伝説(1)
「来たか明咲季!」
お兄ぃが中に入るよう手をふる。
「明咲季ちゃん、こっちおいで〜」
杉田さんが隣を指して呼んでくれる。
「お茶飲む?」
言いながら湯飲みにお茶をさして出してくれた。
「ありがとう」
「湖宮、お前こんな可愛い妹がいたのに、よくもこれまで隠してくれてたな」
か、可愛い……?
マジ? 矢吹さん。中学、高校とずっと陸上部で走ってたから、男っぽいとかカッコイイとしか言われたことなかったから、ちょっと……テレるわ。
「あ、矢吹君の好みなんだ」
「違うよ、違う」
速攻で否定するんかい!? ま、分かってたけどね。
「おい、人の妹イジるなよ」
「さて、それじゃあここで、明日探検に行く往絡山の伝説を話しておこうか」
お兄ぃのツッコミ無視で、土方さんが大きな体を前に乗り出しながら、声をひそめて話し始める。
「犬澤さんいないけどいいの?」
「今日のあの調子じゃ呼んでも来そうにないし、そっとしておくほうがいいんじゃないか?」
矢吹さんが言うと、みんなも同じ意見らしくうなずく。それもそうね。
「オホン……それでは」
土方さんが仕切り直して話し始める。
——昔、往絡山にはイトナと呼ばれる恐ろしい妖怪が棲みつき、不用意に山へ入る者を次々獲って喰ったという。
もちろんその麓に暮らす人々、つまり今宿泊している旅館があるこの村の人々の多くがその妖怪に喰われ、人々はたいそう困り中には村を捨てて逃げ出す者もいた。
ところがある日、通りかかった旅のお坊さんが困っている村人の話を聞き、1人で山に入っていき、やがて山から恐ろしい叫び声がして、ボロボロに傷ついたお坊さんが山から降りてきて、イトナを退治したことを告げた。
その証拠として手にはイトナの目玉を1つ握っていた。
以来イトナは再び姿を現すことはなく、村人は安心して山に入れるようになった。
イトナとお坊さんが戦った場所には神社が奉られ、そこには今でもイトナの目玉が奉られているという。
そのお坊さんが誰なのかは分からなかったけど、風のウワサでは、都で偉い僧になったといわれている——
この、たまたま通りかかるお坊さんってところがうさん臭い。
それにうわさで偉い僧になるなんて、いかにも……よ。
きっと弘法大師や何かにちなんでるんだわ。
「ところが……だ。ここまでなら、よくある昔話なんだが……」
土方さんが続ける。
「その神社のさらに奥へ入ったところに、地元では神隠しの森と呼ばれる場所があるんだ。
古い文献にも、村人が入り込んだまま出てこなかったことがあったらしい。昭和に入ってからも何人か行方不明になってる。
6年前D大学の植物研究チームが往絡山に自生する植物の研究をするために、その森に入ったらしいが、その時も2人行方不明になっているんだ。
大掛かりな捜索が行われたらしいけど、靴の1つも見つからなかった。当時の新聞にもちゃんと掲載されてる。
それに去年、民俗史研究で有名だったうちの大学の塚口博士が行方不明になってるだろ? ウワサじゃ森に入って行く姿を見た人がいるらしい。
地元の人はみんな知ってる、その神社の奥こそ、本当に坊さんとイトナが戦った場所だってな」
「私、行くのよそうかな……」
益原さんの唾を飲み込む音が聞こえた。声が震えてる。こんなので怖がるなんて。
「しかし、ま! それ以後は行方不明になった者はいないらしいし、だいたい塚口博士を見たってのもあくまでウワサだからな。
それにその神社で行われる糸奈祭りはけっこう有名で、来月の毎年7月には、たくさんの人で賑わうんだ。
その中には興味本位や知らずに奥に入る者もいるだろう」
それがわたしたちのことなんだってば。




