73 旅立ち
重苦しい雰囲気を破ったのは、ライアンおじい様であった。
「お前たち、そんなに気負うことはないぞ。新婚旅行だと思って気軽に行ってくればよい。こちらのことは、儂とルークがおるから、心配ないぞ。しばらく向こうで遊んで来たらどうだ?」
し、新婚旅行・・・。
王国の存続を決める大事な交渉の席であるのに、そんな不謹慎な・・・。
「爺さんは、またそんな・・・でも、そうだね。これまで水面下では何度も交渉してきた。そうそう悪い結果にはならないかもね。」
「そうじゃぞ。帝国も、かの同盟国との戦いを終えたばかり。ここで連戦になるのは避けたいのであろうよ。この度のことは、いわば時間稼ぎじゃな。」
「なるほど・・・交渉が長引いても、帝国に有利な形で交易が進んでも、いずれ戦をしかけるまで時間を稼げるってわけか。帝国は、脳筋の集まりじゃないってわけだ。それなら・・・。」
クリス様がなにをお考えになっているのかなど、私には思いも及ばない。
でも、ここ数カ月でお忙しく動かれているクリス様を見ていると、どこか生き急いでいるように感じることがある。
クリス様がいつかフッと消えてしまうのではないかと、心配になることがある。
そんな私の心配をよそに、帝国に出発する準備は粛々と進めらる。
私はお兄様の書状を胸に携え、クリス様と護衛と共にリスティア帝国へと出発した。
イシュタル領から、リスティア帝国までは馬車で3日ほどの距離。
そしてさらに、リスティア帝国の中心部へは、また3日ほどかかる。
「アリス、交渉の際は、僕の指示があるまで黙って隣にいてほしい。僕がなにを言っても表情には出さないように気を付けてね。」
「わかりました。・・・クリス様、皇帝陛下になにを仰るつもりなのですか?」
「ん~・・・、僕も実際会うのは初めてだからね~。まずは人となりがわからないとなんとも、ね。」
一国の主、それも皇帝陛下に謁見するにあたって、この余裕はどこからくるのだろうか。
私は、決められたセリフを何回も練習して、それをやっと言えるかどうかだというのに。
その場で、言う事を決めるだなんて・・・とても信じられない。
皇帝陛下は豪胆な方だと噂には聞いていたが、クリス様も大概である。
「ん?どうしたの?なにか心配?」
「いえ・・・そういうわけではないのですが。心配といえば・・・なんだか、クリス様が遠くに感じてしまう時があって・・・。」
学園に通っていた時は、朝から夕方までほぼ一緒にいた私達である。
卒業後、一緒にいる時間がぐっと減ってしまったのが、原因なのだろうか。
王都にへと向かわれるクリス様が二度と帰ってこない気がして、「行かないで」と言ってしまいそうになる。
「・・・アリスには寂しい思いをさせてるよね。ごめんね。」
「クリス様は重要なお仕事をされているのですもの。私こそ、こんな時に変な事を言って申し訳ありません。」
「この交渉が終わったら、もう王都に行く必要もなくなるだろうから。そしたら二人でゆっくり過ごそうね。」
「クリス様・・・それは・・・。」
「この交渉の結果で、僕たちの、イシュタル家とノワール家の運命が決まる。交渉が終わったら、アリスに聞いて欲しい話がある。」
以前、国が絡むことだから、話せないことがあると仰っていたことだろうか。
それとも、今後の私たちの関係について・・・重大な問題でもあるというのだろうか。
例えば、帝国の姫君とクリス様が婚姻しなければならない事態になったとか・・・。
アクオス王国の陛下と正妃様のように・・・。
私はクリス様から見えないように、ギュッと手を強く握る。
「・・・わかりました。クリス様の御心のままに。」
私たちの運命を乗せて、馬車はリスティア帝国へと入っていく。




