2 音楽室の神
家を出て、学校とは反対側の方向へ歩き出す。毎朝の通学路とは違う道。
雨は傘に当たってはいるけど音はほとんどしなかった。優しい雨。そんな雨だけど、それでも外出は億劫に感じるのか、私たち以外に歩いている人は見当たらない。
いつもと違う世界に感じられて、ちょっと不思議な気分。まさか複製世界だったりしないよね?
「こうやって雨の日に出かけるのも、たまにはいいね」
そう話しかけると、お兄ちゃんは「晴れの日でも家でゲームしたがるこのちゃんが、珍しいこと言うね」と静かな住宅街を歩きながら笑った。
「そういえば、このちゃんに聞きたいことっていうか、お願いしたいことがあったんだけど……」
なんだか言い辛そうに切り出す、お兄ちゃん。
「改まってどーした、兄ちゃん。私と兄ちゃんの仲じゃん、遠慮するな。多少のことは大目にみるよ」
「たこ焼きは見逃してくれなかったのに……」
「それは多少のことじゃないから。食べ物の恨みは怖いよ」
「そうなんだ、気をつけよ。それで話の内容なんだけどさ、サッカー部の後輩から頼まれたことで――」
後輩? お兄ちゃん、高校一年なのに?
「兄ちゃん、サッカー部の同級生のこと後輩呼ばわりしてんの?」
「そんなわけないでしょ。中学校の頃のサッカー部の後輩だよ。今は、このちゃんの一個上、中三の子の話だよ」
「あぁ、そういうことか」
「その後輩、吹奏楽部に彼女がいるんだけど」
「なるほど。お兄ちゃんが私に頼みたいのは、その勉学に励むべき学校で恋愛に浮かれているカップルを始末しろってことだね。オッケー任せて。そういうの得意だから」
「全く違うから。頼み事をしてるのは俺じゃなくて、後輩――このちゃんが始末しようとしてる彼氏だって言ってるでしょ。自分を始末してくれって依頼、するわけないじゃん」
「でも、ちょっとドラマチックでカッコよくない?」
「動機がカップルへの妬みな時点でカッコ悪いから」
「駄目か」
話しながら歩いていると住宅街を抜け、駅へと続く大通りへと出た。
広い歩道には自転車専用レーンがあり、その歩道よりもさらに何倍にも広い車道では、自動車が路面の雨水を撥ね飛ばしながら、ひっきりなしに走っていた。
交通量が多いため、急に賑やかになる。お互いの声が聞こえづらいので、私もお兄ちゃんもさっきより大きな声を出して会話を続ける。
「それで、その兄ちゃんの後輩さんは、どんな話をしたの?」
「なんかさ、吹奏楽部の彼女が怪しい神を信仰してるんだって」
「なんか急に不穏な話になったね」
怪しい神かぁ。神と聞くと、毎日「モンハン一緒にやらぬかー?」と誘ってくる神を思い浮かべるけど、怪しくはないなぁ。てか、そんな話されても私にどうこうできることじゃないと思うんだけど。なんで私に話が来たんだ?
悩んでる間にも、お兄ちゃんが話を続ける。
「なんでも、その彼女さんだけじゃなくて、吹奏楽部全員、それどころか音楽の先生も信仰しているらしいんだよ。理由としては、その神を崇めだしてから、吹奏楽部の雰囲気が良くなり、部員の技術が向上したんだって。コンクール金賞も夢じゃないって盛り上がってるそうだよ」
「ふーん、それは凄いね。それでその神って、何て名前なの? やっぱり音楽に関係ある神なのかな?」
「ラーテル神っていうらしいよ」
ん? どっかで聞いたような響き。確か……。
「ラーテルって可愛くて温厚な動物だっけ?」
「逆、逆。凶暴な奴」
あれ? そうだっけ? 私に似てる奴って思ってたけど、どこで記憶がおかしくなったんだ。
「でもお兄ちゃん、私、そのラーテル神って神の話、学校で聞いたことないけど。なんでその話が私に回ってくるの?」
「そのラーテル神の御神体が音楽室にあるんだ。肖像画なんだけど」
音楽室、肖像画……〈真化〉したケルベロスのせいで起こった異変を思い出す。私の肖像画はまだ飾られたままだ。
やべー、急に心当たりがありまくる話になってきたんだけど。ドキドキしながら話を聞く私に、お兄ちゃんが尋ねる。
「このちゃん。もしかして、何かやった?」
「え、えぇ? 嫌だなぁ、お兄ちゃん。私、なんのことか全くわからないよぉ」
「後輩が言うには、その肖像画の絵が、このちゃんそっくりらしいんだけど」
「えぇーそうなのぉ!? 不思議ぃ! つねきちが持ってきた贋作かなぁ? 誰かが気づかずに飾っちゃったんだねぇ」
「あつ森じゃないんだから、そんなわけないでしょ! このちゃん、今、正直に話せば、お母さんには内緒にしてあげるよ」
「違うんだ兄ちゃん! その肖像画は私だけど、この件に関して私は何も悪いことしてないんだ! どっちかっていうと被害者なの! 本当だから、信じて!」
「……本当?」
「本当、本当!」
「なら信じるけど。でもその感じじゃ、肖像画が飾られている事情は知っているんだよね?」
「うん。だからラーテル教だか何だかは、放っておいて平気だと思う。神とか関係なく、吹奏楽部の人たちの努力が実っただけだよ。それに部の人たちも、ジンクスみたいに思ってるだけで、本気で信仰してるわけじゃないと思うよ」
だって、何の変哲もないただの二年生の肖像画だって知ってるだろうし。そもそもその肖像画の人、レオナルド・ダ・ヴィンチを二分割して作曲家二人生み出してるぐらい、音楽に無知ですよ?
「わかった。ラーテル神がそう言っていたって後輩には伝えておくよ」
「誰がラーテル神だ」
しかし、いつまで経っても私の肖像画が飾られたままだなって思ってたけど、まさかこんな事情があったとは。びっくり。
一つ謎が解けすっきり気分で歩いていると、駅まであとわずかという距離になり、歩道沿いにある大きな商業施設のパルコが見えてくる。あそこならいろんなお店がいっぱいあるし、デザートを選ぶ選択肢に困らなさそう。
「兄ちゃん、どうせスーパー寄るし、デザート探しもパルコでいい?」
「おっけー。それじゃ、先にこのちゃんのデザート買って、その後に地下行っておつかいだな」
「らじゃー!」
駅から来た人や買い物を終えた人などが頻繁に出入りしている、大きな商業施設に相応しい大きな入り口は二重になっていた。手前はドアが開かれたままになっていて、奥は自動ドアで人が通る度に開いたり閉じたりしている。
その二つのドアの間に置かれた、雨に濡れた傘を袋に入れるための機械(何て名前なんだろ?)の穴に傘を入れて手前に引く。一瞬で傘がビニールに包まれる。お母さんのメモにあった牛蒡を袋詰めするのに便利そう。やらんけど。
水をまき散らす心配がなくなった傘を持ちながら自動ドアを通り抜けると、台の上に置かれている消毒液が目に付いた。ワンプッシュして手にふりかける。
「犬を押したわけではない」
「急にどうした、このちゃん」
「なんでもない」
ビルの中に入るといい匂いが漂ってくる。
入り口近くにあるパン屋さん、それにクッキー屋、そしてケーキ屋の香り。通路を歩く人の中には、立ち止まってそれらの店に寄っていく人もいた。
この美味しそうな匂いが嗅げただけでも、ここに来た甲斐があるね。
「さて兄ちゃん、どのケーキを買う?」
「このちゃんの好きなの買いなよ」
冗談でケーキって言ったのに、お兄ちゃんが予想外の言葉を返す。
「えっ、マジでケーキ買っていいの? てっきりシュークリームとかアイスかなって考えてたのに。値段、倍以上違うけど、本当にいいの?」
「いいよ。母さんから貰ったお金足せば平気だから。倍ぐらい大丈夫だよ」
「やったぁー! ケーキ、ワンホールゲットだぜー!」
「待った待った! ホールは許可してない! 倍って、二倍どころか十倍以上違ってくるから! ワンピースにして!」
「えぇ? でもさぁ、私がワンピースを手に入れちゃったら海賊王目指してる人が困らない? だからワンホールにしておくよ」
「このちゃんがワンホール手に入れると、俺が困るから! ワンピースで我慢して!」
「しょうがない。今日のところは海賊王になろう」
「よかったぁ。それじゃ、ケーキで決まりだね。それなら、先に地下でおつかい済ませようか?」
なっにぃ!? 先におつかいだとぉ!?
「なぜ焦らす!?」
「違う違う! ケーキは生ものだから、帰りに買った方がいいでしょ?」
「それもそっか。じゃー先にお母さんの手先としてスーパーで暗躍するとしますか」
「おつかいの言い方酷いな」
私とお兄ちゃんは、近くにあったエスカレーターに乗って下の階へと移動する。地下一階の大半はスーパーマーケットの会社が占めていた。
そのスーパーと対抗する残りわずかな勢力の一つ、百均のお店がエスカレーターを降りた目の前にある。こういう店って用事あるわけじゃないのに、なんで目に留まると寄りたくなるんだろ。安くて可愛い物が置いてあるからかな?
欠点は百円じゃないトラップアイテムが多数仕込まれてることだよね。
「このちゃん? 百均見に行きたいの? スーパーでおつかいしてる間、見てる?」
「ううん、へーき。あそこに行くとなぜか一品百円なのに、あっという間にお小遣いが消えていくから今日はやめとく。それよりお兄ちゃん一人でおつかいは荷が重いでしょう。優秀なサポートキャラである妹を貸しますよ? 牛乳二つを持ちましょうか?」
「いや重い荷は妹じゃなくてカートに乗せるよ」
お兄ちゃんは近くのカート置き場からショッピングカートを持ってきて買い物カゴを置いた。
「それにしても何かいい匂いするね」
「あれじゃない?」
お兄ちゃんが指さす方向には、焼き芋製造マシーンがあった。この機械の正式名称も知らん。値段は一つ二百円だった。
「お兄ちゃん、たった二百円で妹を幸せにしてみたくはありませんか?」
「ケーキで幸せにする予定があるから大丈夫」
「ちぇー」
スーパーのエリア内へと進むと、周りは果物だらけになる。ここも焼き芋に負けない、甘い良い匂いがする。
どれどれと棚に近づいて眺めてみる。苺、一パック千六百円。たけぇ! 八焼き芋=一苺パック。いや、どちらもそれぞれの良さがあるから簡単には比較できない。となれば。
「ここは食べてみるしかないね。ちょうどおつかいのメモにも果物って書いてあったし」
そういってお兄ちゃんの目の前で苺を指さす。
「何が『ここは』なのかわからないけど、『安い果物』って書いてあるのにこんなの買ってったら、ケーキ代消し飛ぶんだけど」
「それは困る。しょうがない、諦めて安い果物を探すかぁ」
棚に並べられた果物と価格を見比べていく。その横でショッピングカートを押すお兄ちゃんが、バナナを手に取ろうとしていた。
「兄ちゃん、なぜバナナを? ドンキーコングリスペクト?」
「なんでだよ。一番安いからに決まってるでしょ」
「まって、お兄ちゃん、落ち着いて。安い果物とは指定されてるけど、一番安い果物とは書かれてないよ。ここに僅かとはいえ、贅沢をする余地があるのではないでしょうか?」
「もう……時々このちゃんは面倒くさくなるよなぁ。それじゃ、先に他のもの取りに行ってくるから、決めたら持ってきて」
「らじゃー!」
カートを押してスーパーの奥へと消えていくお兄ちゃんを見送ってから、再び果物たちとの睨めっこを始める。
そんな私の耳に店内放送が聞こえてくる。本日のお買い得品のお知らせ。
「本日はお野菜がお得になっております。人参、なす」
メモに書いてあった野菜だ。お買い得品だから買うのかぁ。そういえば今日の夕飯、何か聞かなかったけど、いったいメモの食材使って何が出来上がるのかな。ちょっと楽しみ。
「それとザガン蒡がお安くなっております」
メモに書いてなかった野菜。ザガンぼう? 初めて聞く野菜。何それ。何の料理に使うの?
「その他にもお野菜以外に一家族様二点まで、ザガンにゅうがお安くなっております」
ザガンにゅう?
また知らない商品。このザガンシリーズはいったい何なの? ……そういえば二点までって単語はメモにあったような。
えーっと、そうだ、牛乳。二点までの牛乳。そして二点までのザガン乳。牛がザガンに。これって……嫌な予感。
その嫌な予感を決定づけるように、私の横をちっちゃい子とお母さんが「今日の夕飯は何?」「今日は、ザガンしゃぶよ」と言いながら歩いていった。




