13 エピローグ
ザガンとの戦いを終えて複製世界から戻ってくると、そこは真っ暗な世界だった。徐々に暗闇に目が慣れ、ここがどこだかはっきりしてくる。
とっても見慣れた場所。私の部屋。窓のそばに私は立っていた。
壁、窓にベッドとクローゼット、そして愛しのゲームたちが壊れていない、綺麗に整った私の部屋。あっ、「綺麗に整った」は言い過ぎだった。床には据え置き型のゲーム機と、ソフトのパッケージが置きっぱなし。
枕元のスマホを手に取り、スリープを解除する。液晶の光がまぶしい。時間を確認。午前三時をちょっとだけ過ぎた時間。ザガンと戦う前から、ほとんど時間が経っていない。
疲れているのか、体が重く感じる。走り回ったもんねぇ。
シャワー浴びようかなって思ったけど、このまま寝ちゃうことにする。朝起きて、学校行く前にさっと浴びればいいや。
ぴちゃ。水が滴る音がした。……なんか、怖い。
照明を点けため、リモコンを取り、ボタンを押す。
「……!」
家族が寝ているのに、思わず大きな声が出そうになった。なぜなら、不気味な光景が広がっていたから。
フローリングの床に、いくつもの濡れた足跡がついている。
足跡は窓からはじまり、ベッドのすぐそば、私のもとへと続いている。……ん? これって、もしかして。
そーっと自分の足を上げる。素足の下から、窓から続く足跡と、まるっきり同じ足跡があらわれた。
そーっと自分の足を、足跡へと近づける。ぴったりフィット。これ私の足跡じゃん。
足の裏を見てみる。真っ黒に汚れてた。そういえば、複製世界に飛ばされてから神衣のブーツを履くまでの間、裸足で外を走り回っていたんだった。
もしかして、この水滴も……パジャマの胸元を両手でぎゅっと握ってみる。水が出てきた。雨の中を走り回ったせいで、パジャマが水を吸ってたんだ。そりゃあ、体が重く感じるわけだよ。パジャマの重量が増えてるんだから。
足跡と水滴で汚れた床を見る。明日、この惨状をお母さんに見つかったら、間違いなく怒られる。バレないうちに綺麗にしておかないと。
何か拭くものをと部屋を歩き……後ろを見る。床の上には足跡が増えていた。
すぐにシャワーを浴びなきゃ、駄目そうだね。
「小乃葉! 小乃葉!」
……お母さんの声? 私を起こそうとしているのかな。なんだろう。十六歳の誕生日はまだまだ先、王様に会いに行く日はまだ来ない。
「遅刻するわよ! 春木さん、待たせちゃうわよ!」
寝ぼけた頭で考える。遅刻……? はーちゃん?
「やばっ!」
布団をはねのけ、ベッドから飛び出る。その物音で私が起きたことを察したのか、階下から聞こえていたお母さんの声が止む。
「お母さん、ありがとぉ!」
起こしてくれたお礼を叫びながら、私は急いで学校へ行く支度をはじめる。ベッドの上にパジャマを脱ぎ捨て、大慌てで着替えて制服姿へ変身。
スマホを放りこんだ鞄を肩にかけて、部屋を飛び出る。階段を駆け下りると、お母さんが待っていた。
「ごめんお母さん! パジャマ、ベッドの上に――」
「わかってる。それより、おでこ出しなさい」
「えっ? 何?」
よくわかんなかったけど、言われたとおり、髪を上げおでこを差し出す。するとお母さんが私のおでこに体温計をピッとした。
「平熱ね。汗かいて着替えたみたいだから、体調悪いのかと心配してたんだけど」
なるほど。私が洗濯に出した、ザガン戦で着ていたパジャマを見て、熱があると勘違いしちゃったのか。心配かけてごめんね。
パジャマやタオルを洗濯に出したことでお母さんに質問されることは予想済みだったので、私はあらかじめ用意しておいた完璧な言い訳を口にする。
「汗かいたのはね、怖い夢を見たせいなの。牛が襲ってきて、私はその牛を真っ二つにするの」
「怖い夢? 怖いことする夢の間違いじゃなくて?」
「……ん? そうかも?」
「とりあえず、体調は悪くないのね?」
「うん、平気! それじゃ、遅刻しちゃうから、学校行くね!」
「あっ、待ちなさい」
お母さんが私の手に何かを握らす。なんだろ? 手を開いて確認すると、千円札だった。
「それで朝ご飯買いなさい」
「わかった! お母さん、朝ご飯無駄にしてごめんね!」
そういって私は玄関へ行き、靴を履いて、ドアを開ける。
「いいのよ。夜に出すから」
家を出る私に、お母さんはそう言った。
玄関を飛び出した私は、すぐに見慣れた後ろ姿に気づく。会社に行くため、駅に向かう途中のお父さん。
「いってらっしゃーい!」
お父さんの背中にそう声をかけると、振り向いたお父さんが手を振り「小乃葉―! 胃腸のお守り、ありがとなー!」と返事をする。お守り? なんのこと?
まさか、ケルベロスの時の肖像画みたいに、ザガンが〈真化〉した影響で何か異変が起こったのかな? お父さんに確認したかったけど、学校に遅刻しそうなので、今はやめておく。
お父さんと別れた私は、聖牛さんと一緒にザガンと戦った道とそっくりの道を、全速力で駆ける。真っ暗で雨が降っていたあの時とは違い、頭上には一面青空が広がっていた。
あれだけ雨を降らしていた雲は、どこへ行ったの? 梅雨が明けたのかな?
それにしても今日は、太陽が頑張り過ぎのような……暖かいっていうより暑いぐらい。
こんな暑い日に走ってたら、すぐに汗だくになりそう。もう朝の会は諦めて、一時間目に間に合うようにすればいいかな?
そう思い、全力で動かしていた足を緩め、鞄からスマホを取り出す。
『寝坊した、先行ってて』とメッセージを打ち、はーちゃんへ送信。これでよし。
乱れた息を整えながら通学路を歩いていると、鞄の中から通知音。きっとはーちゃんから返事がきたんだ。どれどれ――『ぎりぎりまで待ってるよ』。
なんとっ! 我が親友はーちゃんは、私の到着を信じて、コンビニで待っていてくれるらしい。
ここに令和の走れメロスがはじまろうとしていた。しょうがない。私ももうひと頑張りしよう。ふたたび、走りだす私。
メロスが親友のセリ……セリィ……いや、セフィかな? たしかセフィ……ロス?
私の脳内に、メロスの親友の名から連想したラスボス戦に相応しい荘厳なBGMが流れだす。デッデッデッデッデッデッデッデッ。ここで男性コーラス。えすたんす、いんてりす、いらべ、へめてぃ、えすたんす、いんてりす、いらべ、へめてぃ、セフィロ……いやいや、この名前だとメロスがでっかい剣で切られちゃいそう。
親友の名前、ぜったい間違ってるな。
なんて立ち止まって考えてる場合じゃない。はやく、はーちゃんの元に辿り着かないと! 走れ、私!
走れー、走れー!
は……し……れぇ……。
「ぜぇぜぇ……」
無理、死ぬ。神衣によって向上された身体能力の感覚を知ってしまったから勘違いしそうになるけど、私の体はポンコツなのだ。全力で100メートル走ればHPは半減し、200メートル走れば戦闘不能になる。
自分の能力を勘違いしないように気をつけないと。そのうち、空も飛べると思って、崖から飛び出しちゃうかも。
神衣を着ていない私は、持久走大会のラスト間際のようにへろへろとした足取りになりながら、コンビニ前へとたどり着いた。
そこには、はーちゃんの姿が。約束の時間に少し遅れたけど、私は間にあったのだ。令和の走れメロス、無事ハッピーエンドで終わる。
「はぁ……はぁ……待った……? ううん今来たところぉ……はーちゃん、死刑になってなくてよかったよぉ」
「いきなり私を絞首台の上に立たすな。それに死にそうになってるのは小乃葉の方でしょ。髪、ぼさぼさだよ? ブラシ使う?」
「ありがとう。学校着いたら貸して」
なんとか遅刻せずに間に合いそうだけど、代わりに私が犠牲にしたものは少なくない。髪は乱れ、体力は消費し、朝ご飯は食べていない――あっ。
「はーちゃん。私、朝ご飯食べてないから、コンビニで食べ物と飲み物買っていきたい」
「わかった。遅刻しそうなんだから、迷わずに選びなよ?」
「まかして」
いつもの朝なら立ち去っているコンビニへ、はーちゃんと一緒に入っていく。入店を知らせる軽快なメロディが流れ、店員さんが「いらっしゃいませー」と歓迎してくれた。はい、いらっしゃいましたよ。
スカートのポケットの中に手を入れて、お母さんから貰った千円札を確認しながら、お店の中を進んでいく。何食べようかなー。
お店の中には店員さん以外にも、スーツ姿の男性と女性が一人ずついた。どちらの人も買い物カゴにお弁当を入れている。美味しそう。
でも、お弁当を食べながら登校するのはハードモードすぎる。うーん、お米食べたいんだけどなぁ。そうだ、おにぎりにしよう。
ツナマヨか鮭、どちらにしようか悩んだあげく、梅おにぎりを手に取る。なんでだ。なんか梅おにぎりが目に入った瞬間、酸っぱい物が食べたくなっちゃった。
あとは飲み物。お腹が膨れそうなスムージーなんて選ぶとよさそうだけど、おにぎりと合わないかなぁ? 大人しくお茶にしようかな。
そう思いお茶を取ろうとして、近くに置かれた紙パックの飲み物が目にとまる。普段ならおにぎりに合わないから、絶対に一緒に買わない商品。けれども、私は紙パックのイラストに惹かれて、それを買うことにした。
「ありがとうございました」と店員さんに言われながらコンビニから出た私は、さっそく手に持っている梅おにぎりの包装を開けて食べはじめる。
「ふぉーし、ひゅっはふはぁー!」
「おにぎり口に含みながら喋るな。なに言ってるかわからん。ほら、行くよ」
「ふぁーい」
はーちゃんの後ろをついていきながら、いつもの通学路を歩く。いつもなら私たちと同じように学校を目指す生徒をたくさん見かけるんだけど、今日は時間が遅いせいで少ない。
それにしても本当、まだ朝なのに今日は暑いなぁ。はやくおにぎり食べきらないと、焼きおにぎりになっちゃいそう。
「そういえば小乃葉、今日は何で寝坊したの? 夜遅くまでゲームしてたの?」
「それも少しはあるけど、大きな原因は別」
「何?」
「うーんと、説明しづらいんだけど、三時ごろにね、牛が暴れまわってたんだよ」
「何それ、悪夢の話?」
惜しいっ! 正解は悪魔の話。本当のこと話しても、わかってもらえないしなぁ。なんて説明すればいいのかなぁ?
「三時ごろに牛と牛が戦ったんだよ。私も、その戦いに混じってた」
私の話を聞いたはーちゃんが「何それ、なぞなぞ?」と言う。まぁ、そうなるよね。
「そんなようなもんかも」
「三時……牛……」と呟き考えながら歩いていたはーちゃんだったけど、何かを思いついたらしく「あぁ」と声をあげる。
「もしかして丑三つ時とひっかけてるの? で、丑三つ時がどう寝坊と関係あるの?」
「……丑三つ時?」
「うん、丑三つ時。ん、関係ないの? あっ、三時ごろだと丑三つ時からちょっとずれてるのか? 一時から三時までが丑の刻だった気がする」
一時から三時が丑の刻――もしかして、ザガンが〈器〉にしたのってこの「丑の刻」なの?時間を〈器〉にするなんて、なんかずるくないかなって思うけど――そもそも私がちゃんとその時間に寝てれば、ザガンは出てこれなかったんだよね。やっぱり夜更かしは良くないな。
「ありがとうはーちゃん。おかげで謎が一つ解けたよ」
「私の方は謎が深まったままなんだけど……結局アンタはなんで寝坊したのよ」
「夜更かし」
「急にシンプルな答えが……」
おにぎりを食べ終わったので、残った包装ゴミを丸めてポケットに突っ込み、かわりに鞄から先ほどコンビニで買った飲み物を取りだす。
飲み口にストローを刺し、咥えたところで、はーちゃんが私を見ていることに気づく。いや、私じゃなくて、私の持っている飲み物を見てる。
「牛乳なんて変わったもの買うね……どうせ給食で飲むのに」
「パッケージに惹かれて」
「牛乳のパッケージなんてどれも一緒じゃない? ほとんどが牧場と牛の絵でしょ」
「そうだねー」
私はストローから口を離し、もう一度、パケ買いしたと言っても過言ではないほど気に入った牛乳パックのイラストを見る。大きく描かれた白黒の牛。
乳牛だから、このイラストの牛はメスなんだよね。
なんだけど……横向きに描かれた牛の絵はそっぽを向いているように見えて、なんだかその姿が、私には素直じゃない「牛の誰かさん」そっくりに思えた。




