52 ライアン・イシュタル侯爵
クリス殿下に付き添われ、イシュタル家の門をくぐる。
「アリス、緊張してる?大丈夫だよ、心配ない。」
クリス殿下から声をかけていただくものの、やはり不安は消えない。
「ようこそいらっしゃいました。当主がお待ちです、こちらへ。」
イシュタル家の執事に案内され、客間に通される。
客間に入ると、朱色の髪に白髪が混じり、立派な髭を蓄えていらっしゃる、貫禄のある初老の男性が待っていた。
「爺さん、来たよ。」
こちらをジロりと一瞥される。
「お初にお目にかかります。アイリス・ノワールと申します。この度はお招きいただきありがとうございます。」
緊張に震えながら、どうにか挨拶をする。
「ふむ。遠路はるばるよく来てくれた。礼を言うぞ。儂はこのイシュタル家の当主である、ライアン・イシュタルである。まあ、座れ。」
「もったいないお言葉、ありがとうございます。それでは御前、失礼いたします。その前に、リタ。」
リタが包みを持ってくる。
「こちら、北の特産品でありますワインと、リンゴとブドウのジャムにございます。お口汚しかとは思いますがお納めください。こちらは、その・・・ジャムに合うクッキーでございます。」
クリス殿下から、事前に侯爵様の好みは聞いていた。
お酒と・・・意外にも甘いものがお好きだということで、このチョイスにした。
ジャムが甘いので、クッキーは手作りのものを用意したのだが・・・。
「あれ、この包み・・・もしかして手作りのクッキーなの?まさか、アリスが作ったの?」
「あの・・・王都に売っているものは甘すぎるので、ジャムに合うものがなくて・・・。あっ、毒のご心配がおありなら、まず私が食べますので。」
「そんな心配なんかしてないから大丈夫だよ。これは僕が全部貰うね。」
「・・・・・・控えよ、クリスティン。」
侯爵様の低い声が響き渡る。
「ええ、なんでさ。僕だって食べたことないんだよ、アリスの手作りなんて!」
「それは、アイリス嬢から儂が貰い受けたもの。お前のものではない。」
「爺さん・・・医者に甘いものを止められてるんでしょう?」
「客人の気遣いを無にするほど、落ちぶれてはおらん。」
侯爵様が執事に目で合図をすると、クリス殿下の手からクッキーの包みが取り上げられた。
「ああ・・・僕のクッキーが・・・。」
「クリス殿下、また後で作りますから。」
「本当に?約束だよ。王都に帰ったら絶対作ってね。」
「わかりましたから。後で好みを教えてくださいませ。」
私たちのやり取りを見ていた侯爵様が、スッと目を細められる。
「ふむ・・・噂とは当てにならぬものよのう。これがノワールのご令嬢か。」
噂とは・・・きっと前のアイリスのことだろう。
やはり、私は相応しくないと言われるのであろうか。
「でしょう?人はね、変われるんだよ、爺さん。」
「ふむ。儂としても孫が増えることはやぶさかではない。歓迎するぞ、アイリス嬢。いや、アイリス。ここを自分の家だと思ってゆっくりしていくといい。」
「あ・・・ありがとうございます、イシュタル侯爵様。こちらこそよろしくお願いいたします。」
「む・・・その呼び方は他人行儀だな。おじい様と呼んでみなさい。」
「え?」
「ほら、当主の命令には従わないとだよ、アリス。」
「よろしくお願いいたします。あの・・・ライアンおじい様。」
「ふむ。よい響きだ。これからはそう呼ぶように。わかったな、アイリス。」
イシュタル侯爵様は、満足そうに目を細められた。
・・・とりあえず、受け入れていただけたのだろうか。
イシュタル侯爵様は、朴訥としているが、とても温かいお方のように感じた。




