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マーシナリー・カプリッチオ ~終ノ部~  作者: 本倉悠
●序章 ―追憶の果てに潜むもの―
3/10

(3)

 痙攣。焼いた餅のように膨らんだ胸部が破裂。弾けた胸筋が地面に散乱し、血肉が付着している肋骨が天を向く。男の腹にできたもうひとつの大口から、溶解した内臓が赤黒い泡となって零れ出す。


 痙攣。手足の皮膚の両面を突き破って出てきたのは新たな脚。一つにつき二本。それが四組で計十二本。ただし、人間のそれとは明らかに様相が違う。色は漆黒で所々に茶褐色の斑点があり、甲殻類のそれに近い印象だ。

 元の手足と増えた足が連動し、花開くように四方八方に広がる。節の部分が鋭角に盛り上がり、先端から伸びてきた鋭い爪が草に埋もれた土壌に突き刺さる。


 痙攣。三つに増えた関節が歪に曲がり、壊れ物でも扱うかのように体を持ち上げる。体長は、目算で5メードといったところ。常軌を逸した光景と辺りに立ち込める腐敗臭に、胸が悪くなる。


 周囲に生えている草がみるみるうちに水分を失っていき、干ばつ後の田畑のような有様になりつつあった。並行して魔物の体幹が段階的に膨張。脚が少しずつ太さを増していく。周囲の生命力を片っ端から貪り、己が力としているのだ。

 強制的な魔力の還元反応による風圧と、広がりゆく灰色の波紋が目に止まる。履いている靴の爪先に触れられる寸前で、後方に大きく跳躍。距離を取ったことで全体像が正確に把握されたが、むしろ悪夢に迷い込んだかのようだ。高さは15メードを悠に超えていた。

 背の部分から半透明の球体がびっしりと浮かび上がった。中にある赤い眼球が、孵化の瞬間を待つ稚魚のようにびくびくと動き回っていた。


 ――ヴェエ゛エ゛エ゛ア゛ア゛アァァァァッッ!!


 蜘蛛のようにも、陸を歩く巨大くらげのようにも見える異形の魔物が、嘔吐の音を積み重ねたような咆哮を発した。両耳の鼓膜が痙攣し、肌が超震動で細波を打つ。視界の大半を席巻する召喚獣を前にして、シュイは心底かったるそうに首筋を掻いた。


 一度目の襲撃は二か月ほど前。定番、と言って良いのかはわからないが、歩いているところを長射程魔法で狙撃された。大胆にも祭りで混雑している町中での犯行だった。こめかみに飛来した氷弾を屈んで避けた後に、洒落たケーキ屋の上にいた狙撃者と目が合い、追走を開始。数分後には半殺しにして排水溝に投げ捨て、『入ってます』と刻んだ石蓋をしてその場を立ち去った。

 二度目はつい先頃のことで一週間前、のようだ。食事をしている時に酔っぱらいを装った男が酒場に二人、席を探すふりをしている内に後ろから刃物で襲いかかってきた、らしい。なんとか兄弟などと名乗っていた、気もする。少なからず酔っていたせいで記憶が定かではないのだ。

 その場にいた目撃者の話ではかなり激しくやり合ったとのことで、割れたボトルや切り刻まれたテーブルや踏み抜かれた床板等々。損壊分を丸々弁償させられた。その日に終えた治水工事関連の報酬が露と消えた。名前が知れているのも善し悪しだ。あれから酒は飲んでいない。

 そして今回。ともすると有名な格言通り、心に期す物があったらしい。人気のない山道に差し掛かったところで進路と退路を塞がれ、多対一の戦闘を余儀なくされた。個々のレベルはかなりのものだし連携もそつなかった。用意周到さもあった。ちょっと前であれば、苦戦を強いられたに違いない状況だ。

 段々と手段がエスカレートしてきていることから、先方はいたくご立腹の様子。平たく言えば存在自体が問題視されており、一刻も早く消えて欲しいらしい。


 不愉快な記憶に顔をしかめたシュイが、宙に視線を投げた。上空に浮かんでいた召喚魔法陣が消失。一際大きい二本の足を軸にして、魔物の背と腹が上下ひっくり返った。あまり見たくない光景だった。地に向いた腹にはびっしりと生えた毛がウジ虫のように蠢き、中央には朽ちた男の顔が埋もれている。干からびた肌から察するに生気をごっそり絞り取られたようで、虚ろとなった双眸が無念を訴えかけている。


「……見捨てられたままの方が、まだましだったな」


 嘆息のような呟きが漏れ出た。仲間を売ることを頑なに拒んだ男は、その仲間に死してなお駒となることを強いられていた。考えが温すぎた。そう断じるのは簡単だが、仲間を使い捨てにした連中を肯定する気になれないのも確かだった。

 人体を触媒えさ代わりにする寄生型召喚法。おそらくは外法に限りなく近い類のもの。考察を適時修正。間違いなく外法だ。

 シュイの瞳が怜悧な光を湛えた。だからどうした、と強気にして酷薄な思いが湧き上がった。


 背負っていた鎌を無造作に外したシュイと、実体化を終えた異形の化け物が相対。一人と一体の放つ圧力に、場の空気が研ぎ澄まされ、土埃が広域にわたって螺旋を描く。

 ひとつひとつが独立した生き物のように動いている毛が、はたと針金のように尖り、曲がる。それらは等しく窄まった口を指し示していた。

 突発的に魔物の分厚い唇が痙攣し、凄まじいエネルギーが口の前に集中していく。尋常ならざる<吸収アブソーブ>によって腹に溜めこまれた魔力が振動する体毛を介して絡みあい、繭を成す。<結合ユニット>を経て可視化された魔力が眩いばかりのエネルギー体を生み出す。

 上位召喚獣の魔力が込められた吐息(ブレス)。それは天災に匹敵する威力を有し、範囲、破壊力共に個人レベルの防御魔法で太刀打ちできるものではない。

 瞬時に何種類かの対応策を検討。そして選択。放たれれば確実に巨大なクレーターを作るだろうエネルギー体を前にして、シュイが手の平を掲げて詠唱を開始する。


<ヴァー・テ・リオル・デ・シャヴラ・ニド・オルブス>


 全身から肩に、肩から手の先に魔力の白波が向かっていく。五指に集約し、<解放(リリース)>された魔力が光輝く糸を引き、目の前の空間に五線譜を形成する。


<創世(はじまり)を告げる諷霊ふうれいに命ず 我に撫でられし魔譜に其の訃音ふいんを連ねよ>


 大気にあまねく微細な魔力が言霊の助けを得て一気に引き寄せられ、シュイの魔力と<結合(ユニット)>。いくつもの音階を成した五線譜が闇に溶けるように消失。指先には十を超える魔力の弾丸が形成されていた。


 魔物が大きく息を吸い込むや否や、シュイの手元が霞む。突きの速度を得た発射台から魔弾が一斉に射出される。

 一閃。短く連なる衝撃音と共に魔物の顎が持ち上がる。一瞬遅れて口元から放たれた極太のエネルギー線がシュイの頭上を通過。後方にあった山脈へ到達する。

 2000度に達する熱線が山頂付近の岩盤を突沸させ、燃焼を経て一気に流入した酸素が炎を急激に膨張させる。爆煙が勢いよく天へと吹き上がり、夜空に浮かぶ雲の海を煌々と照らし出す。噴煙が晴れた時には、鈍角の三角形が輪郭の歪んだ台形に変貌していた。

 めくれ上がった魔物の上唇からは白煙が立ち上っていた。音速を超える魔弾、<刻穿閃(ラピディティ・スカージュ)>によって発射角度を強引に変えたのだ。


「人外と馬鹿正直に力比べをする気はない。悪いがさっさと終わらさせてもらうぞ」


 シュイの言葉に呼応するように、異形の魔物が身を震わせた。あるいは、矮小な存在から手痛い反撃を被るとは思っていなかったのかも知れない。

 だが、躊躇いを見せていたのはほんのわずかな間だった。震えが止まったかと思うと、体を支える十二本の足のうち、シュイに最も近い二本が天高く掲げられた。

 硬質な輝きを持つ肉の槍が、超重量に任せるがままに振り下ろされる。神殿の支柱にも匹敵する質量が地面に突き立てられ、三重の地層を一息に抉り、その下にある固い岩盤をも突き崩した。草が衝撃波にさざめき、轟音が山々を駆け巡る。

 土埃の中、踏撃を紙一重で避けたシュイの、フードを止めていたクリップが外れた。端正な顔が露わになり、切り揃えられた黒い髪が風圧に靡く。幾多の戦いを経て成長した青年の黒い瞳は、色褪せぬ力強さをはらんでいた。


 無造作に屈伸したシュイが、敵対者を排除せんと胴体への架け橋に跳躍。急傾斜の長い脚に取りつき、駆け上がりながら高速言語を展開。休みなく動く足を取り巻くように、小径の魔法陣が具現化する。

 侵攻を食い止めるべく左から、右から。頭上から、走る足の裏側から。体を支える以外の八本の足が殺到。当たれば即死の猛攻を視界に収め、口元に笑みが浮かぶ。

 紡がれていたのは術者への干渉魔法、<韻踏越歩(リズム)>の詠唱。膝から下の筋肉が強烈な自己暗示によって活性化。一時的に太さを増した筋繊維によって瞬発力が数倍に向上。発動と共にシュイが幾重もの残像を背負う。

 肉の槍が次々と撃ち込まれていくが、目算が追いつかない。殺意で編まれた格子も、残像を貫くのがやっとで獲物を捕えるには至らない。何度目かの自傷行為によって千切れかけていた脚がついに落下。その上には、数歩で十数メードもの距離を踏破したシュイがいた。背中の端に立ち、無数の複眼を向けてくる魔物を傲然と見下ろしている。

 真下からの地響きに続いて、シュイが鎌を支える腕を振り下ろす。牙のような切っ先を足場の背に突き立て、そのまま得物を引き摺るように背中の端から端へと横断。外骨格を覆う硬皮が湾曲した刃に引っ掛かり、一気に捲り上げられた。

 魚卵のように密集した複眼が一直線に抉られ、吹き出る黄緑色の体液が霧となって夜の闇を汚す。足を止めて後ろを振り返ると、剥き出しになった青黒い肉に包まれた深緑色の血管が生々しく脈動するのが見えた。

 地に向く魔物の口から、この世のものとは思えぬ苦鳴が放たれた。残る十一本の足が狂ったように踊り出し、上昇と下降を繰り返す。外気に晒された神経が吹く風に刺激され、まともな思考が閉ざされているのだ。文字通り目と鼻の先に居座る敵を対処する余裕はもはやなく、周辺の地形だけが穴だらけに変わっていく。

 さて、動くか。揺れる足場をものともせず下界を見回す。ほどなくして顔の向きが固定される。ほんの数秒、離れた場所にある繁みがぼんやりと光を放った。召喚獣を制御しようとしたのだろう。

 その位置をしっかりと見定め、シュイが再び得物を構えた。悪名高い傭兵には極力近づきたくなかったようで、召喚獣に魔力供給ができるぎりぎりの位置にいる。攻撃魔法、すなわち遠距離戦が不得手という情報も事前調査で知らされていたのだろう。

 だが、情報は日に日に更新されるものだ。


<――蒼き雷を納むるは涅色の胸奥 世に渦巻く汚濁に其の悲憤慷慨を吐き出さん>


 詠唱が途切れ、空を覆い尽くす灰色の雲から稲光が生まれた。醜悪な召喚獣の背が白み、死神の影が降臨。掲げられた鎌の先端に巨大な雷が降り注いだ。鎌刃を覆い尽くす雷が光る粘土のようになり、紫電の竜に象られていく。以前に死闘を繰り広げ、互いの実力を認め合った傭兵が披露した付与魔法の応用法だった。魔力の消費量が著しいため長時間だと厳しい技だが、短期決戦であればなんら問題ない。

 先ほど光を放った地点にシュイが視点を重ねるや否や、身をくねらせた竜が矢のような勢いで飛び去った。大きく開けられた顎が再び閉じられる直前、短い悲鳴が上がった。

 少し遅れて、足場にしていた魔物が消失する。召喚魔法は、魔力供給役が倒れれば召喚獣の実体を維持できなくなる。すなわち、術者を仕留めたという単純解に帰結する。


 地に降り立ったシュイがゆっくりと膝を伸ばし、肩を鳴らしながら周囲を見回した。今度こそ、人の気配は完全に消えていた。しつこく探せば見つかるだろうが、生け捕りにしたところでこれ以上有益な情報が得られるとも思えなかった。むしろ、召喚獣共々軽くあしらわれたことを知らされる方が、無粋な行為に及んだ者たちの恐怖を駆り立てられるだろう。この散々たる結果をありのままに報告するかは、何とも言えないが。

 手元に舞い戻ってきた紫電の竜からは、肉の焦げた臭いがした。鼻をつまみながら解呪すると、初夏の夜風の心地よさが戻ってきた。



 今の自分なら。視線が南東にそびえ立つ山々へと向いた。浅からぬ因縁を有す国、セーニア教国の方角を。

 声には出さなかったが、自然と心が叫んでいた。陰謀と奸計を巡らし、人の運命をねじ曲げた外道たちに対しての憤慨と、不屈の意志を。

 多くの者の力を借りて、多くの者を排してここまできた。すべては、やつらを踏みにじるために。そう思うだけで腹の底が冷たくなり、目の前が真っ暗になった。



「……って、真っ暗?」

「ふふふふ、だぁ~れだっ」


 耳元で発された楽しげな声と背中で弾んだ二つの膨らみに、ささくれだった気分があっという間に霧散した。

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