姉の代わりに、嫁ぎます
――私は、ずっと憧れていた。
優しくて、気高くて、凛としていたあの人に。
セシリア姉さまは、私にとって“本当のお姫様”だった。
「泣かないの、リリア。
ほら、手を出して? 薬草の絆創膏を貼ってあげる」
庭で転んだ幼い私を、姉さまはそう言って抱きしめてくれた。
セシリア姉さまのお母さまが亡くなり、妾腹の私に冷たい視線が向けられる中――
姉さまだけが、私を“妹”として愛してくれた。
「リリアは、私の誇りなのよ。
誰に何を言われても、私はあなたの味方よ」
その言葉を、私はずっと心に抱いて生きてきた。
だからこそ、あの日の涙が、胸に刺さった。
*
「助けて……リリア……私、あの人のもとへなんて嫁ぎたくないの」
そう言うと、姉はその場に崩れ落ちて、肩を震わせた。
王都から届いた一通の文。
それは、北の地・ノワール領を治める――ノワール公爵からの婚姻の申し出だった。
公爵は昼には姿を見せず、夜の城に閉じこもり、血を好むという。
『吸血鬼の末裔』
そんな不吉な噂がまことしやかに囁かれている。
「フェルト家の娘を、妻として迎えたい」
そう書かれていた手紙には、姉の名も、私の名も記されていなかった。
本来なら、正妻の娘であるセシリア姉さまが嫁ぐべきだ。
けれど、姉には既に、愛する人がいた。
騎士団長のエドガー様――互いに心を通わせているのを、私は知っていた。
……だから。
「私でよければ、行かせてください。
姉さまが笑っていられるなら、それだけで」
私は、妾腹の子。
けれど、姉さまに育てられ、何不自由なく過ごしてきた。
だからこそ、恩返しがしたかった。
――愛する人のもとへ行ってほしかった。
私がそう申し出たとき、父はしばらく無言だった。
だがついには、「相手が“娘”を求めているなら構うまい」と言った。
書簡に名指しがなかったことが、かえって幸いしたのだ。
王家の名代も、形式上の整合さえ取れれば問題ないという。
そして今日――
私は、北のノワール公爵領へと向かう馬車の中にいた。
夜明け前。遠くの森が青く揺れ、冷たい風が頬に触れる。
カーテン越しに見える空はまだ暗く、遠くの森が、影のように静かに揺れている。
行き先は、吸血鬼と噂される男のもと。
「どうか、無事に過ごせますように……」
そっと指を組んで祈る私の唇に、冷たい朝の風が触れた。
*
(……ここが、これから私の住む場所)
高い城門。闇に沈む城。
その先にいるのは、“夜にしか姿を見せない”と噂される男。
「吸血鬼の末裔」
そうささやかれるノワール公爵――私の“夫”となる人。
カタン、と馬車が止まり、扉が開く。
「……フェルト伯爵令嬢、リリア様、ようこそお越しくださいました。
公爵様がお待ちです」
黒衣の執事が深く一礼する。
私は深く息を吸い込んで、微笑んだ。
「リリア・フェルトです。……どうぞ、よろしくお願いいたします」
――こうして私は、姉の代わりに、“夜の城”の扉を叩いたのだった。