女は病室を飛び出した。
「院長に頼めばいいじゃない。いつもそうしてるんだから」
そう言いながらもう一人のナースが枕元に目をやった。何か紙切れが見える。彼女は取り出して黙読した。
「そうですねー。院長も娘の代わりだって言えば断れないですしね」
「瑚湖先生も腕は確かなんだけど、あの猪突猛進さが人生を邪魔してるわよね。だってほら、この紙」
そう言ってその文書を担当ナースに渡す。
「……、え、ええっ!?ちょっ、これって!」
彼女は中身を理解してぎょっとした。
「ま、これに気づかないあんたも同類ってことだけど」
などとナースが騒いでいるとは露知らず、瑚湖は武術都市へ向かっていた。
☆ ☆ ☆
その頃。長身・茶髪・色白と三拍子揃った見目麗しい久保直人は、学術都市のとあるマンションの七階にいた。
彼は医療都市にある戸田動物病院に勤める獣医である。今日の勤務が半ドンだったので、自宅へと帰路についたところだった。
が。玄関から先の居間で『あるもの』を見つけて目を見開いた。
無駄にでかい身体の男が、文字通り手足を大の字にしてぐぉぐおぉといびきをかいて眠っている。
直人はその男を見て思いきり嫌そうな顔をした。
その男には見覚えがあった。自分が昔喘息で入院していた頃同室だったこどもで、とにかくやたらと騒ぐ奴だった。それに自分が巻き込まれたことも数知れず。だがおかげで入院生活に退屈しなかったので、恨んだり嫌ったりはしていない。
それでも、勝手に人の家に入られて「しょうがないな」と黙っている直人ではなかった。
直人はその男の――博の横腹を蹴った。
ドガッ。
「……いてぇ」
そう言って博はムクリと起き出した。
「まったく〜。直兄ってば、もうちょっと優しく起こせないわけ〜?暴力はんたーい」
「うるさい。何、人の家で堂々と寝てんだ」
「なんだよー。これでも遠慮して、直兄のベッド占領するの止めといたんだぜ。偉いだろ?」
博は冗談ぽくいいように問題をすり替えたが、単純な直人はそうなのかと納得してしまった。
「……まぁいいけど。どうせ病室脱走してきたんだろ。お前これで何度目だよ」
直人はやや天然ボケが入っていて、博の冗談が通じなかった。しょうがなく博は真面目に答えた。
「あーーー……ざっと十三回目?」
「………」
そのあまりの数字と、それを一々覚えている博に直人は絶句した。ある意味感心してしまう。
「しょーがねーじゃん。俺にも色々都合があるんだよ。大体瑚湖だってオオゲサなんだよ。入院入院ってさー」
「ああ…あの院長の娘…」
「いやホント、あの単純・突進型の性格でよく結婚できたよな。まぁ相手があっきーだから良かったんだろうけど、一番の被害者はゆっきーだよな」
「ゆっきーって誰」
「あっきーの弟ー。何回か会ったじゃん」
「あー…」
直人は顔だけはやたらそっくりな明人の弟を思い出した。
「そういえばそんなやつもいたな。それより、俺これから用事で出掛けるから、お前も早くどっか行けよ」
直人は犬でも追い払うようにしっしっと手を手前に動かした。
「え。待ってよ、どこ行くんだよ」
「俺の職場の院長の娘さんちだよ。大学で精神医学の教授してて、今アニマルセラピーについて研究してる。その件で院長に相談にのってもらってるらしくて、書類預かってきたんだよ。彼女の家はうちから五分ぐらいだから」
「戸田精神医学教授?って、ゆっきーの先生じゃん。なぁ、俺も付いてっていい?なんかゆっきーの面白い話聞けるかもだしー」
「だめ」
興味津々の博に直人は即答した。
「なんでだよ!」
「言っただけだ、バカ。どうせだめだって言ってもくるだろ、おまえ」
彼の言葉に博はふふんと笑って言った。
「当たり前のこんこんちきだし」
☆ ☆ ☆
幸広はその日特に仕事も入っておらず、久々にのんびり出来ると思っていたのだが、どこから聞いたのか、「仕事が休みならうちに寄りなさい」と理工学部時代の助教授、宮川千慧に電話で呼び出されてしまった。
彼女に呼び出されるのは毎度のことだが、どうせろくな用事ではない。彼女はかなりの面倒くさがりで、他人に頼めることは自分ではしない、がモットーだった。
そのせいで幸広はいつもいいように使われているのだった。たとえば生徒のテストの採点だとか、助教授として学会で発表するレポートを書かされたりとか。
幸広はその度に、もう金輪際彼女の面倒に付き合うのはごめんだ、と思っていたが、千慧は用件を言わずに「とにかく早く来い」としか言わないので、“もし本当に重大な用件だったら?”などと憂いて、結局行ってしまうのだった。
その上、下手に彼女の用事を断ったりしたら、後で何があるかわかりゃしない。
そんなわけで、彼は自宅の武術都市から千慧の自宅の学術都市に行くため、トランスポートに向かい入ろうとしたところで
「あら。望月さんじゃありませんの」
声をかけられ振り向くと、そこにいたのはみゆりだった。
「お、みゆりか。何か用事だったのか?」
「いいえ、少し優さんの所に遊びにきただけですの。望月さんはどちらへ?」
「ああ、理工学部時代の先生に呼ばれてな」
「まぁ、千慧先生に?私もお邪魔してもいいかしら」
みゆりの口から先生の名が出てきたことに驚き、知っているのかと尋ねる。
「ええ、千慧先生には以前本を書いていただいて、うちの出版社がお世話になりましたの」
――あの面倒くさがりの先生が本を書いただって?相当ふんだくったんだな、と幸広は思った。
「私達も財界の要人から、是非そういう関係の本を書いて欲しいと頼まれていて、困っていたところだったんですけど、千慧先生が快く引き受けて下さって…。内容が内容なので裏ルートでないと入手出来ないようになっているんですけどね」
財界の要人という言葉を聞いて、幸広はやっぱりな、と引きつりながら無理矢理笑顔を作った。
しかし出版社のほうで規制をかけたのはいい判断だったと思う。あんな本が世間に出回ったらこの世の破滅だ。
そう思っているところで、またもや女の声に呼び止められた。
幸広はげんなりした。聞き覚えのあるこの声は…
「ちょっと、幸広じゃない!?ちょうど良かったわ。博がね、また脱走したのよ。あんた捜して捕まえてきてよ。私の勘ではこの辺にいるはずなのよ」
相変わらずムチャクチャ言う人だ。何でか自分には女運がないような気がする。
「そうは言ってもな…。私が彼と最後にあったのはもう四年も前だぞ。顔だって覚えているかどうか…。大体、逃がしたのは義姉さんの責任だろう」
「うるさいわね!私じゃなくて担当ナースが逃がしたのよ!大体ね、あんた博が心配じゃないの!?」
痛いところを突かれ瑚湖は責任転嫁をし、その上話題を逸らした。
「彼の場合心配するだけ無駄なような気がするが」
「それでも捜しに行くのが親友ってものでしょー!!」
顔もおぼろげなのに親友と言われても、と思ったが、彼女の立場もあるし少しは協力しておくか、と考え直した。
「わかった、わかった。だがその前に千慧先生に遅れると伝えないと…」
携帯を取り出し電話をかける。三度のコールで千慧が出た。
「はい、もしもし」
「先生ですか、望月です。今ちょっと人捜しに巻き込まれまして、少し遅れそうなんですが」
「人捜し?何やってるの?こっちが先約でしょう?そんなのお巡りにでも任せなさいよ」
千慧は腹立たし気に言った。お巡りに任せろという台詞が、彼女のめんどくさがりを如実に物語っている。
「いや、それが病室を抜け出した心臓病の患者で、一応早めに見つけないと困るというか…」
「?それって背がやたら高くて一見心臓病に見えない感じの、19の少年で森上博という名前の?」
「よくご存知ですね」
幸広は不審に思ったが、次に電話口に出た声に目が点になった。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!平成のドラえもん参上!てか何ゆっきーちょー久しぶりじゃん!俺になんか用?」
電話から聞こえてくる噂の本人の大声に、当然のごとく瑚湖もぎょっとした。
「な、なにやってんのよバカ博!勝手に病院抜け出しやがって、どんだけ人に迷惑かけたら気が済むのよ!」
瑚湖がキレるが、博は全く聞いていなかった。
「あっれー?その声瑚湖?なんでゆっきーと一緒にいるわけ?いくらあっきーと似てるからって、浮気するなんてサイテーよ」
「ざっけんな、何で私が浮気なんかしなきゃなんないのよ!明人以外に素敵な人なんているわけないでしょ!」
「えー。そうかな。俺の方がずっといい男だと思うぜ。だってあっきーアホだもん」
その言葉に瑚湖はブチギレた。
「人の旦那捕まえて、よくも言いたい放題言ってくれるわね。確かに明人はアホかもしれないけど、あんたみたいに人に迷惑かけたりしないんだから!」
「……一応否定はしないんだな」
傍で兄の批評を聞きながら、幸広は複雑そうにつっこんだ。
「つか俺だって今回は迷惑かけてないじゃん。ちゃんと院長に退院の許可もらったしー。書き置きだってちゃんと枕元に置いてっただろ」
「……は?」
これには幸広と瑚湖が仰天した。
「瑚湖のことだから、読んでないかもとは思ったけどさー。行動が単純なんだよな。まーそこが面白いとこでもあるけど」
「面白いって何よ、せめて可愛いとか言いなさいよ!大体、だったらどうしてちゃんとナースステーションで手続きしてかないのよ!」
「だって忍びとして窓から帰るのが常識だろー?俺高所恐怖症なのに、身を粉にして頑張ったさ。偉くね?」
「ぜんっっぜん」
瑚湖は語尾に怒りマークを付けて言った。
「まーそーゆーわけだからさぁ。あとはよろしく。ゆっきーも早く来いよー。千慧先生も戸田先生も、直兄もセラフィもスィフトもみんな待ってるし」
「………すごい大所帯だな。大所帯ついでにもう一人来たいと言っているんだが」
「わかった、聞いてみる」
少しして博はまた受話器を当てた。
「なんか、強い人なら何人でもオッケーとか言ってんぜ」
強い人なら?一体今度は何の用だ。
「ああ、とにかくすぐ行くから待ってろ」
嫌な予感がしながらも、病院に戻りづらいと嘆く瑚湖と別れ、みゆりと幸広は千慧先生の家に向かった。




