12 孤独な闘い
巨大な犬の悪魔はぶつかった枝をへし折り、葉を無残に散らし、雑草をぺちゃんこに踏みつけながら、私にむかってせまってくる。
いるのはケルベロスだけで、鳩遠ちゃんの姿は見当たらない。
遠くからエンジン音のようなものが聞こえてきた。何の音かわからないけど、この世界にいるのは私と鳩遠ちゃんと悪魔だけだ。鳩遠ちゃんが武器を使ってザガンと戦っている音なのかも。
そうなると鳩遠ちゃんの助けは期待できない。私一人でケルベロスをなんとかしないと。
ケルベロスはそこら中に障害物のように生える木を、旗の間を通過するスキー選手のように機敏に交わしながら、どんどん近づいてくる。
迎え撃つため〈ピースメーカー〉を構える。
私一人で銃を持って悪魔と戦う羽目になっちゃった……唐辛子で熊と戦うのと、どっちがマシかわからないけど――やるしかない。頑張れ、私。
引き金にかかる指に力をこめる。
私が撃つ直前、ケルベロスは横に大きく飛んだ。遅れて発砲音。避けられたっ!
攻撃が外れた私は、向かってくるケルベロスから距離をとるために走りだす。とはいえ、私の足ではケルベロスに追いつかれるのは時間の問題なので、近寄らせないために〈ピースメーカー〉の銃弾を後ろに向かってばらまく。
しかし、銃撃による威嚇は効果がないようで、ケルベロスの足音がどんどん大きくなっていく。このままだと追いつかれちゃう。何か作戦を考えないと。
前方を見る。走る。木を避ける。後ろのケルベロスを見る。銃を撃つ。石を踏む。転びそうになる。耐える。駄目だぁ! 処理しなきゃいけないことが多すぎて、作戦を考えている余裕がない! えーい、こうなりゃ、やけだぁー!
「待てっ!」
ふり返り、ケルベロスに向かって手のひらを見せる。かろうじて思いついたのが、犬といったら「待て」というものだった。
こんなの作戦と呼べない。なんて思ったけど、なんとケルベロスは私の掛け声と手に反応して足を止める。
お、おお。いけるのか? このままなんとか時間稼げないかな?
「よーし、いいこ、いいこー。そういえば、お互いちゃんと自己紹介してなかったよね。これから命を賭して戦う相手に名乗るのは戦士として当然の礼儀だというのにね。私の名前は姫野――」
ケルベロスの真ん中の頭の口が開いた。
「小乃葉ああああ!」
飛んできた火球を、間一髪のところで避ける。私の後方では火球が直撃した木が燃えていた。
「名乗ってる最中に攻撃するな馬鹿野郎っ! 名前入力に失敗したみたいになっちゃったでしょうが!」
私の抗議を無視して、ケルベロスは左右の頭の口を開く。あかん、会話なんて無理だ。ふたたび、逃げだす私。
「うおおおおおおん!」
ケルベロスが唸り声をあげる。重々しい足音を響かせ、三つの頭で火球を吐きながら追いかけてきた。
火球が追加された分、会話前より事態が悪化してるんだけどぉ!?
ケルベロスの火球に当たらないよう、あたりに生える木で背を隠しながら逃げる。私の身代わりとなって木や草が次々と燃えていく。このままだとあたり一帯火だらけになっちゃうよ。ここら一帯が、地獄みたいになっちゃう。
「そういえばお前、地獄の番犬だろぉ! 私のこと追いかけてないで、さっさと実家の番をしに戻れよぉ!」
逃げ回りながら文句を言ってみるけど、飛んでくる火球の数は減らない。このままじゃ、火に囲まれて逃げ場が無くなっちゃう。燃える物が少なそうな場所に移動しないと。
そんな場所、自然に囲まれたこの山に――ある、山頂だ。生徒たちが集まって、昼食を食べていた、あの場所なら――。
えっと、山頂の方向は……。
どこもかしこも木や草、土の似たような風景ばかりで目印になる人工物がないうえ、ケルベロスに追い回されているせいで、自分が今、山のどのあたりにいるのかわかりづらい。
太陽の位置と上空から見た景色を思い出して、こっちが山頂かなって方へと駆けだす。
追ってくるケルベロスを銃弾で牽制しながら逃げ続けていると、見覚えのある山道があらわれた。これを登っていけば山頂に着くはず!
森から山道へと飛び出す。ハイキングの時とは違い、鳩遠ちゃんとお揃いの神衣によって身体能力が増幅されているおかげで、自分でも驚くぐらいの速度で山を駆けのぼっていけた。
山頂まで、あとどのぐらいの距離かな? 今のところ火球に当たらずにすんでいるけど、いつこんがり焼かれるか不安だった。
いや、おかしくない? 先ほどから火球が飛んできている感じがしない。
だからといって、ケルベロスが私を見逃してくれていないことは、後ろから響く重々しい足音で、振り向かなくてもわかった。
なんで火球を撃ってこないんだろ? ちらりと振り返る。
その瞬間、私が見た光景。
それは、大地を蹴って跳んだケルベロスが、私に向かって飛び掛かってくる姿だった。
火球攻撃を止め、その強靭な顎や爪を使って私を直接粉砕するつもりなんだ!
避けられない!
そう判断し、覚悟を決め、顔だけじゃなく体もケルベロスへと向ける。これから受ける攻撃が少しでも浅くなるように背中側に跳んでケルベロスから距離を取りながら、せまる巨体に向かって〈ピースメーカー〉で攻撃する。
銃弾は私に向かって振り降ろされたケルベロスの右前足に当たった。毛むくじゃらの前足にわずかに銃創ができたけど、ケルベロスは攻撃を止めずにその足を最後まで振り下ろす。
大きな前足が私の腕、そして脇腹にあたる。ごきんと嫌な音がした気がした。ぐるぐると景色が回り、何度も体に何かがぶつかって痛みが襲ってくる。
自分の体が投げられた小石のように、山道の上を何度も跳ねながら吹き飛んだんだとわかったのは、私の体が止まった時だった。
起き上がれずに地面に倒れていると、徐々に湧き上がってくる体の痛みに気づく。痛い。どんどん痛みが強くなる。痛い痛い痛い痛い。殴られた腕と脇腹が、特に痛い。
「ごほっごほっ」
咳き込むと、体中に振動が響いて余計に痛い。声に出して痛いって喚き散らしたかったけど、ぐっと我慢する。
チカチカとする視界の中、力の入らない足で立つために何かすがりつけるものはないかと手を伸ばす。先ほどまで、そこら中に生えていた木がない。
徐々に視界がはっきりしてくる。青空。ウッドデッキ。皮肉なことに、ケルベロスに吹っ飛ばされてたどり着いた先は、目指していた山頂だった。
少し離れたところに大きな牛頭の悪魔が見える。その悪魔目掛けて、空を飛ぶ鳩遠ちゃんが大きなガトリング砲を両手で抱えて、銃弾の雨を降らしているのが見えた。
鳩遠ちゃんと目が合う。私に向かって何か叫んでいるけど、よく聞こえなかった。ザガンが鳩遠ちゃんに向かって斧を投げる。
よろよろと立ち上がると、ケルベロスが近づいてくるのが見えた。
死ぬのかな。諦めたくなかったけど、武器がない。吹っ飛ばされたときに〈ピースメーカー〉を落としてしまった。近くにないかと、わずかな期待を込めて探すけど見つからなかった。
ケルベロスはゆっくりと歩いて、私の目の前までやってきた。余裕って感じでむかつく。三つある大きな口が、三つとも開かれる。
口の中は赤く光らない。火球を放つためじゃない。私の頭を噛み砕く気なんだ。ケルベロスの息で私の髪が揺れる。生臭い。
「ただでお前のお腹をいっぱいにする私と思うなよぉ。呪ってやるからなぁ」
鋭い牙が並んだケルベロスの三つの口が近づいてくる。
「イヌ悪魔め、玉ねぎ食った時よりも恐ろしい目に合わせてやるぅ」
目を閉じる。襲ってくるであろう痛みに、体を強張らせる。
「小乃葉、不撓不屈の精神、見事だったぞ」
聞いたことのある声。かじられる恐怖のために閉じていた目を、思わず開けてしまう。
侍のような服を着て頭から立派な牛の角を生やした青年が、二本の大太刀でケルベロスの三つの頭を止めていた。
「ケルベロス、貴様には悪いが小乃葉を食べるのは諦めてもらおう」
そう言って牛の神使――聖牛さんは大太刀に力を込め、私を食べようとしていたケルベロスの頭を押し戻す。力比べに負けたケルベロスが大きく飛びのく。
しりぞいたケルベロスに対し、聖牛さんは瞬時に間合いをつめ、追撃を加えようとする。
「おい、聖牛っ! 油断するなよっ!」
少年の声。この声も聞き覚えのある声。
声のした方を見ると、ザガンの斧が私めがけて飛んできていた。驚いて尻餅をつく私の目の前に、狼耳と尻尾を生やした道士服の少年が現れて、斧を蹴り落とす。
ザガンの投擲から守ってくれた道士服の少年が、私にむかって手を差しだしてくれる。
「小乃葉様、遅くなってしまいすみません。ボクらが来たからには、もう大丈夫ですよ」
そう言って白狼くんは優しく微笑んだ。




