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マーシナリー・カプリッチオ ~終ノ部~  作者: 本倉悠
●序章 ―追憶の果てに潜むもの―
7/10

(7)

「アディ――――アディ!」

「う……うん……」


 無骨な手に揺り動かされたアデライードが、腫れぼったい目元を擦りながら身を起こした。目覚めた彼女の前には手すりの代わりに父の膝があった。ズボンにしわが寄っているのは、自分が頭を預けていたためだろう。狸寝入りをしているうちに本当に寝てしまったようだ。


「お父、様?」

「気持ちよく寝ているところを申し訳ないが、着いたぞ」


 娘が面を上げるのを待って、コンラッドが顎で箱馬車の右手を示した。

 見覚えのない、ブナの蔦に覆われた大きな屋敷だった。壁は白い塗料で隈なく塗られていたが、ひび割れを補修した跡がいくつもあることからかなり年季のいった建物のようだ。青い三角屋根についている黄色い風見鶏がくるくると回っていた。

 目線を下げていくと、やはり白く塗られた木柵が屋敷の敷地を囲っていた。ハトの小屋にも似た簡素な郵便受けの奥には、家庭菜園らしきものが設けられている。腐葉土の混ざった盛り土の上には、極薄の布で作った雨避けを幾重にも張り巡らせてある。等間隔に並ぶ漆喰に沿うように太めの茎が伸びていて、扁平な葉に埋もれるようにしていくつかの青い蕾が成っていた。

 何の実だろう。アデライードがのそのそと毛布から這い出た途端――


「わっ!」


 両脇に手が入れられ、次いで体をふわりと持ち上げられ、コンラッドの右肩の上に下ろされた。


「お、お父様! 私、自分で歩けます!」


 翻ったスカートを両手で押さえながら、アデライードが顔を赤らめた。十歳にもなっての肩車は、正直とても恥ずかしかった。


「そう遠慮ばかりせんでもいいだろう。リブロイ、すまないが荷物を」

「はい、お任せください」


 頼まれる前から、リブロイは馬車から下ろす荷物を手早く纏め始めていた。後部の荷物を置くスペースに積んであった紙袋からは、ディボルグの土産物店で買った米酒の瓶が覗いている。

 何年振りかの肩車はなんだかふわふわして落ち着かなかった。足元の遥か下に地面がある。片手で父の服の襟元をきゅっと掴み、おっかなびっくり視線を前に向けた。楕円形の石畳が緩やかなS字を描いて玄関まで続いていた。


「あの、ここは一体どこなのですか?」

「エスニール。秘界ミスタルにほど近い山間の小国だ」


 コンラッドは肩の上にいる娘に配慮し、体を揺らさぬよう静々と歩いた。落ち着きを取り戻したアデライードは、彼方にある山々を眺めている。ほとんどの山の頂上付近には冠雪があった。かなりの高地なのか空気が冷たく澄みきっていて、二人が息を吐く度に靄となった。


 玄関のドアには幾何学的な紋様の彫刻が施されていた。雨どいと壁が成す角には枯れ草で作られた鳥の巣がある。首を伸ばして覗いてみたが、親鳥も雛鳥もいなくてがっかりした。

 来客を知らせる呼び鈴の紐はどこにも見当たらなかった。代わりに、取っ手に錆びた鉄の輪が取りつけられていた。コンラッドの逞しい左手がその鉄の輪をむんずと掴んだ。

 持ち上げられた鉄の輪がドアの留め具に叩きつけられ、重く響いた。しばらくすると、中からパタパタと足音が近づいてきた。


「はいはーい、どちら様?」


 女性の太い声がドア越しに聞こえた。アデライードは、きっと人の良さそうなおばさんだろうと想像した。


「王都ラクールのエストア学院に在籍しておりましたディアーダと申します。ギュネス・カストラ殿はご在宅でしょうか」


 父の名乗りを聞きながら、アデライードは不思議そうな顔をした。ナイト・マスターと一言述べるだけで大抵の人には通じるはずだからだ。


「ディアーダ、ディアーダ。……あぁ、ディアーダさん!」


 錠の外される音がして、開いたドアの隙間から森族の女性がにこにこ顔を向けた。続いて鎖が外され、ドアが完全に開いた。


「お久しぶりです。トレイシーさん」


 会釈したコンラッドに、ふくよかな女は諸手を挙げて驚きを表現してみせた。


「びっくりした、いきなりなんですもの! お越しになると先にご連絡いただければ、こちらも色々と準備しておきましたのに」

「いやいや、お構いなく。こちらも急に思い立ったもので」

「お噂はかねがね耳にしていますよ。ずいぶんと偉くなられたそうで。それから、こちらが例の娘さん?」


 視線が自分に向けられるのを見て、アデライードがコンラッドの襟をくいくいと引っ張った。コンラッドは苦笑しつつも、アデライードをそっと足元に下ろした。


「は、初めまして、アデライード・ディアーダです。お見知りおきくだしゃい」


 くっ、と頭上から笑いを堪える息が漏れた。噛んだ恥ずかしさで全身がかっと火照ったが、トレイシーは特に気にした様子もなく、両膝に手を当ててにっこりと微笑んだ。


「礼儀正しいお嬢さんね。こちらこそ初めまして、女中のトレイシーよ。よろしく」

「は、はい、よろしくお願いします」


 差し出された肉厚の手に、アデライードが手を重ねた。握手が終わり、トレイシーが背筋を伸ばした。


「お子さんとご一緒に旅行ですか、羨ましい限りですわ」

「ディボルグの闘技祭に招待されまして、その帰りなんです。近くを通りかかった時にふと先生のことを思い出しましてね。とんとご無沙汰していましたので、お元気かなと立ち寄ってみた次第です」

「ふふ、こんな辺境ですものねぇ。ご主人様もあまりエスニールからお出になられないし」

「先生はどちらに? 他の族長の屋敷でしょうか」


 トレイシーは頬に手を当て、少し困った顔を作った。


「そういうわけではないんですけれど、近頃は渓流釣りにはまっていましてね。今日も朝早くから山の方へ」

「それはそれは、ご壮健でなによりじゃないですか」

「戻る時間も日によってまちまちなので、いつ帰られるかはなんとも。そうだわ、使用人にひとっ走りさせて」


 言いざまに後ろを振り向いたトレイシーを、コンラッドが慌てて呼び止めた。


「大丈夫です、せっかくお楽しみのところをお邪魔するのは忍びないので。特に急いでいるわけでもありませんから」


 そうですか、とトレイシーが申し訳なさそうに首を傾げた。


「でしたら、中でお茶でも飲んでお待ちくださいな。日が暮れるまでにはお戻りになると思いますし」


 コンラッドは、後ろから荷物を抱えて歩み寄ってきたリブロイと視線を交わした。


「ご厚意に甘えるか」

「それがよろしいかと存じます。どうです、カストラ様が戻られるまでひとつ、陣駒じんくでも」


 老執事の提案に、コンラッドはいいだろうと不敵に笑った。



「ふむ、そうきたか」


 頬杖をついて考え込む父の傍らで、アデライードは暇を持て余していた。応接間に案内されたコンラッドとリブロイは大人の遊びに集中し、彼女の存在をすっかり忘れてしまったようだった。乗ってきた馬車の御者二人は、馬の世話をしにいくと断りを入れて席を外していた。

 コンラッドの目線は縦横11マスずつある小さな盤面に注がれていた。そこにはいくつもの黒と白の駒が並び、正座して対峙している二人のようにお互いを睨みあっていた。


 陣駒のルールは単純にして奥が深い。駒にそれぞれの動き方、役割が振られているのは数あるマスゲームと同じだが、それに加えて独自のルールが存在する。

 まず、自陣の横11マス、縦3マスのスペースには罠を二箇所張ることが出来る。対局開始前には、その位置をお互いにカードに書いて指定。盤面の横に伏せておく。相手の駒が仕掛けている罠のマスに止まった時点で開閉の合図をすると、2ターンの間その駒だけは動かせなくなる。動かせなくなった駒はすぐに排除してもいいし、自軍の駒を守るための壁にしてしまってもいい。唯一例外として、将に対して罠は適用されない。

 もう一つのルールが調伏。同じく対局前に敵の駒を指定し、それが自軍陣地内に侵入してきた場合に限り、1回休みと引き換えに寝返らせることができるというもの。寝返らせた駒は排除した駒と違ってストックすることができ、敵陣地の外であれば自分の手番でどこにでも配置可能となる。

 罠の位置をどこに定めているか。相手がどの駒を調伏に指定するかの読み合いになるため、打ち筋が同じでも盤面はまったく違うものとなる。いかに相手の思惑を外し、駆け引きを制するかがポイントだ。ということなのだが、アデライードには盤面を見てもどちらが優勢かさっぱりわからなかった。


 中盤戦に入ると、軽快に指していた手がピタリと止まった。弓の駒を巧みに配置して早々に将の守りを固めたリブロイに対し、コンラッドは召と騎の駒を軸にした一点突破を図っていた。

 こんなゲームのどこが面白いのだろう。溜息を落としたアデライードが、何気なく窓の外に視線をやった。ちょうど屋敷の敷地内に、小さな動物が入ってくるところだった。


 ――え、嘘! あれってルミル!?


 アデライードは目を疑った。綿のような体毛と小さな体。左右に垂れた長い耳。ぱっちりとした黒い眼。激レアペットとして有名なルミルは人里離れた高山地帯にのみ生息する。霧で喉を潤し、日差しを浴びて栄養を蓄えるという植物じみた性質。可愛くて餌入らずで糞尿も無臭となれば、人気が高いのもうなずける話だった。近年になってようやく生態が解明されてきた希少種が、手の届くところにいた。

 窓越しの熱烈な視線に気づいた様子もなく、ルミルは西日が当たっている芝生に寝転がった。その無防備な姿に、食指がぐらりと動いた。撫でたらどのような感触なのか興味があったし、可能であればもちろんそのままお持ち帰りしたかった。



「お、お父様。私、少し表で遊んできますね」

「んー? あぁ、わかった。あまり遠くにいくんじゃないぞー」


 気のない返事をした父を尻目に、アデライードは胸の高鳴りを抑えながら部屋を出た。

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