表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

始まりの夜

重厚な扉が、きぃ……と音を立てて閉じられる。

リリアは、小さく息を吸い込んだ。


公爵との静かな対面の余韻が、まだ胸の奥に残っている。

冷たいようでどこか優雅な声、そして、その奥に感じた何か得体の知れない深淵。

けれど不思議と、怖くはなかった。


あの琥珀色の瞳に、じっと見つめられた時の、理由もなく鼓動が速くなる感覚――

それを思い出しながら、そっと胸元に手を当てた。


「……お疲れさまでございました、リリア様」


穏やかな声に振り返ると、先ほど控えていた女性が、優しい微笑みをたたえて頭を下げた。

銀のように美しい柔らかな髪を後ろにまとめ、深緑色の瞳はどこか懐かしさを感じさせる。


その柔らかな雰囲気に、リリアもつられてほっと息をついた。


「私はこの屋敷のメイド長、クラリーチェと申します。

これから公爵邸でのお世話をさせていただきます。

お部屋までご案内いたしますね」


「あの、えっと、こちらこそよろしくお願いします……クラリーチェさん」


リリアが小さく頭を下げると、彼女はそっと微笑んだ。


「どうぞ、緊張なさらずに。さあ、お部屋へご案内いたしましょう」


クラリーチェに導かれ、リリアは広い廊下を歩く。


廊下の両脇には高い窓と大理石の柱が交互に並び、夜の帳に沈んだ庭園を映している。

廊下の壁には淡い光を宿すランプが並び、夜の城館を優しく照らしている。


「お屋敷の作りは少し複雑でございますが、ご安心ください。

慣れるまでは私や他の者がご案内いたしますので」


「ありがとうございます……それにしても、こんなに広くて、立派なお屋敷……夢みたいです」


リリアが思わずつぶやくと、クラリーチェは優しく微笑む。


やがて、長い廊下の先──大きな扉の前で足を止める。


「こちらが、リリア様のお部屋でございます」


扉がゆっくりと開かれると、そこに広がったのは──


思わず息を呑むような、美しい部屋だった。


白銀のレースが縁取られた天蓋付きのベッド。

窓辺には薄紅色のカーテン。

高い天井と、淡く灯るシャンデリアが、部屋全体をやわらかな光で包んでいる。

暖かい色調の絨毯と、薔薇模様の壁紙。

暖炉には薪がくべられ、外の冷たい夜気を忘れさせる、心地よい空間だった。


「……すごい」


リリアは思わず足を踏み入れ、ぐるりと見渡す。

鏡台も、ソファも、刺繍入りのクッションも、まるでおとぎ話の中に迷い込んだようだった。


「お気に召していただけて、何よりです。

お荷物はすでにこちらにお運びしております。

……今宵はお疲れでしょう、湯浴みのお支度をいたしますね」


「はい……ありがとうございます」


リリアは、クラリーチェに礼を述べながら、もう一度部屋を見渡した。


こんなにも丁寧に迎えられるとは思っていなかった。

この屋敷の主の噂を考えれば――あまりに優しすぎて、不思議な気持ちだった。


支度を終え、リリアがベッドに入ると、クラリーチェはそっと部屋を後にする。


「おやすみなさいませ、リリア様。どうか良い夢を」


「……おやすみなさい」


柔らかな毛布に包まれ、広いベッドの上で、ふかふかの枕に顔を埋めた。


(……ここまで、いろいろあったな……)


セシリアのこと、馬車での長旅、公爵との初対面。そしてこの屋敷のこと。

胸の奥に、名もなき不安がひとつだけ灯っている。でも──


「……がんばろう。きっと大丈夫……」


誰に言うでもなく、そっとつぶやいたその言葉に、自分で勇気をもらった気がした。

ゆっくりと瞼を閉じる。


不安と緊張で胸がいっぱいになるはずの初めての夜。

けれどその夜、リリアは一度も目を覚ますことなく――深く、静かな眠りに落ちていった。




そしてその頃。扉の外に立つクラリーチェは、そっと微笑んでいた。


「……かわいらしい方ね、クラウス兄様」


背後から現れた執事クラウスもまた、穏やかに目を細めていた。


「ええ。思っていたよりも、ずっと──真っ直ぐな子です」


闇に包まれた公爵家に届いた、小さな光。その灯は、まだ弱々しいけれど──

やがて確かに、この夜を照らす光になるのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ