明け方の庭園にて
東の空が仄かに白みはじめたころ、リリアは侍女エリスに付き添われ、
公爵邸の庭園へと足を運んだ。
静まり返った世界に、鳥のさえずりがひとつ、またひとつと重なっていく。
朝露が降りた芝は、月の名残を映したように淡く光り、冷たく清らかな空気が肌を撫でた。
夜明け前のこの時間だけが持つ、まるで別世界のような気配が、そこにはあった。
「……こちらへ」
エリスが静かに手を差し出し、リリアを噴水の方へと導く。
その中央、薄明の光に浮かぶ水のしぶきのほとりに、ひときわ黒く美しい姿が立っていた。
エルヴィン・ノワール公爵――仮面に隠された横顔が、噴水の影に揺れている。
リリアはそっと足を止めた。
エリスが一礼して退くと、公爵はゆっくりと歩み寄り、沈黙のまま片腕を差し出した。
「……よければ、手を」
その声音は、まだ夜の帳の中にあるように深く静かだった。
リリアは一瞬だけ迷ったのち、小さく頷き、遠慮がちにその腕に指を添える。
「……冷えてはいないか?」
隣を歩く公爵の声は、仮面越しでもどこか柔らかい。
黒の外套の下、白手袋の指先がそっとリリアの手に触れる。
「いえ、大丈夫です。……でも、ありがとうございます」
リリアは遠慮がちに微笑む。
手袋の上からでもわかる、あたたかな掌だった。
まだお互いのことを多く知っているわけではない。
それでも、この静かな時間が心地よいと感じるのは、
言葉よりも何か、もっと深いものが、そっと触れ合っているからか。
「庭の手入れが行き届いていますね……。
あちらの噴水も、朝の光を受けて、まるで……」
リリアがふと目を細めて呟く。
「……まるで、光が踊っているようだ、と?」
エルヴィンが静かに言葉を継ぎ、リリアは驚いて彼を見上げた。
「……えっ?わかりますか?」
「ああ。私も、同じことを思った」
エルヴィンはイリスを見ると微笑む。
それは自分の感性を受け止めてくれたようで、リリアの胸がぽっとあたたかくなった。
ふと、エルヴィンが足を止める。
視線の先には、一本の白いバラ。
まだ朝露を抱いたまま、静かに咲いていた。
「この花が好きでね。
夜の間に静かに咲くのに、朝になると誰よりも早く光を集める」
彼の横顔は仮面の奥に隠れている。
それでも、仮面の縁から漏れるような優しさに、リリアは言葉を失った。
「……公爵様」
「……どうか、エルヴィン、と」
一瞬、空気が揺れる。
リリアは、目を伏せて、小さく頷いた。
「……わかりました。では……エルヴィン様」
「……ありがとう、リリア」
朝の光がふたりを包み込む。
光が揺れていた。まるで、祝福するかのように。




