1:何千年ぶりの目覚め
討伐されたと信じられていた魔王
寒さで目を覚ました。
ただの寒さじゃない。
背中の下にある石の冷たさが、じわじわと骨にまで染み込んでくる。
まるで――私は、あまりにも長い時間、ここに横たわっていたのだと教えられているみたいだった。
私は目を開ける。
ひび割れた石の天井が視界に入った。
本来、この場所にあるはずのない隙間から、かすかな光が差し込んでいる。
空気が……妙だ。
かつてのように魔力が濃いわけでもない。
だが、完全に枯れているわけでもない。
薄い。
あまりにも、薄すぎる。
「……」
体を動かそうとする。
重い。
まるで、私の一部がどこかに置き去りにされたかのようだった。
関節が軋み、筋肉が命令を拒む。
それでも――
私は、なんとか上半身を起こした。
次の瞬間。
手首と足首を縛っていた黒い鎖が、ひび割れ、音もなく崩れ落ちた。
……ああ。
どうやら、封印はついに壊れたらしい。
それから数秒遅れて、私はようやく理解する。
私は、まだ生きている。
そして――
この世界は、まだ滅んでいない。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「……どれくらい、眠っていたんだろうな」
声が、ひどくかすれていた。
長い間、言葉を発していなかった者の声だ。
記憶が、少しずつ蘇ってくる。
燃え上がる戦場。
赤く染まった空。
次々と倒れていく魔族たち。
そして――
私の前に立っていた、一人の勇者。
光り輝く剣を握り、満身創痍で、それでも立ち続けていた。
私は、あの勇者に殺されたわけじゃない。
封印されたのだ。
それは、私を倒すための術ではなかった。
二度と、この世界に戻れないようにするための封印。
その代償として、勇者は命を落とした。
私は周囲を見回す。
瓦礫。
崩れ落ちた祭壇。
ここは、かつて巨大な封印の祭壇だった場所だ。
今では、壁は崩れ、魔法陣は風化し、
封印の核だった水晶も、完全に砕け散っている。
私は立ち上がった。
少し、足元がふらつく。
そして、そのとき――
もっと深刻な異変に気づいてしまった。
「……私の、魔力」
意識を内側へ向ける。
……少ない。
完全に空ではない。
だが、かつて無限に近かった魔力は、今や干上がりかけた湖のようだった。
もし、全盛期の私が“海”だったとするなら――
今の私は、底が見える小さな水たまりだ。
思わず、乾いた笑いが漏れる。
「なるほど……数千年の封印、というわけか」
今の私を、かつての部下たちが見たら、きっと信じないだろう。
これが、あの魔王だなんて。
私は瓦礫を越え、外へ出た。
そして――
世界は、あまりにも奇妙な姿で私を迎え入れた。
空へと伸びる巨大な建物。
平らに舗装された黒い道。
光を放つ金属の柱。
そして、馬のいない乗り物が、静かな音を立てて走っている。
「……なんだ、これは」
断言できる。
これは、私が知っている世界じゃない。
人々は、何事もないかのように歩き、話し、笑っている。
奇妙な服を着て、光る板のようなものを手にしている者もいる。
そして何より――
誰も、私を恐れていない。
魔王の復活を警戒する気配など、どこにもない。
私は目を閉じ、感覚を広げた。
この世界の魔力は――
管理され、標準化され、循環している。
まるで、誰かが
**「魔法を前提とした社会」**を作り上げたかのようだ。
「……面白い」
そう思った直後。
腹が、容赦なく鳴った。
……空腹だ。
私は、最後に食事をしたのがいつだったか、思い出せない。
食事処らしき建物に入ろうとしたが、すぐに止められる。
「お金は?」
「……ない」
それだけで、追い出された。
私は、道端に立ち尽くす。
力も、配下も、城もない。
かつて世界を滅ぼしかけた魔王は――
今や、金もないただの放浪者だ。
「……物語にしたら、笑い話だな」
そう呟いたとき。
街の中心に設置された巨大な映像板が、目に入った。
人が、戦っている。
円形の闘技場。
透明な結界。
火と雷、飛び交う魔法。
観客の歓声が、空気を震わせる。
映像には、文字が浮かんでいた。
魔法バトルアリーナ ランクC
勝利報酬:50万クレジット
私は、足を止める。
……金が、出るのか。
「暴力が、報酬になる時代……か」
悪くない。
説明を受け、私はアリーナに登録した。
測定結果は、最低。
ランクF。
周囲から、失笑が漏れる。
「その魔力量で出るのかよ」 「自殺志願者か?」
気にしない。
強さは、数値じゃ測れない。
初戦は、その日の夜だった。
小さなアリーナ。
観客も、少ない。
対戦相手は、身体強化魔法を使う屈強な男。
向かい合った瞬間、彼は笑った。
「おい、嬢ちゃん。降参しとけ。俺、さっさと勝ちたいんだ」
私は、ただ静かに彼を見る。
審判が手を上げた。
「――開始!」
男は、一気に距離を詰めてくる。
速い。
力もある。
だが――遅い。
私は、半歩だけずれた。
手首を返し、指先で男の肩に触れる。
それだけ。
男の動きが止まり、
次の瞬間、地面に崩れ落ちた。
沈黙。
審判が、固まる。
「……勝者、ノア」
遅れて、まばらな拍手が起こった。
私は、自分の手を見る。
弱い。
だが――これでいい。
控室で、何人かが私を見ていた。
「今の、何だ?」 「動き……変じゃなかったか?」
私は椅子に座り、静かに息を整える。
外では、世界が何事もなかったかのように回り続けている。
誰も知らない。
討伐されたと信じられていた魔王が――
今、この世界で、再び動き始めたことを。
そして、これは。
ほんの、始まりに過ぎない。




