静かな夜
夕餉の席は、穏やかな空気に包まれていた。
並んだ料理はどれも、厨房の手による心のこもったもので、リリアはひと口ごとに、その味わいを楽しんでいた。
日ごとにこの館の食卓にも慣れ、肩の力が少しずつ抜けてきているのを感じる。
向かいに座るエルヴィンもまた、静かにグラスを傾け、時折リリアに視線を向けていた。
言葉は少ないが、その沈黙さえも、いまは心地よい。
皿が一つ、また一つと下げられていき、最後のデザートに手を伸ばした頃。
エルヴィンがそっと、リリアを見やった。
「リリア。
――今夜、少しだけ時間をもらっても良いだろうか?」
その低く、落ち着いた声に、リリアは手を止め、彼を見返す。
エルヴィンの瞳にはどこか、決意のようなものが宿っていた。
「え?
今夜……ですか?」
「そうだ。話したいことがある。
……無理なら、別の夜にしてもいい」
けれどその声には、“できれば今夜”という想いが、かすかににじんでいた。
リリアは一瞬だけ目を瞬かせると、静かに頷いた。
「はい。お待ちしております」
その言葉に、エルヴィンの瞳がほんのわずかにやわらいだ。
食堂に流れるのは、食器が触れ合う微かな音と、窓の外から届く夜の気配だけ。
淡い蝋燭の光の中で、リリアは胸の奥に小さな鼓動を感じていた。
これから彼が話すことは、きっと、とても大切なことだ。
そう――そんな予感が、彼女の中に灯っていた。
*
夜も更けた頃、静けさの中に微かな足音が響き、重みのあるノックの音が静かに響いた。
扉の向こうから感じられる気配に、リリアはすぐに立ち上がった。
胸の奥が、ゆるやかに高鳴る。
エリスがそっと扉を開けた。
現れたのは、漆黒の衣に身を包んだエルヴィンだった。
仮面の奥にある眼差しは、いつもよりも深く、静かな決意を湛えているように見える。
「リリア。
……入ってもいいか?」
「エルヴィン様。
ええ、もちろんです」
「失礼する」
リリアの一言に、エリスは頭を下げると、公爵を部屋の中へと迎え入れた。
暖炉の火が柔らかな灯を投げかける。
「エリス、もう休んでくれていいわ。
今夜は少し、公爵様とお話があるの」
リリアの声に、エリスはすぐに柔らかく微笑むと頭を下げた。
「かしこまりました、リリア様。
何かございましたら、すぐにお呼びください」
そっと扉が閉まり、室内はより深い静寂に包まれる。
窓辺のテーブルには、あらかじめ用意していたティーセットが並んでいる。
リリアは紅茶を丁寧に注ぎ始めた。
湯気が静かに立ちのぼり、香り高い茶葉の香気が部屋に満ちていく。
その手元は落ち着いていたが、心のうちはわずかに揺れていた。
エルヴィンが今夜ここに来る、と告げた時から、ずっと胸の奥がざわついていた。
その背を、エルヴィンは黙って見つめていた。
やがて、カップを手に戻ってきたリリアが、彼の前にそっと置く。
彼に向ける笑みは穏やかだった。
「お口に合うと良いのですが……」
エルヴィンは、ひとつ頷く。
「ありがとう……リリア」
リリアは微笑みながら、彼の向かいに静かに腰を下ろした。
この部屋に二人きりでいるという状況に、どこか緊張を覚えながらも――彼の声の温度に、わずかに心がほどけるのを感じていた。
二人の間に落ちる沈黙。
やがて、エルヴィンは静かに口を開いた。
「――リリア。
君に……話さなければならないことがある」
低いその声に、リリアは無意識のうちに、ゴクッと唾を飲み込んでいた。




