表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マーシナリー・カプリッチオ ~終ノ部~  作者: 本倉悠
●序章 ―追憶の果てに潜むもの―
1/10

(1)

 薄墨色の空に浮かぶ満月を薄雲がゆっくりと舐めていく。

 首を垂れた草の肌を珠のような夜露が滑り、湿り気を帯びた土壌に落ちる。


 短い断末魔が夜の静寂を打ち抜く。群生した草が踏み慣らされ、押し分けられる音が散らばり、戦場の拡大を告げる。だだっ広い草原を突き進む影と影が接触。高速でS字を描くようにしながら各々の得物を幾度となく打ち合う。不吉を聞き遂げたキツネの親子が、剣戟の交じり合う方角から全速力で遠ざかっていった。

 

「息つく暇を与えるなっ! ここを彼奴の墓標にしてやれっ!」


 物騒な檄を飛ばした暗殺者が颯爽と切り込んでくる。後ろに下がりつつ相手との間合いを測り、血糊がこびりついた大鎌を薙ぎ払う。やや予備動作(モーション)が大きかったか、空振り。後方に引いた男が再び短剣を構え直した。

 追撃しようと足に力を込める矢先、相手があっさりと退いたことで直感が働く。左側面から回り込んでくる気配に舌打ち。叢から両足を揃えて跳躍する。

 すかさず双方向からの剣閃が、鋏のように足元を行き交った。胸に届きそうな高さの草が三分割にされ、剣風に巻かれて吹き散らされる。

 果敢に接近戦を仕掛けてくる短剣使いと双剣使い。そのそれぞれと視線が交錯する。殺気に満ちた鋭い目が自分の姿を捉えて放さない。

 いち早く落下地点に回り込もうとする暗殺者たちを見止め、咄嗟に指先で魔印を切り結ぶ。地表まで残り4メードほどのところで<烈風壁(ウィンド・ウォール)>を足元に展開。下から持ち上がる高密度の上昇気流に乗り、前方へ大きく跳躍する。

 それに応じて右側面から巨大な水球が放たれたが、幸い見越しが甘かったのか後方に逸れていく。大量の水が叩きつけられる涼しげな音だけが後を追ってきた。


 付近の繁みには手練れの魔法使いが少なくとも二人以上潜んでいる。そちらに関しては随所で投じられる攻撃魔法から見当をつけているに過ぎず、姿形はまだ確認できていない。常に周囲からの支援攻撃を想定せねばならないとなると、精神的疲労の蓄積が懸念される。まずは距離を稼いで仕切り直すのが上策だ。

 そうした判断を元に敵の群れを置き去りにした直後、月明かりを化粧した鎌刃が微かに曇った。黒衣をはためかせながら滑空する男の視線は、新たな敵影へと投げかけられている。白と黒と灰色の、輪郭だけの世界が男の意識下に構築され、急接近してくる存在を感知していた。

 黒装束に身を包んだ新たな暗殺者が腕を引いた。手元にはやはり刃物の煌めき。退路を塞ぐ役もちゃんと用意していたようだ。その堅実な仕事ぶりに、うんざりする。

 繰り出された刃の軌跡を正確に読み切り、船の舵を持つように鎌の柄を両手で支える。体重を乗せた相手の突きをわざとまともに受け、その反動を利用して後方へ跳ぶ。

 暗殺者もその動きは予想の範疇だったのだろう。地に降り立った次には、すかさず間合いを縮めてくる。

 振り下ろしの一撃を皮切りに、橙色の火花が雄大な山脈を背景に咲き狂う。長い腕の振りと手首の柔軟さを活かした短剣(ダガー)の刺突はさながら驟雨のようで、見た目以上に伸びてきた。我流で磨き上げた剣術のようだが剣速のみに言及すれば達人の域にある。

 だが、鎌を手にする男に焦りや不安は認められない。銀の刃の残像に負けぬ速度で長い柄を小刻みに操り、鞭のような連続攻撃を捌いている。薙ぎ払いを上に弾き、足元からの切り上げを腰の下で受け止め、目にも止まらぬ連続突きをことごとく逸らす。時折混じる、目を狙った抜き手や手元を狙った斬り下ろしを選んで回避する余裕も見せる。この程度の相手となら何度となくやり合っているというように。


「確かに速いが、それだけだな。抑揚は貧相だし工夫も足りない」

「ぬぐっ、侮るなよっ! ここからだっ!」


 顎を引いて睥睨する標的(ターゲット)を目にし、剣速が一段と増した。反して、斬り結ぶ暗殺者の呼気に焦りと疲労の成分が加味されていく。

 均衡が崩れるまでにさほどの時間は必要なかった。淀みのない動きに雑味が混じり始めた頃合い、不用意な突きを見切り、柄の先端で強かに弾く。折れた刃が宙に弧を描きながら地面に突き刺さり、暗殺者の瞳が驚愕に見開かれた。軍からの支給品と、名の知れたマクシミリアン工房の一級品とは比べるべくもない。丹念に鍛えられた魔法合金の硬度をそこいらの武器と同一視したら命取りになる。

 次いで聞こえてきたのはくぐもった声。相手が突き出した腕の下から、思い切りみぞおちを蹴りつけてやった。が、腹を蹴ったとは思えぬ音が鳴り、足の裏にも何故か鈍痛。念の入ったことに金属板を仕込んでいたらしい。

 このチキン野郎が。せめて鎖帷子(くさりかたびら)にしておけよ。心の中で徹底的になじる。足は痛い。

 蹴り飛ばされた暗殺者の靴底が草を滑り、踵が土を雑草の根ごと掘り出す。板越しの一撃ゆえにダメージは軽微だろうが、一瞬の隙を作り出すのには釣りがくる。

 攻守交代。胸を抑えた暗殺者から距離を取って黒衣の男が地に降り立ち、踵の痛みを無視して前へ飛び出す。そのすぐ後ろを側面から飛来してきた雷の槍が通過。長い静電気の尾を引いてゆく。首筋に生える産毛がざわざわと騒ぎ立てるのを感じた。

 狙い澄ました一撃を避けられ、遠くからあせったような声が上がる。だが、再度の仕切り直しを試みるにはもう手遅れだ。

 夜空に浮かぶ満月が鎌刃に映える。茫々とした光を湛えた黒い三日月が、草を撫で切りにしながら暗殺者に襲いかかった。加えて即時詠唱に感応した鎌刃から閃光が迸る。

 白く発光する刃が暗殺者の薄く開いた目に投影された。身を守るべく手甲に覆われた腕を交差させる。

 鎌を振るう男は躊躇を見せず、一気に踏み込んだ。光刃が暗殺者の腕に触れ、しかし腕に襲ってくるはずの衝撃がないことに相手の動きが乱れる。光刃は形を崩し、即座に霧散した。

 間髪入れず、防御する腕の内側を衝撃が駆け抜けた。黒い牙が鉄板を固定しているなめし革のサスペンダーごと左の鎖骨を食い破り、筋繊維と毛細血管を押し開き、背中側へと抜ける。その様を男の脳がはっきりと知覚した。

 <惑わせし虚像を結べ(ミラージュ・リロード)>。実体のない刃を投影する付与魔法が致命的な思考の空白をもたらし、強固な防御を無効化した。

 黒衣の男が立ち止まり、少し遅れて深手を負った暗殺者が肩を抑えながら柔らかい叢に膝をつく。傷口から噴き出す血飛沫も闇の中に紛れてほとんどわからない。はたはたと、長い葉に降り注ぐ雨音が聞こえるのみだ。


 ようやく追いついてきた男たちに、血に彩られた鎌を見せつけて牽制。踏み止まり、逡巡する暗殺者二人と対峙する。

 すり足でにじり寄る男たちが、前傾姿勢に移行。向かって来るかと思われた矢先、甲高い笛の音が辺りに響き渡った。撤収の合図なのか、男たちが口惜しげに顔を見合わせ、一歩ずつ後ろに下がり始める。標的(こちら)にろくな手傷を負わせることもできず、しかし三名が返り討ちにあっていることを省みれば、妥当な判断と言えなくもない。仲間を見捨てるな、などと説教する義理もない。


 草が擦れ合う音が一気に遠ざかり、気配が消えた。鎌を一際強く振り下ろすと、刃にこびりついていた血糊が振るい落とされ、足元に群生している草に付着した。

 襲ってきた敵の所属は、確認するまでもなかった。どこの手の者か察しが付いているというより、こうまであからさまに狙われては気づくなというのが無理だ。オルドレン会戦から数えて半年と経っていない。

 彼の国に、こうして秘密裏に消された者は一体何人いるのか。あくる日には違う誰かが狙われ、誰かが殺されているかも知れない。汚れ役を命じられた者たちは何を思い、何に従い、刃を振るい続けているのだろう。

 彼方へ思いを飛ばそうとして、やめた。殺気の残り香が付近を未練がましく彷徨っていることに気がついた。

 傍らから掠れた声が発され、辺りを警戒しつつ視線だけをそちらへ向ける。自分の血に塗れた男が、こちらと仲間の立ち去った方角とを比べるように眺めていた。その表情には隠し切れない落胆が滲んでいる。皮膚の張り具合からするとまだ若いといっていい年代のようだが、自分ほどではない。彼女ほどでもない。


 シュイ・エルクンドは、その事実を再度確認した。

 ただそうするだけで、いつもより残酷になれることを知っていたからだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ