05.綺麗な魔法
「メアリーは魔法の事まだいまいち分かってないでしょ?」
「そう、ですね……アビスさんにちょっとだけ説明、してもらいました……」
「なるほどね~」とカミューさんが頷く。よく見ればこの人、私より背が小さい。自分も小柄な自覚はあるが、そんな私よりも小さいのだ。それなのにすごくしっかりしている。
「ウェインさんの説明ちょっと……いや、だいぶ分かりにくいからな~……あんまり理解できてないでしょ?」
苦笑いしながら彼女は言う。――そ、そんな失礼なこと……!と思ってアビスさんを見れば気にしていないのか、「はは……」と困ったように笑っていた。
「わ、分かりにくい事はない……ですよ。えっと、わ、私に知識がないから、理解できなかっただけで……」
「あはは、遠慮しなくていいよ~。待ってる間にちょっとだけ聞こえてたけど、いきなり怖いこと言われたりしちゃったでしょ?だから、メアリーにはまず、魔法は怖くないんだ~って思ってほしいんだ」
「ありがとう…ございます……」
「じゃあ、お家の中だったら危ないし、外行こっか!」
そう言ってカミューさんが私の手を握る。まだちょっと悪意が無い接触になれておらずびっくりして手が固まってしまうが、彼女は何も気にしていない様子だった。少し遅れてちょっとだけ握り返す。
「じゃあれっつご~!メアリーの事借りるね~!」
「あ、えっと、いってきます……っ!」
そのまま彼女に手を引っ張られて、私は部屋を後にした。
玄関の扉をくぐると、少し冷たくなった夕方の空気が肌を撫でた。この世界に来て初めての、外の空気だ。傾きかけた太陽の光が、今の私には眩しくて、思わず目を細める。
外から振り返ったアビスさんの家は、森の中にひっそりと佇む大きな洋館だった。鬱蒼とした木々に囲まれているのに、家の周りだけは綺麗に整えられている。色とりどりの花が咲く花壇に、建物の裏手には綺麗に耕された畑のようなものも見えた。まるで、おとぎ話に出てくる魔女の隠れ家みたいだ。
「よし、じゃあまずは『魔法がなんなのか』からだね!」
カミューさんが長いローブを翻して振り返る。背丈ほどある箒を片手に持ったその姿は、背景も相まって、本当に絵本から飛び出してきた魔法使いそのものだった。
「えっと……魔法っていうのは想像力で、その人の想像を形にする力だって……アビスさんは言ってました」
「そうだね~、簡単に言えばそれで間違いはないよ。だから『どんな事でもできる自由な物』って思うかもしれないけど……案外、そうでもないんだよね~」
カミューさんは「たとえばそうだな~」と少し考える仕草をしたあと、足元に転がっていた小石を拾い上げた。
「メアリー。この石を『これをふわふわのおいしいパンに変えて』って言っても、難しいよね?」
「そう……ですね……。だって、それは石ですから……」
「そう、それが普通の反応! 『これは石だ』って知ってるから、脳みそが勝手に『食べられるわけない』ってブレーキをかけちゃうの。常識が邪魔をして、想像力が現実に負けちゃうんだよ~」
彼女は石をポイッと放り投げると、パンパンと手を払った。
「魔法っていうのはね、その『当たり前』を『思い込み』で騙しちゃうことなんだ。固い石をふわふわには出来なかったとしても……例えば固いパンとか、クッキーとかには近づけれそうじゃない?」
「なるほど……自分を、騙す……ですか」
「そ! だからね、難しい本を読んで勉強するのも大事だけど……一番大事なのは『できる!』って信じ込むこと。子供の突拍子もない発想のほうが、よりずっと強い力がこもるんだよ」
カミューさんはにっと悪戯っぽく笑うと、今度は人差し指を立てて空を指さした。
「メアリーはお絵かきとかしたことある?」
「ちょ、ちょっとだけなら……」
「そっか、じゃあ、まずはこれを見てて!」
彼女は指先を、何もない空中に向かってすらすらと走らせた。すると、指先から黒いインクのようなものが滲み出し、空中に線が残っていく。
「えっ……?」
黒い光の粒が、さらさらと文字を描いていく。ただの黒じゃない。光を反射して夜空を切り取ったような、星屑が混じったような綺麗な黒色だ。
「素敵な魔法でしょ?便利なんだよね~! 紙がなくてもこうやって……」
彼女は空中に自分の名前らしき文字を書いたあと、その横に何か別の形を描き始めた。丸を書いて、上に三角を二つ。横に長いひげのような線。
「はい、これなーんだ!」
カミューさんが自信満々に胸を張る。私は空中に浮かぶ、歪んだ黒い線を凝視した。
丸い体に、耳が二つ……? 動物……というのは分かる。
「えっと……犬……ですか?」
「ブブーッ! 猫だよ猫! 可愛いでしょ!?」
「ね、猫……!?」
どこをどう見ても、ふにゃふにゃの生物にしか見えない。ちょっとゆるかわいい……気がするが……。
なんでも出来る立派な人に見えていたけれど、どうやら絵心だけは壊滅的らしい。
「う~ん、おかしいな~。頭の中では完璧に可愛い猫ちゃんだったんだけどな~」
首を傾げるカミューさんを見て、私は思わず「ふふっ」と小さく吹き出してしまった。
緊張が、ほどけていく。すごい人なのに、完璧じゃない。それがなんだか、とても親しみやすく感じた。
緊張がほどけて、ふふっと笑う私を見て、カミューさんも嬉しそうにニシシと笑った。
「笑ったほうが可愛いよ! やっぱ魔法は楽しまなくちゃね!」
彼女はそう言うと、空中に浮かんでいた歪な猫を、手でパッと払い消した。黒いインクが霧散して、キラキラと光の粒になって消えていく。
「次はもっと可愛いやつを見せてあげる! 私が一番好きな魔法なんだ~」
カミューさんが、何も持っていない方の手を空にかざす。彼女が小さく指を振ると、その軌跡に光が生まれた。今度は黒じゃない。赤、橙、黄、緑……。
「えっ……?」
私の目の前で、光の帯がアーチを描いていく。いつの日だかに絵本で見た、あの美しい光景そのものだった。
アビスさんの家の前にある花壇から、森の奥に向かって、小さな虹の橋が架かる。
「わぁ……綺麗……」
思わず声が漏れた。魔法って、こんなに綺麗なものも作り出せるんだ。
「えへへ、いいでしょ~。これを見るとね、なんか優しい気持ちになれるんだ」
カミューさんは愛おしそうにその虹を見上げている。その横顔は、なんだかとても大切な思い出を懐かしんでいるように見えた。
「魔法っていうのはね、こうやって自分の好きな景色を作ることだってできるの。……そして!」
彼女はくるりと振り返ると、持っていた大きなほうきを両手で構えた。
「便利な魔法と言えばこれ! メアリーは空を飛べると思う?」
「え、いや……それは…」
「正解! 人間は鳥じゃないからね、手足をバタバタさせても飛べないよ。でもね……」
カミューさんがひょいっと、軽やかにほうきに跨る。
「『私は飛べないけど、このほうきは軽いから風の力で浮くことができる』って思い込めば……ほら!」
ふわり。
何の前触れもなく、カミューさんの足が地面から離れた。彼女を乗せたほうきが、重力なんて存在しないかのように、プカプカと私の目線の高さまで浮かび上がる。
「う、浮いてる……っ!?」
「すごいでしょ! コツはね、『ほうきが浮いて、自分はそれに乗っかってるだけ』って思うの。それなら『人は飛べない』っていう考えとも喧嘩しないでしょ?」
カミューさんは浮いたまま、器用に空中でくるりと一回転してみせた。背景には、さっき彼女が作った虹がかかっている。ほうきに乗って、虹の前を飛ぶ少女。
その光景は、辛いことばかりだった私の人生の中で、一番幻想的で、夢みたいに綺麗だった。
「魔法は自由なんだよ、メアリー」
空の上から、カミューさんが手を差し伸べてくる。
「怖がらなくて大丈夫。君の想像力があれば、きっと何だってできるわ」
差し出された手を見つめる。さっきアビスさんに言われた、「人を殺せる力」という言葉が脳裏をよぎる。私の手は、いつか世界を壊してしまうかもしれない、忌まわしいものなのかもしれない。
……けれど。
私の目の前には、空中に描かれた星空のような文字と、雨も降っていないのに架かった美しい虹がある。どちらも、魔法が生み出したものだ。
使い手が違えば、想いが違えば、魔法はこんなにも美しくて、優しいものになれる。
(……私も)
この人が見ている景色を、見てみたいと思った。いつか、自分の意志で空を飛んで、あの虹の近くまで行けたなら。それはどんなに素敵だろう。
「……はいっ」
私は今度こそ迷うことなく、自分から精一杯に背伸びをして、カミューさんの手を取った。
ぎゅっと握り返される温もり。体がふわりと浮くような錯覚がして、心臓が高鳴る。
「えへへ、いい返事!」
カミューさんが箒の上から、にっと笑った。
「じゃあ決まりだね! これからよろしく、私の可愛い妹弟子ちゃん!」
夕暮れの森に、二人の笑い声が響く。私の奇妙で、不安で、でも少しだけ楽しみな魔法使いとしての生活は、こうして本当の意味で始まったのだ。
空にはまだ、消え残った七色の虹が、これからの私を祝福するように淡く輝いていた。




